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【記憶】


氷帝に入学してから二年が経った。長かった気もするし、短かったような気もする二年間。
二年前にお前と見た桜を、今年は一人で見る。一年前は一人で見るのが恐くて来れなかった。
でも、もう大丈夫だ。
今日から、新しい時間が始まるから―――。

************

「宍戸、今日もオートリの練習に付き合うの?」
「ああ。サーブだけの副部長じゃ、来年の一年に示しがつかねぇからな」
「でも、よく監督が許してくれたよなー副部長の件。日吉が頼み込んだんでしょ?」
「まー俺のレギュラー復帰とか、全国の時とか例外があったからなー。監督も心境の変化があったんじゃねーの?」

全国が終わって、三年は本当の引退を余儀なくされた。
跡部から部長を引き継いだのは若だった。
まあ、長太郎がなれるとは思っていなかったが。
そんな若が一から氷帝テニス部を作りたいと、今までなかった副部長を導入したいと言いだした。
何だかんだ言ってチームワークは必要だし、その点で言えば俺たちの代は良かった方だと思う。
レギュラー、準レギュラーは向上心の為に残すが、敗者切り捨て制度は無くす方向で落ち着いたらしい。

「あれから二年経つんだね…」
「何だよ急に?」
「んー?宍戸も変わったなーって話!」
「二年も経てば、さすがに落ち着くっつーの」
「でもさー…」

途中で言葉を切ったジローを訝しんで見ると、目線を前に向けていた。
前からは話題に上っていた人物、長太郎が歩いてきていた。

「まだ吹っ切れてはいないよね。オートリに告白の返事、待たせてるんでしょ?」
「なんで…」

何故誰にも言っていない事をジローが知っているのか。
本人を問いただそうと思い口を開いたが、ジローは長太郎の方へと走っていってしまった。

確かに長太郎から好きだと、付き合って欲しいと言われた。
俺も長太郎の事は好きだったから嬉しかった。
でも、返事をしようとして急に恐くなったんだ。
俺は長太郎に返事を待ってほしいと言うことしか出来なかった。
あの時の哀しげに、けれど笑顔でわかりましたと言った長太郎が忘れられない。

――あの桜を一人で見ることは出来ても、別の誰かと見ることが出来ない。
自分の弱さに嫌気がさした。

そういえば、長太郎を初めて見たのはあの桜の木の近くだった。
一年前の夏頃、もう咲いてはいない桜の木を見ていた時、近くでボールの音がしたんだ。
そこで、長太郎はサーブの練習をしていた。その姿に心惹かれるものがあり、次の日部活で捜し出して話し掛けたんだ。




「すいません。今日の練習お休みにしてもいいですか?」

済まなそうに聞いてくる長太郎の言葉に、あの日の記憶から引き戻される。

「何で?」
「日吉と買い出しに行くことになったんですよ。で、待ってる間、俺たちの代わりに部活を見ていて欲しいんですけど…」
「まあ、そのくらい別に構わねぇけど…」
「本当ですか!有難うございます!」

笑顔でお礼を言ってくる長太郎につられて、俺も自然と笑顔になった。

**************

「じゃ、行ってきます」
「すいません。なるべく早く戻るんで、部活お願いします」

放課後になり、部活に向かうと長太郎と若が指示を出し終わり、出掛ける準備をしているところだった。
長太郎はにっこりと、若は済まなそうに言って買い出しに出掛けた。
若の指示は完璧だったので特に何もする事もなく、文字通り見ているだけで時間が過ぎていった。


「長太郎達、遅ぇな…」

部員達がボールを片付けたり、帰り支度を始めるのを眺めながら呟く。
買い出しに行ってから二時間は経つ。
あまりに遅いので、心配になってきた。
メールをしようと思ったのだが、こういう時に限って携帯を家に忘れるという失態をした自分を殴ってやりたい。

「宍戸!!」
「跡部?!どうしたんだよ、部活は終わったぜ?」

息を切らせて走ってくる跡部に驚きつつも、理由を尋ねる。
跡部は少し言いにくそうにしていたが、意を決したように口を開いた。

「鳳が怪我をしたらしい」
「…は?怪我?」
「今、病院で検査を受けてるそうだ」
「なっ!なんだよそれ?!」

跡部の言ってる事が信じられない。
検査する程ヒドイ怪我なのか…?

またあの時のような思いをしなければいけなくなるのか?

「俺は今から病院に行くが、ついてくるか?」
「当たり前だろ!」

俺達は急いで跡部ん家の車に乗り込んだ。
信号待ちの一分一秒がもどかしい。
無事でいて欲しいと、それだけを祈る。

「なぁ、跡部」
「何だ?」
「俺、あの日から変わった気がしてたけど、全然変わってねーのな…」

全然変わってない。
後悔だけはしないように。あの日のような思いだけはしたくないから変わったつもりだったのに。
俺はまた後悔をしてしまうのだろうか。

「変わってねーと思うなら今から変わればいいじゃねぇか」
「そう…だな。変われると思うか?」
「さぁな。てめぇ次第だろ」

***********

「跡部様、着きました」

運転手に礼を言うと、急いで長太郎の居る病室まで行くと、そこには若と長太郎の両親が居た。

「若!長太郎は?!」
「宍戸さんに跡部部長…」

若は珍しくどうすればいいのかといった不安そうな顔をしている。
そして、何か言いたそうに口を開けるがすぐに閉じてしまう。

「日吉、取り敢えず状況説明をしろ。簡潔にな」
「あ、…はい。買い出しの帰りにバイクが突っ込んできて、鳳にぶつかったんです」

バイクに乗っていた奴は重傷だったが、長太郎は辛うじて軽傷だったそうだ。
腕と足の打撲程度で済んだらしい。
しかし、ぶつかられた時に頭を打ったのらしく検査をした。
検査でも特に以上は無かったので、今は病室で寝てる。
そこまで言うと、若は少し躊躇いがちに跡部を呼んだ。
俺は少し席を外すように言われて、離れたところに行った。


「で?」
「鳳、外傷も脳の以上も見当たらないんですが、一つだけ問題が…」
「問題?…宍戸には言えない事か?」
「……はい」

なおも言いにくそうに日吉は口を開けては閉じるという動作を繰り返す。
ちらりと宍戸の方を確かめてから、意を決したように話始めた。



「記憶が……記憶がないんですよ。宍戸さんのだけ」


「……何だと?」

その瞬間、跡部は鳳の病室に飛び込んだ。
部屋に入ると鳳は上半身を起こして本を読んでいた。
勢い良く入ってきた跡部に驚いて、読んでいた本を落とす。

「あ、跡部先輩!?」
「おい!てめぇ、宍戸を忘れたって本当か?」

跡部の言葉を聞いた鳳は俯くと、ゆっくりと頷いた。

「少しもか?」
「はい。日吉から名前を聞いても思い出せなくて…」
「……皮肉だな」
「え?」

跡部が何かを思い出すかのように呟いた瞬間、ドアの外がバタバタと騒がしくなった。

「どうした?日吉」
「あっ。…宍戸先輩に聞かれてたみたいです」
「!…宍戸は?」
「走って出て行きました!」

日吉は宍戸が走っていた方を指差して言う。
チッ、と舌打ちすると跡部は宍戸が行った方に向かって走りだした。

走りながら自分の失態に怒鳴りたくなる。
何故、扉を閉めなかった?
何故、声を押さえなかった?

注意が散漫していた事が悔やまれて仕方がなかった。
**********

宍戸は病院からそれ程離れていない丘に立っていた。

「宍戸?」
「…跡部…?」

呼ばれて、俺は俯いていた顔をあげて振り向いた。
そこには心配そうな顔をした跡部が立っていた。
息を乱している姿などテニスの試合中でも滅多に見ないだろう。

「…また繰り返すのかな。俺」

またあんな思いをしてしまうのか。
跡部は何も言わずに俺の隣に立ってるだけだった。

「こういうのを詰めが甘いって言うのかもな…」
「鳳は生きてる」
「跡部…?」

隣を見ると跡部は前だけを見つめていた。

前だけを…。

「てめぇは後ろばっか振り返り過ぎなんだよ。一回ゼロになった事があんだから、またゼロから始めればいいだろ?」

そうだ。
後ろを振り返るのは止めたはずだった。
俺は結局、何も変わってなかったんだ。

なら、また変わり直せばいい。
イチから、いやゼロから始めればいいんだ。

「サンキュー跡部。少し吹っ切れたかも」
「遅すぎんだよ、バァーカ」
「…んだとぉ!人が折角感謝してやってんだからもっと嬉しがれよ!」
「あーん?感謝すんのは当たり前だろ?」

その後いつものように口喧嘩をしているところを日吉が発見し、病室に戻る事になった。
正直緊張したけど、なんとか普段通りに接するように気を付けた。

自己紹介とダブルスを組んでいた事、その成績や俺の呼び方など今までの俺達を教えた。
さすがに長太郎が俺に好意を抱いた事は伝えなかったが。

まさか自分が男に好意を抱いていたなんて普通に考えれば嫌だろう。
まして長太郎は俺の事を全く覚えていないのだから。
しかし、一通り話し終えた後に長太郎が言った言葉に俺は泣きたくなった。

「なんか今の聞いてると俺、宍戸先輩…じゃない。宍戸さんの事好きだったみたいですね」

別に長太郎といつも一緒にいたなんて言ってないのに。
ほのめかすような事は一切口に出してないのに。

「なんとなく、その時の気持ちだけは残ってる気がするんですよ」

そう言った時のあいつの顔は忘れない。
愛する人を思いながら話すような、そんな慈しみの目をしていたから。

俺はまだ運命とやらと戦えるかもしれない。
涙を耐えながら、俺はひっそりと心の中で決意した。



後悔だけはしたくないと思ってた。

でも実際は思っていただけで行動に移せてなかったんだ。

すべてをゼロに戻して。

またイチからやり直す。

これは神が与えたチャンスか

それとも罰か―――。


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