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燈火の灯


 学校帰りにソルに誘われて、あるアーティストの個展を見に行くことになった。
 美術の苦手な僕は、渋ってなかなかうんと言わなかったのだけど、ソルは構わず僕の手を引いて歩き出す。
「個展っていっても、油絵や彫刻のようにいかにも美術館にあるような厳めしい作品じゃないんだ。きっとルナにも親しみやすいと思うよ」
 そのアーティストは、まだ若い女性で、とても繊細で綺麗なイラストを描くという。ソルの話では、線がとても細くてシャープな印象なんだけど、同時に優雅でオシャレな雰囲気も持っているらしい。
「それにイラストのあちこちに登場する小物がとても洒落てるんだ」
「へえ……」
 返事はしてみるものの、そっち方面にうとい僕には想像もつかない。
 そうこうしている内に、ガス灯の燈るプロキオン通りを抜けて、コンサート会場の隣にある多目的ホールに辿り着いた。
 会場には多くのお客さんが来ていたのだけど、圧倒的に若い女性が多かった。その光景にちょっとひるんだ僕だったが、ソルは気にせず進んでいく。手を引かれたままだった僕は、彼に引っ張られるかたちで女性の中を進んだ。
 チケット売り場に着くと、ようやく手を放してくれた。
「まったく、ソルはどうしてそんなに強引なんだか……」
 口をとがらせて文句を言うと、少しは悪いと思ったのか、ソルは財布から二人分のチケット代を取り出す。
「まあ、そんなに怒るなよ。ここは僕が払うからさ」
「そんなの当たり前」
「ごめんってば」
 ソルは苦笑しながら、お金を払ってチケットを受け取ると、それを僕に差し出しながら言った。
「──この個展はどうしても見たかったんだ。本当に綺麗なイラストなんだよ。ルナにも見てほしいって思ったんだ」
 ソルが真面目な顔でそう言ったので、僕はちょっと驚く。
 本当に彼女のイラストが好きなんだな、と思った。
「……えっと、そんなに言うなら見てもいい、かな……?」
 僕がそう言うと、ソルはぱっと顔を綻ばせた。
「それじゃ、はい、これ」
「うん」
 チケットを受け取ると、さっそく入場しようと入り口に向かう。
 すると、ふいに僕らの目の前を見知った顔の少年が通りかかった。彼は僕らに気づくと、わざわざ立ち止まって口元だけで笑った。
「──やあ、久しぶりだな、ふたりとも。相変わらず仲がよろしいようで」
 そう皮肉ったように言ったのはシアンで、彼も学校帰りに立ち寄ったらしく、珍しく高等学校の制服という出で立ちだった。
 その姿を見た途端、たちまちソルの機嫌は悪くなる。《誕生デビュー》の時以来、何度か今みたいに偶然彼に会ったけれど、ふたりの関係はあの頃とまったく変わっていない。
「……なんでアンタがこんな所にいるんだよ」
「俺だって個展くらい見に来るさ」
「へえ、それは驚いた。アンタが個展?芸術を観賞するような繊細な感性を持っているようには見えないけど?」
「それはどうも。これでも芸術全般は好きなんだ。よく美術館にも足を運ぶしね」
「それはさらに意外だ。それじゃ、最近まで美術館でやってた特別展示は見たか?」
「もちろん。マールの絵を特集した展示だろ?《此方》では珍しく海の絵ばかり描いてるっていう、画家の」
「ふん、見てたのか。じゃあ、この前の展覧会はどうだ───」
 こうなると、ふたりはどちらかが口をつぐまない限り、言い合いをやめない。
 ソルとシアンが言葉の応酬をしている間に、僕はふたりを放って先にイラストを見てまわることにした。たまに出会うと毎回のようにこうなるので、僕はすっかり慣れてしまったのだ。
 入り口でチケットを切ってもらって、さっそく会場内に足を踏み入れる。こういう場所にはあまり慣れていないので、ちょっと緊張する。順路を示す矢印を見つけると、その通りに進んでいった。
「──あ……」
 最初のイラストが目に入ったとき、思わず立ち止まってしまった。
 ソル言っていた意味が、ようやくわかる。
 イラストは確かに厳めしくも難しくもなかった。
 ──ただただ繊細で、綺麗で、優雅だったのだ。
 水彩画のような淡い色使いに、どこか幻想的な雰囲気を感じさせる構図。一枚のイラストから物語が生まれそうだと思った。
 それにソルの言っていた通り、人物が手に持っているものや身に着けているもの、まわりに配置されているもののすべてがとてもオシャレなのだった。それらはどこかアンティークのような趣があって、それがさらにイラストに優美な華を添えているのだった。
 僕は夢の世界に迷い込んだヒトのように、心を奪われてぼんやりしながら、彼女のイラストを見てまわる。
 ──そして、一枚のイラストに出会った。
 それは《燈火ランタン》を持った女性のイラストだった。
 ゆるく波うつ淡い金の長い髪。伏せた瞳は薄紅色で、それと同じ色の薄手のひらひらしたワンピースを着ている。スカートの裾から覗く足は素足で、右手には美しい装飾を施した《燈火ランタン》を持ち、暖かい緋色の光が彼女の顔を照らしていた。
 そしてなにより僕の目を惹きつけたのは、思いつめたように《燈火ランタン》を見つめる彼女の表情だ。
 《燈火ランタン》の暖かさと思いつめた表情のちぐはぐな感じが、とても印象的だった。
「……何を思っているんだろう」
 自然に言葉が零れ落ちた。
 イラストに見入りながらそんなことを考えていると、ふいに肩を叩かれる。
「ルナ…!やっと追いついた」
 驚いて振り返ると、ソルがいた。
「ソル……」
 僕は夢から覚めたばかりのように、何度も瞬きをした。
「先に行くなんて酷いじゃないか。声くらい掛けてよ」
 非難をこめた声で言われて、僕もちょっとむっとする。
 ソルだって悪い。
「だって、シアンと言い合いをはじめると、ソルは決着が着くまでその場を動かないじゃないか」
「それは……確かにそうだけど」
 ソルはちょっと不満そうだ。
「だからってひとりで行くことないのに」
 うつむいて何もない床を蹴る真似をする。それはソルが拗ねたときにとる行動のひとつだった。僕は驚いた。人前では、拗ねてもこんな風に行動に現れることはなかったのに。
 つまり、裏を返せば、一緒にまわりたかったと告げているのだった。
 そうとわかると、あの時もう少し待ってあげればよかったとちょっと反省した。
「ごめん、ソル」
 僕が謝ると、ソルはうつむけていた顔をちょっと上げて、こくんと頷いた。
「……僕もごめん。それに…もとはといえば、先にルナをほったらかしにしちゃったのは僕だったし」
「なんだか、これじゃあ《水族館アクアリウム》に行ったときと同じだね」
 その時はソルが先に行ってしまって、僕が後から彼に追いついた。
「本当だ」
 ソルも思い出したらしい。
 僕らは笑いあう。
 やっぱり感動は誰かと分かち合うほうがいい。


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