募る想いは泡沫にのせて:後編(人魚姫パロ:光ミミ)
地上の朝日も、海の底に潜れば淡い光だ。姉妹の居る寝床に帰って見上げたその光に、ミミは瞳に焼き付けた男の顔を思い出し目を伏せる。
お姉様、怒るかな。ううん、きっと悲しむわね。ヒカリちゃんは心配するだろうな。京ちゃんは泣いちゃうかも。喉元に手を当ててミミは苦笑する。
―『それなら、少しの時間でいいから。あの人と海の中で過ごせるようにして』
この声と引き換えにしても叶えたかったワガママ。あの人と最後にデートがしたい。人間になってではなく、人魚の自分のまま。だって、あの人と過ごした自分は人魚としての自分だから。
「ミミちゃん」
ふと呼ばれた名前に、びくりと肩を揺らしてミミが振り向く。
「おかえりなさい」
いつものように温かみのある声音で、ミミに声を掛けたのは空だ。
「……いつもより帰りが遅いから心配したわ」
空の台詞に、ミミは毎夜こっそり抜け出していたことを知られていたと気付き冷や汗をかく。謝ろうと口を開いて、音にならない声にハッとした。
「……」
そんなミミを見つめて、空がギュッとミミを抱き締める。
「バカね」
どうしてだか泣きそうな空に困惑しつつ、ミミも空の背に腕を回して抱き付く。
「……魔法使いに会ったんでしょう」
予想すらしていなかった言葉に、ミミがバッと顔を離して空を凝視する。切なそうな眼差しに苦笑をたたえて、空が小さく頷く。
「知っているわ。私も会ったことがあるもの」
ミミの脳裏に魔法使いから聞いた話が蘇る。
―『今より少し昔、人魚の女の子が人間の男の子と仲良くなりました』
あれは、あの話は。
「私は、選ばなかった。ううん、選べなかった」
軽く目を閉じて空が言う。かつての選択を振り返って、噛み締めるように。
「あの日、私は人間になるのが怖かった」
* * *
陸にあがってはいけない、なんて本当は私の独りよがりだったの。絞り出すように空が言う。
「私と同じ気持ちを味わわせたくないなって、だけどミミちゃんはミミちゃんだものね」
切なげに目を細めて、空がミミを見つめる。何かを決意するような空の眼差しに、言い得ぬ胸騒ぎを覚えてミミは思わず空の手を握った。
「ミミちゃん?」
突然のミミの行動に目を丸くして、そうして空はふっと微笑む。大丈夫よ、と自分の手を握るミミの手にもう一方の手を乗せて慰めるように歌を歌った。
透き通っていて煌めくようなミミの歌声とは違う、あたたかで穏やかな空の声がミミの気持ちを優しく包んでいく。
「大好きよ、ミミちゃん」
疲れていたのだろう。空の歌を聴きながら、いつの間にか眠りに落ちたミミの髪を撫でて空が言う。
「私も、選ぶわ」
噛みしめるような空の呟きに呼応するかのように、少し離れた岩陰から1人の男が姿を現す。
「空」
ゆっくりと2人に近付くと、寄り添うように空の隣へ膝をつく。
「久しぶりね、ヤマトくん」
キリリと強い意志を感じさせて、空が男を見据える。
「お願いがあるの」
真っ直ぐな瞳を受け止めて、ヤマトと呼ばれた男は苦い笑みを浮かべた後に頷く。
「俺は魔法使いだ。お前の願いを、ひとつだけ叶えよう」
輝く金色の髪をローブで覆って、男はハッキリとそう告げた。
* * *
「本当にいいんだな?」
「えぇ、これでミミちゃんの声は元に戻るのでしょう?」
「……あぁ」
眠るミミを寝床に連れて行った後、空はヤマトと共に自分の寝床へと戻る。願いを叶える魔法使い。かつて自分の前に現れたその男と、願いを決められなかった空は幾年の時を経て友人のような関係になっていた。
「ねぇ、少しだけ聞いてもいいかしら?」
「なんだ?」
「ミミちゃんの会った魔法使いは貴方なの?」
「いや……違う」
空の質問にヤマトはゆるく首を振る。
「俺たちが願いを叶えられる相手は1人だけ。たった1人の為にしか、この力は使えないんだ」
「そう、なの……」
初めて知った事実に空は目を見開く。そして、ふと思い当たる疑問。
「願いを、叶えたら」
「……」
「願いを叶えたら、貴方たちはどうなってしまうの?」
絞り出すような空の問いに、ヤマトは被ったフードを更に深く被り直す。
「……消える」
小さく、けれどハッキリと。告げられた答えは、空の二の句を奪う。
「もっと正確に言えば、還るんだ」
淡々と話すヤマトの言葉に、空は静かに耳を傾ける。
「ほら、たまに聞くだろ? “死んだら海に還る”んだって」
潮の流れがヤマトのローブをはためかす。チラチラと覗く彼の碧眼が、海に溶けるようで空はギュッと胸元で拳を握る。
「俺達は還ることのできなかった魂だ。地上で拠り所が見つけられないまま朽ちた魂は、拠り所を探して海の中をさまよい続ける」
強く握った空の拳を優しく解いて、ヤマトが首を振る。タイミングを見計らったような魚の群れが2人の間を泳ぎ抜けて、その拍子にヤマトのローブが外れ顔が露わになる。
「その拠り所を手に入れて、俺達は海に還る。それが、願いを叶えるということだ」
願いの代償を決めるのは魔法使い。それは、その代償こそが彼らにとっての拠り所だから。
「だから、そんな顔をしないでくれよ、空。俺はお前から大切なものを貰って消える悪い奴だ」
そっと空の頬に手を添えてヤマトが微笑む。悲しげに、嬉しげに、震えた唇から想いを紡ぐ。
「ありがとう、空」
ひとつ、ふたつ、瞬きをして、ヤマトはローブを被り直して居住まいを正す。
「お前の願いを叶えよう」
ヤマトの言葉にコクリと頷いて、空は自分の髪飾りへと手を伸ばした。
と、その時だ。
「待ちなさーい!」
流れを切るような大声と共に突如として乱入してきたのは妹の人魚たち。
「させないんだからー!」
言いながら一目散に突進する京とヒカリは、魔法使いの腕を片方ずつ掴んで動きを封じる。その隙にミミが魔法使いの手に渡っていた髪飾りを取り返して、空に突き付けた。
「ミミちゃん……」
涙が溢れる目から、しっかりとした怒りを感じ取って空がたじろぐ。
「空お姉さまに酷いことしたら許さないんだから!」
「お姉さまの大切なものを奪わせたりするもんですか!」
魔法使いを拘束しながら、妹2人はペチペチと尾ひれで攻撃をする。魔法使いは困ったように視線を泳がせて、されるがままだ。
「京ちゃん……ヒカリちゃん……」
ミミに渡された髪飾りを受け取って、空がその場に崩れ落ちる。
「!」
とっさに空を支えるミミと、その様子に思わず駆け寄る京にヒカリ。
「はは、ごめんなさい。大丈夫よ。なんだか力が抜けちゃって」
京とヒカリにも手伝ってもらいながら、空はゆっくりと体勢を直す。
「ごめんね、ヤマトくん」
呆然と立ち尽くす魔法使いに、空がそっと声をかける。
「貴方を還してあげられなくなっちゃったみたい」
そう言って困ったように笑う空に、魔法使いは跪いて自分のローブを脱ぎ彼女の肩に掛けてやる。
「構わないさ」
ポンポンと空の頭に手を置き、魔法使い―――ヤマトは安堵したように笑った。
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