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玻璃の花


 森の奥にひっそりとたたずむ古い洋館がある。かつては伯爵だか、侯爵だかの邸宅だったらしいが、その貴族は数十年も前に没落して、今は誰も住むものはいない。
 僕は堅く閉ざされた鉄柵越しにその屋敷を見上げた。白い漆喰の壁はとごろどころ剥がれ落ち、その上を幾重にも赤茶色の枯れたような蔦がはびこっている。ずらりと並ぶ鎧戸は朽ちてはずれ、窓硝子は一枚とて、無事なものはなかった。
 僕は息をつめて、その様子を眺めていた。こんな化け物屋敷、もし夜に見たなら途端に怖くて回れ右だ。
 今が昼間でよかった。僕は鉄柵に手をかけてよじ登りながら、心底そう思った。秋の太陽は、高く澄んだ蒼い空で明るく燦々と輝いていて、この世の怖いものはすべてこの光で追い払ってあげますよ、とでもいうかのように僕と周りの世界を照らしている。
「まったく、リュカも無茶言うよ。なんでわざわざこんな所にまできて、化け物屋敷に行った証明なんて持って帰らなきゃならないんだ。おまけに言い出しっぺが風邪で寝込んで一緒に来られないなんて、どうかしてる」
 事の発端は昨日、僕とリュカが中等部の門を出た所でフォールに出くわした時のことだった。
 フォールは僕等と同い年の十四歳で、いつも手下数名を連れて、威張り散らして歩いている。万引きやカツあげ、器物破損にプロレスごっこと称した暴力などは日常茶飯事で、いわゆる学校の問題児の代表格というやつだった。
 昨日もフォールはいたぶる獲物を探すような目で校門の辺りをうろついていたが、そこへ運悪く僕とリュカが通りかかってしまった。僕はとっさにリュカの腕を引いて、別門から出ようと方向転換しようとしたが、その前にフォールに見つかってしまった。
 にやにやと厭らしく笑うヤツとバッチリ目が合う。
「よう、シュス。それにお隣にいるのは学年一の秀才と名高いリュカじゃないか」
「や、やあ、フォール」
 僕はなるべく穏便にことをすまそうと、少々引きつりながらも笑顔で挨拶したが、リュカはちらっとフォールを見ただけで、すたすたとその脇を通り過ぎようとする。
「おいおい、それはないんじゃないか?」
 どこにいたのか、ひょっこり現れた手下のひとりがリュカの行く手を塞ぐ。すると、リュカはいかにも煩わしそうに眉をひそめた。
「……邪魔」
 小さいが、はっきりした声でそう言い切る。
「………は?」
「だから、」
 今度は手下にではなく、明らかにフォールに向けて、
「──邪魔。そんなところに突っ立ってたら通行の邪魔になるって幼児でもわかりそうなもんだけど」
「………なんだと?」
 フォールの怒気のこもった声。手下も気色ばむ気配がありありと伝わってきた。
 やばい。やばすぎる。これで穏便にやり過ごすことは不可能になってしまった。僕は愕然としながら突っ立っていた。
 リュカはいつもこうなのだ。ゴーイングマイウェイというか、なんと言うか。相手が誰だって淡々とした態度は変わらないし、恐れもしない。思ったことはスパッと言うし、しかもそれが的確だからなおさら始末が悪い。おまけに表情も態度も決して友好的とはいえず、周りからは遠巻きにされている。
 当然、こんな性格のリュカだから、フォールにだって容赦がない。今回のように道を塞げば、はっきり邪魔と言い切ってしまうのである。おかげでトラブルが絶えない。
 僕はリュカの腕を引いた。
「リュカ、もういいから行こうよ」
「だって、こいつらが」
「いいから!」
 幼い頃からの付き合いで、リュカの扱いは僕が一番心得ている。とりあえず、彼には強気に出ることが肝心だ。意外に思われるかもしれないが、リュカは身内や彼が心を許している相手に強く押されると、案外簡単に言うことを聞いてくれるのだ。
 今回もリュカは何か言いたそうな顔をしたけれど、結局は僕に腕を引かれるまま歩き出した。
「それにほら、これから一緒にお祖母ちゃんの家に行かなきゃいけないだろ? 遅れたら、それこそまた面倒だしさ」
 フォール達に背を向けてさっさと走り出す。
「……確かに」
 リュカも走りながら頷く。
 僕とリュカは、血縁上でいうところの従兄弟という関係にあたる。僕の母さんとリュカの母さんが姉妹で、家もお隣同士。ほとんど兄弟のように育った。だから、リュカの扱いも心得ていたわけだけど、フォール達が黙って僕等を逃がしてくれるはずもない。
「はっ!なんだ、あいつら尻尾巻いて逃げてくぜ? こりゃお笑い話だ。このオレが怖くて横を通り抜けることもできないんだぜっ!」
 フォールが言うと、手下どもがいっせいにゲラゲラ笑った。
 途端に、リュカの足がぴたっと止まってしまう。
「……なんだって?」
 振り返って、フォールを睨みつける。フォールはにやにやと例の厭らしい笑みを浮かべながら言う。
「だってそうだろ? 怖いから薄汚いネズミが猫から逃れるようにコソコソと別門から逃げ帰ろうとしてるんじゃないか」
「……お前が猫? 豚の間違えじゃないのか?」
 確かにフォールは縦もでかいが、横はさらにでかい。まあ、だから門を塞いでいたのだが。
 この発言に僕はヒヤヒヤしたが、さいわいフォールにはリュカの言葉は聞こえなかったようだ。フォールは大げさにネズミが逃げる真似をしてみせて、手下どもを笑わせている。
 それを見てリュカがさっと表情をなくす。無言で来た道を戻ろうとするのを慌てて止めた。
「ちょっと、リュカ!」
 リュカは侮辱されるのが嫌いだ。そりゃ誰だってそんなことをされるのは嫌だろうけど、なんせ相手が悪い。フォールの方は手下を入れて五人。対して僕等はたった二人だ。どんなに僕等が運動神経が良かったとしても、五人相手に喧嘩をして勝てるとは思えない。
 フォールの方もそれが分かっているのか、あえて暴力に訴えることはなく、代わりにこんな提案をしてきた。
「もし、お前が臆病者じゃないというんなら、あの化け物屋敷に行ってみせてくれよ」
 あの化け物屋敷とは、もちろん森の奥にひっそりとたたずむ朽ちた貴族の邸宅のことだ。そこはこの辺りでは有名な場所で、夜な夜な貴族の男がかつて愛した女性を探して屋敷中を彷徨っているとか、この世のものとも思えない恐ろしい奇声が聞こえただとか、とくかく恐ろしい噂の絶えないところだった。
「……わかった。そこへ行けばいいんだな」
 リュカが言う。
「ああ、もちろん、証拠の品も持って帰ってこいよ。でないといくらお前が行ったと言っても認められないからな」
 はなからリュカにはそんなことはできっこないというような口ぶりだった。それには僕もムカついたけど、この場はおとなしくリュカを連れて帰った。
 こうして、現在僕はその有名な化け物屋敷にいるわけだけど、
「まったく、どうしてリュカが買った喧嘩を僕が引き受けなきゃいけないんだ」
 ぶつぶつ文句を言いながら鉄柵を乗り越えると、二メートル程の高さを一気に飛び降りた。
 もちろんリュカは風邪をひいていようが何だろうが、一緒に行くと言って聞かなかったが、熱が三十九度もあっては連れていけない。リュカはいつも季節の変わり目に風邪を引く。今回もいつもと同様に夏から秋になって急に気温が低下したために風邪をひいたのだった。


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