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101回目のプロポーズ・1(銀新)


来た。


──そう、思った。



予感は当たり、背後に人の気配。それが誰かなんて、わかってる。

“何か用ですか?”

そう聞く必要もない。
相手の意図なんて、わかりきった事。

「新八──」

緊張を感じさせる声と共に衣擦れの音。

僕の正面へと回り込んだ男が、目の前に積まれた洗濯物の上に膝をつく。

畳みかけの着物を踏まれて作業を中断せざるを得なくなった僕は抗議の意を込めて男を睨む。
が、相手はそれをものともせずに真剣な目を返してくる。

真っ直ぐで強い視線は普段のこの人とはまるで別人のようだ。

「新八、お前に渡したいモンがある」

発せられる声も、いつものように間延びしてはいない。

僕はただ黙って、相手の出方を待つ。

伸ばされた手が僕の手に触れ、やんわりと指を握る。掴んでいた洗濯物から指を剥がされ、持ち上げられて。

男がもう一方の手で自分の懐を探る。その間に僕の指を握っていた手が手首へと移動し、手のひらが上を向くようにくるりと捻った。

そしてそこに、小箱が乗せられた。

「開けてみろ」

そう言って、男は僕から手を離す。

思う事は色々あれど、取りあえず言われたとおり小箱に手を掛けた。
小箱は中央に切れ目があり、蝶番を支点にして上部がパカリと開く。

そして姿を見せたその中身に、僕は耐えきれず頬を痙攣させた。

男の髪と同じようにキラリと光るシルバーのリング。てっぺんで輝くのは、ひょっとしてこの世で一番硬い石だろうか。

「銀さん、コレ」

視線を指輪から前方へと移せば、照れくさそうな銀さんの顔があった。

そっぽを向いて、髪をガシガシと掻きながら。

「……まぁいわゆる給料3ヶ月分ってやつだ」

「銀さん……」

僕の様子を窺うように、チラチラとこちらを気にする赤い瞳。

僕は小箱に収まる美しい指輪をそっと取り出した。右手で摘んだソレを、迷わず左手の薬指へと通す。サイズはピッタリだ。
手を少し高く掲げ、じっくりと眺める僕を銀さんが呆けたように見つめていた。

「……誰の」

僕は呟きながら、今度は握り拳を作って指輪の存在を意識する。

「ん?」

間の抜けた反応を示す銀さんに微笑んで見せ、拳をやや後ろへ引く。

そして次の瞬間、僕は銀さんの頬めがけて渾身の一撃を繰り出した。

「それは一体誰の給料だァァァ!!!!!!」

「ゴフッッ!!」

自分の拳が肉にめり込み、骨にぶつかる感触。左手の為、全力が出せなかったのが悔やまれるが、なかなか見事に決まった。

振り抜いた腕の勢いのまま、銀さんが洗濯物の上に倒れ込んだ。

「払うもんも払わねーで何買ってんだ!!給料未払いで訴えてやろーかァァ!!!!」

ナックル代わりに使わせてもらった指輪を抜き取り、仰向けの銀さんの鼻先に突き付ける。

今日こそはビシッと言わなければ。

このところずっと続いている銀さんの奇行に、正直僕の我慢は限界に来ていた。

何がきっかけだったのかはわからない。とにかく3、4ヶ月程前から銀さんがおかしくなった。

どうおかしいのかって、説明するのも虚しい話だ。好きだの愛してるだの、普通なら女の人に向けて言うような言葉をしきりに僕相手に使うようになった。

バラの花束を持って帰ってきて、プレゼントだと言って渡された事もある。

そんな薄ら寒い日常を、僕は唯一の武器であるツッコミと無視で乗り切ってきた。

最初は冗談だと思っていたし、途中でマジなんだと気付いてからは、勘弁して下さいという思いでそうしていた。

一度、「気持ちには応えられません」と真剣に訴えた事もあるのだが、銀さんの中ではなかった事になっているようだ。


そして、今日も今日とてこのとおり。

もう慣れてしまった事とはいえ、流石に指輪などという高価なものを人の給料で買うのは頂けない。

「すぐに返品してきて下さい。いいですね?」

そう言って指輪を押し付けようとしたが、拒まれた。
唇を尖らせ、僕に殴られて腫れた頬を膨らませ、いじけた表情を作る。

これが小さな子供や女の子なら可愛くもあるだろうが、なんせ目の前にいるのは三十路前のオッさんだ。そんな顔をされても、憎たらしさが倍増するだけである。

しかしここでムキになってはいけないと、指輪を自分の方へ引き下げて洗濯物の山に埋もれそうになっていた小箱の中に戻す。

乱れた呼吸を整え、大人になれ新八、と荒ぶる心に言い聞かせて。

「アンタが行かないなら僕が行きます」

スッと立ち上がり、銀さんを一瞥してから背を向ける。

和室から居間へ移動すると、神楽ちゃんがソファーでふんぞり返って酢昆布をクチャクチャやっていた。顔はこちらを向いている。今のやり取りを聞いていたのだろう。

「神楽ちゃん、今夜はスキヤキにしよっか。材料費は僕が出すからさ」

「マジでか。太っ腹アルナぱっつぁん」

3ヶ月、なんとか給料無しでやってこれたんだ。指輪を返品して、そのお金でスキヤキを。これくらいの贅沢をしても大丈夫だろう。何かにパーッと使ってしまいたい気分だし。

「ただし、銀さんにはしらたきしか食べさせないけどね」

背後からガタタッと襖の揺れる音がした。銀さんが起き上がってきたのだろう。

「えー、しらたきは私のモンアル」

「じゃあ卵だけでいっか」

「一個だけにしてヨ!明日の朝卵かけご飯作るんだから!」

「ハイハイ。それじゃ、僕買い物行ってくるね」

玄関へ向かう僕に、神楽ちゃんは行ってらっしゃいと言いつつも何かを気にしている風だ。

「どうしたの?何か買ってきて欲しいものでもある?」

神楽ちゃんは答えずに目線を動かした。その先には銀さんがいる。

「お前専属の運転手を連れていかなくていいアルか」

「歩いて行くから」

ハッキリそう言うと、銀さんがガックリとうなだれた。

「おめでとうネ銀ちゃん。記念すべき100回目のプロポーズ失敗アル」

乾いた拍手を送る神楽ちゃんを睨みながら、銀さんが言う。

「もうトラックの前飛び出して“僕は死にましぇん”って叫ぶしかねーよ。そうでもしねーとアイツ俺のプロポーズにウンって言わねーよ」

いや、例えそんな事されてもウンとは言わねーよ。

そう思ったが口にせず、僕は黙って万事屋を出た。




あきゅろす。
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