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鵠のうたう歌
9

「……あの、雨宮くん。もしよかったら、あの子と一緒に帰ってあげて欲しいんだけど……。本当は私が一緒に帰ってあげられればいいんだけど、部活があるしさ……」
「うん」

 またしてもすんなり頷いてくれたので、今度こそ本当に安心した。

「それじゃあ、瑞乃のこと、よろしくね。──雨宮くんって、普段は何考えてるのかよくわかんないけど、本当はとてもいい人ね。……ありがとう」

 知香はそれだけ言うと、自分の席に戻っていった。

 ──そして、放課後。



 瑞乃は勾玉を眺めながら、ゆっくり家路についていた。勾玉ばかりを見ていたから、もう大通りまで来ていたことに気づかなかった。

 すぐ横を車がスピードを出して通り過ぎていく。もう少し行けば横断歩道があって、いつもそこを渡っている。勾玉に気を取られていても通い慣れた道だ。足は勝手に動いてくれる。

 横断歩道に差し掛かって、瑞乃はふらふらと白と黒のストライプに足を踏み出した。

 その瞬間、

「瑞乃っ!」

 涼の焦った声が聞こえて、後ろにぐいっと引っ張られた。

 瑞乃は小さく悲鳴をあげて倒れそうになる。しかし、とんっと背中が何かに当たって、倒れることはなかった。

 振り返ると、すぐ後ろに涼が立っていた。瑞乃は彼に寄り掛かるようにして立っている自分に気づいて、慌てて離れた。

「りょ、涼くん。急にどうしたの?びっくしりた……」
「今、赤信号。すぐそこまで車が来てた」
「……え?うそ……」
「……本当」

 歩行者信号を見れば、確かに赤いランプが光っていた。

「ありがとう、私勾玉を見てたら、つい……」

 言って、すぐに手の平に乗せていた勾玉がないことに気がついた。瑞乃は一気に青ざめる。あれがないと、香の夢が見られない……!

 焦ってあちこち見回すと、道路の中央にぽつんと落ちている緑の石を見つけた。

「あんなところに。でも、見つかってよかった」

 何も考えずにひたすら勾玉だけに目をやって、道路に飛び出す。

「駄目だっ、戻れ、瑞乃っ!」

 涼はすぐに手を伸ばしたが、あと少しというところで届かなかった。

 瑞乃は道路の真ん中まで駆けていくと、その場にしゃがみ込んで、そっと勾玉を拾い上げる。

「瑞乃っ!」

 涼が叫ぶ。
 えっ、と顔を上げると白い乗用車がすぐ目の前まで迫っていた。世界が一瞬止まる。白い車体の残像が強烈に脳に焼きつき、瑞乃はその後何もわからなくなった。


 +++++


 豊彦が瑞光寺を去ってから十日ほどが経ったある日、昼の休憩時間に、叡達が五人のもとへやってきた。

 ──ここにいたのか。今さっき文が届いてね。……豊彦が元服したそうだ。名は久谷義久(よしひさ)という。お前たちには知らせておこうと思ってな。

 ──久谷……義久……

 香はぼんやりつぶやいた。

 その名を聞いても、見知らぬ他人の名を聞いているようだ。いかめしいその名は、まるで武士のようではないか。

 ──武士……

 そうだ。豊彦は武士になってしまったのだ。よりによって久谷の名を持つ武士に……。

 村を焼け出されたときの豊彦の声が耳によみがえる。

 ──久谷様が悪いんだ……!領主様がいつまでも隣の国との戦を止めないから、俺たちの村までこんなことになって………

 お前、そう言ってたのにな。なんで久谷の武士なんかになってんだよ。

 急に香の中で憎しみが膨れ上がった。

 なぜこの世に武士などいるのか。

 武士など嫌いだ。奴らは戦を起こす。武士など必要ない。奴らは田畑を踏み荒らす。武士などいなくなればいい。そうすれば、自分は家族も豊彦も失わずにすんだのに……

 武士は香の大切なものを次々と奪っていく。もうたくさんだった。

 香は立ち上がると、後先見ずに走り出した。

 ──香……!

 後ろから鈍の声が聞こえたが、構わず香は走り続けた。


 +++++


 目を覚ますと、見知らぬ天井がそこにあった。白くて、少し染みのついた天井は、窓から差し込む陽の光に照らされて、淡いコントラストを描いている。

 瑞乃はゆっくり顔を横に向けた。寝かされているのはパイプのベッドで、その周りをクリーム色のカーテンで仕切られている。それ以上部屋の様子はわからなかった。

 保健室みたいだった。前に保健室のベッドで休んだときも、こうしてカーテンで仕切られたのだ。そう思うと本当に消毒液のにおいがした気がした。

 ──昼間に香の夢を見たのは初めてだった。

 しばらくぼうっとしたまま天井を眺めていると、カーテンに黒い影が映って、その手が持ち上げられる。カーテンをさっと引いて中に入ってきたのは母の和世だった。

「……瑞乃!気がついたのね。よかったわ。ここは病院よ。わかる?」
「……病院」
「そうよ、あなた車に轢かれそうになったのよ。病院から会社に電話があったときは心臓が止まるかと思ったわよ。さいわいかすり傷程度ですんだからよかったけれど、気をつけなきゃ駄目じゃないの」

 そうだった。瑞乃はすべてを思い出した。

 白い車が目の前に迫っていた。頭が真っ白になってただ車が突っ込んでくるのを見ていることしかできなかった時に……横から伸びてきた腕に頭と肩を抱え込まれたのだ。

「もし、あの子が助けてくれなかったら、どうなっていたか……」
「あの子って……?」
「雨宮くんよ。おじいちゃんのお友達のお孫さん」

 では、やはりあの腕は涼だったのだ。

「お母さん、涼くんは?」

 突然起き上がって、ベッドから降りようとする瑞乃に驚く和世だったが答えてくれる。

「たぶん、まだ病院にいると思うけど……あ、それとさっきまで知香ちゃんも心配して来てくれていたのよ。あとでお礼の電話しておきなさいね」
「……知香が?」
「そうよ、まだ部活の途中だったのに連絡聞いてすぐに来てくれたのよ」

 瑞乃は思わずうつむいてしまう。こんなに皆を心配させるなんて、自分はなんて馬鹿だったのだろう。手の平をぎゅっと握り締めて、ベッドを降りた。

「……ちょっと行ってくる」
「え…?瑞乃、待ちなさい。まだ寝てなくていいの?」
「大丈夫。すぐ戻ってくるから」

 そう言うと、瑞乃は部屋を抜け出した。

 病院中を探しまわって、中庭のベンチに座っている涼を見つけた。

「……涼くん」

 声を掛けると、涼は顔を上げてイヤホンをはずした。

「……瑞乃。起き上がっても大丈夫なのか?」

 瑞乃は頷いて、涼の隣に腰掛けた。見れば、涼の身体のあちこちにも包帯やガーゼで手当てしてあるのがわかった。



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あきゅろす。
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