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水精石
6

「……夢の中って目を閉じても、目を開けてるときと同じように見えるんだ。少し上の辺りから自分を見下ろしているような感じ。わかる……?」
「なんとなくな」
「その人は僕に向かってきたかと思うと、すっと透き通って、まるで僕の中に消えていった感じだった。そこで目が覚めた」
「ふーん……」
「なんだか、夢の中での感触がまだ残ってる感じなんだ。胸の奥になにかが入り込んだような変な感じ……頭も痛い………」

 そう言って、晴辰は目を閉じた。様子がおかしいと気づいたのは、その時だった。額に手をあててみる。熱い。ぼんやりしていたのも寝起きだからではなく、熱があったからだったのだ。

 風邪だろうか?しかし、咳も鼻水も出ていないようだし、ここ数日の疲れが出たのかもしれない。とりあえず、一度叔母に様子を見てもらうのがいいだろう。そう結論付けて、立ち上がる。

 襖を開けたところで、なんとなく晴辰の方に振り返った。なんだか、今回は体調を崩してばかりだなと思う。晴辰は特別身体の弱い子供ではないし、いたって健康だ。今年は運がなかったのだろう。そんなことを思いながら、襖を閉めて叔母を呼びにいった。

 結局、その日一日、晴辰は寝ていることになった。叔母の見立てでも、やはり疲れが出たのだろうということだった。晴辰のことは叔母に任せて、俊は忠道と蔵の整理をして過ごした。



 夜中にふと目が覚めた。

 座敷の中は淡いオレンジ色の光に照らされて薄明るかった。ぼんやりしながらもルーム・ランプを消し忘れたことに気づいて、枕もとに手を伸ばす。

 しかし、手探りではスイッチを見つけられず、しかたなしに身体を起こした。その際、隣の布団が目に入る。そこに晴辰の姿はなかった。

 目を見張る俊だったが、晴辰はすぐに見つかった。

 座敷の中を見回すと、庭に面した縁側にぽつんと座って夜空を見上げていたのだった。

「おい、ハル。そんなところで何をしてんだ」

 声を掛けると、晴辰は視線を夜空から俊へとゆっくり向けた。

「……そらを見てた」
「は?空?」
「うん」

 のんきな答えに少々呆れながらも、ちらりと壁に掛かった時計を見た。

 午前一時を過ぎている。

「お前、熱は?」
「もう平気。心配かけてごめんね」
「……そうか」

 晴辰は淡く微笑んでいる。

 その笑顔は確かにいつも見ている弟のものだったが、一瞬奇妙な感覚にとらわれた。目の前にいるのは、弟ではない。弟の振りをした別人が、そこにいる。晴辰はそんな風には笑わない。もっと、子供っぽくて……

「どうしたの?怖い顔してるよ」

 きょとんとした晴辰の顔を見た瞬間、それまでの思考は掻き消えた。

「……なんでもない」

 俊は晴辰から視線をそらす。くだらない妄想だ。そんなことあるわけがない。少しでもこんなおかしなことを考えた自分が馬鹿馬鹿しくて、俊はイラつきながら、布団に横になった。

「お前もさっさと寝ろ。もう一時過ぎてんだぞ。明日も寝坊したら、もう朝飯は持っていってやらないからな」
「うん。わかってる。──でも、」

 でも、なんだというんだ。

 俊は閉じていた瞳を再び開いた。

「なんだよ」

 不機嫌な声で訊いたが、晴辰は傍に持ってきていた石の入った水盤を覗き込んでいる。

 またそれか、と思った。

「お前、本当に石から水が出ると思ってるのか?」

 熱心に覗いている晴辰に、つい意地悪くそう言ってしまう。晴辰はわずかに目を見張って俊を見返してきた。

「……信じてないの?」
「どうだかな。常識で考えれば、水が出る石なんてありえないだろ。せいぜい水晶や瑪瑙の中に水が入っているものがあるくらいだ」
「水が生じるところ、見たくないの?」
「だから、」

 そもそもそんな石なんてないのだ。そう言おうとしたが、深く漆黒に澄んだ双眸を見た瞬間、なにも言えなくなった。まるでさざ波ひとつない深夜の湖面のようだった。

 ふいに晴辰が微笑む。あまりに深い色合い持つその瞳に、俊はぎくりとした。眠気は完全に吹っ飛んでいた。

 ──目の前にいるのは一体誰だ?

 先程感じた奇妙な感覚が蘇ってきて、不快感に眉をひそめた。胸がざわざわする。叔母が言っていたのはこのことだったのだろうか。

 晴辰はこんな風には笑わない。

「水が生じるところ、見たくないの?」

 再度、晴辰が尋ねてきた。俊は内心動揺しながらも、それを気取られないように平静を取り繕って答えた。

「一番見たがってたのはお前だろ」
「兄ちゃんは、見たくないの?」

 やけに、その点にこだわる。このやり取りが面倒になった俊は適当に頷いた。

「もし、ホントに水が出るんなら見てみたいな」
「そっか」

 晴辰はにこりとして、視線を石に戻した。

「で、水は出たのかよ」
「まだだよ」

 そう言った晴辰は別段がっかりした様子はない。どこか楽しそうに石を眺めている。

 一体何なんだ、と思いながら見ていると、晴辰はふいに顔をあげた。

「でもね、」

 笑みをいっそう深めて晴辰は言った。

「ほら、水が出始めた」
「──え……何だって?」
「出始めたんだよ、水が」
「うそだろ……?」

 俊は急いで起き上がると、晴辰の傍まで行き、水盤を覗き込んだ。すると、わずかにだが、水の量が増えている。そして信じがたいことだが、水面は誰も触れていないのにさざ波がたち、ゆらゆらと揺れているのだった。

 呆然とその光景を見ていると、晴辰が水盤から石を取り出して、手のひらに乗せた。真っ白い石からは、じわじわと水が溢れだし、晴辰の手のひらの内に溜まっていく。指の間からは隙間をすり抜けた水がぽたぽたと零れ落ちて、水盤に幾重も幾重も波紋を作り続けたのだった。



 いつのまに寝たのかわからなかった。しかし、思いきり肩を揺さぶられて目が覚めたとき、俊はきちんと布団の上に横たわっていた。肩を揺すっていたのはもちろん晴辰で、視界にその元気な笑顔が飛び込んできた瞬間、昨夜のことを瞬時に思い出した。

 がばっと上半身を起こして、まじまじと目の前の弟を見る。晴辰はすっかり元気を取り戻したようで、にこにこしながら抱えていた水盤を俊の方に差し出した。

「見て見て、兄ちゃん!ほら、水が増えてるよ!」

 そんなことは昨夜見たから知っている。晴辰も見ていたはずだ。

 しかし、晴辰は今その事に気づいたと言わんばかりだった。ものすごく興奮している。瞳はキラキラしているし、頬は紅潮していた。



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