募る想いは泡沫にのせて:中編(人魚姫パロ:光ミミ)
暗い。でも海の底よりは明るい。
ミミが見た海の上の夜はそんな印象だった。海の底ではもうみんな眠っているのに、人間って夜でも元気なのね。そう思いながら、ミミは近くの岩壁に座って周囲を眺めた。
「あの海に浮かぶ建物はないのかしら」
キョロキョロと見回してみても、思い当たるものは無い。この様子だと、あの人にも会えそうにないな。考えてミミは落胆する。
「あの人はどんな人なのかしら」
何も知らない。少し見ただけの人間がどうしてこんなに気になるんだろう。高鳴る胸を鎮めたくて、ミミは小さく歌い出す。
「〜♪」
海風に吹かれながら、軽く目を閉じて音を紡ぐ。ミミは歌が好きだった。声が、言葉が、メロディーを伴って踊り出すようで。
「……綺麗だ」
「!?」
突然聞こえてきた声に驚いて、ミミはとっさに海の中へと身を隠す。
「あ……」
「すまない、驚かせたね。今歌っていたのは君かい?」
ミミがいる岩壁からは少し距離がある砂浜から、声の主が語りかける。
「とても綺麗な声だったから、つい」
そう言って笑う人物を、ミミは凝視する。間違いない。この前助けた男だ。
「近くに行ってもいいかい?」
問われて、ミミは躊躇う。近付かれたら人魚だとバレるかもしれない。
「……ごめんね、いきなり知らない男に声を掛けられたら怖いよね」
そんなミミの様子を察して、男はその場に腰をおろす。
「ここからでいいから、話をしてもいいかい?」
優しく笑う男に、ミミはそれならと小さく頷く。
「ありがとう」
落ち着いた声音で語りかけるその男に、ミミの胸は早鐘をうつ。
(どうしよう……どうしよう!)
混乱しながらも気がついていた。ミミは男に恋をしたのだ。
* * *
「今日も行かれるんですか?」
「うん!」
あれから数日。ミミは毎日のように男の元へ通っていた。空達に気付かれないように、夜も深くなった頃にそうっと。
「行ってはいけないと言われたのでしょう?」
「それは、そうなんだけど」
ミミが陸に行っているのを知っているのは、あの夜に会ったこの魔法使いだけだ。
「でも」
言い淀むミミに魔法使いは短く嘆息する。
「そんなに会いたいんですか?」
「……うん」
「大好きなお姉さんとの約束を破ってでも?」
「……」
下唇を噛んで俯くミミを見つめた後、魔法使いは静かに目を伏せる。
「そんなに素敵な方なんですか」
「えぇ、もちろん! とっても優しいの」
「しかし、言葉を交わすわけではないのでしょう?」
「そうね……それでも変わらずに接してくれるわ」
「今はそれでいいかもしれませんね」
「どういう意味よ?」
ムッと頬を膨らませるミミに、魔法使いはチラリと視線を送ってすぐに逸らす。
「今以上を望まれたらどうするんです? もっと近くに行きたい、もっと親しくなりたい。人魚だということを隠している以上、それは叶いませんよ」
「そんな、そんなこと……」
「あなたが思わなくても相手は?」
ミミの心の中を見透かすような魔法使いの瞳に、耐えられなくなったミミはグッと拳を握って睨み付ける。
「大丈夫だもん! なんでアナタにそんなこと言われなきゃならないのよ!」
「あっ……」
ボロボロと大粒の涙をこぼしながら叫んで、振り払うようにミミは海の上へと泳いで行く。
「ミミさん……」
とっさに追い掛けようと立ち上がったものの、その後ろ姿を見つめ躊躇する魔法使い。呟いた名前はひどく苦しげだった。
* * *
(なによなによ! あんな風に言わなくたっていいじゃない! 私だってわかってるわよ。ずっとこのままじゃいられないって)
いつもの岩壁に寄り添って男が来るのを待つミミは、先ほどの魔法使いとのやり取りを思い出して憤慨する。
「そうよ……ずっとこのままじゃ……」
自分で言った言葉に、ミミはハッと我に返る。そうだ、ずっとこのままではいられないのだ。いつかちゃんとサヨナラをしなければならない。
「おーい、居るのかい?」
近くから聞こえてきた声に、ミミはパッと振り返り返事をする代わりに歌を歌って居場所を知らせる。
「やぁ」
現れた男にミミは嬉しそうに微笑む。
「今日もいい月夜だね」
穏やかに言う男にミミも頷く。そしていつものように、男が紡ぐたわいない話を聞きながら楽しい時間を過ごす。そのつもりだった。
「実は君に言わなきゃならないことがあるんだ」
真剣味を帯びた男の口振りに、嫌な予感がするミミ。
「遠くに、行くことになったんだ」
ザザー、寄せては引く波の音が静寂を掻き消す。
「僕は医学を勉強していてね。この海を越えた先にもっとたくさん学べる所がある。友人が交易の仕事をしていてね。伝てで連れて行って貰えることになったんだ」
男の言葉が断片的にミミの耳に入る。しかしミミが理解できたのは、ただただ、もう男に会えない。それだけ。
「出発は2日後の朝。だからここに来られるのは明日が最後だね」
男の言葉にミミは目を見開く。そんなに急に、どうして。言いたくても、ミミにはそれを責める資格などない。
「……本当は」
小さく呟いて、男が一歩ミミに近付く。
「一緒に来て欲しい。今日はそれを言おうと思っていたんだ」
サァっと冷たい海風が2人の間を吹き抜ける。
「もし来てくれるなら、明日ここで待ってる。でも駄目なら……今日で、さよならだよ」
寂しげに微笑みながら、男はミミにそう告げると、きびすを返して去っていった。
* * *
行けるはずがない。
それがミミの出せる答えだった。
あれから海の底に帰り、いつも通りに一日を過ごした。約束の夜はもう数時間後だ。
いつもならいそいそと出掛けていく時間になっても、ミミは寝床に伏せっていた。そこへ聞き覚えのある声がかかる。
「今日は行かないんですか?」
「え?」
思わぬ来訪者にミミが顔を上げると、見慣れない男の子の顔。誰だと訝しんだのも束の間、その赤茶色の髪を見てミミは思い当たる人物にピンとくる。
「魔法使い、さん?」
いつも話を聞いてもらっていた魔法使いだ。トレードマークの羽織りが無いために、すぐにはわからなかった。
「こんばんは」
「なんでっ!?」
「しっ」
慌てるミミに、魔法使いは人差し指を口に当てて制止をかけると、辺りをキョロキョロ見回す。
「みなさん目覚めてしまいますよ」
「あっ」
言われて辺りを見回すミミ。幸い、誰にも気付かれてはいなかったようでホッと胸を撫で下ろす。
「場所を変えましょうか」
魔法使いの言葉に頷いて、ミミはそっと寝床を後にした。
* * *
「どうして来たの?」
魔法使いの住処に移動するや否や、ミミは疑問に思っていたことを魔法使いにぶつける。
「いつもなら、貴方が通りかかる頃なのに来ないから……僕のせいなのかなって」
視線を下に落としながら、魔法使いは居心地悪げに頬を掻く。
「まるで貴方が何も考えていないかのように言ってしまって……そんなはずないのに。きっと誰より悩んでいるのはミミさんですよね」
申し訳なさそうに唇を引き結んで、魔法使いはすみませんと頭を下げる。
「ううん、魔法使いさんは悪くないの。だって、本当に魔法使いさんの言った通りだもの」
「え?」
「このままじゃいられないって思いながら、全然わかってなかった」
言いながら、ミミがワッと泣き出す。そんなミミにどうするべきかと狼狽えながら、魔法使いは恐る恐るミミの頭に手を伸ばし控えめに撫でる。
「何か、あったんですね。今は僕しか見ていませんから、その……気が済むまで、泣いていいですよ」
ひとつひとつの言葉を選ぶように魔法使いが告げると、ミミは魔法使いに縋るように抱き付いて泣きじゃくる。
「あたし……あたしはっ! えらべないよぉ……っ」
「はい」
「お姉様たちとも一緒にいたい……でもっ、あの人とも……離れたく、ない……っ」
「……はい」
ミミの言葉を噛み締めるように頷いて、魔法使いはそのまま途切れ途切れに紡ぐミミの話を聞き続けた。
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