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 主人は、そうかい、と笑って、祐介を見る。
「じゃあ、お兄さんの方も知ってるかい?」
「少しは」
 この地方に伝わる昔話だということは知っている。主人は手馴れた口振りですらすらと語りだした。
 昔、保瀬川にミズチという毒を吐く竜が住んでいた。ミズチは嵐をよんでは周囲の村を水没させたり、毒霧を吐いては人々を苦しめ、その死体を喰らっていたという。
 そこへ腕の立つ武士がやってきて、三日三晩死闘を繰り広げ、ようやくミズチを退治するのだが、それ以後、ミズチは毎年お盆の時期になると、祖霊と共に村に帰ってきて、幼い子供や若い娘をさらっていくようになった。
 恐れをなした村人は、ある高名な僧侶に助けを求める。すると、その僧侶は、お盆になると子供と娘たちに恐ろしい面をつけるように言った。それにより、ミズチには面をつけたものが妖に見え、さらわれなくなると云う。
 お盆になると、村人はさっそく恐ろしい面を作って子供と娘たちにつけさせた。するとその年からは、舞い戻ったミズチが村の子供と娘たちをさらうことはなくなった。
「その昔話は、保瀬川の洪水がもとになって生まれた話だと言われててね。保瀬川は、昔はそりゃあ酷い暴れ川だったんだよ。雨が降れば洪水、そこから疫病なんかも蔓延して、たくさんの人が亡くなったって話だ。それでその死者を弔うために、盆踊りや灯籠流しが行われるようになったんだよ」
 ミズチは暴れ川を神格化した姿なのだろう、と主人は笑う。
 祭にそんな云われがあったとは初耳だった。
「お兄ちゃん、早く行こっ」
 いつの間にか隣に立っていた紗智が、裾を引っ張って祐介を見上げていた。
「ああ、そうだな」
 犬の面を買って、盆踊りの会場へ急いだ。
 一歩進むたび、太鼓の音が近づく。会場の上空が篝火の灯りでぼんやりと赤く染まっていた。


 太鼓がドンッと鳴るたび身体が振動する。隣で紗智が歓声をあげた。
 太鼓の据えられた櫓(やぐら)が広場の中心に高くそびえ、その周りをお面をつけた人々が円を描きながら踊っている。
 祭という非日常の中で見るお面の衆は、妖しく幻想的だった。篝火にゆらゆら揺れる人々の影はまるでアヤカシのようだ。人ではない。だからミズチは誰も連れ去れない。
「お兄ちゃん、行ってもいい?」
 紗智に手を引かれてはっとした。今にも飛び出していきそうな姪っ子に、慌てて笑顔を浮かべて頷く。
「ああ、行ってこい。オレはここで待ってるから」
「うん」
 駆けていく小さな背中を見ながら、祐介は柄にもないことを考えた自分に苦笑した。お面屋の主人の話に引きずられたか。本当にミズチが顕れるとでも?
 楽しそうな紗智の笑い声が聞こえてくると、祐介の意識は昔話の世界から現実へと立ち戻った。改めて見回した景色は、賑やかで、雑然とした、熱気溢れる、いつものお盆祭だった。









おわり

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