マシェリ
鼻腔をくすぐる匂い
ひんやりした空気を感じて目を覚ます。徐々に清明になってく視界に岩肌が移り、自分の居場所を理解した。
序でに他の感覚も戻って、抜けきってない全身の怠慢感と傷の痛みという余計なものまでしっかり甦った。
視線を移すと、ベストとアンダーが剥がされた身体にはきっちり包帯が巻かれている。この時期こんな場所で寒くなかったのは、質感といい色合いといい、持ち主にぴったりすぎるタオルケットのお陰だ。
オレが目覚めたとは知らず、背を向けてる当の本人は自らを手当てしてる最中らしい。傍らに置いてる携帯医療パックから取り出した塗り薬が染みるみたいで声は出さないものの、身体が小さく跳ねた。
外してた二の腕まである手甲を装い出すのを見て、手当てを終えたと分かった。
「助かった......ありがとな、ネムイ」
「......!具合はどう?ダルイ」
「......だるいな」
「それはいつものことでしょ〜......」
「うるせーよ」
呆れるような目線を投げてきたネムイが微笑する。
修業や任務で病院送りにされてはこいつは必ずと言っていいほど顔を出しに来て、同じやり取りをしたもんだ。
このあとは大抵「心配して損した」か「まぁ無事だったからそれでよし」のどっちかの筈だ。
......が、なかなか言葉が出てこない。気付けばその表情が暗く陰ってた。
「ごめん......私のせいで......っ......あの時、油断しなければ......」
「謝んな。油断してたのはオレも同じだ......とにかく、オレもネムイも"無事だったんだからそれでいい"......そうだろ?」
「......!うん!」
どっかの誰かさん受け売りの言葉を出せばネムイがまた笑顔になって重い空気が吹っ飛ぶ。
こいつの表情は不思議なもんで、周りに影響を与える。洞窟内が明るくなった気がした。
「私がダルイの手当てしてるとか......何か変な感じ」
「いつもシーからやってもらってたからな。オレもお前も」
「そうそう。無茶するからよく説教されたよね〜......シーも元気にしてる?」
「あぁ。相変わらず真面目に働いてるよ、あいつ」
そう言えば笑ったネムイに促され、包帯を外す。
痣や切り傷が至るところにあるけど、何よりも最後に敵に斬りつけられた大きな傷が目に入る。
見た目は酷ェけど、運良く浅かった傷はすっかり血が止まっていた。
そんなボロボロのオレの身体の上を敵を一発で仕留めたのが嘘だと思うほど白魚みてェなネムイの手がするすると滑って、塗り薬を塗布していく。
ふと、ふわりといい匂いが香った。
━━━薄ら覚えのある、心地のいい匂いだ。
てっきり塗り終えてパックの中へしまわれた塗り薬の匂いだとばかり思っていたけど、それは違う。
今度はその匂いがすぐ側から漂ってくる。
「ダルイ?」
「.........ん」
「どうしたの?ぼーっとして」
「いや.........何でもねーよ」
ネムイは不思議そうに首を傾げるも、すぐに作業を再開した。
匂いは、丁寧に包帯を巻き、触れるか触れないかの実に際どい距離にいるネムイ......こいつからする匂いだ。
こいつが微妙に動く度、ふわりと香ってくるこの匂いは全くもって不快じゃない。
寧ろ、爽やかの中に甘い感じもあって、しかも穏やかな......自然と嗅ぎたくなる心地のいい匂いだ。
加えて、薄っぺらい布越しから触れる手からほんのりこいつの体温が伝わった。
胴回りを行き来してた色白で引き締まってるとはいえ、オレよりずっと細い腕がまだ嗅いでいたいと思った匂いと共に離れていく。
「はい、出来上がり」
真剣な眼差しはどこへいったのか、いつもの調子で柔らかく笑うネムイ。
今日のオレはどうにかしちまってる。
見慣れた笑顔も、初めて感じた匂いも、体温も全部が
━━━"イイ"。
きっと敵に毒でも盛られたに違いねェ......帰ったらシーにしっかり診てもらわねーと。
「喉乾いてるでしょ......はい」
手渡された竹筒の封を取って、一気に水を飲む。
からからに乾いた喉から身体に染み渡った冷たい水は、先ほど湧き出てきた<謎の感情>も綺麗さっぱり洗い流してくれた。
「ふぅ......生き返ったわ......何から何までありがとな」
「ふふっ......どーいたしまして!気にしないで横になってなよ。見張りはあの子に任せるから」
「......!ライ、か?随分でかくなったな」
暗闇から姿を現したそいつは返事の代わりに一吠えする。
ネムイの口寄せ獣であるこいつは以前よりも逞しい体つきになっていて、立派な鬣までこさえていた。
こいつなら安心できる。
言葉に甘えて横になれば、灯りを挟んで向かい側でネムイも横になった。
「......?ネムイ?」
オイオイ、マジかよ。
さっきまで休んでたせいかなかなか寝付けず、ネムイに話しかけようとするも返事がない。
まさかとは思ったけどよ......。
視線には胸を小さく上下させ、規則正しい寝息をたてながら既に夢の住人になったネムイがいた。
こいつが計り知れないスタミナの持ち主なのは知ってるけどよ、大人数相手に戦った後に追手を気にしながら負傷したオレをここまで運び、介抱までしたんだ。そりゃ疲れてるに決まってる。
「......ありがとな」
淡いブルーのタオルケットにくるまって、こんな状況ですら穏やかに眠るネムイを見てたら何だか眠くなってきた。
静かに瞳を閉じればあっという間に眠りに落ちた。
*
次に目を覚ました時、視界に白い天井が映る。
地べたより遥かに寝心地のいいベッドの中にオレはいた。
「目が覚めたようだな」
「.......シー......あいつは?」
「安心しろ......ネムイも無事だ」
報告を済ませたそいつはシャワーを浴びに家に飛んでいったらしい。
連絡を受けた里が放った小隊があの日の明け方にはついて、オレたちは無事帰還したのだった。
「ネムイのやつ、腕を上げたな。一通り見たが、オレがやることなんてほとんど無かった」
「そういや、あん時はまるでお前に手当てされてるような感覚だったな......」
思い出せば、一挙一動がシーと同じ動きだった。
ネムイは雷影様の弟子。修業中に相当負傷しただろうから、シーから教わった手当てのやり方を数をこなして覚えたんだろ。
あ......そうだ。シーに聞いときたいことがあったんだ。
「なぁ......オレって毒盛られてなかったか?」
「......?いや、そんな症状は無かったが......」
「あー......お前が診てそれならいいんだ。この話は気にしなくていい」
首を傾げたシーが人気を察知してドアに視線を移す。
その頬が緩んでて、やって来た人物がすぐに誰だか分かった。噂をすれば、ってやつだ。
「入れよ、ネムイ」
「......!道理で分かったわけだ」
シーの存在に微笑したネムイは部屋に入るなり、抱えてた紙袋に手を入れて何かを取り出して、オレとシーに一つずつ投げ渡した。
「疲れた時は糖分摂取〜!」
手中に収まったのは蜜柑だ。
相変わらずの調子で腰をおろしたそいつにつられてオレらも蜜柑の皮を破れば柑橘特有の爽やかな香りが広がり、あの記憶を呼び覚ます。
あぁ、くそ......折角忘れたってのに、思い出させやがって。
その香りがシーの隣で美味しそうに頬張ってるそいつからする匂いを再び彷彿させるもんだから、一人頭を悩ませつつ剥いた身を口に放り込む。
甘味と酸味のバランスが取れた果汁が口の中にじゅわっと広がった。
やたら美味く感じるのはネムイの言った通りだろう。
未だ鼻腔をくすぐられてるのを忘れるように次から次へと身を口の中に放り込んだ。
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