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水精石
8

 本当にこの雑誌に手掛かりなどあるのかと疑いたくなる内容だが、よく考えてみると水が生じる石だって、これらの石と同類である。オカルトっぽくて、読んだり聞いたりしただけでは馬鹿馬鹿しいと思えるような話。

 でも、俊はこういった話は嫌いではなかった。妖怪や幽霊の話は、小学生の頃にわくわくしながら読んでいたし、それが事実かどうか、信じるか信じないかは別として、単純に読み物として面白いと思っている。それらの単語を目にすると惹かれる自分がいるのも分かっていた。

 男の手記を読み進めていくと、ようやく《水精石》に関係のありそうな石の話まで辿り着いた。



 ──ある年の事である。諸国を行脚している僧侶が男の家に泊ることになった。この僧侶が男の所蔵の石を眺めていたので、男は「あなたも石を集めているのですか?」と尋ねた。すると僧侶は首を横に振り「いいえ、私は行脚の身ですから、殊更に集めることはありません。ただ、以前にとある石を拾いまして、荷の中にしまってあります。というのも、その石は水気を生じる石で、とても重宝しているのです」と語った。男はその石を見せてもらう。

 石は色黒く、拳ひとつほどの大きさで、窪んだところに水気があった。それに感心した男は「相応の代物を差し上げますので、石をお譲りください」と心から頼むと、僧侶は「私は僧侶でありますから、物には執着いたしません。打舗(仏前の卓上を覆う布)を頂ければお譲りいたします」と答えたので、男は大いに喜び、石と打舗を交換した。

 さて、卓上に置き、硯の上に置いてみると、石からは清浄な水が溢れだし、その様子がたいそう素晴らしいので、厚く寵愛することになった。

 そんなある日、ある老人がこの石をつくづく見て言うには───



 すっかりその記事を読みふけっていると、ふいに隣で眠っていたはずの晴辰が身体を起こした。あまりに突然だったのでかなり驚いたが、とっさに雑誌を閉じることはできた。

「……な、いきなりどうしたんだよ」

 声が少しうわずった。心臓が大きく音をたてて鳴っている。

 晴辰はそんな俊を見て微笑んだ。

「……別に。急に目が覚めちゃったんだ」

 またあの笑みだ。

 それを見た途端、一瞬で身体が緊張した。少し血の気が引いた気がする。

 俊はさっと壁の時計に目をやり、午前一時を少し過ぎた頃なのを確認すると、一度深く息を吸ってからゆっくりと晴辰に視線を戻した。

 視線がぶつかる。

 静寂という言葉が似合う、感情のこもっていない瞳。そこから何か読み取れないかと、じっと瞳を覗きこんでみるが、目が合っていたのは一瞬で、晴辰はさっと目をそらすと布団から抜け出した。そして縁側へ行き、昨夜と同様に夜空を見上げはじめる。

 その様子を無言で眺めながら、俊は直感していた。

 こいつは、昨日のヤツだ。

 こいつは晴辰じゃない。

 一瞬、そう思うのは自分の妄想なんじゃないかとも思った。でも、ずっと一緒に生活してきて、そばで晴辰を見てきた兄としての勘が、目の前にいるのは晴辰ではないと訴えている。

 雰囲気?気配?はっきりと言葉では現せない目に見えない何かが、普段の弟と違うイロをしているといえばいいのか。

 では、目の前にいるのはいったい誰なんだ?

 じっと夜空を見上げる少年を険しい瞳で見つめる。

「──ねえ、この近くに湖か池か、泉とかってない?」

 ふいに晴辰が振り返って、唐突に尋ねてきた。

 俊は身構えつつも答える。

「………裏山に泉か何かがあるって、じいさんは言ってたな」
「そこの水はとても澄明だね。ここまでその清浄な水気が伝ってきている」
「なんだって?」

 晴辰は答えず、独り言のようにつぶやく。

「──その泉、見に行ってみたいな」
「………」

 どうして見に行ってもないのに、澄明な水だとわかるのだろう。

 いぶかしむ俊を見て、晴辰は薄っすらと微笑む。

「どうしてそんなことがわかるんだって顔をしてるね。水気を感じれば自然とわかることだよ」
「……水気、ね」
「うん……あ、ほらまた石から水が生じる」

 晴辰が水盤を指して言うので、半信半疑ながらも机の上にあった水盤を覗き込む。

「ね、僕の言った通りでしょう?」

 確かにその言葉の通り、またしても水面がゆらゆらと揺れていた。みるみるうちに水嵩は増していく。

 俊はさらに血の気が引いた気がした。ぞくぞくして、全身に鳥肌が立つ。

 水気がなんだって?
 そんなの普通の人は感じられない。

「──今夜も綺麗な星空だよ」
「……え?」

 混乱したまま晴辰を見ると、彼は再び夜空に視線を向けていた。

 いきなり何を言い出すのかと思ったが、夜空を見上げているときだけは晴辰の瞳にもわずかに感情がこもることに気づいた。

 何かを切望してるような、そんな瞳。

 晴辰を凝視していた俊の頬を、ふいに風がなぜていった。

 やけに湿気を含んだ風だった。その上、夏には似つかわしくないほど清涼で、はっとした。そして、その風は俊にあるイメージを思い浮かばせる。

 昔、小学生の頃に遠足で行った大きな滝。

 圧倒的な高みから轟音とともに流れ落ちてくる水の群れと、滝つぼの深い色合いを持った澄んだ翠色。そして、まるで霧のように周囲にたちこめた水煙。それはひんやりとしていて、湿気を含んだ風となって俊に吹き付けてきた。

 さあっとこれらのイメージが頭の中を駆け巡る。
 でも、そんな滝はこの家の近くにはない。まして夏真っ盛りのこの時期に、涼風が吹くことはめったになかった。

 では、いったいどこから?

「……ねえ、そらの上には何があると思う?」

 風に意識をとられていた俊は、唐突な晴辰の問いかけに驚いた。

 晴辰の方を見ると、また涼風がさあっと吹き抜けていく。今度はさきほどより、少し強い。髪が風になびいた。

 晴辰は例の微笑を浮かべる。

「天の川?極楽?」

 それとも───

 晴辰の声を最後まで聞くことは出来なかった。

 それどころではなかった。

 俊の目は捉えていた。縁側にはお寺の釣鐘を模した小さな鉄製の風鈴が下げてあったが、それがぴくりとも動いていないのだ。

 風は晴辰から吹いてくる。



「こら、図書館内を走っちゃ駄目でしょう!」

 年若い綺麗な司書さんが、走り回っていた子どもたちを叱った。夏休みになると、普段は静かな図書館も子どもたちの来館でそれなりに騒がしくなる。

 宿題をするために図書館に来ていた俊は、司書さんと子どもたちのやりとりを眺めながら、ぼんやり考え事をしていた。そのためシャーペンは先程からまったく動いていない。

 俊はため息をつくと、ノートを閉じる。宿題に全然集中できなかった。

 図書館には晴辰と同い年くらいの少年がたくさんいた。家だと集中できないと思って、わざわざ図書館にまで足を運んだというのに、少年たちを見れば否応なく晴辰のことを思い出す。



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