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馬子にも衣装な恋愛譚(銀新)
人手が足りなくて困っているのだと日輪は言った。
そしてソレはそのまま万事屋への依頼となり、俺と新八は今、店の廊下を遊女の姿でしずしずと歩いている。
足は進んでいるが、気は全く進まない。出来れば今すぐ引き返し、着物を脱ぎ捨てて家に帰りたい。
「……猫の手も借りたいって言うけどよォ。実際はそんなモン借りたところで何の役にも立たねーんだよ。遊女の代わりを素人にさせようなんて無茶もいいとこだぜ。だろ?ぱっつぁん」
隣を歩く新八はゆっくりとした動きで俺の方を向き、眉根を寄せて呆れの表情を作る。
「何言ってんですか。久しぶりに来た仕事ですよ?それに、日輪さんや月詠さんが困ってるのを黙って見過ごす訳にはいかないし」
「けっ!困ってるも何も自業自得じゃねーか。アイツらが“たまには外で羽を伸ばしてこい”っつって女どもに暇を出したんだろ?店の事は心配いらないって見栄張ったんだろ?」
「さすが日輪さん。上に立つ人はそれくらい太っ腹であって欲しいですよね。うちの社長にはとても言えない言葉だな〜」
ならこのまま転職して日輪のもとで働いたらどうだと、売り言葉に買い言葉で口から飛び出そうになるのをぐっと堪えた。新八にその気がないのはわかっているが、今はちょっと洒落にならないのだ。
「だいたい、どうして今回に限ってそんなにやる気がないんすか。今までだって姉上のお店や狂四郎さんお店を手伝ったりしたでしょ」
「そういやそんな事もあったっけなァ」
いい加減な俺の態度に、新八の眼差しはみるみる温度を下げていく。新八の心が俺から離れていく事に焦りはあるが、もやもやと胸で蟠るものが邪魔をして上手く対処も出来ない。
今の状況は確かに、俺達がコイツの姉ちゃんが勤めるスナックすまいるの助っ人としてホステスを演じたのと似ている。
だが、あの時と確実に違う事がある。
それが新八だ。いや、パチ恵ちゃんだ。
チラリとその横顔を盗み見て、相手の耳に届かぬように舌打ちをする。
イモっぽさが売りだったあのパチ恵ちゃんが、今や番茶も出花とばかりに匂い立つような美しさを見せているのだ。
──自分はダイヤモンドの原石である。磨けば光ると息巻いていたのは新八だが、もちろん自身の力でそれが敵う筈もない。女としての美しさなど本気で望んでいる訳ではないのだから当然だ。
ところがここ吉原で、ついさっき、──新八はその隠し持った可能性を遊女たちによって見抜かれた。プロの目は恐ろしい。どこからどうみても地味で冴えない少年に、可憐で清楚な美少女の素質を見る。
格好の餌食となった新八は女たちに捕らえられ、慣れぬ事態に鼻の下を伸ばしている間にそれこそ磨き上げられ、俺の前に戻ってきた時には別人のように輝きを放っていた。
ぶっちゃけ可愛らしかった。美人と言っても差し支えはない。……贔屓目を抜きにしても、だ。
俺は新八の見た目に惚れた訳じゃない。惚れたからこそ見た目も愛おしく思うんだ。なのに、それなのに──その姿には、正直一目惚れをした。趣味の女かと言えば断じて違う。複雑な事に、新八とは別の人間がこの容姿で近付いて来ても心は動かされない。
少しややこしが、つまりそれがどういう事態を引き起こすかという点だけを述べると、非常にわかりやすく、簡単に言うと、
こんな姿の新八を俺以外の人間に見せたくねェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!!!!!!!!!!!!!!!
という、気が狂わんばかりの嫉妬である。相手が女ならまだしも、男であれば目潰しだって厭わない。ついでにタマも潰しておけば尚安心だ。
しかし、そうはいかないのが現実ってモンだ。だからこそ今すぐこんな格好はやめさせて早く家に連れて帰りたい。
だが、新八が言うようにこれは仕事だ。しかも顔見知りの人間が俺達を信頼して、救いを求めて頼んできたものだ。無碍に出来ない事は、俺だって十分わかっている。
だから本音を押し殺し、こうして足を進めているのだ。嫌々ながらも。
「お客さんの前ではそんな態度とらないでくださいよ」
窘めるような新八の口調に、誰のせいだと言い返しそうになるのを慌てて飲み込む。黙って睨み返せば、目に付くのは白く塗られた首筋と、紅を塗った唇、こちらを見上げる瞳の色とその周りに施された朱のコントラスト。イモっぽさを倍増させていた眼鏡は女どもにNGを出され、視点の定まらない瞳は頼りなげに揺れて心なしか潤んでいる。うっかり見とれ、俺は益々言葉が出なくなった。
「じゃ、僕はこっちなんで」
いつのまにか俺達は廊下の突き当たりに居て、そこで左右に分かれなければいけなかった。
俺の側を離れてスタスタと迷いなく進んでいく新八を、身勝手にも“薄情だ”と思ってしまう。危うくアイツを引き止めかけて、間一髪で堪えた右腕をゆっくりと下ろし、未練を断ち切るように背を向ける。
──変態エロおやじに迫られても助けてやんねーからな。
行き場のない怒りが腹の中に溜まって煮えたぎる。今なら口から炎でもビームでも出せそうだ。
遊女らしからぬ足取りで自分にあてがわれた部屋に向かう。客は既に中で待っている筈だが、全くその事に気がいかない。頭の中は新八でいっぱいだ。
襖を開け、部屋に入っていくパチ恵。さぞかし愛想良く振る舞うであろう。酒を勧めて食事を取らせ、多少の無礼も仕事だからと我慢して、客の好きにさせる様子が簡単に想像できる。
……だが、本当に身の危険を感じたら抵抗する筈だ。大人の男が相手でも、新八ならねじ伏せる事が出来る。だから大丈夫。心配などいらない。俺は自分の仕事をすればいい。
ツインテールと胸に詰めた偽乳を触って位置を直し、パー子というガラスの仮面をつけて襖に手を掛ける。
「ど〜も〜パー子でぇす」
吉原の中でも位の高い店に属する遊女とは思えぬような振る舞いで座敷に顔を出したのは、ヤケクソ気味だったからだ。こうなりゃ酒と飯をたらふく食って気分を晴らしてやる。
そう思って中に入っていこうとするのだが、何故か一向に足が動かない。見るつもりなどなかった客の顔に視線が行き、ばっちりと目まで合ってしまう。平凡な出で立ちの若い男だ。特徴はこれと言ってない。
「……正座」
「へ?」
男がキョトンとして聞き返す。それで、俺は自分が何かを口走った事を知った。
正座ってなんだよ?
自分自身に問いかけてみるが答えはない。
「アタシがいいと言うまでそこで正座してなさい。指一本動かすんじゃないわよ。言うこと聞かなかったら……わかってるわね?」
にもかかわらず、口は既に続きを喋っていた。入るはずだった襖を勢いよく閉じ、廊下に立ち尽くす。
あり?と思う間もなく足が動き出した。向かう場所は言わずもがな。
新八と分かれた辺りを通る頃には、無意識の行動が自分の意思に変わっていた。
「別に心配なわけじゃねーよ。ただホラ、俺ってアイツの保護者だから。上司としての責任もあるから」
誰に聞かせる訳でもないのに声に出していた。
数ある部屋の中から新八のいる場所を正しく当てたのは勘か匂いか。出来れば中から新八の声が聞こえたからだという事にしておいて欲しい。偶然だ、偶然。
近付くにつれて足音を殺し、襖の前にしゃがみ込んで息を潜める。
艶っぽい声が聞こえようものなら我を忘れて部屋に踏み込んだだろうが、中からしたのは二人分の健康的な笑い声。
その声から察するに、新八の相手はそれほど若くない。恐らく俺よりもずっと年上の男だ。笑い方は下品ではなく、かといって上品すぎない快活なもので、不快感はない。
新八の方も作り笑いではない事から、危険性は低いと見てひとまず様子を探る事にした。
「そうか、パチ恵ちゃんは十六か。いやー若いなァ。しかしちゃんと色気もある」
前言撤回、いやらしい目で見てやがる。踏み込むか?
「そ、そうですかね?」
恥じらいを含んだ新八の声。……照れてんじゃねーよコノヤロー!!よし踏み込む。乱入して男をぶちのめす。
「うちの娘もそれくらい色っぽけりゃ男の一人も出来るんだろうがなァ。アイツはダメだ。まだ全然ガキだ」
……ん?
「十六歳ならそれくらいでもいいじゃないですか。これからですよ。それに、いざ彼氏が出来たら嫌なもんでしょ?父親って。ぼ…私は父を早くに亡くしてるんでよくわからないんですけど、姉がお嫁に行く事を考えるとすごく寂しいんで」
「そうか……親父さんを。若いのに辛い思いしてきたんだなァ。けど、そういう話を聞くと尚更早く男を作って欲しいと思うよ。いつまでも親が側にいてやれる訳じゃなし、頼れる男を見つけて、ソイツについてって欲しいじゃねェか」
こんな場所で、何の話をしてるんだコイツ等は。
「どうだい。パチ恵ちゃんにはそんな男、いるのかい」
「なっ…い、いる訳ないじゃないですか!!僕は、いえ、私はその……ゆ、遊女ですしっ!!」
「ハハハ、正直だな。そうかそうか、いるのかィ」
「違います!ホントに!誤解です…!」
「その男の顔が思い浮かんだんだろ。首まで真っ赤じゃねーか」
「あっあの…」
「本気で好いた相手がいなけりゃ、その歳でそんな色気は出ねーよなァ。アンタみたいな子が惚れるんだ、よほどイイ男なんだろうな」
「………いえ、その」
「ん?」
「だ…だらしなくって…ひねくれてて…しょうもない…ダメ人間です……」
「ほう」
「…………いざという時以外は」
ハッハッハ!!とバカでかい笑い声が上がった。その後に新八の支離滅裂な言葉が続き、さらに男の声で照れるな照れるなと続く。
「はー、楽しませて貰ったよ。娘ともこんなふうに会話してェもんだな」
襖越しに、衣擦れの音が聞こえた。俺にはもう、それが新八の危機に繋がる怪しい音には聞こえなかった。
「えっ、帰るんですか!?時間はまだ……」
「こんな話してたら家に帰りたくなっちまったよ。ありがとな。……早いトコここから出て、その男と所帯が持てるといいな」
ガタリと襖が揺れた。俺は慌てて腰を上げ、足音を気にする余裕もなく走り出す。「アレ?」と男の声が聞こえたが、振り返らずに逃げた。
「あ、銀さん」
「よ、ようパチ恵」
「銀さんも随分早かったんですね」
「まーな」
「……お客さんに変な事しなかったでしょうね」
「してねーよ。何も」
ホントに、何も。
「………」
「………」
「……聞かないんですか?僕の方はどうだったか」
「ん?お、おう」
そう言ってから、しまったと思った。探るような新八の声は、何かを期待していたのかもしれない。例えば心配とか、嫉妬とか。
少し前ならその期待に嫌と言うほど応えられたんだが、生憎今はそんな気持ちが消え失せている。
「二人ともありがとうね〜」
気まずい沈黙が流れ出した俺達の間に、割って入った明るい声。日輪だ。自分の手で車イスを進めながらこちらにやってきて、感謝と労いの声を掛けてくる。
俺の客もえらく喜んでいたと教えられて複雑な気持ちになった。
ゆっくりしていけという誘いを断ると、残念がりつつもやや多めの謝礼と、留守番をさせた神楽へのお土産だといってお菓子をたっぷり持たせてくれた。
別れ際、日輪がイタズラっぽく「またお願いできる?」と聞いてきたので、「俺一人なら」と答えておいた。
「ぎ、銀さん!ちょっと待って下さいよ!」
吉原の往来を進む俺の後を、新八が追ってくる。だが、その距離は随分と離れていた。
「何ちんたらしてんだ」
「歩きにくいんですよ!!」
それもその筈、新八はいまだに遊女の着物を身につけているのだ。当然化粧も髪もそのままである。
「あーもォ…!僕だって着替える時間くらいあったでしょ!?この着物だってまた返しにこなきゃいけないじゃないですか」
非難の目を向けられるのは、俺一人がちゃっかり普段着に戻っているからだ。新八の着物や眼鏡は風呂敷に包んで俺が持っている。
「んな事言ったって、その格好じゃなきゃ誰も勘違いしてくれねーだろ」
「……は?」
新八が心底意味が分からないという表情で首を傾げる。その仕草がたまらなく愛おしかった。見た目のせいもあるが、それ以上に偶然聞けた新八の告白があまりに嬉しくて舞い上がっていたからだろう。
「勘違いするって、何を」
「お前を、身請けされていく遊女だって」
驚きに見開かれる新八の目。そこに照れや喜びが見つからないのは残念だが、放心している隙に手を握れたからよしとしよう。引っ張れば素直についてくるし。
誰にも見せたくなかった新八の艶姿だが、今なら見せてやってもいい。むしろ見せびらかしてやらァと気が大きくなる。
吉原を出る頃、新八が俺の手を握り返してきた。その強さと熱さに目眩がして、やはり早く家に帰りたいと思った。
おわり。
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