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水精石
2

 祖父のほうでも俊に気づいたようで、縁側から家に上がると、そのまま俊の隣りに胡座をかいて座る。

「それ、なに」

 興味を惹かれて、木箱に視線をやりながら訊ねると、俊がそう言うのを待っていたとばかりに、忠道はにんまり笑った。

「これか?これはな、古伊万里の壺じゃよ。明日、シゲさんが見に来ると言ってたからのう。ちょっと手入れをしておこうと思ったんじゃ」
「あ、壺ね」

 途端に興味を失って、蓋を開けて壺を見せようとする祖父を制す。

「いいよ、見せなくて。壺のことになるとじいさんの話長いから」
「なんじゃ、つまらんのう」
「そんなことよりさ、あの蔵の中って、どうなってんの?」

 この家は、昔はここら一帯の土地を所有する大地主だっただけあり、大きな蔵がある。俊も蔵の存在は知っていたが、近づいたことはなかった。

 蔵がある場所というのが裏山のすぐそばで、蔵の裏にはすぐに杉林がせまっていて薄暗い。観音開きの重厚な扉にはいつも鍵がかかっていたし、幼い頃に祖父についていって覗いた蔵は、暗くて得体の知れない世界につながっていそうな、そんな不気味な場所だった。

 しかし、俊ももうじき十四歳になる。十一歳になったばかりの弟は、まだ蔵を恐れている様子だったが、俊は蔵の中身に興味を示す年齢になっていた。

「気になるか?」
「まあ、少しは」

 そう言ったけれど、本当はかなり興味があった。壺や皿には興味はないが、それ以外にも何かまだ見ぬお宝がありそうな気がしたのだ。

 忠道は、澄ました顔で仔犬をかまっている孫の横顔を眺める。俊が蔵に興味を持っていることなど、とうに気づいていた。

「そうじゃのう、近いうちにちょうど蔵の整理をしようと思っとったんじゃ。手伝ってくれるんなら、中に入れてやってもいいかの」

 俊は祖父の顔を見る。にんまりと笑っていた。すべてお見通しという笑顔に、少々きまりが悪かったが、頷いた。

「……いいよ。手伝うよ」
「そうか、そうか。それなら、明日から始めるぞ。晴辰にもそう言っておくんじゃよ」
「ハルは、嫌がりそうだけど。まだ蔵が怖いってさ」
「じゃが、そうは言ってもお前さんだけ蔵に連れて行ったら、それはそれで仲間はずれにしたと拗ねるじゃろう?」
「……確かに」

 拗ねたときの晴辰はいっさい口を利かなくなる。意固地にそれを貫いて、俊の手を煩わせたことが、過去幾度とあった。そんな時は、例えこちらに非がなくとも、俊が折れてやらないと、頑固にその態度を崩さない。普段はおとなしい弟が見せる、意外な一面であった。

「まあ、でも大丈夫だろうて。儂もおるし、なにより晴辰はお兄ちゃん子だからの。俊兄ちゃんが行くって言うなら、嫌でもくっついてくるじゃろ」
「………」

 その通りなので、俊は渋い顔をする。忠道は笑ってそれを見やり、立ちあがった。

「じゃあ、また夕飯での」

 そう言うと、木箱を抱えて行ってしまう。その後ろ姿を見送ると、俊も晴辰が眠っている座敷へと戻った。



 翌日、朝食を終えて一服してから、蔵の整理を開始した。今日もよく晴れて、陽射しが眩しい。蝉の鳴き声が喧しいほどだった。

 俊は晴辰を伴って、さきに蔵で待っている祖父のもとへ行った。重厚な観音開きの扉はすでに左右に大きく開いており、覗き込むと整然と並ぶ棚や木箱が見てとれた。

「……思ってたより、全然明るいね」

 晴辰は拍子抜けしたように俊を見上げた。

 忠道との話の後、座敷に戻ると晴辰は目を覚ましていた。体調もだいぶよくなっていたので、蔵の整理の話をすると、その時はかなり嫌そうな顔をしていたのだが、結局は俊についてきた。

「そうだな」

 適当に返事をして、足を踏み入れる。

 実際蔵の中は、かなり明るかった。普段は閉めている明かり取りの鎧戸を開けただけだったのだが、すっと光が差し込んで、埃が舞っているのが見える。幼い頃に感じた不気味な雰囲気はどこにもなかった。

「俊、晴辰、こっちじゃ」

 奥から声がした。そちらに視線をやると、忠道が手招きしている。歩きながら、俊は辺りを見回して言った。

「じいさん、整理っていっても、充分キレイじゃないか」

 もっと雑然としているのかと思っていたが、作り付けの棚には、掛け軸や壺や皿などが入った大小さまざまな木箱がきちんと並べられている。

「ああ、ここはな。ゴールデンウィークに昌宏が帰ってきたときに、整理したんじゃよ」
「ふうん。じゃ、オレ達はどこを片付ければいいの」
「まだ二階が手付かずじゃ。お前さん達には、そこをまかせよう」

 言って、忠道がさらに奥にあった階段をあがっていく。

「二階なんてあったんだ。兄ちゃんは知ってた?」
「いや、」

 大きな蔵といっても、高さはそれほどなかったから、上にも部屋があるとは思わなかった。さきにあがっていく晴辰の後に続きながら、階下をちらりと見る。きちんと整理された蔵は案外つまらないものだな、と思った。管理している者にとっては、整理されているほうが何かと便利だろうが、これでは埋もれたお宝を見つけるなどという期待も抱けそうにない。俊は、予想以上にがっかりしている自分に気づいて苦笑する。

 階段をのぼりきった晴辰が歓声をあげた。

「わー、すごくいっぱい本があるよ。兄ちゃん、早く。こっちは………雛人形かな?かなり古そうだけど。あ、白黒の写真もあるよ。これ、おじいちゃん?」
「おお、懐かしいのう。こりゃ、儂が二十歳のときの写真じゃ」

 晴辰はすっかり興奮している。あちこちに駆け寄っては、箱の中を覗き込んだり、引っ掻き回したりしている。

「これこれ、これ以上散らかすと片付けが大変じゃぞ」
「はーい。兄ちゃん、早く早く」
「ああ、今行く」

 晴辰に返事して、顔を上に向ける。その瞬間、視界の隅を何かがよぎった。

「――え?」

 驚いて、もう一度階下を見ると、いつのまにか階段の下に少年がひとり立っていた。顔は見えない。背格好からして、俊と同い年くらいだろうと思われた。

「兄ちゃん?」

 呼ばれて、はっとした。晴辰が不思議そうな顔で、こちらを見下ろしている。

「何してるの?下に何かあるの?」

 俊は戸惑いながら、しきりに瞬きをした。そして確認するように階下を見ながら、少し声を落として訊ねる。

「今、下に誰かいなかったか?」
「え?」

 晴辰は数段おりてきて、俊の肩越しに階下を見下ろした。

「誰かいたの……?」

 俊を見つめる目に、かすかに怯えが走る。ここが、普段は薄暗く不気味なあの蔵のなかだということを思い出したようだった。

「いや、見てないならいいんだけど。オレの勘違いかもしれないし」
「勘違いって……」

 微妙な空気がながれた。

「ほら、お前さん達、そろそろ始めるぞ」

 ふいに祖父の大きな声がして、晴辰は肩をびくっとさせた。

「兄ちゃん……」



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