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一方、新衛門らの調べは中々進まないままに、時間だけが徒に過ぎていた。

そんなある日の夜の亊。
新衛門は、斎藤の屋敷を訪れていた。

斎藤の妻、スミに案内されて座敷へと通された新衛門は、難しい顔をして斎藤を待っている。

「待たせたな」

程無くして、斎藤が入って来た。
そして、新衛門の向かいに座ると「どうした、改まって。話しってのは何だ?」と新衛門を促す。

「斎藤さん、大変な話しが入って来ちまいました。余りにもとんでもない話しなんで、万が一にでも誰かに聞かれてはまずいと思いまして、お屋敷にお邪魔させてもらった次第です」

新衛門は、妙に緊張した面持ちで、そう頭を下げる。

「何なんだ?その大変な話しってのは。お前がそんなに鯱張ってるだなんて珍しいじゃねえか」

斎藤は、新衛門の緊張を解そうとするかのように、殊更軽い口調で言う。

「斎藤さん……、とんでもない人間が、本当にとんでもない人間が辻斬りの候補に上がっちまったんですよ……」

「とんでもない人間?誰だ、そりゃあ」

斎藤の問い掛けに、この期に及んでまでも躊躇するような素振りを見せる新衛門に、斎藤は訝しげに首を傾げて新衛門を見やる。

新衛門は、ゴクリと唾を飲み込むと、思い切ったように言った。

「老中、片倉正重様のご子息、片倉義重様です」

「な……っ」

斎藤は、今聞いた亊が信じられないといった顔で、口を半開きにしたまま新衛門の顔をまじまじと見つめた。

「お前、今、何て言った?老中、片倉様だと?そのご子息の義重様が辻斬りの候補だと?おい、お前、そう言ったのか?」

腰を浮かして、目を丸くして言い募る斎藤に新衛門は、しっかりと顔を挙げて頷いた。

「おい、織田……それは確かな亊なのか?」
放心したように訊ねる斎藤に、新衛門は「はい」と、再び頷くと、説明を始めた。

「これは、月砂から来た話しです。あの日、義重様は廓で筆下ろしをなすったらしい、だが上手く行かず、しかも女郎如きに馬鹿にされた、と大層憤慨なさってたらしいのです。これは何人もの人間が見ています」

「おい、ちょっとまて、その日に義重様が廓に居たのは分かった。だが、どうしてそれが辻斬りに繋がる?女郎にこけにされたからと言って腹いせに辻斬りか?それに、そもそも辻斬りのあった場所は、廓から片倉様のお屋敷までの道のりを考えれば、逆方向だぞ?」
口を挟む斎藤に新衛門は軽く頷くと続けた。

「ええ、分かってます。しかし、月砂が調べ上げた話しによると、あの日、義重様と付きの者が言い争いをしながら飯屋界隈を歩いているのを見た人間がいるんですよ」

義重らを見た、という男の話しはこうだった。

あの日、飯屋界隈をうろうろとしていると、頭巾を被った侍と提灯を持った付きの侍が、何やらごちゃごちゃと言いながら歩いてくるのが見えたと言う。

「うるさい、付いてくるなっ」

「若、お気をお静め下さい、気になさる亊は御座いません」

「気になどしてないっ、私が許せんのはあの女の態度だっ、太夫だか何だか知らないが、たかだか女郎風情が何様のつもりだっ!」

二人の会話を漏れ聞いた男は、ははぁん、花魁に袖にされて怒ってるんだな、と思ったという。

面白いので、それとなく聞いていると、その若侍は、付きの者に、自分は暫く川端の風に当たってから帰るから、お前は先に帰れ、と言っているらしかった。

だが、帰れと言われたからと言って、お付きの侍も若様を残して帰る訳にも行かず、押し問答をしているようである。
そうして、暫く見ていたのだが、一向に埒が明かないので、男はそのまま帰ったというのだ。
それがちょうど飯屋が閉まる頃合の話しらしい。

新衛門の話しを聞いて、斎藤は腕組みをして唸ると「しかし、それが義重様だと何故分かる?」と、言った。

「提灯ですよ。提灯には家紋が入ってるじゃないですか。老中、片倉家の家紋ならば誰だって知ってます。それに、その若侍はびっこを引いていたそうです。義重様は幼い頃の熱病が元で、びっこを引きなさるそうじゃないですか」

新衛門は、月砂から話しを貰った後、余りにも大物が出てきたので、斎藤に話す前に、自分でもある程度は裏を取っていたのである。

「確かに、そんな話しを聞いた亊がある。そして義重様はつい先日元服なさったばっかりだ。筆下ろしって話しも頷ける話しでは、あるな」

斎藤は、まるで独り言のようにそう言った。

「斎藤さん……どうしたもんでしょうか?義重様がその日その場所に居たからって、下手人とは限りません。ですが、こんだけハッキリとした話しが出てきてる以上、捨てても置けんと思うのです。熊達を張り付けてる佐々木と田村からも何も出てきませんし、他の人間もそうです。今まで出てきた話しで、片倉様の話しが一番下手人に近いのは確かなんですよ」

新衛門の言葉に、斎藤は眉間に皺を寄せて考え込んでいたが、ついと顔を上げると「こりゃあ、俺達がどうこう出来る話しじゃねえ、老中、片倉正重様と言やあ、上様にもお目通りが出来るようなお方だ。ここはひとつ、明日にでも竹中様に相談するしか無いだろう。お奉行様が動かねえとなんねえ話しだ」と言って首を振った。

そんな斎藤の言葉に、新衛門も黙って頷くと、とんでもない進展を見せた、この一件に胃の腑が締め上げられる思いであった。



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