兄妹揃って


 正午 池袋某所 高層マンション最上階



 意中の女性に対する隠し撮りとは立派なストーカー行為である。
 その対象がいかなる存在であったとしても、そしてどれだけ親密であろうとも、本人の知らないうちに写真を撮ると言うのはやはり犯罪染みている――そう矢霧波江は思うのだ。


「この一カ月で一段と気持ち悪くなったわね」


 一カ月ぶりである雇い主と再会したその日。普段の仕事最中も一貫していた波江の表情は、仕事再開初日にして崩されていた。

 波江は臨也と数日前から連絡を取り合っており、おおまかなこれまでの出来事や野崎ユウキの身に起こった事、新しい仕事場についての話は前もって聞かされていた。
 とても通り魔(これはとりあえずの呼称というだけで、実際にそうだったわけではない)に襲われたとは思えない、以前と変わらぬ調子だったことにはいっそ呆れたが、
 こうして直に会ってみればむしろいろいろと悪化しているようだった。


「人の妹達に自分の弟を監視させておいて、よく言うよ」


 そう言いながらも別段気分を害したわけではないらしく、臨也は口元に笑みを浮かべながらやっとパソコンのディスプレイから目を離す。
 逆にいえば、波江がこの仕事場に来てからずっと、臨也はパソコンから目を離していなかった。
 久々の邂逅だと言うのに目線ひとつくれない雇い主に思うところはなかったのだが、それほど熱心に何をしているのかと、ほんの出来心で画面を覗いたのが悪かった。

 あまりの気味悪さに一瞬で目を離してしまったが、そこには確かに臨也の現在同棲相手――野崎ユウキの寝顔が映し出されていた。
 
 
「人の寝込みを襲うような下衆と一緒にしないでちょうだい」
「だから襲ってないって。ちょっと睡眠薬を盛って、スペアキーで部屋に入ってから、寝顔を写真に撮っただけだよ」
「やっぱり下衆じゃない」
「むしろここまでやっておいて手を出してない点を評価してもらいたいね。それに使った睡眠薬だって、睡眠前後の記憶が少し飛ぶだけの軽いものなんだよ?」
「いっそ一カ月間身動きできなくなる大けがでも負えばよかったんだわ」


 記憶が飛ぶ薬のどこが軽いのだろう。寝顔を写真に撮るだなんて本人が知ったらどう思うのだろうか。それに、どうせスペアキーの存在も知らせていないに違いない。
 一か月前でも十分最底辺へいたはずなのに、よくもまたここまで落ちられるものだと、いっそ波江は感心した。
 それでもユウキが不憫だという事実は変わらないのだが。

 
「そうは言うけどさ、波江さん。これだけ俺から愛されてるんだ、ユウキって相当な幸せ者だと思わない?」
「…………」
「というか幸せなんだよ。誰が何と言おうが、俺たちはそうでなくちゃいけない」


 そう言って臨也は当たり前のように、邪気など少しも含んでいない様な笑みを波江に向ける。
 その笑顔は池袋で何か騒ぎを起こそうとするときに見せるものとも、一人演説のように人間愛を語るときのものとも違っているように見えた。
 加えて臨也が言った「愛されてる」という言葉に、波江はああ、と納得する。ようやくこの男は人間愛以外のものを見つけたらしい。
 臨也の下で働き始めた時にはすでにユウキが彼の傍にいたため、波江からすればそれほど驚いたことでもない。むしろよくここまで時間をかけられたものだと、そういう呆れの方が強かった。
 ただ、ユウキが現れる以前から臨也を知っている知人達から見れば、驚天動地の出来事かもしれない。

 ――この分なら、これからまだまだ悪化しそうだわ。

 きっと二十数年間生きてきた中で誰にも向けられていなかった類の愛情が、今全てユウキに注がれかけている。彼女の行き先は前途多難以外の何物でもないように思われた。

 ――まあ、私や誠二さえ巻き込まないでくれるなら、どうなろうと構わないけど。



 ♀♂



 昼過ぎ 池袋 某ファーストフード店



「でも、本当によかったです。ユウキさんが無事で」
「……うん、ごめんなさい」


 ここ三日で何度言っているか分からない言葉を口にして、私は向かいに座っている杏里ちゃんへ頭を下げた。
 すると彼女は眼鏡の奥にある瞳を困ったように揺らせ、「そんな、あの、そういうつもりで言ったんじゃありませんから……っ」そう控えめに私の言葉を否定した。
 いや、わかってはいるのだ。別に杏里ちゃんは私を責めようとか、そういうつもりで言ったつもりではない事ぐらい。しかしここで謝らなければいつ謝るんだと言う話になる。
 何度も言うようだけれど、私は後悔こそしていないが、人に迷惑をかけたことはわかっているつもりだ。


「何だか帝人くんにまで心配かけてたみたいだから……再認識しちゃってね」


 まあ、帝人くんの場合は違った理由もあるのだけれど。
 心の中ではそう思いながら、やっぱり年下の子にまで心配をかけたことへ心苦しい物を感じる。
 年上であればいいというわけではないけれど、まあこういうことは、そういうものなのだろう。
 どうしたものかなぁとテーブルに置いていたアイスティーへ口を付け、再び杏里ちゃんの顔を覗くと、その表情が明らかに落ち込んでいることへ気が付いた。

 ……え、私何か言ってしまった?


「どうしたの、杏里ちゃん」
「――え?」


 ハッと我に返った様な声を上げて、彼女は恐縮したように身を縮こまらせる。


「す、すみません……考え事をしていて」
「考え事って、悩み事かな」


 だとしたら何か、話を聞くことだけでもしたい。
 過去自分もしてもらったことを思い出して少し身を乗り出すと、杏里ちゃんは考えるように俯いて、


「きっと、そうなんだと……思います」


 まるで他人事のように呟いた。


「でもそれ、私の勘違いかもしれませんし……今は、その……」
「自分で考えをまとめたい時期、とか」
「……はい、多分」


 自信なさげに頷く杏里ちゃんへ、大丈夫なんだろうかと不安になる。
 

「す、すみません。話、聞こうとしてくれたんですよね……」


 しかし、こうしている杏里ちゃんを見ていると食い下がることもできず、私は少し悩んでから「そんな、それこそ謝らないでよ」首を左右に振った。


「でも、誰かに聞いてほしいと思ったら、遠慮しないで言ってね」



 ♀♂ 
 


 昼 池袋 路地



 結局杏里ちゃんの悩み事は聞く事が出来ず、あの後は学校での委員会の話やここ一カ月の池袋の様子などを聞いた。
 のだが、彼女の抱えてる悩み事がどこかしらに影を落としていたので、なおさらそれが気に掛ってしまった。
 帝人くんのこともあるし……二人と交流のありそうな人へ、ここ一カ月のことを聞いた方がいいかもしれない。

 あとこれはあくまで推測だけれど、あまり深い関係とは言えない私でさえ気づけた帝人くんの変化だ。
 当然親しい杏里ちゃんはそれに気づいて、彼はどうしてしまったのかと悩んでいる、とか。あり得なくもない。というより、今思いつく中では一番の有力候補だろう。
 どちらにしろ、今日は帰って来た折原さんに聞かなければならないことが、たくさんあるようだ。
 果たしてあの人がそう簡単に口を割ってくれるだろうかと首を捻っていると、


「やっほーう!ユウキっ、さん!!」


 一昨日聞いたばかりである掛け声(のようなもの)に、すぐさま右方向へ移動しようとした。
 が、実際目を向けてみればそこには九瑠璃ちゃんがいた。何時の間にと足を踏み出せずに突っ立っていると、真後ろで一迅風が吹く。
 次にはコンクリートと何かの擦れ合うような音が聞こえ――振り返る間もなく、胸の下あたりに細い腕が絡まってきた。


「ダメダメ、さすがに2回も同じ失敗はしないよ!っていうか良い感じにユウキさんの胸が当たって、凄くエロティックな気分!」


 誰かこのセクハラ女子高生をどうにかしてください。
 会うたびにエスカレートしているスキンシップにもうどうしたものかと言葉も出ない。
 ……いや、別にこれぐらいなら同性ということで耐えることもできるのだけれど、公共の場でそれを実況するのはやめてもらえないだろうか。
 
 
「あれ?ユウキさん固まっちゃった?じゃあ、その間にもっと、」
「固まってない、固まってないから」


 やめて。
 そういった意味合いで息を吐いても、舞流ちゃんは少しも離す気がないらしい。


「何か一昨日からユウキさんの反応冷たいよ!?でもそういうのもいいかなとか思っちゃうんだけど、クル姉はどう?」
「貴(舞流が)……過(やりすぎなだけ)……」
「やりすぎとかクル姉えろい!」


 と、ずっと腕を巻きつけたまま九瑠璃ちゃんとこういう会話を続けている。なにこの羞恥刑。
 舞流ちゃんも九瑠璃ちゃんも同じぐらい好きなのだけれど、やっぱりこういうのはいただけない。折原さんに抗議すれば……マシになるわけないか。


「ふたりはこれから、買い物でもいくのかな」


 まだ舞流ちゃんの顔を見ていない(ずっと背後からへばりつかれているから)ので、何とも言えなけれど、九瑠璃ちゃんはいつだったかに見たパーカーを着ていた。
 だから杏里ちゃん達のように学校というわけではなさそうだけど、買い物と言うには身軽すぎるようにも見える。
 すると案の定、九瑠璃ちゃんはフルフルと首を横に振った。


「私達はこれから道場に行くんだよ!」
「道場って……」


 楽しそうな舞流ちゃんの言葉へ少し驚くと同時に、ああやっぱりと納得もした。
 あの綺麗な飛び蹴りは、やはりどこかで習ったものだったようだ。


「ん?もしかしてユウキさん、格闘技とか興味ある!?イザ兄対策にはバッチリだと思うよ!」


 確かに興味はあるけどお腹締めつけないでくれるかな舞流ちゃん。
 

「観(見学)……可(できますよ)」
「え、本当に」


 私の確認へ九瑠璃ちゃんが頷くと、やっと腹部から圧迫感が抜けて行った。
 しかし次の瞬間には右腕をがっちりと掴まれ、今日初めて見た舞流ちゃんの顔は輝かんばかりに明るい笑顔だった。それなのに何故か嫌な予感する。


「ユウキさんが通うようになってくれたら、私が手とり足とり、ついでに腰もとって教えちゃうからね!絶対、通って!!」
「……それ何か違、」
「じゃあ、はりきってしゅっぱーつ!!」
「応(おー)」 



 (兄妹揃って) 

  

 ちょっとやりすぎじゃないですか。


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あきゅろす。
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