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04 欹歔【天狗舞い1】


 えーん……えーん………

 かすかに聞こえてくる泣き声に、天狗は黒い大きな翼をひとはばたきさせて、下を見下ろした。

 まだ冬枯れて枝をむき出しにした樹木。深緑色の鋭い葉を茂らせた杉の木。

 山は重く暗く、くたびれ、寂れた色をしていた。この景色も新緑に染まれば、とたんに生気をみなぎらせ、春の賛歌を歌いだすのだが。

 しかし、草木が萌えだすにはもうしばし時間が掛かりそうだった。

 えーん……えーん………

 声が少し近づいた。

 天狗は上空からさっと周囲を見渡してみた。

 すると。

 灰色の景色にひときわ目を惹く白木蓮の花。

 その樹の下に、小さな子供がうずくまっていた。

 あふれる涙をぬぐうこともせず、声の限りに泣き喚いている。
 
 天狗は、白木蓮のそばの杉の木のてっぺんに降り立つと、金色に輝く眼球でその子供を見下ろした。

 色褪せてもとの色もわからない麻の着物。頬は幼い子供特有の丸みを帯びていたが、袖からのぞく手足は棒のように細く、首は大きな頭を支えているのが不思議なほどか細い。ずいぶん歩き回ったのか、裸足の足は土にまみれ、足の裏は痛々しく腫れていた。

 天狗は感情のない金の瞳で子供を見る。

「おい、子供。こんなところで何をしている」

 天狗の声は、がらがらの喉がひしゃげたような声だった。

 その声に子供はびくっと肩を震わせ、一瞬泣き止んで、辺りを見回した。しかし、誰の姿も見当たらないと、また火が付いたように泣き出す。

 天狗はくつくつ喉の奥で笑う。こちらに気づきもしない様が滑稽に見えた。

 ふいに子供がかすれた声で何か言った。

 その声は天狗の耳には届かなかったが、くちびるの動きで、両親を呼んだとわかった。

「……お前、口べらしか」

 人の来ぬ山奥。
 鬼、天狗、鬼女、諸々の妖が住むと噂される山。

 近くの村人も恐れて手前の山までしか分け入らない。猟師ですら避けてとおるというこんな場所に子供がいる理由などひとつしかない。

 厳しい冬が明け、雪が解けたと同時に捨てに来たか。

 天狗は再びくつくつと笑った。
 子供は依然、泣き続けている。
 大粒の涙が尽きることなく、濡れた黒い瞳から零れ落ちた。

 よくもまあ、そんなに飽きもせずぽろぽろと溢れ出てくるものだ。

 天狗は陽光にキラキラ反射する涙を目で追いながら、そう思った。

 ひとしきり子供を眺めて、天狗は漆黒の翼を広げた。

 飽きた。

 子供の泣いている姿など見ていてもついぞ面白いことはない。

 杉の木の影のてっぺんに、大きな鳥の影ができる。

 その影は子供の目の前の地面に伸び、ようやく子供は顔をあげた。

 視線が合う。

 黒目がちの大きな目。そこからすっと尾を引いて、頬に涙の軌跡できた。

 キラキラ、ぽたり。

 そんな音を立てて、涙はしなびた大地に消えていった気がした。

「………」

 子供は呆けたように天狗を見つめている。
 天狗は無感動に子供を見下ろした。
 腹が減っていた。

 鬼どもなら、よだれを垂らして喰らいつくであろう子供の肉。

 それが無防備に目の前にある。
 しかし、天狗は人肉は喰わない。
 もとが人間だからだろうか。
 そう思って、わずかに残った人だった頃の記憶を辿りそうになり、天狗は眉をひそめた。

 不愉快だ。

 人の身を捨て、天狗になった身。人の記憶などいらない。遥か昔に捨て去ったものではないか。

 天狗は翼を大きくはばたかせた。

 そこから風が生まれ、杉の木が前後にゆらゆらと揺れる。

「……あ………」

 飛び立とうとした刹那、すがるように細められた子供の目が見えた。

「すがれるのなら、何でもいいのか?」

 天狗は無表情に言うと、もう後を見ずに飛び去った。






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