鵠のうたう歌
16
それで塚には五人というわけだったのだ───
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香はゆっくりと目を開けた。
立っているのは、いつもの木の下ではなかった。周囲は緑の木々に囲まれ、晴れ渡った蒼穹からは柔らかい陽射しが降り注ぎ、風が梢をさあっと音をたてて渡っていく。
──どうしてこんなところにいるのだろう。
香はぼんやりと思った。
目の前には一抱えほどの黒い石が五つあった。それがまるで兄弟が寄り添っているようにきれいに横に並んでいて、なんだか泣きたいくらい懐かしい気持ちを胸に思い起こさせた。
香はまぶたを閉じる。
「――信じてる。俺はおまえを信じてる。だから、どうかお願いだから、俺の前に現れないでくれ……。おまえが、俺の信じたあの頃のままのおまえだと信じさせてくれ。どうか。どうかお願いだから。俺たちを裏切らないでくれ………」
毎日、毎日、そればかりを祈っている。
豊彦は裏切ってなどいない。俺は信じてる。だから、俺の前には現れない。
そう思ったのに……
目を開けると、香は石の前に立つ少年をいまにも泣き出しそうな瞳で見つめた。
どうして、豊彦がここにいるんだ……?
「……香」
「とよ……ひこ……?」
瞠目する香に、豊彦が優しく微笑んだ。
「──うん」
「どうして……?」
「迎えに来たんだ」
「迎え……?」
「そうだよ」
豊彦はゆっくり右手を香に差し出す。
「今度は俺が香を助けるよ。──覚えてるか?村が焼け落ちて、そこを出て行かなきゃならなかったとき、香はこうして俺に手を差し出してくれただろ?そのおかげで俺はなんとか生きていけるって思えたんだ。香がいるなら、まだ大丈夫って」
香は差し伸べられた手のひらをじっと見つめていた。
「俺も覚えてるよ。忘れたりなんかしない。お前と過ごした日々、鳶や鈍や茨黄や蘇芳と過ごした日々、絶対に忘れたりなんかしない」
うん、と豊彦は頷いた。
「──いままでずっと俺のこと信じてくれてて、ありがとう。でも、もういいんだ」
その言葉に、香が不安そうに瞳を揺らす。
「もういいって、どういうことだ……?」
豊彦はただ横に首を振って微笑んだ。
「もういいんだよ、香」
──だって、俺たち、こうしてまた出会えたんだから……
「……豊彦」
香は目を見張る。
豊彦が頷いた。
ああ、そうか、と香は思った。もうずっと不安と悲しみの世界にとどまっている必要はないのだ。
香は豊彦の差し出した手を取る。
すると、豊彦の後ろに鳶たちが立っているのが見えた。
また、昔みたいに六人が揃ったのだ。
香は嬉しくて、涙が頬を伝うのも構わずに豊彦とふたりで鳶たちのもとへと走っていった。
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「──浄化したみたいだな」
「そうだね。本当によかった……」
瑞乃と涼は、深川山の《五人塚》のそばに立っていた。
五つ並んだ石の真ん中に、緑色の勾玉がぽつんと置かれている。そうしようと提案したのは涼で、そのおかげで香は塚で眠る五人と再会できたのだった。
「でも、本当に豊彦がここに葬られていたなんてね。涼くんの読みが当たってよかった」
「だな。図書館ではあんなえらそうにしゃべってたけど、正直豊彦がこの場所にいなかったらどうしようかって思ってたんだ」
ほっと息をはく涼に、瑞乃は笑いかける。
「なんだ、涼くんも本当は不安だったんだね」
「そりゃ、絶対の自信はなかったよ」
「でも、結果的には当たってたんだからすごいよ」
言って、瑞乃は久しぶりに晴天となった空を見上げた。
本当によかった。
これからはずっと六人一緒にいられるんだね。
そう思うと嬉しかったけれど、これで香の夢は終わってしまったのだと思うと、そう思ってはいけないのに少し寂しい。ほんの九日間の出来事だったけれど、とても長い月日を彼等と一緒に過ごした気がした。
そう思うと、悲しくはないのに涙が溢れた。
帰るぞ、と涼に言われたけれど、その場を動けなかった。
「……瑞乃?」
うつむいて必死で涙を拭っていると、そっと涼の左腕に頭を抱きかかえた。すると、我慢していた涙がまた溢れだす。
「なんか私、最近泣いてばかりだな……」
「泣きたければ泣いていいよ。瑞乃なら、いつでも肩貸すしさ」
「……ありがと」
瑞乃は涼の肩に顔をうずめると、思いっきり泣いた。
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学校に登校して教室に入ると、真っ先に涼の机に向かった。
「ねえ、聞いてよ、涼くん」
勢い込んで肩を揺する瑞乃に、いつものように机に突っ伏していた涼は、のろのろ顔をあげた。
「……なんだ、瑞乃?朝っぱらから………うう、眠い」
そう言って、ふたたび眠りにつこうとする涼を慌てて制す。
「ちょっと待って。寝ちゃ駄目。とてもびっくりすることがあったんだから」
「……びっくりすること……?」
「そう!」
瑞乃は一拍おいて、顔をほころばせた。
「香がね、もう一度夢に出てきたの」
「……え?」
驚いて目を見開く涼に満足して、瑞乃はにっこり笑った。
「──って言っても、普通の夢だったけどね」
香が《雨宿りの木》の下に立っていて、瑞乃にありがとうと言って微笑む。
そんな夢だった。
でも、本当に香がそう言ってくれたみたいで、嬉しかったのだ。
「……そうか、よかったな。きっと香も自分を助けてくれた瑞乃に礼を言いたかったんだろうな」
「うん、そうだといいな」
涼が微笑む。
「きっとそうだよ」
「うん」
瑞乃もにっこり微笑み返した。
end
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