鵠のうたう歌
8
──驚かれるのは無理も御座いませんでしょうが、詳しい説明はお館様がなさいます。どうぞ、こちらへ。
──そんなこと、急に言われても……。香、どうしよう……?
すぐそばにいた香は、動揺する豊彦の顔を見返した。香だって、わけがわからない。ただ心臓が不安でおかしなふうにどくどく鳴っていた。
──さあ、参りましょう。
佐伯はそう言って立ち上がると、豊彦の腕を掴もうとする。強引に連れて行こうとするのを見て、とっさにそれを遮って、香は佐伯を睨みつけた。
──……説明くらいしろよ。
──………。
佐伯は香を無視して、再び豊彦の腕を掴もうとする。
──やめろって!
またもやそれを邪魔する。すると、佐伯は香を苛立たしげに見下ろして凄んだ。
──お前には関係ない。余計なことはするな。
だが、香もそれで怯むことはなかった。
──関係なくなんかない。豊彦とは同じ村で育った幼馴染だし、今では兄弟みたいなもんなんだ。それなのに理由も分からずに連れていかれて、はいそうですかって納得できるか。ちゃんと説明しろよ。
──……理由くらい話してくれてもいいんじゃないのか?
鳶も香に加勢する。すると、鈍と茨黄に蘇芳も佐伯の前に立ちはだかった。
──……なんの真似だ。
佐伯は目の前の少年たちを鋭く見回す。
──下がれ。これ以上無礼を働けば切るぞ。
佐伯は怒気の含んだ声で低く告げると、刀の柄に手を伸ばす。それを見た住職と叡達はぎょっとし、慌てて佐伯を止めに掛かった。
──佐伯殿!……いなかる理由があろうともこの場所で刀を振ることは罷り成らぬ。その手を柄より離されよ。
──そうですよ、ここは怒りを治めてください。それにこの子達の言い分もわかってあげてください。説明さえしていただければ、きっとわかってくれるでしょう。……そうだね、お前たち?
叡達はまるで親が子供に言い聞かせているときのような目で、香たちを見た。とても口を挟むことができないような厳しい瞳だったが、黙ってなどいられない。香がさらに口を開こうとするのを見て、叡達は一喝した。
──………香っ!
耳がびりびりするほどの恐ろしい声だった。さすがの香も叡達にはかなわない。ぐっと押し黙ると、鳶に後ろへ追いやられた。
──……わかりました。
鳶が感情のなくした声で応えると、叡達はそれに頷き、佐伯に微笑んだ。
──この子達もこう申しております、どうかお許しいただけないでしょうか。
佐伯はまだ怒りが治まらないようだったが、なんとか肩から力を抜いた。
──……いいだろう。
佐伯はようやく柄から手を離すと、理由を話し始めた。
──我が主君、久谷義隆様の御嫡男の義盛様が、先の戦で討ち死になさったことは知っておるだろう。しかし、義隆様には義盛様以外に男子はいらっしゃらなかったのだ。このままでは久谷家の血が絶えてしまう。そんな時、義隆様は昔側仕えとして仕えていた千代という女のことを思い出されたのだ。
──……それってまさか……?
豊彦が呆然とつぶやいた。佐伯は頷く。
──そうです、豊彦様の母君でございます。……千代は当時、側仕えでありながら義隆様に気に入られ、ついには義隆様の子を身ごもったのです。しかし、それを知った奥方様は千代をお許しにならなかった。千代は城から追い出されてしまい、それ以来、ようとして行方は知れませんでした。義隆様も奥方様の手前、あえて千代を探し出そうとはなさらなかったのです。
そうした理由で千代は深川村に辿り着き、豊彦を産んだのだった。
──千代は次第に皆の記憶から忘れ去られていったのですが、義盛様がこのようなことになってしまわれ、この度、改めて千代とその子を探すことになったのです。男児が生まれているのかもわからない、いえそれどころか、千代が無事に腹の子を産めたかどうかもわからなかった。しかし、こうしてあなたを探し出すことができた。
──それじゃ、俺の本当の父親は……領主様、なのか……?
──その通りでございます。
──……信じられない。何かの間違いってことはないのか……?
──……いいえ、
佐伯ははっきりと首を横に振った。
──いいえ、私は義隆様が今の豊彦様の年齢の頃からお仕えしておりますが、豊彦様はその頃の義隆様によく似ておいでです。
最後の一言で、豊彦が領主の息子だということが決定されたようなものだった。豊彦は呆然とし、香も、誰も彼も言葉を発するものはいなかった。
──おわかり頂けましたでしょうか。……では、参りましょう。
豊彦は佐伯に腕をとられると、彼のなすがままに力なく歩き出す。
香は追いかけることもできずに、遠ざかっていく豊彦の後ろ姿をただ見ているしかなかった。
+++++
香の夢を見るようになってから、一週間が経とうとしていた。
はじめは連日見る夢に恐れをなしていた瑞乃だったが、今では早く続きを知りたいと思うほど、夢の続きが気になってしかたがなかった。
いまや勾玉は、瑞乃を香の夢へと導いてくれるものとして、手放せないものとなっている。瑞乃の考えでは、どうゆうわけかこの勾玉は、いわば携帯のメモリースティックのようなもので、香の記憶をとどめているのだ。
「──今日の夢はどんな内容なのかな……?」
手のひらに勾玉を乗せて、うっとりそれに見入る。
登下校中でも授業中でも、家にいるときでも、ここ最近の瑞乃の思考はすべて香の夢に向けられていた。
さすがに知香は瑞乃のただならぬ様子に気づいており、今も微かに眉をひそめて幼馴染を見つめていた。
「……ねえ、瑞乃。あんた、最近ちょっと変だよ。前はそんなことなかったのに、よく忘れ物するし、人の話も全然聞いてないし。今日も先生に当てられたのに聞いてなくて怒られたでしょ?今のままじゃ、そのうち呼び出されるよ……」
しかし瑞乃はここ最近繰り返しているように、知香が口を閉じてから数拍をおいて、やっと自分が話し掛けられていたことに気づいた。しきりに瞬いて、知香の顔を見上げる。
「………え?ごめん、何?」
この反応に知香は重くため息をつくと、首を横に振って、瑞乃の机を離れた。
「なんでもない……」
「……そう?」
瑞乃は知香の寂しげな表情にも気づかず、再び勾玉を眺めはじめる。知香はもう一度深くため息をつくと、自分の席に戻ろうとして、珍しく眠っていない涼に気がついた。
「あれ、雨宮くんが眠ってないなんて珍しいこともあるものね」
笑いながら声を掛けると、涼は知香に視線を向ける。その表情がいつものぼーっとしたものではなかったので、知香は首を傾げた。
「どうしたの?怖い顔しちゃって。何かあった?」
「……いや、ちょっと」
涼はそう言うと、また視線を先ほど向けていた方向に戻した。
「瑞乃の様子を見てたんだ……」
「雨宮くんも気づいてたんだ」
「…うん」
何が、とも聞かないで涼が頷いたので、知香は少し安堵した。
最近の瑞乃は何かに気を取られて、始終ぼーっとしていて登下校中がとくに危なっかしい。だから朝は知香が一緒に登校していたのだが、帰りは部活があるため、大抵瑞乃はひとりで帰っていた。知香にはそれが気がかりだったのだ。
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