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水精石
4

「どうしたの?」

 晴辰が訊ねると、忠道は手の中の木箱を見て、首を捻った。

「ところでお前さん達、この木箱をどこから引っ張り出してきたんじゃ?」
「え、知らない。僕が来たときには、もう兄ちゃんがここで木箱を見てたから」

 晴辰と忠道の視線が、俊に集まる。俊もふたりを見返した。

「どこって、この棚の一番下の段だけど」

 目の前の棚を指し示す。

「じいさん、この前整理したばっかりなのに、どこになにをしまったか、もう忘れたのかよ」

 俊が呆れた顔をすると、忠道はむっとする。

「そんなことはない。いくら儂が年寄りだからといって、まだ惚けとらんわい」

 そうは言いつつも、忠道は考え込むように眉を寄せた。

「しかし、変じゃのう。この前は、こんなものは出てこんかったはずじゃが……。所蔵リストも昌宏に作ってもらったが、《水精石》なんてなかったはずじゃ」
「すいしょうせき……?」

 蓋の文字の読み方がわかったが、そんなことはもうどうでもよかった。俊も眉を寄せる。昌宏がリストに書き漏らしたのだろうか。念の為、忠道にそのリストを見せてもらったが、祖父の言う通り、《水精石》の名はどこにも記されていなかった。

 忽然と姿を現した、不思議な石。

 否応なしに、あの少年のことが頭をよぎった。

 それぞれ思い悩む俊と忠道だったが、晴辰の関心は石そのものへと向かっていた。

「そんなことより、さっきこの箱の中を見たんだ。そしたらね、中に綺麗な入れ物が入ってて、その中に水とそれに浸かるようにして、真っ白な石が入ってたんだよ。あの石ってなんだったのかな?」
「なんじゃと?水?」
「うん。ね、兄ちゃん」

 同意を求めるように、晴辰が俊を見上げて笑う。

「ああ、オレも不思議に思ったな。なんで水が入ってるんだろってさ」

 俊は驚く忠道から木箱を受け取ると、再度磁器を取り出して、紅い紐をほどいた。

「ほら、じいさんも見てみろよ」

 磁器の蓋をのけると、先程見た時と変わらず、水に浸かった石がそこにあった。

「本当じゃのう、石が水に浸かっとるの。じゃあ、あの話は本当だったということか……?」
「あの話って?」

 すかさず俊が聞き返す。晴辰も興味津々で耳をそばだてている。

 忠道は怪訝な顔で石を見つめながらも、話し始めた。

「これは、儂のじいさんから聞いた話なんじゃが──」

 そもそも、この《水精石》は忠道の祖父が、知人にお金を貸したことが縁で手に入れた品物だった。忠道の祖父に借金をしていた彼は、なにか事業を起こそうとしていたようで、お金はその元手にしたらしい。しかし、事業は失敗。新たな借金を作ってしまった。その上、お金の返済日がきて、その知人がお金の替わりに持ってきたのが《水精石》だったという。

「じいさんは、その石がたいそう気に入ったそうでの、その知人の借金をそれでチャラにした挙句、お金に困っていた彼にさらにお金を貸してやったそうじゃ。おかげで、その知人はなんとか事業を持ち直して、後日改めてお金を返しに来たそうじゃ」

「へえ、その人よかったね。ちゃんと借金も返せたんだ」
「そうじゃな」

 晴辰の言葉に笑って、頭を撫ぜる。

「で、じいさんのじいさんは、なんでその石をそんなに気に入ってたんだ?」

 俊が問うと、忠道は頷いて話を続けた。

「それが儂も不思議でのう。ある時、じいさんに聞いてみたんじゃ。じいさんはちょうど書を書いておってな、傍らに正座する儂に、この硯を見てみなさい、といったんじゃ。儂は言われた通り、机の上の硯を見た。するとそこには、真っ白い石が置いてあったんじゃ。それは、《水精石》だった。石は墨に浸かっていてもなお白くて、まるで輝いているようじゃった。でも、それだけじゃ。石が墨に浸かっている以外、とくに変わったところはなかった」

「……それで?」

 そこで、忠道はまた眉を寄せた。

「儂もな、しばらくの間じっとその石を見ていたが、なんにも起こりゃせん。わけがわからずに、もう一度じいさんに聞いてみたんじゃ、この石はなんなのか、と。するとじいさんは、こう答えたんじゃ」

 一拍おいて、忠道は言った。

「この石は、水気を生じる石なんだ、とな」
「水気?生じる?」

 よくわからないとばかりに、晴辰が俊の顔を見る。

「つまり、石から水が出るってことだろ」
「まあ、簡単に言えばそういうことじゃの」

 その時、忠道の祖父は石から生じた水で墨を磨っていたらしい。

 納得する晴辰を視界の端に捕えつつ、俊は核心に迫った。

「で、じいさんは見たの。石から水が出てくるとこ」

 それがのう、といって忠道は苦笑した。

「どうも石にも相性があるようでの。儂が側にいるときは、水は生じんかったんじゃ。他の誰がいても駄目じゃった。いつも、じいさんがひとりの時にだけ、水は生じたようだの。だから、儂はてっきりじいさんの作り話なんだと思ってたんじゃが………」

 自然に皆の視線は、目の前にある《水精石》に向けられた。磁器は、透明な水で満たされている。波紋ひとつない水面は、まるで鏡のように俊の顔を映し出した。

 この水も、もしかしたら、底に沈む真っ白な石から溢れ出したのだろうか。

 そんなことを考えてみた。
 だけど、頭の冷静な部分が、そんな漫画のような不思議な石などあるものか、とそう告げている。

 だけど。

 もしかしたら、この世には自分の知らない不思議がいっぱいあって、これもそのひとつなのかもしれない、と思う自分もいるのだった。胸がどきどきする。こんな身近に、不思議とか神秘とか、そういったものがあったなんて、信じられなかった。それでいて、今不思議のひとつに遭遇しているのかと思うと、少し気味が悪い気もする。

 俊が《水精石》に見入っていると、同じ様に石を見ていた晴辰がふいに顔を上げた。

「ねえ、確かめてみようよ。おじいちゃんの話が本当かどうか」
「――え?」

 石に気を取られて反応が遅れた。その様子に、晴辰が珍しく焦れたように早口で言った。

「だから、石から本当に水が出るか、僕と兄ちゃんとで確かめようよ!ね、いいでしょ、おじいちゃん」
「まあ、確かめたいならそれでもいいがの、さっきも言ったように、儂のじいさん以外の前で水が出たという話は聞かんからな。保証はせんぞい」
「うん、ありがとう」

 晴辰はにっこり微笑むと、磁器をそっと手のひらに包み込みようにして持ち上げた。

 その後、三人は夕方まで二階の掃除をして、その日は作業を終えた。



 夕飯の後、お風呂に入って座敷に戻ると、晴辰は例の石を眺めているところだった。

「風呂、あいたぞ」
「うん」

 晴辰は石から目を離さずに頷いた。熱心に石を見つめている。座敷に戻ってからずっとこの調子だった。

 石は磁器から取り出され、今は叔母に借りてきた花を生ける用の水盤に納められている。水も張ってあった。そうしたのは、晴辰だ。

 晴辰が水を注いでいるのを見たとき、これでは水が出ているかわからないじゃないか、とからかい気味に言う俊に、晴辰は真面目な顔をして首を振った。

 ――この石には水がないと変な感じがする。

 最初に水に浸かっているところを見たせいか、言われてみれば俊にもそんな気がした。



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