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鵠のうたう歌
4

「だって不思議じゃない。あの音量を間近で聞いて、この反応。どういう耳の構造してんのかしら……?」
「ちょっとその言い方は涼くんに失礼じゃない」
「でも、気になるのよ。そこんとこどうなの、雨宮君」

 本気で不思議そうに首を傾げる知香に、涼も不思議そうに知香を見返す。

「どうって言われても……瑞乃、そんなに大きな声出してたのか?」
「………」

 瑞乃と知香はふたり揃って絶句する。

 そんなふたりにはお構いなく、涼は今更気づいたように耳に手を当てる。

「……あれ、イヤホン」

 きょろきょろと辺りを見回して、ブレザーのポケットから伸びるイヤホンのコードを目で追っていく。そして、最終的に瑞乃の手の内に辿りつくと、涼は瑞乃の顔を見て微笑む。

「瑞乃も聞きたかったのか、それ」

 瑞乃が激しく脱力したのは言うまでもない。

「……雨宮君って、相当な天然だよね……」
「……そうだね……」

 瑞乃は知香と目配せし合って、深くため息をついた。

 その後すぐに担任の先生が教室に入ってきて、ホームルームが始まってしまう。結局、昨日の《雨宿りの木》での出来事や夢の話はできないままになってしまった。



 放課後、今日の分の運動会の準備を終えた瑞乃はひとり帰路についていた。

 昨日正式に梅雨入りしたことが発表され、今日も朝からしとしと雨が降っている。雨が傘を叩く音を聞きながら、瑞乃は無意識にポケットの中に手を入れていた。指先につるつるした硬いものが触れる。

 なんとなく、あれからずっと身につけていた。

 緑色の勾玉を取り出して、ため息をつく。

 持ち出さずにはいられなかった。なぜなのか、その理由は瑞乃にもよく分からない。ただ出掛けに勾玉を見た瞬間、手放してはいけない、と強く思ったのだった。それはとても切迫した思いで、どうしてそう思ったのか、瑞乃自身わからなくて困惑したほどだ。

 そうしたわけで、こうやって持ち歩いているのだが──

 ふと顔を上げると、あの公園の前まで着ていた。例の少年にまた会えるのではと思ったわけではなかったが、なんとなく《雨宿りの木》の下に足が向いた。

「………信じてる、か」

 つぶやいてみる。そうすることで、少しでも少年の心情に近づけるのではないかと思ったが、言葉は中空に拡散しただけで、瑞乃には彼の思いの一端も分かりはしないのだった。

「……瑞乃」
「涼くん?」

 振り返ると、いつも通りの眠そうな顔をした涼が立っていた。

「どうして、ここに?」
「朝、なんか言いたそうな顔してたから。───何かあったのかなと思って」

 瑞乃は目を丸くする。見てないようで、ちゃんと気づいていたのだ。普段はぼーっとしているのに、たまにこうして鋭い指摘をする。

 その極端さがおかしくて、つい笑ってしまった。

「なんだ……?違ったのか?」

 戸惑ったようにうろたえる涼に、ううん、と首を横に振る。彼なりに気遣ってくれたのだと分かって、素直に嬉しいと感じた。

 瑞乃は昨日見た少年のこと、泉の幻のこと、勾玉のことを話す。

 そして、夢の話も──

「……その夜にすごく怖い夢を見たの」

 話していくうちに、夢で見た光景を思い出して、顔が強張っていくのを感じた。

 梟の鳴き声も月の光も、草を掻き分ける音や馬の嘶き、そして兵士の鈍く光った刀も───少年の流した血の紅さも、夢なのにまるで自分の記憶のように思い出せた。

 厳しい表情で話を聞いていた涼は、ふと《雨宿りの木》に視線を向ける。

「──水の匂い……。さっきここに立った瞬間に強く感じた気がしたのは、もしかして気のせいじゃなかったのかもな……」
「え?雨の匂いじゃなくて?」
「はじめは俺もそう思ったけど、違うのかもしれない」

 涼は考え込むように、目を細めて遠くを見ている。しかしすぐに首を振って、肩をすくめた。

「……どうもわからないな、少年の幽霊と瑞乃の夢。この二つの間に何か関連があるのかないのか」
「……うん」
「ともかく、ここにはしばらく近づかないほうがいいと思う。あと、あの勾玉。あれもそばに置かないほうがいいかもな」
「そっか……わかった」

 正直、持ち出さずにいる自信はなかったが、一応頷いた。

 涼はそんな瑞乃をじっと見つめていたが、何も言わずに、イヤホンの位置を直すように左耳に手をやった。

「……まあ、何かあったらまた相談しろよ」
「……うん」

 それ以上何も言わず、涼は公園の出口に向かって歩き始める。瑞乃も黙ってそのあとに続いた。


 +++++


 ──香、裏山へ行こう。母ちゃんが山菜を採ってこいって言うんだ。
 ──豊彦(とよひこ)。

 香と呼ばれた少年は、井戸から汲んできた水を水甕に入れる手を止めて、戸口に立つ同い年くらいの少年に笑いかけた。
 
 ──うん、いいよ。待って、籠を取ってくる。
 
 そう言って桶を脇に置くと、奥にとって返して竹で編んだ籠を背に担いで戻ってきた。

 ──たくさん採れるといいね。わらび、ぜんまい、たらのめ……

 香が指折り数えながら、山菜の種類を挙げていく。
 
 ──茸もあるといいな。

 ふたりは笑って頷き合うと、そろって歩き出した。

 村を突っ切って、裏山に入ると、先を競うように斜面を登っていく。下生えを掻き分け、背の低い木々を掻い潜り、ずんずん登っていく。

 厄介なのが枯れて落ちた杉の枝だった。独特の甘くつんと鼻につく匂いが鼻をむずむずさせるし、赤く変色した針状の葉が、足首や脛をちくちくと刺して痛痒い。

 苦心して進みながらも懸命に斜面に目を凝らしていると、薄茶色の綿に覆われたくるくる渦を巻く植物を見つけた。

 ──豊彦、ぜんまい見つけたよ!

 香が振り返って呼びかけると、豊彦がぱっと顔を上げて走ってくる。

 ──本当だ。ちぇっ、香に先を越された。

 豊彦は悔しそうに、ぜんまいを採る香の手を目で追いながら言う。

 ──じゃあ、どっちが多く山菜を採れるか勝負しようよ。

 香が籠にぜんまいを入れながらそう提案すると、すぐさま豊彦が頷く。

 ──いいよ、その勝負受けて立つ。
 ──それじゃあ、お昼に山の下で待ち合わせね。
 ──うん。負けないからな。
 ──俺だって。
 
 ふたりはそれぞれ意気込むと、左右に散らばった。

 そして、太陽が南中にさしかかる頃、山の下でふたりは再び顔を合わせていた。

 ──今回は俺の勝ちだ。

 豊彦が自身満々に胸をそらす。それに負けじと香も籠を下ろして、豊彦の前にどんっと置いた。

 ──俺だって負けてないと思うよ。ほら、見てみなよ。

 豊彦も籠を下ろすと、ふたりはそろって籠を引っくり返した。



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