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水精石
7

「やっぱり、おじいちゃんのおじいちゃんが言ってたことは本当だったんだね。僕、この事、おじいちゃんに知らせてくる。きっとびっくりするね!」

 そう言って、慌しく座敷を出て行こうとする晴辰を急いで呼び止める。

「お前、昨日の夜の事、覚えてないのか?」
「え?何の事?」
「……いや、なんでもない」
「変な兄ちゃん」

 晴辰は一瞬不思議そうに首を傾げたが、すぐに座敷を出て行った。その後をカタシロが主人につられたようにはしゃぎながら追いかけていく。まもなく、居間のほうから晴辰と忠道の楽しそうな声が聞こえてきた。

 晴辰は昨夜の事を覚えていない。

 俊は真夏だというのに、ふいに寒気を覚えてしきりに腕をさすった。



 どこかぼうっとしたまま朝食を食べて、ここ毎日繰り返しているように蔵の整理をはじめた。残しておく物と不要になった物の仕分けも終わり、あとは虫干ししていた書物を本棚に戻すだけになっていた。

 俊は分厚い歴史書を数冊両腕に抱えながら、本日三度目になる蔵の階段を上がる。

 階段を上がりきると、本棚の前では晴辰が忠道に運んだ本を手渡しているところだった。

「あ、兄ちゃん。あと何冊くらい残ってる?」

 俊に気づいた晴辰が振り返って尋ねる。

「……さあ、もう五、六冊くらいだったかな」
「じゃあ、残りは僕が持ってくるね」
「分厚い本ばっかりだったから重いぞ」
「大丈夫」

 晴辰はそう言うと、俊のわきをすり抜けて軽い足取りで階段をトントンと下りていった。

 それをなんとなく目で追う。晴辰の姿が見えなくなると、俊はようやく忠道の傍に本を置いた。

「なんじゃ、晴辰がどうかしたのか?」

 顔をあげると、どこか怪訝そうな表情をした忠道がこちらを見ていた。

「……なんで?」

 俊が少し眉をひそめつつも問い返すと、忠道は置かれた本に手を伸ばしながら言った。

「いや、今朝からずっと晴辰の事を何か言いたそうな顔で見とったから、何かあったのかと思っての」
「……え?」

 そんな意識はなかったから、忠道に言われてはじめて気づいた。

 晴辰の様子が気になっているのは確かだったから、自然にそちらに視線がいってしまったのだろうか。

「喧嘩ではないようじゃの。晴辰は普通じゃったし」
「………」
「まあ、言いたくないのなら無理には聞かんが………」

 心配してくれているのは声の調子や眼差しからもわかったが、俊には昨夜抱いた奇妙な感覚を何と説明すればいいのか、わからないでいた。

 ──晴辰が別人になった気がした。

 そう言ったら、頭がおかしくなったと思われるか、夢でも見たのだと言われるに決まっている。

 それにあの例の石。

 晴辰は、まるで水が出る瞬間を知っているかのような素振りだった。

 それが少し気味悪かった。

 俊は床に落としていた視線を祖父に向ける。

「……ねえ、《水精石》って何?」
「どうしたんじゃ、急に」
「だって、本当に水が出るなんて思わなかったから。じいさん、何か調べたりはしなかったのか?」

 忠道は独自に歴史学を研究しているだけあって、調べものを趣味にしているようなところがある。だから、もしかしたら石についても何か調べているんじゃないかと思ったのだ。

 すると、思った通り、忠道は頷いた。

「昔、ちょっと調べたことがある。儂もずっと《水精石》のことは気になっとたからな」

 そう言って忠道は本棚に視線をやると、その中から一冊の本を取り出した。

「それは?」
「《水精石》という名の石は見つけられなんだが、水を出す石について書いてある書物なら見つける事ができたんじゃ」
「それがこれ?」

 祖父の持つ書物を覗き込む。

 それは触るのもちょっと躊躇うような古い雑誌だった。発行されてから、おそらく三、四十年くらいは経っていそうである。紙は黄色く酸化してぱりぱりになっていたし、ちょっと力を加えて引っ張ればあっさり破れてしまいそうだった。

「これは不思議な話や怪談などを集めた雑誌じゃが、その中に石について書いてある記事があったんじゃ」
「なんか胡散臭そうな雑誌だな……」

 正直な感想をこぼすと、忠道も俊と同じように思っていたらしく苦笑した。

「儂も普段はこういった雑誌は読まんのじゃが、たまたま儂が不思議な石について調べていることを知った友人が、この雑誌のことを教えてくれての。それで読んでみたんじゃが、確かに《水精石》にそっくりの石の話が載っておった」
「へえ……」

 雑誌を受け取って、慎重に表紙を捲った。古書の黴臭いような独特のにおいが鼻をつく。中をさっと見ていくと、忠道の言っていた奇石を載せた記事を見つけた。

 さっそくその内容を読もうとしたが、ふいに階段を上がってくる足音が聞こえたので、俊は雑誌を閉じた。

「……これ、借りてもいい?あとで部屋でゆっくり読みたいからさ」
「ああ、いいぞ」

 俊は雑誌をいったん本棚に戻して、晴辰の様子を見に行った。足音の間隔がひどくゆっくりだったのが気になったのだ。

 階段を見下ろすと、案の定、晴辰が本の重みにふらつきながら上がってくるところだった。

「おい、足元がふらついてるぞ。階段、踏み外すなよ」

 そう言って、晴辰の傍まで下りて、何冊か本を持ってやる。晴辰が抱えていたのは、一冊の厚みが五センチはある辞書だ。五冊まとめて持つのは辛いだろう。

「あ、ありがとう。やっぱり五冊はちょっとキツかったみたい……」

 ここにくるまでの間にすっかり汗ばんだ晴辰が、弱々しく笑う。

 その笑顔はやっぱりいつもの晴辰だった。

 俊は視線をそらす。

「それを運び終わったら、蔵の整理は完了だ。さっさと終わらせるぞ」
「うん」

 荷物が軽くなった晴辰は、急に元気になったように階段を上がっていく。

 俊はしばらくその後ろ姿を見つめていた。



 蔵の整理も終わって、午後からはこちらに来てから一度も手をつけてなかった宿題をして過ごした。

 早く例の雑誌を読みたかったが、晴辰の前で読むのはなんとなくはばかられて、夜になって晴辰が眠った後に、ようやく隠していたそれをスポーツバッグから取り出した。

 明かりは手元のルーム・ランプだけだ。

 俊は布団に横になりながら、脆くなった雑誌を慎重にめくり、例の奇石のページを開いた。

「……ここに《水精石》の手掛かりが書かれているのか」
 
 そこには、江戸時代に不思議な石をコレクションしていた男の手記が紹介されていた。その手記によると、大声で泣く石、びゅうっと山二つを飛んだ石、または石の中に一寸ほどの女人がいたというものなど、とうてい信じがたい石の話がいくつも紹介されていた。



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