鵠のうたう歌
5
──………。
──………。
しばし、どちらも自分と相手の山菜の量を見比べる。
山菜の小さな山はどちらも同じ位の大きさに見えた。
──えっと……どうなんだろう、これ?
困ったように香が豊彦の顔を見ると、豊彦も戸惑ったように二つの山を見比べる。しかし、どうしても負けたくなかったのか、豊彦は自分のわらびを指差して言った。
──ほら、見てよ。俺のわらびはどれもみんな太くて美味しそうだよ。それにぜんまいも香より数が多い。だから俺の勝ちだ。
豊彦の強引な理屈に香はむうっと唇をとがらせる。
──そんなこと言うんなら、わらびは数では僕のほうが上だ。それに、俺の方はたらのめを六つも採ってきた。豊彦はひとつも持ってないじゃないか。
こうなるとどちらも自分が勝ったと主張して収拾がつかない。そこでふたりは村に帰ると、お昼の休憩をとっていたその辺の大人を引っ張ってきて勝負の判定をさせた。
まだ二十歳かそこらの青年は、ふたりに詰め寄られて困ったように頭を掻いた。
──俺にはどっちも同じくらいに見えるけどなぁ……
──それじゃあ、駄目なんだ。
豊彦が言うと、それに頷いて香も青年に詰め寄る。
──はっきり決めて欲しいんだ。
──俺には決められないよ。他を当たってくれ。
青年はそう言うと、そそくさとその場を立ち去ってしまう。
その後もふたりは手当たりしだい大人を捕まえては判定をせまった。しかし結局、決着はつかず引き分けとなったのだった。
+++++
瑞乃は目を覚ますと、しばらくの間、呆然と天井を見つめていた。
また、あの少年の夢を見た。昨夜の夢よりずいぶん幼くなっていたが、確かに彼の面影があった。おそらく十歳前後だと思われた。
「──香」
豊彦という少年に、彼はそう呼ばれていた。
まるで彼の記憶の断片が、瑞乃の中にどんどん流れ込んできているみたいだと思った。そうでなければ、どうしてこんなリアルな夢を見るというのだろう。
夢とはもっと脈絡がなくて、いつのまにか場所も登場人物もころころ変わって、それなのにそんなことに違和感を覚えない世界のはずだ。
そして、なにより夢の世界は薄っすら靄がかかったようにぼんやりしているものではなかったか。
だけど、彼の夢はテレビの映像のようにクリアで、物語に破綻がない。瑞乃が慣れ親しんだ夢の世界とはまるで異なっていた。
そして瑞乃は混乱する頭で、はっと気づく。
昨日、今日、と夢は続いている。もしかして明日の夜も………?
そう考えると、急に怖くなった。このまま彼の夢を見続けて、自分はどうなってしまうのだろう。
瑞乃は胸に不安を抱えたまま、その日は再び眠ることができずに朝を迎えたのだった。
+++++
それから毎晩、予想した通りに瑞乃は香の夢を見続けた。
山菜採りをしていた少年たちは、つぎに夢を見た時、それよりさらに三、四歳ほど年齢を重ねていた。
──香……俺たちこれからどうなるんだろう……。母ちゃんも父ちゃんも、村の皆も誰も彼も死んでしまった。どうやって生きていけばいいんだよ………!
──……豊彦…。
俺にも分からないよ、というように香は力なく首を振って俯いた。
村は焼け落ちた。あちこちで黒い煙がまるで焼け落ちた家々の無念が形をとったとでもいうように、いつまでも恨めしそうにゆらゆらと立ち昇っている。
──久谷(くたに)様が悪いんだ……!領主様がいつまでも隣の国との戦を止めないから、俺たちの村までこんなことになって………
泣き崩れる豊彦のそばに香もしゃがみ込む。香の父母も兄弟も皆死んでしまった。豊彦の言う通りだ。この先、どうしていいのか分からない。久谷様でも誰でもいい。教えてくれと叫びたかった。心がぐしゃりと音をたてて潰れてしまいそうだった。
──……どうして………
昨夜はいつもと変わらない穏やかな夜だった。それが夜半を過ぎた頃、急に外が騒がしくなって、母に起こされた時には辺り一面が火の海と化していた。家族で外に逃げたはいいが、その途中に焼けた柱の残骸が目の前に崩れてきて、その後は何もわからなくなった。
気づくと村の者しか知らない裏山の洞窟の中に寝かされていた。そこにはなんとか逃げ延びた数名の村人と豊彦がいたのだった。
──どうも昨日の襲撃は半月前にあった戦の落ち武者の仕業だったようだ。
遠くでそう言っているのが聞こえた。この声には聞き覚えがある。香はのろのろと顔を上げて振り返ると、見知った少年が炭化した柱を跨いでこちらに歩いてくる姿を見つけた。
──香、豊彦、ここにいたのか。探していたんだ。
──……鳶(とび)。
崩れてきた柱で気を失った香を見つけて洞窟に運んでくれたのが彼だった。
鳶は淡々とした表情で焼け焦げた地面や木々、そして真っ黒な家々の残骸を眺めた。
──この村はもう駄目だ。生き残った者は俺たちを含めて六人しかない。子供は俺たちだけだ。
──……そう。
鳶は香とひとつしか年は違わなかったが、年齢のわりに落ちついており、体付きも大きかったので、見た目では大人とそう変わりないほどだった。
──さっき向こうで話しているのを聞いたんだが、大人達はとりあえず落ち着くまでは隣の村に世話になるらしい。
──へえ、
──それで、俺たちの事だけど、ここから南に一日歩いたところに瑞光寺っていうでかい寺があったろう?
──……うん。
──あそこに叡達(えいたつ)っていうお坊さんがいるんだが、親父……の知り合いだったらしいんだ。だから、俺たちはその人を頼って寺に身を寄せられないかって思ってる。あの寺はあちこちに荘園を持ってるから裕福なはずだし。
──そうだね……
まるで他人事のようにうわの空で答える香に、鳶は眉をひそめて顔を覗きこむ。
──……おい、大丈夫か?ちゃんと俺の話を聞いてるか?
──うん……
ぼんやりとしたまま頷く香を疑わしげに見ながら、鳶は話を続ける。
──そうとなれば、すぐ出発するぞ。豊彦も今の話聞いてたな?俺は飲み水と、あと何か食う物が残ってないか探してくるから、それまでに準備しておけよ。
鳶はそれだけ言うと、さっさと立ち去ってしまう。香は隣の豊彦を見た。もう泣きやんでいたが、膝に顔をうずめて全然動かない。
しかし、ここでずっとこうしている訳にはいかなかった。頭は霧がかかったようにぼうっとしてたが、香は立ち上がる。
──……行こう、豊彦。
だが、豊彦は無言で首を横に振る。
──豊彦……
彼の気持ちは香にも痛いほどわかった。怒り、悲しみ、憎しみ、絶望……いろんな感情が胸の内で暴れまわって、内臓を傷つけて、しまいには胸を突き破って外に溢れ出しそうだった。
誰かに八つ当たりでもいいから、この感情を吐き出せれば少しはよかったのかもしれない。だけどこの場には自分と同じ痛みを持った人達しかいない。自分ひとりが泣き喚いてその人達を煩わせるわけにはいかなかった。だから余計に苦しくて辛い。
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