炭酸 (完結)
秋、君へ送る言の葉

「あっ!おはよー環!」

「おはよう美和。」

丁度昇降口から廊下に出た所で、階段を降りていた美和子に出会った。
軽く挨拶を和子は真剣な表情で環に迫る。

「それで!昨日、どうなったの!」

「昨日って?」

「とぼけないでよ!高須君との事よ!」

聞かれるだろうと思っていたが、登校早々に話す事になるとは予想していなかった。
しかし此処は昇降口前の廊下。さすがに人通りが多すぎる。
環は廊下の隅の方へ少しずれて、モゴモゴと口を動かした。

「え、えっと…その、聡君と付き合う事になりました…。」

「キャアアアア!おめでとう環!良かったわね!!」

「ありがとう美和。あ、そうだ。荒井先生にこれ渡さなくちゃ。」

美和子の盛大な祝福のハグを軽く受け流した環は、鞄から昨日買ったお土産のストラップが入った、小さな包みを取りだした。

「荒井に?じゃあ私もついて行くわ!色々お世話になったし。」

二人は廊下を右に曲がり、職員室の扉を引いた。

「失礼しまーす。」

「失礼します、荒井先生いらっしゃいますか?」

環がそう尋ねると、環達の隣のクラスを受け持つ森原先生が不思議そうな顔でこちらを向いた。

「荒井?荒井なら空港に行ったから居ないよ。」

「空港?何で空港なんですか?」

「あれ?聞いてない?高須君が家庭の事情でアメリカに留学するから手続きだって。」

「……っ…」

言葉が、出てこなかった。

「あー…公にはしてないけど、もう何ヵ月も前から決まっていた事だよ。お母さんの容態が急変して前倒しになったんだって。」

「そんなっ…!なんで知らせてくれなかったのよ!せめて同じクラスの皆には言うべきでしょ!?」

「本人の希望が強くて仕方なかったんだって!」

環は先生の白衣の襟をガクガクと揺さぶる美和子の肩にそっと手を置き、森原に問う。

「今日、発つんですか…?」

「うん。確か…今日の10時の便で。」

「もじゃはら先生!生徒会会長及び役員4名、早退します!!」

「頭もじゃもじゃじゃないって!!ん?は!?早退ィ!?」

待ちなさいと言う先生の制止を振り払い、美和子は環の手を強く引いて昇降口の方へ向かう。

「ちょっと、美和!美和子っ!」

環はしっかりと美和子に握られていた手を振りほどいた。
離れた両の手は静かに落ち、前だけを見ていた美和子が漸く環に向き合った。

「何?まさか高須君の事諦めるの?」

「違う。けど、けど私行っていいの…?聡君は…「行っていいに決まってるでしょ!むしろ行くべきだわ!
会って、ちゃんと見送らなきゃ!」

「見送る…」

「そうよ!高須君も環も、なに勘違いしてんの!留学何だから帰って来れるでしょ!
サヨナラじゃなくて出発!ちょっと遠距離恋愛になるだけでビビらない!
それに!黙って行こうとするなんてダメよ!文句の一つ位言わなきゃ!」

「そっか…そうよね。私、行くわ。」

「環は先に空港行って!私は生徒会メンバー呼んで後から追いかける!」

「…うんっ!わかった、先に行ってる!」

先程の早退宣言が知れ渡ったのだろうか、いつもより職員室が騒がしい。
環は見つからない内に急いで校門をくぐり抜け、出来るだけ早く辿り着けるよう脇道へ逸れた。

「後一時間…!」

全力で走っても空港までは間に合わない。そう判断した環は腕時計を気にしながらバス停へと駆ける。
大通りに出ると丁度黒塗りの車が赤信号で停車しているではないか。環はチャンスと言わんばかりに素早く手を挙げた。

「タクシー!!」

「はい、どちらまで「空港!空港までお願いします!」

「訳ありだね。シートベルトしてね、久々に飛ばすからのぉ〜。」

汗だくになった環の姿を見て何かを感じ取ったのだろうか、年配の運転手は帽子をかぶり直し、車を発進させた。

流れゆく外の風景に環はシートベルトを握り締める。
聡への想いと言葉をどう伝えようか。いやその前に、黙って行こうとした彼を叱らなくては。

思い詰めた環の顔を鏡越しに見た運転手は柔らかな笑みを浮かべ、その口を動かした。

「…安心おしよ、お嬢さん。後十分もせんうちにつくからね。」

「ありがとう…運転手さん。」

運転手の気遣いに環は少しだけ心が落ち着いた。

秋色に染まりつつある斑模様のけやき通りを抜けると、一気に視界が開けた。
空港のタクシー降り場が近づくにつれ、鼓動が早まる。
疼いて仕方がない心と体を落ち着かせようと、一つ息を吐く。
緩やかに顔を上げれば運転手がしゃがれ声でこう告げた。

「ほい、到着。」

「あ、お代…へっ?」

財布を出そうと鞄のチャックへ手を伸ばすと同時に後部座席のドアが開いた。

「行っといで。」

「…本当にありがとう!松前さん!」

環は少し躊躇ったが、その言葉に甘えて車を飛び降りた。一度振り返ると松前さんはタクシーから降りて手を振ってくれていた。
この好意に感謝し、報いる為にも空港の中を駆け巡る。朝であってもやはり空港を利用する人は多い。
10時まで、後少し。



沢山の人が流れるように歩く中を掻き分けて、ただ彼を探す。時計の針が一つ一つ進む度、泣きそうになる。

「…聡君、どこ…聡君っ!」

何とか人混みを掻き分けると、空港の一角で見知った姿を見つけた。

「あ、…」

小さく息を整えて高鳴る鼓動を抑えながら、窓の向こうを眺める彼の背中にダイブする。

「うわっ!?…こりゃ参ったな…」

突然の衝撃に驚く聡だったが、ちらりと振り返って苦笑いする。

「おー、ごゆっくり〜。」

「ちょ!荒井!」

環に引っ付かれたまま動けないでいると、付き添いで来ていた荒井がニヤニヤと笑って引き返してしまった。

「聡君。」

「環、放してよ。まだ時間大丈夫だし、逃げないから。」

「イヤよ。」

「塚本環さん、放して下さい。」

「嫌です。」

昨日のお返しと言わんばかりに環は聡の背から離れようとはしなかった。
これから旅立ってしまう聡の、彼の匂いや温もりを覚えておきたい。また見つけられるように。

「…ごめんよ。環、留学の事黙って行こうとして…本当にごめん。」

「聡君、何で言ってくれなかったの?」

「環がこんな風に泣いちゃうから。」

はらはらと零れる涙を聡は優しく手で拭ってやり、頬を撫でる。心地よいそれに環は目を細めて自身の手を重ねた。

「きちんと説明してくれる?」

「長くなるけど…いいかい?」

「勿論よ。」

近くにあったベンチに並んで腰掛け、環は聡の話に耳を傾けた。

「お袋さ、病気で俺が小3の時からずっと入院してるんだけど日本じゃ完治出来ないらしくて。
去年位から悪化して…このままじゃまずいからって、アメリカで手術を受ける事になったんだ。
その時、俺もアメリカに行く事になったのさ。」

「そう…」

「最初は仕方ないと思ってたんだよ。でも環に出会って、好きでどうしようもなくなって…行きたくなくて。
親父を何とか言いくるめて、お袋と先に行ってもらったのに決心出来ないまんまでさ〜…弱いよなあ、俺。
実を言うとさ、告白しないで行くつもりだった。言ったら環が辛くなるし、すぐ一人にしちゃうから。」

「うん…ん?ちょっと待って、その言い方だと告白は成功するって思ってたの!?」

「何となく…かな。それに、駄目だったとしても君を振り向かせるさ。
こんなに愛しく思えるのは環だけだからね。」

聡がさらっと言い放った恥ずかしいセリフに、環は不意打ちを食らってしまったが何とか言葉を発する事ができた。

「〜っ!と、とにかく聡君!私は一人にはならないわ。だってサヨナラじゃなくて出発なのよ。
遠く離れるけど手紙や電話もあるもの。」

「サヨナラじゃなくて出発…か。」

「ふふ、美和の言葉なのよ?」

「榊原らしいな。あ、そうだ携帯貸して。」

「え?うん。」

聡は環の携帯と自分の携帯を両手に持ち、手早く操作をして環に携帯を返した。

「………よし。俺の連絡先と住所登録しといた。環のも赤外線で貰ったし、これでOK!」

「ありがとう。連絡するね。」

「それから…これ。」

少し照れ臭そうに彼がポケットから取り出したのは小さな箱。それをパカッと開いて環の手に置いた。

「こ、これ!遊園地の…!」

小箱の中でキラリと光るそれは、遊園地のお土産屋さんで環が見ていた可愛らしい指環。
箱から抜き取って手のひらの上で眺めていると、聡が指環をひょいと取り上げ、環の左手の薬指に嵌める。
その一連の動作が実に自然でとても格好良くて、開いた口が塞がらなかった環へ追い打ちをかけるように、聡は左手を手に取ったまま環を軽く抱きしめた。

「おもちゃだけどさ…帰って来たら本物にしてあげる。だからそれまで良い子で待っててよ、俺のお嫁さん。」

「…さ、聡君て無意識にキザよね。格好いいけど…」

環は聡の肩をやんわりと押し返して、彼の抱擁から逃れた。流石に我慢出来ない程、恥ずかしかったのだ。

「キザ?そうかなあ…普通だと思うけど。」

環の頬が桜色に染まっている事など知らない聡が小首を傾げて頭上に疑問符を並べていると、ドタバタと何人かが此方に全力で走ってきた。

「高須聡うううう!!!」
「聡アホんだらあああ!!!」
「さとるちゃーん!」

「うわ、うるさいのがいっぱい来た。」

そう言う割にはとても嬉しそうな表情を浮かべている。頬の緩んだ聡の元に勝政、美和子、桃華が集まった。


「聡コノヤロー!大親友の勝政さまに挨拶無しとは良い度胸してんじゃねえかぁ!」

「ごめん!本当に…ごめんよ!この通りだからさ!」

頭を深々と下げる聡の両肩を勝政はガシッと掴んで前を向かせる。戸惑いを隠せない聡に勝政はいつも以上の笑顔で応えた。

「わかってるって!ただし、こうゆーのは今日だけだからな?
次やったら許さねえぞ!美和子が。」

「そんな風に言ったら私が悪役みたいじゃない!ま、環の事は任せておいて。」

美和子の発言に環は慌てて二人の間に入る。その時環の薬指を見た美和子はにんまりと笑って話を続けた。

「美和っ!私はだいじょ「虫除けがあるみたいだけど、やっぱり心配でしょ?悪い虫は私が片っ端から蹴散らせておくわ!」

「それは心強いよ。ありがとう榊原。」

「さとるちゃん!アメリカでも頑張ってね?みんなの事、忘れちゃダメだよ〜!」

「忘れないさ、必ず帰って来るから。そういえば…薫は?」

「薫ちゃんはね、えっと…今まゆちゃん先生とお買い物しててね〜…」

「買い物?あれ?まゆたんも来てるのかい?」

「どうしてまゆちゃん先生が来てるの?」

「早退しようとしてた私達を車で送ってくれたのよ!それも外車!かっこ良かったわ〜!」

生徒会メンバーが時間に間に合ったのは黒沢のお陰らしい。それにしても二人は何を買っているのだろうと、聡と顔を見合わせる。

「高須〜、そろそろやでぇ〜。」

「うおっ!荒井居たのかよ!」

「空気読んでたんや!」

後ろからひょっこり現れた荒井に驚いたが、そろそろと言っていた彼の言葉に聡が残念そうに頭をかいた。

聡が搭乗時間前に手荷物の中身を確かめて肩に掛けようとしたその時、

「高須先輩!!」
「高須君!」

薫と黒沢がようやく姿をみせた。薫が息を切らしながら遅くなりましたと詫びた。

「薫、お前どこ行って「さーあ!ちゃっちゃと撮るわよ!みんな何ぼさっとしてるの!早く並びなさい!」

「なんでお前がおんねん!」

「この問題児達を送って来たの!あんたはカメラマン!」

黒沢の行動力は目を見張る早さで、インスタントカメラを荒井に押し付け、生徒会メンバーを有無を言わせずに並ばせる程に機敏だ。

「え?荒井も入れば良いじゃないか。」

「あ、すいませーん!撮ってくださ〜い!ダッシュで!」

聡の提案を直ぐ様起用した勝政が近くにいたスタッフに声をかけ、カメラを預ける。

「ほら荒井はコッチ!環ももっと高須君に引っ付いて!」

「ちょ、美和ったら!」

「撮りますよ〜!はい、チーズ!」

スタッフに二回シャッターを切ってもらい、カメラは薫の手に渡った。インスタントカメラなので写真の確認は出来ないが、良いものが撮れたはずだ。

「買い物ってカメラだったんだ。」

「先輩っ!写真、送りますからね!」

「うん。ありがとう薫。皆も。」

聡が薫と話している最中、アナウンスが流れる。とうとう時間が来た。
環は左手を握りしめて彼が遠ざかっていくのを黙って見ていた。どの言葉をかけるか、迷っていたのだ。

「早く搭乗しなさいよ!時間ギリギリなんだから!」

「そう急かすなや、まゆたん。ほれほれ皆で見送ったれ!頑張りや〜高須!」

「だからまゆたんじゃな「聡ぅ〜!おみやげ頼んだあああ!!」
「さっさと帰って来なさいよおお!!」
「先輩!炭酸用意して待ってますー!」
「さとるちゃん!お手紙書いてね〜!」

「ハハハ、分かってるよ!」

次々と皆から贈られる言葉に聡は笑顔をみせる。早く自分も言わなければ、そして今までに無いほど大きな声を君に。

「…聡君っ!!あの並木道で、待ってるから!だから…またね!」

「ああ、またな!環!」

沢山の伝えたい気持ちの中から絞りこみ、やっとの想いで環が告げた言葉は聡にしっかりと届いたようだった。

「なぁによアレ。私たち完全に環のオマケじゃない。」

「高須先輩は塚本先輩しか見えてないんですよ!」

二人にひゅーひゅーと囃し立てられた環の顔は林檎のように赤くなる。

「ねえねえ〜!さとるちゃん帰って来たら、生徒会でパーティーしよう?ね?」

「それ良いじゃん!派手にさ、パァーッとやろうぜ!もちろん荒井とまゆたんも参加な!」

「あなたたちね、パーティーもいいけどしっかり勉強しなさいよ?」

「そこは空気読んでノったれや〜。そないにきっちりしっかりしてるから婚期逃すんやでえ?ま・ゆ・たん♪」

「黙れ荒井。そこに座りなさい、介錯してあげるから。」

「ぎぃやああぁぁっ!!まゆたんの鬼!ふとまゆううぅ!!」

空港に荒井の悲鳴が響く中、環はアメリカ行きの飛行機が飛び立っていくのを見つめていた。

「たーまき。」

「飛んでったね。高須君の飛行機。」

「うん。」

「さみしい?」

「少しだけね。でも大丈夫、皆が居るし…美和もね。」

「美和子ぉー!」
「たまちゃーん!」

二人を呼ぶ声が聞こえる。環と美和子はお互いの顔を見て、満面の笑みを浮かべた。

「行こう環っ!」
「そうね、行こっか!」


今、彼は此処に居ないけれど、

「荒井先生と黒沢先生が車で学校まで送ってくれるそうですよ。」

「えー?荒井の車ちっさいんじゃないの〜?」

私達が笑ってると届くような距離にいる、

「二人が限界なんじゃね?」

「軽トラやないですう〜ワゴンですう〜!」

「ま、私のに比べたら軽だけど。」

そんな気がするのは、

「なんやねん天井無い癖に〜!」

「あるから。収納されてるだけだから。」

「まあまあ!喧嘩しないで!」

「ふふっ。」

きっと貴方が私に笑顔を教えたせいね。

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