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はあ。

研究室までの道を歩きつつ、ため息を吐く。とはいえ別に嫌なことがあったわけではない。朝一の講義の後で疲れているだけである。別に講義自体が嫌なわけではない。ただ…学生がな…。他の講師陣と比べて年が近い(とはいえ一回りは違うのだが)せいか、いやにフレンドリーな生徒が数名居るのだ。そりゃフレンドリーで居てくれた方が嬉しいのは嬉しい。が、さすがにもう少し場をわきまえてほしいときもあるというか…授業中に妨害とは言わないまでも妙な絡み方をするのはやめてほしい。本当に一部の生徒なんだけどな?元々女子特有のノリが若干苦手なこともあって、結構な疲労感を与えてくれるのだ。

まぁ三限になれば一年生の授業だ。一年には気に入りの学生が居る。なんというか、見ていて楽しい絡んで楽しいそしてたまに…や、結構な感じで心配になる奴。
真面目で研究したい分野が俺の専門と近くていろいろと質問されれば可愛がりもする。なぜか慣れすぎて敬語が外れたりもしているが、そこは多分俺の所為というのが主なので問題はない。
あれが居るだけで自分のモチベーションがだいぶ変わる自覚がある。よくあいつの隣に居る友人には睨まれるが、あの友人はあの友人で、まぁ苦手だが気に入ってはいる。
一年後揃って本格的にうちのゼミに入ってくれればまた楽しくなるものだと思う。既に研究室に顔を出し過ぎて3、4年のゼミ生と仲良くなってるし。

そんなことを考えているうちに研究室に到着して鍵を出し、開け…ようとして、気付いた。

あれ…俺、鍵閉め忘れてた…?

まぁもの盗られたりする心配もそうなないだろうし、バレたら怒られるくらいだし、大した問題ではない。問題では、ない…。うん。

口うるさい学部長とからかい方の鬱陶しい隣室の教授にバレていないことを祈りながらドアを開き、

「………」
「………」

俺は固まった。

や、うん、鍵あけっぱなしにしてたのは俺だけど…

「か、鏑木ー?」

まさか今まで考えていた気に入りの生徒が俺の研究室のソファで寝てるとは思わないよな。いくら慣れすぎているとはいえそういうことをする奴ではない…というか普通に鍵開けっ放しにしてたらこいつが怒るタイプなだけに戸惑う。

「志麻くーん?」

取り敢えず本当に寝ているのか確かめるため近付いてもう一度名前を呼んでみる。そこでふと気付いた。
寝ている鏑木の顔が赤い…つか、息が荒い。

「ッおい、鏑木!?」

驚きと心配で思わず声を大きくすると、ゆっくりと目が開かれ焦点の合わない目でこちらを見られる。ふわふわと寝惚けているような鏑木に少し焦る。

「大丈夫か?どうした?」

ガラにもなく取り乱して聞けば鏑木は俺を認識したようで「先生」と呟いて体を起き上がらせた。

「あー、すません、寝てた」

その声は普段のそれとはまるで違いほとんど音にならないような掠れた声だ。つか、コレ、

「風邪か?」

未成年だから飲みませんというこいつが酒焼けってこともないだろうし、ていうかこの年のさらに言えばこいつが酒焼けでこんな声だったらめちゃくちゃ嫌だ。つかそういう感じの色の声でもないためそう聞けば、鏑木は少し嫌そうに、小さく頷いた。

「たいしたことはねーけど、ちょっと体調悪くて、ソファ借りてました」

…これ、絶対嘘だよな。

ため息が漏れそうになるのをこらえ、鏑木が頭を下げたタイミングで手を出し、額に当てる。避けられなかったのは体調不良だからだろう。ビクッとされたのはスルーだ。誰とでも仲良いくせにいやにパーソナルスペースのはっきりしている奴だからな。本人気付いてないけど。
しかし、これはまずいだろ。

「熱、測ったか?」
「…うち体温計ないんで」
「自分がどういう状況なのかは?」
「…わかってる」

言いたくなさを滲みだしているところをみると、本当にわかっているのだろう。
正確に測っては居ないが確実に高熱をだしているであろう鏑木の額から頬に手を持って行くと、鏑木は顔より冷たい手に少し気持ちよさそうに目を細めた。いつもの真面目で完璧なところとギャップがあって可愛い限りだが、このまま放ってはおけない。

「帰れ、鏑木」

はっきりと命令口調で言えば、鏑木はすっと目をそらす。

「鏑木」
「…この時間寝て、次の授業だけ出て、そしたら帰る」
「すぐ帰れ」

いつもは叱られているのは俺なのだが、完全に立場逆転だ。嫌そうにされても大人として、というか人としてこれを放っておくわけにはいかない。働いている立場なら帰れないことはあるかもしれないが、こいつは学生なのだ。大学の講義に一回欠席したくらいで問題にはならない。何もなくても授業に出てこない学生だって居るのだ。

「嫌っス」

後ろめたさを微妙な敬語に乗せてくる鏑木に、今度は飲み込むことなくため息を吐き出す。

「鏑木。らしくねーぞ、お前は風邪引いたらちゃんと休んで一日で治してくるキャラだと思ってたんだが?」

少なくとも隠し切れないとわかっていてくるようなタイプではない。隠し通せると確信があれば来るようなタイプではあるが。

「ちゃんと帰ってちゃんと治せよ。次っつったら俺の授業だろ?理由があるのはわかったから」
「……でも」
「でもじゃなくて」

いやに聞き分けの悪い様子に首を傾げる。人に心配かけたがるような奴でもねーのに。
そう思っていると、鏑木は視線を俯けたままかすれ声で、小さく言った。

「だって、あんたの講義、受けたかったから…」

……ちょ…っと、こいつ…!

「お…前、なぁ」
「……ごめんなさい」

可愛すぎだろ…!
講義受けたかったとか、アホなのかこいつマジなんなの!?しかもこれが帰らない理由ってマジなのが可愛いんだがおい!やばい、これは先生としても一個人としてもときめくわ可愛いなんだこいつ。

…って。違う。ときめいてる場合じゃない。ダメだろ俺ほだされんな。可愛いのは仕方ないけどダメだろ。
こんなオッサンの気を違わせそうになる学生の頭に手を乗せ、俺は一度深呼吸して言う。

「今度暇なときにでも、一対一で講義してやるから。今日は帰れ。な?」

講義が聞きたいのならいくらでも話す。というかこいつと一対一で話せれば、多分普段の一方的な講義より数倍身になることになるだろうし、嫌がる理由はない。俺の考え方と似ていて、その上でたまに予想外のところを突いてくるためこっちとしてもありがたいからな。
そんな感じで遠慮されるのも防ぐと、鏑木は少し迷ったあと、徐に頷いた。

「すみません、ありがとうございます」

ぺこりと下げられた頭をもう一度撫で、鏑木を引き連れて自分の車へ向かう。次の授業までには戻って来れるだろう。というか戻って来られなければこいつがものすごい罪悪感抱いてしまうだろうから絶対帰ってくる。
そんなことを思いながら、俺はしっかりと鍵を閉めて、鏑木を連れ外にでた。


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