大きな一歩
「ふぇ、日向せんぱ〜い」
涙と鼻水にグチャグチャになりながらも、拭う事はしなかった。
だって、日向先輩の固くて長い指を失いたくなかったから。
僕の涙を拭ってくれた優しくて逞しいこの指をどうしても放す気にはなれなかったんだ。
「分かったっ! 分かったから離せっ!!」
今まで見た事がないような表情で慌てて言う日向先輩。真っ赤な顔をして困っていたけれど、無理に僕の手を振り払おうとはしなかった。
それがまた嬉しくて、僕の涙腺は決壊したままで大洪水を起こしている。
「ふぇ〜、嬉しいです! ありがとうございます」
「やめろと言っておるだろうがっ!」
「はいっ! はいっ! 日向せんぱ〜いっ!」
コクコク何度も頷くものの、結局指は握りしめたまんまだ。
そんな事を続けていると、突然なんの前触れもなくガチャリと生徒会室の扉が開いた。
ノックもなしだったからビックリして日向先輩と二人、扉を振り返ってみるとそこには―――。
「た、立花っ」
「グスッ……立花さん」
僕たち二人の姿を視界に入れた瞬間、表情に真っ黒い影を落とした立花さんが、体中をワナワナと震わせながら立ち尽くしていた。
「っ……日向……テメェ、俺が居ない間に……」
それを見た日向先輩の血の気が一気に引いていく。さっきまでの赤い顔は一体どこへやら。真っ青な顔で僕が握り続けている指と立花さんとを交互に見ては慌てだした。
「ち、違うっ! 落ち着け立花っ!」
「これが落ち着いて居られるかっ!!」
立花さんはそう言うと、日向先輩と僕の間に割り込んできて僕を背中に庇ってくれてた。
「職員会議が長引いてるって聞いて時間つぶしに戻って来てみりゃ、テメェ……優希を泣かせやがってっ!」
「だから違うと言っておるだろうっ!」
「問答無用だっ! 表に出やがれっ!」
突然立花さんの大きな背中によって遮られてた視界にビックリするものの、涙が全然止まってくれない。
「ひっく……うぅぅ」
「優希っ! もう大丈夫だからなっ!」
「違うと言っておろうがっ! 川原っ! お前からも何とか言えっ!」
二人の物凄い迫力に、「ヒッ」と思わず息が止まる。
それが聞こえたんだろう。立花さんの殺気が一気に膨れ上がったような気がする。
「デカい声を出すんじゃねぇっ!! 優希が怯えてんだろうがっ!」
「立花も同じようなものだろう!」
「なんだとっ」
「・・・・・」
こんなに緊迫してる状態にも係らず、何故か僕には安心できた。
嬉しくて嬉しくて、目を細めて立花さんの背中に手を添える。大きくて広い背中からは、制服越しでも温もりが伝わってくる。
皆、温かい―――。
掌に伝わってくる確かな温もりが、有難かった。
「優希?」
それに気づいた立花さんが眉をあげて僕を見てきた。
僕はというと、勝手に緩んでくる頬を引き締める事もせずに立花さんを見つめ返した。
「分かってくれたんだ」
「あ?」
「分かってくれたんだ。僕の事」
「――っ」
拙い僕の言葉でも十分だったみたいで、立花さんは一気に日向先輩に振り返った。
状況を理解した日向先輩は、照れくさそうにしながらも返答。
「……まぁ、なんだ。その……川原の事は良く分かった」
「っ日向」
「―――だがな」
そう言った日向先輩の眉間には険しいしわが。
それを見た立花さん。きっと何かを察知したんだろう。
何度か頷きながらため息交じりに漏らす。
「あぁ、証拠だろ?」
「・・・・・」
黙り込んだ日向先輩。でもそれは肯定を意味する沈黙だ。
「そうですよね……。証拠」
確かに、僕じゃないとは信じて貰えた。
でも、じゃあ一体誰が首謀者なんだ―――って事で……。
結局誰が首謀者なのか分からず仕舞いなんだよね。
僕じゃないっていう証拠がないという事は、銀明先輩だっていう証拠がないのと同じ事。
そんなんじゃダメなんだ。
うやむやにする事なんて出来ない。
だって、被害は確かにあったんだから―――
希望に膨らんだ胸が一気に萎んでいく。
また、ふりだしに戻っちゃったのか……。
俯く僕の頭に立花さんの大きな掌が乗せられる。
「良かったな。優希」
「―――えっ」
「一歩前進じゃねぇか」
「あっ」
目を見開き立花さんを仰ぐ。
そうだよ。立花さんの言うとおりだ。
だって、日向先輩の瞳にはもう―――
「どうした? 川原」
僕への拒絶がなくなっているんだから。
ほんの少し前まで向けられていた嫌悪に歪む表情は何処にもない。
確かに立花さんが言うとおり一歩前進なんだ。
しかも、大きな大きな一歩。
山積みの問題ばかりに目を囚われてちゃいけない。
大丈夫。僕たちは、確実に前に進んでいる。
頑張って行こう。ゴールはまだ、見えないけれど。
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