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08 白雨【天狗舞い2】


 子供の泣き声は嫌いだ。

 かん高い声が耳に突き刺さり、心をざわめかせる。苛立たせる。それでいて、どうしようもなく哀れで、つい、もう泣くな、泣かなくていいんだ、と声をかけてやりたくなる。

「…………」

 あの子供の泣き声が耳から離れない。

 えーん、えーん、と全身にこだまして、まるで天狗をさいなむように纏わりついた。

 どうして子供の泣き声は、あれほど心をざわつかせるのだろう。

 大人も泣く。悲しいとき、悔しいとき、時には嬉しいときにも。しかし、その声はいつだって押し殺され、静かに涙を流すのだけだ。誰かにどうにかしてほしいわけじゃない。ただ、押えきれない感情が溢れて、そして涙となって流れていくのだ。大人が泣き方は、たいていそうだ。

 けれども、子供はそうじゃない。力の限り泣き叫ぶ。泣くことに全力を出せる。だから、うるさいし、わずらわしいし、苛立ちもする。泣くことは、子供にできる唯一のことなのだ。大人と違って、己ひとりの力では何にもできない。だから泣くのだ。だから、全力を出せるのだ。そうして大人に訴えるのだ。

 天狗は杉の木の頂きにとまって、風に吹かれていた。気づくと、いつのまにかその風にあの子供の泣き声が聞こえやしないかと、耳をすましている。これでいったい何度目だろう。

 やっかいなことになった。
 天狗は苦々しく思った。

 ふと気づけば、あの子供のことを考えている。もう人間になど関わりたくないのに、その想いとは裏腹に心にはあの泣き声がこだましていた。

 いっそのこと、あの子供を殺そうかとも考えた。天狗の爪は猛禽類の爪のごとく鋭く、子供ひとりなどあっさり切り裂くことができる。

 爪をカチカチ鳴らした。
 しかし、いざ実行しようとすると、あの泣き声が殊更つよく耳に蘇って天狗の気力を削いでゆく。

 どうしたものか。

 ぼうっと己の鋭い爪を見つめていると、頭にぽたりと水滴が当たった。顔を空に向けると、ぽつぽつと大粒の雨が灰色の雲から落ちてくる。

「……雨」

 そうつぶやいた途端、雨足は激しくなり、天狗を濡らしていく。

 その瞬間、

『烏の濡れ羽色って綺麗だと思わない?』

 ふいに、懐かしい声音が蘇って、天狗は身を強張らせた。

 華奢な女の面影がまぶたの裏に浮かぶ。紅い、ふっくらした唇が小さく開く。

『でもね、雨は嫌いよ。濡れるとなぜだかとっても侘しい気持ちになって、泣きたくなっちゃうでしょう?まるで世界にわたし独りになったようで、寒くて、心細い。そんな気持ちになるの』

 そう言って、彼女は寂しそうに笑った。

 天狗がまだ人だった頃の、記憶だ。

「……世界にひとりだけ、か」

 あの子供は、どんなに泣き叫んでも答えてくれる大人はもういない。それは世界にひとり取り残されるに等しい。

「………」

 雨足はさらに激しさを増す。

 天狗はかつて彼女が好いた濡れ羽色の翼を広げると、白木蓮を目指して飛びたった。






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