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鵠のうたう歌
7

 ──なんだとっ!

 豊彦と茨黄がばちばちと火花が飛びそうなほど激しく睨み合う。今にも殴り合いになりそうだった。その険悪な様子に、香が慌てて止めに入ろうとすると、鷹揚に構えていた鳶がのんびり言った。

 ──まあまあ、商才があるかないかは別として、俺が思うに商人を目指すなら茨黄も蘇芳ももう少し愛想がよくないと売れるもんも売れないかもな。

 確かにその通りなので、香は思わず笑ってしまった。皮肉屋な商人と無口な商人。これでは客は怒るか困惑するかのどちらかだ。

 ──あはは、ホントだね。

 鈍も大声で笑う。すっかり場がしらけてしまって、豊彦も茨黄もふいっと目をそらす。

 大抵の場合、こんな感じで六人は日々を過ごしていた。



 瑞光寺で働き出してもう一年が経っていた。

 毎日の力仕事で香の体格はがっしりとし、身長も去年より三寸伸びた。ご飯もしっかり食べさせてもらえるので、まだまだ身長は伸びそうだった。

 いつものように木材を運んでいると、栗毛の馬に乗った身なりの良い男が門をくぐって境内に入ってきた。いきなり現れた物々しい様子の男に、周りの目は自然に集まる。

 男はそんな視線には構わず、さっと鞍から降りると、たまたま近くにいた香を呼びとめた。

 ──そこの者、住職の円親殿は今いらっしゃるか。よければ案内してもらいたいのだが。

 腰には刀を差し、物腰もきびきびしており、一目で武士だとわかった。

 ──え、はい。

 香は運んでいた木材を他の人に頼むと、その武士を奥に案内する。途中、叡達に会ったので、後は彼に任せて香は仕事に戻った。

 その際、武士が叡達に名乗っている声が聞こえた。

 ──私は久谷家の家臣、佐伯広成(さえきひろなり)と申す。この度の突然の訪問お許しいただきたく……

 (久谷家家臣だって……?なんだってそんな奴がこの寺に?)

 香はそっと振り返って佐伯を見た。佐伯はなにやら厳しい表情で叡達と話している。ただならぬ様子に、ふっと嫌な予感がした。

 佐伯が奥に消えてからしばらくして、香と豊彦と鳶の三人が住職に呼ばれた。

 ──何だろう。俺たち何かへましたっけ?

 豊彦は住職に怒られると思ったらしかった。さぼったり、だらけたりしているとたまにそれが住職の耳に入るときがある。すると、住職の部屋まで呼び出されてこんこんと説教をされるのだった。

 だけど、今回は違う。

 香は首を横に振った。

 ──……そうじゃないと思う。
 ──え?どういうこと?
 ──わかんないけど、説教とか、そんなんじゃない気がする。
 ──何か知っているのか?

 鳶も不思議そうな顔で尋ねてくる。しかし、それ以上は香も何と言えばいいのかわからなくて、ただ黙って足を進めた。

 住職の部屋の前まで来たとき、中から住職の声と佐伯の話し声が聞こえた。

 (やっぱり、あの侍に関係することか……)

 けれども、いったい自分たちに何の用があるというのだろう。

 香は眉をひそめながら、膝をついて障子に手を添える鳶を見て、同じように膝をついた。

 ──失礼します。

 鳶が低い声で障子の向こうに声を掛ける。すると、すぐに住職の声が返ってきた。

 ──おお、来たか。入りなさい。

 許しを得て、鳶は一度香と豊彦に確認するように振り返ってから、頷いてゆっくり障子を開けた。もう一度失礼しますと言って礼をする。

 顔を上げると、住職と例の佐伯という武士がこちらを見ていた。香は佐伯の存在を知っていたから取り澄まして見返したが、豊彦は住職以外にも見知らぬ男がいて、すっかり戸惑っている。その点、鳶は少し目を見張っただけで、年長者らしくすぐに落ち着いた表情を取り戻した。

 ──こちらに座りなさい。

 住職の言葉に従って、三人は住職と佐伯に向き合う形で座った。

 ──こちらは、久谷家家臣の佐伯広成殿だ。佐伯殿、この三人が深川郷からきた者達です。

 住職の紹介で、佐伯は険しいと言っていいほどの眼光で三人をそれぞれを眺めた。

 ──そなた達に訊く。千代という名の女を知ってるか。
 ──……え?

 なにかと思えば、女の話とは……。

 驚くと同時に少々拍子抜けしながら、三人は顔を見合わせた。この武士の言う女と同一人物かはわからないが、千代という名の人ならひとり知っている。豊彦の母親だ。

 ──千代なら、俺の母さんの名前ですけど……

 豊彦がそう言うと、佐伯ははっと身を乗り出し、豊彦に詰め寄った。その顔付きたるや鬼の面のようで、眉を吊り上げ、かっと目を見開いた姿は鬼気迫るものがあった。

 ──それはまことかっ!お前の母はどこの出身の者だ?
 ──え……、わ、わかりません。

 豊彦は佐伯の突然の豹変に度肝を抜かれて、声が裏返っている。

 ──わからないとはどういうことだ。
 ──それは……

 豊彦の母は、深川村の出身でも近くの村の出身でもなかった。それは村では有名な話で、香もそれを知っていた。

 豊彦の母はある日突然、村にやってきたのだ。

 なんでも十五年前のことだ。畑仕事をしようと家を出た豊彦の父正吉が鍬を肩に担いで畑に向かうと、そこにひとりの女が倒れていたという。慌てて助け起こしてみると、女は身重の身体で、腹は大きく膨れており、身なりもぼろぼろだった。正吉は女を哀れに思って、家につれて帰って世話をした。その甲斐あって女は目を覚まし、訳を尋ねた正吉に、こういったという。

 自分は事情があって家を追い出されてしまった。しかし行く当てなどなかったので、南に南に歩いてきたが、ついに力尽きて倒れてしまったということだった。正吉はその時はまだ一人身だったし、女を不憫に思って、彼女を嫁に迎えた。それからしばらくして生まれたのが、豊彦だった。

 その話を聞くと、佐伯は信じられないとつぶやいて、豊彦をまじまじと見つめた。その視線にたじろぐ豊彦だったが、佐伯はさっと顔を住職に向けると頷いてみせた。

 ──……住職。
 ──では、この者が……?
 ──ええ、おそらく。私はこのことを知らせに、急ぎ城に帰らねば。それでは失礼致します。近いうちにいずれまた。では。

 それだけ言うと、佐伯は慌しく部屋を出ていった。

 ──なんだったんだ?今の……

 鳶が呆気に取られながらつぶやく。

 ──……さあ?

 豊彦も呆然と佐伯の出ていった障子を眺めながら首を傾げた。

 香は住職をじっと見つめる。何か知っているなら教えて欲しかった。だが、住職は香の視線に気づいているのかいないのか、こちらに背中を向けると、硯と取り出して墨を磨り始めた。

 ──さあ、お前たちも仕事に戻りなさい。

 住職が静かに、しかし有無を言わせない口調でそう言った。疑問はいろいろあったが、住職は答えてくれそうにない。香の嫌な予感は高まる一方だった。

 そして、それから数日後、再び佐伯が訪ねてきた。今度は彼の他にも数人のお供がいる。彼らは出迎えに出ていた住職と叡達にあいさつをすると、まっすぐ豊彦のもとへとやってきた。

 そして、さっと膝をつくと、佐伯は畏まった口調でしゃべり始める。

 ──豊彦様ですね?お館様が城でお待ちです。私どもと共に御同行願えますか?

 豊彦はひどく驚いて、何度も目を瞬いた。

 ──え……、俺が何で……?



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