06/強者の思惑 「久しぶり、アップル」 「…………ええええええええええええ!! マオさん! ……ですか?!」 長い沈黙後、堰を切って叫んだアップルの声にマオはぎゅっと耳を押さえた。 チシャの村は過去、英雄として名高い炎の英雄に所縁ある地として知られているが、その実、産業に特化した、農地に囲まれた村である。つまりは軍的な組織もなく、村人は総じて温厚な雰囲気を保っている。しかし、ハルモニアからの制圧を宣告されたチシャの村は、今や恐慌に陥りかねない状況だった。 その地に降り立ったマオが見たのは、大勢の村人に囲まれるようにしているアップルとその弟子シーザー、そしてヒューゴとジョー軍曹、フーバーだ。 「あれ? ヒューイじゃないか。どうして此処に……」 地面に座り込んだ状態のヒューゴは突然目の前に姿を現したヒューイとマオに、ただ目を丸くさせるばかり。そんなヒューゴの言葉にふん、と小生意気な態度でヒューイは答える。 「ぼくはマオ様に付き従うのみ。マオ様がチシャ勢力に参戦すると言うので、訪れただけだ」 「その話、本当ですか?!」 目を輝かせてアップルはマオに詰め寄る。マオは頷くと、チシャの村の族長であるサナに話しかける。 「……久しぶり。サナ」 「……あなたは……マオ殿なのですね?」 「そうです」 「……なんという……貴女が……味方してくれるなんて……」 驚くばかりのサナの様子にマオは微笑かけた。サナは心底から安堵した顔で思わず目尻の皺の上に涙を滲ませたが、次の瞬間にはマオが微笑みを消し、毅然とした態度で口を開く。 「援軍と敵の数を教えて」 マオの要求にサナは慌てて頷いて答えた。 「カラヤ、リザード、ダックの援軍が半日後に訪れる事になっています。ハルモニアは一万の軍勢、ルビーク兵もいます」 「そう。わたしは先ほどまでアルマ・キナンに滞在していたんだけど、アルマの民達も援軍としてこちらに向かっているところ。多分、あちらも半日くらいで到着すると……」 「おいおい、ちょっと待ってくれよ」 サナと会話を繰り広げるマオに、目の前に割って入るようにしながらシーザーが首を突っ込む。 「駒が揃うって言うなら、俺も手助けするさ。軍師見習いとしてな。だが、村人すらその正体が掴めないような不審者なんだ。まず自己紹介してくれないか?」 マオとヒューイという、何処から来たのかもわからないような人物に畏怖の眼差しを向けるばかりの村人達。そんな張り詰めた空気に、今気づいたと言わんばかりにマオは肩を竦めさせる。 「確かにそうね。わたしはマオ、こちらはヒューイ。デュナン国から旅をしている者です。カラヤのルシアとは親交があるので、今回の戦に参加させてもらいます。いいですか?」 村人達に向けてマオが話しかけるも、その面妖な仮面が原因か、答えようとする村人はいなかった。それを見かねた族長のサナが身を乗り出す。 「彼女は過去、炎の英雄と共に戦い、シックスクランを導いてくれたわ」 「過去? そんなの……」 「ええ、彼女も炎の英雄同様、真の紋章を持つお方。その力は十分なものだと思うの。此処はひとつ頼みたいと思いますが、意見のある人はいますか?」 サナの威厳ある態度とそれに乗せられた優しく威圧の篭る台詞。村人は族長の言う事ならば、と顔を見合わせると、揃って首を横に振るのだった。 サナは幾多の皺を頬に刻んで微笑むと、マオを向いて「よろしくお願いします」と手を差し出す。マオの顔は村人達の方をなにか興味深げに向いているままで、サナの手には気づかなかった。 ヒューイの手がマオの手を引き、サナの手と握らせると漸くマオは気づいたようで、「ごめんね」と軽く謝る。 「大丈夫ですか」 「……ええ、少しね……ハルモニアがそこにいるかと思うと」 少し慌てた様子で取り繕うマオ。 ヒューイはそんなマオの様子をちらりと窺うと、すぐにシーザーへと視線を向ける。 「それじゃ、軍議を行ってもらえるかい。小さな軍師さん」 「お、お前だってどっこいどっこいだろーが!」 「まあまあシーザー。とりあえず、敵の様子を観察して来ようよ」 ヒューゴはヒューイの不遜な態度にいきり立つシーザーを諌めながらばさばさとはためかせて翼の埃を払っているフーバーの許へと背を押す。ヒューイはそんな様子をふん、と鼻で笑ってみせた。 待機している村人達とサナが綿密な話し合いをする傍ら、マオとヒューイは残っていたアップルとジョー軍曹の二人と顔を突き合わせていた。 「マオさん、改めて……十五年ぶりだったかしら?」 「そうね。そのくらいになる」 「その頃の知り合いって言ったら、デュナン統一戦争以来か?」 未だ困惑した顔で、とりあえずの再会の口上を告げるアップルの言葉。ジョー軍曹はそれにふと、指摘した。マオは頷いて答える。 「そうだよ。あ、アップル、こっちはジョルディ。ジョー軍曹って呼んであげて。カラヤに滞在していた頃の友人」 「カラヤに滞在って……あの後、ふら〜っとどこかへ行ったと思ったら、そんなところに」 「ルシアに誘われていたし、五行の真の紋章と所縁ある地方だったからね」 行き先も告げずに旅へ出たマオの身を案じていたアップルははあ、と少し呆れ気味に相槌を打つ。 「あ、そうです。ルックくんとはどうなったんですか? その、そちらの少年は……違いますよね。雰囲気は似ていますけど」 「ルック?」 その名を聞くなり、ヒューイは声を低くしてその名を呼ぶ。アップルは困ったような顔でマオの返答を待つが、マオは息を呑み、明らかに動揺した様子を垣間見せる。 しかし、それも一瞬だけで、すぐに口許を微笑ませて言った。 「ルックは……ずっと会っていない」 「え? それじゃ、もしかして……」 「ううん。あの、ちょっとね。……この体を治してから会おうと思ってたの」 渋るような言い方で答えるマオ。その言葉をストレートに受け止めたアップルは心底不憫そうに眉を顰めたが、すぐに教師のような顔つきで指を立てる。 「そうなんですか。でもいくら不老だからと言っても、何十年も待たせちゃいけませんよ。心配していると思いますし」 「わかってる」 マオは肩を竦めさせながら頷いた。そんなマオを、ジョー軍曹は横目でちらりと窺いながら、意味ありげな仕草でぷかりとキセルで煙を吹かしている。 ヒューイはそんな会話を聞き、怪訝に唇を尖らせていたが、ばさりと羽ばたきの音が間近に聞こえたので空を仰いだ。近いところにヒューゴとシーザーを背に乗せたフーバーが着陸していて、ヒューゴはフーバーにしがみ付いて離れようとしないシーザーに閉口しているところだった。 「どうやらルビーク兵とハルモニア兵の間に確執が生まれているらしい。三等市民だからな、ルビーク兵が差別されているようだ」 大地に戻って早々、グリフォン酔いしたシーザーは顔色を青緑のまま、弱弱しい態度で村人に指示を与えてから、村の役職係とマオ達主戦力を集め、地面が戦略と戦術を兼ねた図として軍議を始めた。 「あの様子なら、ファーストアタックで虫兵を扱き使ってくると予想できる。過去の仲間だが、此処は非情にならざるを得ない。ルビークの心情に付け込んだ策を考えてある」 「具体的に?」 ヒューイの指摘にシーザーは頷き、続ける。 「あざみを焚いて、飛来する虫兵達を少しでも混乱させる。そこに更地に真なる火の紋章を燃料で大きく描いておいて、火を点けるんだ。そうすれば動揺が仰がれ、うまく行きゃ虫兵は撤退してくれるだろ」 「虫兵の対処だけなのか?」 「ちゃんと向こうの騎馬隊や歩兵も対応策を考えている。チシャ周辺、ハルモニア軍勢の方角は緩やかな斜面の街道になっている。そこに、酒樽を転がして足元を掬うんだ。子供だましのように見えて、意外と護れるはず。そして周囲は森に囲まれているから工作兵の潜入に要注意。罠を用意しておこう。矢は木で盾を作るしかないな」 「いや、弓兵と魔法兵はわたしに任せてもらう」 「なんだって?」 スムーズに作戦を話していたシーザーは、とんでもない発言に思いがけず顔を顰める。冗談だとでも思ったのだろう。しかし、マオはなんてことのない態度で続けて言った。 「わたしは攻撃を無力化する結界を張る事ができる。この村の一方向くらいなら戦闘をしながらでも護る事ができるわ。虫兵は空を飛ぶから難しいけど」 「! そんな便利な紋章があったのか……もうちょいアビリティ知っときたいな。他には何が?」 予想外の戦力宣言にシーザーは口角を吊り上げた。 「わたしは流水と雷鳴の紋章を」 「ぼくは火炎と大地と旋風を宿している」 マオに続け、同じく魔法使いであるヒューイが答える。その言葉を裏付けるかのようにマオはシーザーに向けて頷きかけると続けた。 「ヒューイはわたしの弟子でまだ見習いだけど、一般的にはそれなりの魔法使いとして通用すると思う」 「マオさんは折り紙つきよ。なんたってデュナン軍で魔法兵団を副師団長として率いた経歴があるから」 当時を思い返すような遠い目でアップルは誇らしげに言った。 「わたしは剣士として歩兵、騎兵もできる」 「よし、わかった。ヒューイは自分の判断で敵の妨害をしてくれ。大地の紋章を使うときは酒樽も計算に入れろよ。そしてマオは」 「マオ様だ」 「ヒューイ、やめなさい」 シーザーの言葉を遮ってまでの傲慢な主張に、思わずマオは呆れて肩を竦める。ヒューイはむっと口を噤み、絶対的な存在であるマオには逆らえないのでそのまま黙り込んだ。 シーザーは再び怪訝と疑問に疑問符を頭の上から飛ばすも、軍議を優先させる事を軍師見習いとして選んだ。 「マオには最前線で戦ってもらう」 「シーザー、それは」 味方につくとは宣言しているものの、部外者であるマオにそのような大役、とアップルが咎めるようにシーザーを呼んだ。しかし、シーザーは頑なな態度を崩さずにマオを見据える。 「この軍にはヒーローがいない。ゼクセンには銀の乙女とやらがいるように、味方を鼓舞するような戦いをするやつがいないんだ。おっさん達も戦ってくれるだろうが、きっとあんたは別次元だと思う。だからこそ、先頭でこの村人達の士気を上げるようなパフォーマンスをして欲しい」 「……もとより、ハルモニアの軍勢を殲滅する気で戦うつもりよ。ま、それは無理なんだけど」 「おし。じゃあおっさん達はマオの右翼と左翼を護りながら戦ってくれ」 「承知した!」 「うおお!」 カマロの自由騎士であるムーアと無名諸国でのハレック。共に筋骨隆々とした肉体で、戦い方は異なるものの大きな力を秘めている、炎の英雄を追ってきた二人だ。自信満々にシーザーから課せられた役目に頷いている。 「とまあ、こんな所だ。あくまでもこの作戦は敵を倒す事じゃない。なんとか半日持ちこたえて援軍の到着を待つことだ。無理や無茶は必要ない。ヤバくなったら逃げろ! 生き延びる事を最優先に考えろ」 声を張り、村人達にも届くようにシーザーは淡々と、けれど力強く話しかける。その言葉は軍師としては余りに乱暴で、あまりに粗雑だった。 けれどマオは懐かしいようなものを感じ、思わずくすりと笑っていた。 「さすがはアップルが教えているだけあって、シュウに似た軍師さんだね」 「そ、そうですか?」 頬を赤らめているアップル。満更でもないような、恥ずかしいような、複雑な想いにふいっとマオからそっぽを向いた。 「これから始める仕込み、そしてルビーク兵の炎の英雄への信仰心とハルモニアに抱く不満にかかっている。虫兵の圧倒的な機動力と火力……こいつらが一番厄介なんだ」 ルビークの民達とは今や隔絶した関係であるシックスクラン。つまり、ハルモニアに大した不満がなければ虫兵は思う存分シックスクランを叩きに来るだろう。 「あとな、覚悟しとけ。どれだけ準備しても策を練っても、戦ってのは負けるときは負けるんだ」 戦は未経験であるはずのシーザーの重みある言葉。それを受け、チシャクランは一斉に動き出した。 「ヒューイ、いいかな」 「なんでしょうか、マオ様」 大地の紋章で街道に仕込みを作るのを手伝っていたヒューイ。その折り合いを見てマオは呼びつける。ヒューイは手招きするマオに首を傾げながら小走りで向かった。 「良い? この戦、手を抜いては駄目だから。身を呈すのも駄目だけど、全力で当たって。村人達が諦めていても、わたし達は諦めない」 「わかっています。それに、マオ様もお気をつけ下さい。どうしてもその存在が知られてしまうとは思いますが、絶対に捕われないで下さい」 「大丈夫。ハレックとムーアもついている事だから。あなたも気をつけなさい。その力量があなたによるものだと知られたら、あなたも同じ危険に遭わせてしまうからね」 「わかりました」 ヒューイが頷いた時だった。 ムーアの「来るぞ!」という腹の底からの、大きな号令。慌しかったチシャ村が、一段と拍車が掛かって騒然となる。けれどそこには混乱はなく、みなきびきびと動いている。 あざみの煙が焚かれ出して不明瞭になった街道側。しかし、遠方から飛んできているルビークの虫兵を察知したといわんばかりにマオは静かに顔を向けると、「行きます」と一言告げて前線へテレポートした。 残されたヒューイは心配そうに消え去った方角を見つめた。けれど、すぐに自分のすべき事を思い出して配置へと向かった。 即席の防壁の前で木の盾に身を潜める、これもまた即席のチシャの民による工作兵。その中に姿を現したマオは、ゆらりと腕を上げ、手の平を前方へ向ける。すると命の紋章による光印が浮かび上がり、瞬く間にチシャの村の街道側を全て覆う結界が現われた。右手に光浮かぶ紋章の力を残し、マオは虎鉄を両手に抜いた。 背後から轟くようなハレックの雄叫び。本来の作戦なら、此処で炎の英雄による口上が敵へと告げられるはずだった。混乱したのかもしれない。そう思いながらマオは呪文を紡ぐ。 「……静かなる湖」 ハルモニアの軍勢を薄っすらとした青の結界が覆い被る。魔法で攻撃を放つ前に無効化の陣を敷いたマオは暫し黙り込んで、ほっとしたように息をつく。 「――ササライはこの軍の中にはいないか。なら遠慮なく」 左右から村人達は決死の想いで酒樽を投げ、ハルモニアの騎兵と歩兵はひとりも思うように進軍できていない。上空から飛んでくるヒューイの魔法による攻撃を流し見ながらマオは続けて呪文を言い放った。 チシャの村の街道側、上空を幾多の雷撃球が生み出される。ハルモニア兵達はその異端な存在に驚き、慄いて全員が動揺に身を竦めさせていた。それはチシャの村衆も同じだったが、マオは構わず虎鉄を掴んだ手を横に薙いだ。 悲鳴が上がる。避けようのない大きさとスピードを誇る雷撃球を受け、ハルモニアの騎兵達は次々と弾かれて倒れていく。同時に三種の魔法を使ったマオはさすがに疲労の色を見せたが、構わず続けて雷撃球を作り上げた、その時。 チシャの村の左右から雨のような矢が降り荒れる。乱雑に見え、結託した矢の筋は的確にハルモニア兵達を射て行く。森から姿を現したのはアルマ・キナンの女戦士達だった。 チシャの村の裏からは怒涛とした馬の駆け音とリザードの駆ける音が響く。雪崩れ込むような援軍と攻撃に、たまらずハルモニア兵は撤退して行った。 「お前は何を考えて動いている」 ルシアとの再会。ルシアは開口一番に、それを告げた。快勝に喜び勇むチシャの村勢の中、援軍としてやってきたルシアは厳しい顔つきでそう尋ねる。 「イクセ村でお前が鉄頭に味方していたと言う情報が入っている。リザードの者達を中心に、お前がスパイなんじゃないかという疑惑が上がっていた」 「スパイではないけど、イクセ村の人々は護っていた」 「何故! どうしてお前はそんな事を……」 返答次第では、という気配を見せるルシアの切羽詰った態度にマオは素直に答えた。 「わたしはゼクセンやクランの民達の命に差をつける気はない。両者共、戦いの悪循環に呑まれているだけなんだと知っているから」 「……グラスランドの者じゃない、デュナンのお前に何がわかる」 「少なくとも、今回の戦いが仕組まれたものだと言う事は知っている」 「仕組まれただと?」 ルシアが眉を顰めた時、マオは続けて告げる。 「ヒューゴに継承させる」 「!」 「そして、チシャの村の民は今すぐ避難しなければならない」 「なんだと? 村を捨てるという事がどういう事なのか知っているのか! 私達も焼き払われたんだぞ……カラヤを!」 「わたしにはその想いを汲む事は出来ない。だけど、数日後にはそうなってしまう」 何がわかる、そう言いたいだろうルシアの怒気を払うようにマオはただ、冷淡な口調で続けた。 「部外者にそんな事を言われて素直に受け止められないのは解っている。けれど、どうしても今、チシャの村は捨てなければならない。でなければ多くの民達を失う事になる」 「……その根拠を教えてもらおうか。私の納得の行く答えで。さもなければ、幾ら友人だろうと容赦はしない」 得物の鞭の柄に手を掛け、ルシアは鋭い目つきで旧友を見据える。マオは少し悲しそうに微笑んでいた。ルシアはその儚げな雰囲気に飲まれそうに喉を鳴らすも、背に背負うクランの重圧に、構えを解く事はしなかった。 「わたしは未来を見る事が出来る。この事を教えているのはヒューイとアルマの首長達、そして五十年前の仲間だけ」 「……ユン殿のような力か」 「ユンよりは曖昧で断片的にだけど」 預言として他者に報せる事が出来るユンの巫女の能力。マオは紋章の記憶として、未来過去現在に渡り、数々のビジョンを見てきた。それを告げられ、ルシアは生半可納得行かないと眉を顰めていたが、少しの揺らぎを見せる。その力が嘘偽りではないと察したからだ。 マオは続ける。 「真なる命の紋章の継承者として、元同盟軍魔法兵団副師団長として。わたしはこの戦を止めなければならない。一刻も早く、あなた達を導かなければならない」 「何処へだ? 村を捨て、住処を追われ、一体お前はどうしろと言う?」 「ビュッデヒュッケ城」 「?」 固有名詞を挙げ、マオは確固とした口調で告げる。 「そこが今回の集合地点。グラスランドは手を結び、対抗しなければならない」 「ハルモニアにか?」 「そうとも言えるし、違うとも言える。……その正体はまだ言えない。だけど、信じて欲しい。被害を最小限に抑えるためにも……」 哀願するマオ。ルシアは視線を落とし、地面をじっくり見つめながら告げられた言葉を享受し、暫しの逡巡に陥る。 マオは迷うルシアに、「お願い」とダメ押しで言った。ルシアはふう、と軽くため息を吐き、ゆらりとマオを見据える。 「この意見が他のクランにも通用したら良いだろう。お前を族長会議に招く」 「……ありがとう」 「力を目の前で見たアルマやチシャはともかく。リザードとダックを説き伏せられるか、お前に懸かっているぞ」 ルシアの言葉にマオは力強く頷く。 異例の族長会議への部外者の介入。それすら認められないと憤るリザードを強引に言いくるめ、マオはひとつの臨時軍議室に居座った。激しい怒りの声が吹き荒れた時は、一時、騒ぎを聞きつけたヒューイが魔法を発動させかねない切迫した状況であった程。 シックスクランが今後どうすべきか。チシャとダックは村を捨て、ゼクセンと手を結び、ヒューゴに火の紋章を継承させてビュッデヒュッケ城を本拠地にすべきと粗方の事情を説明したマオの言葉に、最初に苦渋を示したのはダッククランだった。 「ルシア、幾らお前の旧知だろうと、シックスクランの行く末を他者に委ねようと言うのは些か浅慮に過ぎんかね」 ダッククランの族長が厳しい表情で言葉を浴びせる。幾らかの平静を取り戻したルシアは「しかし、」と言い返した。 「この状況を打破するには相応の力と機知が必要だ。私はそれがマオだと思っている」 「しかし我等を騙す常套手段とも言えるぞ。弱味や情につけこんで……」 「マオはもっと大きな視点からこの戦を見据えている。デュパ、お前は知らんだろうがマオは真なる紋章を継承している」 「!」 その固有名詞には荒ぶる性質を持つリザードを率いているデュパも、息を呑まざるを得ない驚きだった。 「その紋章でマオは、この戦の行く末を見たらしい」 「……だからといえど」 「信じてくれなくてもいい」 それまで敵意を向けられるだけ向けられ、発言をしていなかったマオが此処で口を開く。 「もし此処でわたしの指示に頷けないと言うなら、その者を力ずくで黙らせるまで」 「なんだと!」 デュパは勇み立ち上がる。その勢いで腰掛けていた椅子が音を立ててひっくり返り、木で造られたそれは壊れんばかりに床に叩きつけられた。 「聞いたか! こいつは信用に足る人物ではない!!」 「落ち着けデュパ!」 「我等を唆し、何をしようと言うのだ魔女め!!」 話し合いの場という事で得物を持たないデュパは、素手で掴みかかろうと木製のテーブルの上に乗り上げた。それを止めようと立ち上がるのはルシアとユイリ。しかし。それを止める間もなく、デュパはテーブルから床へと叩きつけられていた。 あまりに一瞬の事で、室内の時は止まる。デュパの力を受け流し、テーブルから床へと叩き付けたマオは再び席に戻り、何事もなかったかのような態度で口を開いた。 「わたしもそれほどまでに追い込まれている。このグラスランドも」 「貴様のッ……事情など! 我等が鉄頭にどれだけの仲間を殺されたのか知らないのか! ルシア、カラヤの村は焼き滅ぼされたのだぞ!」 「しかしそれはゼクセンの手ではなく、ハルモニアのある人物による罠だった可能性が高い。ゼクセンにそれを画策した者はいないと、わたしは確信している」 確固な自信で告げるマオ。デュパはわなわなと打ち震えていたが、それを諌めるようにサナが静かに声を上げる。 「……もしマオ殿が敵だと言うならば、チシャの村をああも全力尽くして救おうなど、してくれるわけがありません。それに彼女は五十年前も私達を導き、ハルモニアから護ってくださいました。私は信用に足る人物だと考えます」 「マオ殿がやろうとしている事は、縁の歪みを正す行いだとユンから聞いている。未来を導く継承者としての使命と、マオ個人としての我等との繋がり。私はそれを信じるべきだと思う」 続けてユイリが諭すような口調で、反対するデュパとダッククラン族長に語りかける。マオはそれに一瞬だけ微笑みを向けると、すぐに口許を改めて話し出す。 「ゼクセンと手を結ぶ事に問題はないはず。ゼクセンにとってもハルモニアの侵攻は背水の陣たるものだから容易く事は進む。このままゼクセンとも戦ってハルモニアにも対抗するという事は余りに愚かな選択だと解るはず。このまま誇りだけを維持し続けても、グラスランドに未来はない」 静まり返る室内。マオの言葉は第三者の視点でもあり、ある種全てを見通す軍師のような言葉でもあるが故に、一同は深く受け止めていた。 マオはその雰囲気に付け入るように、再び口を開く。 「この戦いは国間の領土や尊厳威厳の問題ではない。世界に最も直接的な影響を下す、五行の紋章による争いが発端だとわたしは考えている。だからこそ水の継承者ワイアットも動き出し、雷の継承者も動こうとしている。今こそ。火をグラスランドの手に迎えるべき。それを受け入れる器をヒューゴは持ち得ている」 「しかし……しかし、ヒューゴはまだ子供だ」 「わたしが見てきた継承者達は、ヒューゴと同じ程の子供ばかり。わたしの祖国デュナンもそう。若く、力に際限なく、理想を追う限界を感じない情熱を持つヒューゴこそ成し得る」 そこまで言うと、マオは憮然とした面持ちのデュパに語りかけた。 「リザードの族長ですが。証拠はないけど、八割方、暗殺を行ったのはゼクセンではなく、別の人物です」 「なっ……!」 「カラヤの村が焼き払ったのは確かにゼクセン。けれど、それを仕向けたのはゼポン殿を討った者、もしくは同じ陣営の者。ゼクセンも、シックスクランと手を結ぶ事を望んでいた。心から」 マオはまるで懇願するような声で「それだけは信じて欲しい」と訴える。 デュパは苦虫を飲み込んだような、複雑そうな険しい顔で何か言いたげに口を開きかけた。 しかし、黙ったまま緩く首を振ると、「信じよう」と低い声で唸ったのだった。 「しかし。その事実を民達が受け止められるかどうか」 「……ゼクセンとは、言葉ではなく行動で歩み寄るべきだと思う」 「それではその事は報せないと?」 「この争いで一番消耗しているのは、頭であるあなた方ではなくて、振り回される立場の民の方。余計な動揺を促すのは得策ではないと考えます」 それに、とマオは続ける。 「もうひとつ。この連合軍に、軍師を頂戴する必要がある。こう言った事に対して、良い策を導いてくれる軍師を」 「……その言い方、心当たりが?」 マオは頷く。それは族長達へと言うより、この建物の扉に聞き耳を立てている少年に向けての言葉だった。 「シーザー・シルバーバーグ」 「シルバーバーグだと?」 その名に由縁のあるルシアが眉を顰めて疑問を口にする。 「軍師の名門……だな。その者は何処に?」 ダッククラン族長の呟きにマオは頷くと、口を閉ざしたまま席を立つ。不意の行動に一同は黙って視線だけ向けていたが、唐突に出入り口の扉を開き、驚きを顔に染める。 驚いたのはマオの行動ではない。扉からなだれ込むように、ひとりの少年が倒れこんできたからだ。 「! ……!!」 絶句して驚く少年、シーザー。マオは微笑みかけると、族長達を振り向く。 「彼は少年で、戦の経験も少ない。けれどその才覚は十分なもの。現にチシャの村を護る策を講じたのは彼」 「……う、な、ん……」 「あなたには異論がないでしょう?」 柔らかく微笑みかけるマオの有無を言わせないような力強い同意を促す言葉。シーザーは目を丸くさせたまま、面子もなくこくりと頷いた。 それを受けた族長達は顔を見合わせ、ふうとため息をひとつ、揃って洩らした中、ルシアが声を上げた。 「反対の者はいるか?」 異を述べようと思う者はもう、いなかった。 (強者の思惑) [←][→] |