モーツァルトの午後 モーツアルトの午後 朝から始まった定例会は、途中昼食を挟み午後4時に終了した。 末席を汚していたイノセントが疲れた顔で会議室を出ようとすると、兵器開発部門統括のスカーレットが、彼女を突き飛ばすように追い抜いた。 「キャッ」 「あら、これは失礼致しました。イノセント統括」 弾みで壁に手をついたイノセントに、赤い唇は非礼を詫びるが、蛇のように冷たい眼差しは少しも悪いと思っていない。 イノセントを一瞥して、スカーレットはモデルのように腰を振りながら立ち去る。 彼女の態度にムッとしながらも何も言い返せずにいると、後ろから声がかかる。 「大丈夫ですか?イノセント」 「ーーリーヴ」 柔らかな笑みで差し伸べられた手に、イノセントの強ばった頬も緩む。2人は連れだってエレベーターで1階を目指す。 「イノセント、この後予定がなければ一緒に出掛けませんか?」 「いいけど・・どこへ行くの?」 1階へ着くと、正面玄関に向かって歩き出した。 「ーーあぁ、エレン。お待たせしました」 リーヴが右手を挙げて笑みを向けた先には、ソルジャークラス1stエレノア・アルベリックがいた。 「イノセントも誘ったのですが、構わないでしょう?」 「えぇ・・勿論よ」 「あの・・話が見えないんだけどーー」 八番街を歩きつつ、リーヴはエレノアとお茶を飲む約束をしていたことをイノセントに説明した。 「え・・じゃあ、私、お邪魔なんじゃーー」 「ハハハ、別にデートの約束をしていた訳ではありませんから。ねえ、エレン」 「えぇ・・偶然同じお店が気に入ってたのよ。それがわかって、時間が合う時は誘い合わせるようになったのよ・・」 「そうだったんだ」 「・・並んで歩いていると、なんだか昔に戻ったみたいね」 エレノアはそう云うと、2人から少し離れた。弛く波打つ亜麻色が、どこか楽しそうに揺れる。 「イノセント、エレンのことは覚えていますか?」 「う〜ん・・全然ーーねえ、仲良かったの?」 「そうですねーーあなたは懐いていましたよ」 ・・ あの事件以来、エレノアに近付く者はいなくなった。自分とタークス、イノセント以外はーー イノセントは、神羅の人間で在りながら神羅の表面しか知らない。 エレノアたちソルジャークラス1stが、イノセントの父親、プレジデントの命令でどんなことをしているのかも。 彼女は神羅に最も近くーーーー最も遠い存在なのだ。 エレノアとリーヴは、ミッドガルでいちばん大きな劇場の裏にある店にイノセントを案内した。 その店は、カフェより喫茶店と呼んだ方がしっくりくる店構えだ。 「へぇ〜八番街にこんなお店があったんだ」 確かに自分独りなら入りずらいかもと思いながら、イノセントは店へ入った。 店内はアンティークな家具で統一され、照明も間接的で仄暗かった。 そのため、店内から外の様子がよく見える。そのくせ外からは中の様子は見えない。誰に見つかることなく、落ち着いた時間を過ごせた。 これが、エレノアとリーヴがこの店を気に入っていることのひとつだ。 3人はテーブルではなく、カウンターにイノセントを挟んで座る。 リーヴに手渡されたメニューをひらくと、見たことない豆の名前が並んでいた。 「イノセント、迷っているならブレンドにしたら?ケーキもあるわよ」 「そうそう、ここのケーキは絶品なんですよ」 オーダーをすませると、イノセントは大きな眼を更に見開いてリーヴを見る。 「リーヴって・・甘党だったんだ」 「おや、知りませんでしたか?」 リーヴが澄ましていると、イノセントにエレノアが耳打ちする。 「もうすぐバレンタインでしょう?興味ないふりしてホントは楽しみにしてるのよ。たくさんチョコレートをあげてね」 「はい」 1時間ほど珈琲とケーキをおしゃべりを楽しんだ後、3人は店を出た。 「イノセント、この後の予定は?」 「お兄様と食事にいくの。会社に迎えに来てくれるって」 「そうですか。エレン、あなたは?」 「・・・行くところかあるの」 「またスラム街ですか?あまり感心しませんね・・」 咎めるように渋い顔をするリーヴから、エレノアは視線を外す。 神羅ビルが見えてくると、エレノアは足を止める。 「じゃあ・・私はここで」 「エレノアさん、とっても楽しかったです。あの、これからも仲良くしてください」 見つめてくる大きな瞳に、エレノアは微笑む。 綿菓子のような、フワフワとした金の髪。空を写し取った青い瞳。 純粋無垢な、誰からも愛される娘。 歩いていくイノセントとリーヴを見送りながら、エレノアは呟く。 「これからも仲良くーーか。勿論よ、仲良くしましょう。同じ、創りモノだものーー」 「エレノア」 掛けられた声は、振り向かずともわかった。 今日もきっと、嫌味な程、白いスーツが似合っていることだろう。 「ーーお姫様のお迎え?王子様」 からかうように云い、後ろを振り返る。声の主は、ルーファウス・神羅。イノセントの実兄でありプレジデントの息子である。 「イノセントと何を話していた?」 「別にーーケーキの美味しい店と可愛い服を売っている店を教えてもらっただけよ」 「なら、いい。エレノアーー余計なことを喋るなよ」 「・・睨まなくても、何も云う気はないわ。秘密を守るのは、慣れてるから」 ルーファウスはまだ何か云いたそうだったが、エレノアは彼を置いて踵を返してしまった。 去って行く後ろ姿に、忌々し気に舌打ちする。 「全く、父親といい、娘といい・・・私が知らないイノセントを、アイツらが知っているかと思うと気分が悪いーーレノ」 「ハイハイっと」 名を呼ばれて、物陰から赤い髪の男が現れる。軽口と口元の緩さが、この男の特徴らしい。 「護衛はもういい。あの女がスラム街で何をやっているかーー探ってこい」 「ーー了解っと。エレノアかーーアイツ、よく伍番街にいってるみたいだな。ホント、何やってんだか」 レノは命令通りエレノアの尾行を始めた。 終 [次へ#] |