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03 狐狸


 遠くから人間の声が響いてくる。幾人もの低い男の声がそろって同じ言葉を繰り返し繰り返し……
 降り積もった雪に吸い込まれることなく、まっすぐに小さな狐の耳にも届いた。


――かんせぎょう…かんせぎょう……


「……兄ちゃん、かんせぎょうって何?」

 小さな狐は、傍らに立って耳をぴくぴく動かしている兄狐を見上げた。

「冬になると食べ物が少なくなるだろう?」
「うん」

 兄狐は今度は鼻をくんくんさせて、まわりの様子をうかがっている。

「だから人間は俺たち狐が食いもんに困らないようにって、地蔵さんの前とかに食いもんを置いていくんだ。それを人間たちは寒施行って言ってるみたいだな」

 周囲に人間や他の生き物の気配がないことを確認すると、兄狐はちらっと小さな狐に目をやった。
 それを合図に二匹は歩き出す。兄狐が小さな狐の少し前を歩いて先導する。

「なんで人間は僕らに食べ物をくれるの?」

 また質問すると、兄狐は前を向いたまま答える。

「そりゃ、人間は俺たちが稲荷様の遣いだと思っているからさ」
「稲荷様って?」
「農耕の神様だよ。人間は商業の神様とも考えてるみたいだけどな」

 小さな狐は農耕や商業とは何かと訊こうとしたが、兄狐は質問する間もなく説明し続けたので、小さな狐はその質問をぐっと我慢した。

「それに施行は人間にとって徳をつむ行為なんだ。人間は徳をつむのが大好きな生き物だからな」
「徳って?」
「良い行いのことだよ」
「よい行いって?」

 なんでもかんでも尋ねるのは小さな狐の常だった。その度に母は困った顔し、父は苦笑する。
 そして兄狐はいつもふわふわの大きな尻尾で、小さな狐の頭をたしなめるようにぽんっとするのだった。

 今もいつものようにぽんっとされた小さな狐は、矢継ぎ早に質問していた口を閉じた。

「もう少し行けば、さっきの声の主が置いていった食いもんがあるはずだ」
「食べ物…」

 ここ最近は吹雪が続いたせいで狩りができず、狐の一家はまともな食事をとっていなかった。
 小さな狐は食べ物の匂いがしないか、鼻をくんくん動かしてみた。

「…人間たちはついさっき置いていったようだから、まだ他のやつらも来てないだろう。久しぶりに腹いっぱい食えるぞ」

 鼻を動かす弟狐を兄狐は微笑みながら見やる。二匹の足は自然に速くなった。

「もうすぐそこだ。樫の木の下に地蔵さんがあって………ん?待て!」
「わっ」

 急に立ち止まった兄狐に、小さな狐は止まりきれず兄狐の尻尾にぼふっと突っ込んだ。

「……兄ちゃん?」

 何がなんだかさっぱり分からない小さな狐は、兄狐の尻尾から顔を上げて、そろそろと兄狐の横に移動した。

「…兄ちゃん、どうしたの?」

 兄狐の緊張した様子に、小さな狐も不安そうな顔をする。

「先を越された」
「…え?」

 急いで兄狐の視線の先を見ると、灰色の毛に覆われたずんぐりした生き物が、地蔵の前で地面に鼻をつけて何かしていた。

 もっとよく見ようと身を乗り出すと、その灰色の生き物は耳をぴくりとさせて、狐たちの方を振り返った。

「……狸」

 兄狐がつぶやくように言うと、狸はにやりと笑った。

「…よう、狐。今回は俺が先だったみたいだな。去年はお前に先を越されてばっかりだったが、今年は俺の勝ちだ」

「…ふん、たまたまだろ。まだ寒施行は始まったばかりだ。勝った気になるのは早いんじゃないか?」

 ギロリと睨みつける兄狐の視線を飄々とした態度でかわすと、狸は兄狐の背に隠れて様子を伺う小さな狐に気がついた。

「お前、その後ろにいるのは去年生まれたっていう弟だな?そんな小さいもんを連れてるようじゃ、俺には到底勝てないな」

「生憎、俺たち狐はお前たちと違って足が速くてね。こいつもお前なんかよりずっと速く走れるさ」
「そうかい、そりゃすごいこった。せいぜいそのご自慢の駿足を活かしてくれよ。勝ちが決まっている勝負ほどつまらないものはないからな」

 狸は口の端を持ち上げてにやりと笑うと、余裕を示すようにのびのびと背伸びをして、さっと一跳びで向こうの籔のなかに消えていった。

「…嫌味なヤツ」

 忌々しそうに顔をしかめて、兄狐はしばらくの間、狸の消えた籔を睨みつけていた。

「兄ちゃん…今の狸、知り合い?」

 小さな狐が小さな声で恐る恐る尋ねたが、兄狐はふんと鼻を鳴らして答えなかった。

 小さな狐は兄狐の不機嫌な様子にしゅんとしながら、前足で雪をいじる。

「…お腹すいた」

 つぶやくと同時にお腹がぐうっと鳴いた。ちらっと兄狐を見上げる。

「…兄ちゃん……」

 小さな狐が切ない声を出すと、ようやく兄狐は弟と目を合わせた。

「わかったよ。腹減ってるんだろ」
「うん」
「…狸の食い残しなんて忌々しいけど、この際そんなこともいってられないか」

 兄狐は苦笑すると、小さな狐を促して地蔵の前に移動した。

 そこには赤飯が雪の上に散らかっていたが、兄弟二匹が食べるには十分な量の食糧が残っていた。
 さっそく小さな狐は飛びつくように初めて食べる赤飯に食いついたが、ふと地蔵の後ろから何やら良い匂いがするのに気づいた。

「なんだろう?」

 地蔵の後ろを覗くと、そこには黄色くて薄っぺらいモノが落ちていた。

「…?」

 小さな狐は慎重に辺りを見回しつつも、良い匂いにつられてそれに近づいていった。

 そっと匂いをかいでみる。今までかいだことのない不思議な匂いがした。

 食べ物だということはなんとなく分かる。しかし例え良い匂いがしても、必ずしも食べてもいいものだとは限らない。

 小さな狐は兄狐に尋ねることにした。

「…兄ちゃん、これなに?」

 少し離れた所で赤飯を食べていた兄狐は、弟狐がくわえているモノを見た途端、尻尾をぶわっと膨らました。

「油揚げ…!まだ残っていたのか!」
「油揚げ…?」
「そう!この世で最高の食いもんの一つだ!あいつ、一枚残らず食いつくしたのかと思っていたけど、それは見落としたようだな」

 兄狐は興奮気味に言いながら、小さな狐のそばに来た。そして、きょとんとしている弟狐を見て、ふっと笑った。

「…食べてみろよ」
「兄ちゃんは…?これ好きなんでしょう?」
「今日はいいよ。お前が食べろ。うまいんだぞ」

 兄狐がそこまでいうなら、本当にすごくおいしいのだろう。

 小さな狐はそっと雪の上に油揚げを置くと、端をちょこっと食べてみた。

「……」

 はぐはぐ噛んで、びっくりした。油の風味が口に広がった次の瞬間、あまりの旨さに夢中で残りも食べてしまった。

「……おいしい」

 今までこのようなものは食べたことがない。小さな狐は驚き、感激し、呆然と兄狐の顔を見上げた。

「だろ?俺も初めて食べた時は驚いた。こんなうまいもんがこの世にあったなんて!って風にな」

 驚きからまだ覚めてない小さな狐は、頭が真っ白で言葉が出てこなかったので、かわりに兄狐の言葉に一生懸命頷いた。

「でも油揚げが食えるのは寒施行の時だけだ。だから俺は油揚げのために誰よりも早く施行場所に行くんだ」

 狸とはそんな時に出会った。あの狸は、狸のくせに油揚げが大好きで、油揚げをめぐって何度も争った。

 そう兄狐は狸との因縁についても話してくれた。

「これからはお前にも手伝ってもらうからな。あの狸に先を越されないよう、油揚げのために頑張ろうな」
「うん!」

 小さな狐は元気良く頷いた。




 とある山奥では、毎年雪の季節になると狐と狸のちょっと変わった攻防が繰り広げられているということである―――






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