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07/変化





 門前で痺れを切らす10秒前の仲間達は、辿り着いた瞬間、二人に向かって言った。

「ルックはアビニシアンね」
マオはノルウェージャンフォレストキャット!」
「……なにその早口言葉?」

 ぽんと肩に置かれたナナミの手に引き攣りつつ、マオはフィッチャーを窺う。

「入学許可証をねん、偽造したんですよぉ。ほら、あなたたちの出身って色々とワケ有りじゃない? だから、こうして名前も……」
「それならどうしてそんな一瞬で偽名とバレそうな名前にしたわけよ、このオカマ!」
「しつれいなメスですねぇ」
「シャー!」

 とまれ、名前は既に許可証に書かれている。マオは渋々ながらそれを受け取るが、あまりに長い名前に小鼻をひくつかせた。

「それではラインバッハ三世さん、それにジョニー殿。以下略。ご健闘お祈りしてます」
「行って来るよ」

 なんだその以下略とは。

 エリザベスたるナナミと共に、ジョニーはグリンヒルの門を潜り抜けながら許可証を検問に差し出す。そんな姿に納得のいかない者が一人いた。

「ノルウェージャンフォレストキャットノルエジャンフォレストキャットノエヤン……! ……ち、ちなみにキニスンとアイリは?」
「僕はラグドール」
「あたしはロシアンだよ」
「え? なにこれイジメ?」

 フィッチャー、怨むぞ。マオの怨念は、既に森の深くへと姿を消したフィッチャーへ届いただろうか。





 グリンヒル市は都会的な街並みで、背の高い洋風の建物が軒を連ねている街だ。しかし、外を出歩く市民の数は少なく、逆に王国兵がぞろぞろと歩き回っている。市民は当然、言い知れぬ不安に暗い表情だった。

 この団体は王国兵達に疑られたが、兵士をやり過ごしてグリンヒル市に潜入するのを成功させた。

 一行は街奥に佇む大きな学院を目指して歩く。デザインの凝った服や小物の店が目に移り、アイリやナナミは一歩進むたびにうっとりとショーウィンドゥを眺めた。

「おいおい、寄り道している暇はないんだぞ、今は任務中なんだからな」

 歩みの遅い二人に対してフリックが後ろから注意を掛ける。マオは未だに親しめないデザインと風潮に興味津々とする事はできないが、ショッピングが大好きな女の子の心理は自分自身良くわかっていた。

「きゃあ! ちょっと、何すんのよ!」

 閑散した街並みから怒鳴り声が響く。即座に何事だ!? と、正義感の強いフリックが駆け出してしまった。そんな姿を見てマオが目くじらを立てる。

「ちょっとぉおお! スタンドプレーはよせって言ってたの、どこのどいつよ!!」
「聞いちゃいないさ。あの人は単純馬鹿なんだ」

 ルックは辛辣にぼそりと呟いた。





 街の奥には広い広場があった。小さいながらも、草原も存在するがそこには小さな子供は一人もいない。公園の入り口で、叫んだ当人である女の子と王国兵が一人、小さな騒ぎを巻き起こしていた。

「ちょっと何処さわってるのよ! 変態、セクハラ!」
「何だと!? 少しぶつかっただけで……この小娘が!」

 王国兵は剣の抜き身をちらつかせるも、本を抱えた少女はびくりとも怯えていない。フリックのスタンドプレーに追いつこうと駆けた一行が現場に到着すると、すでにフリックが二人の前まで飛び出してしまっていた。

「おい、それくらいにしておけよ」

 フリックがぎろっと鋭い視線で王国兵を睨みつけた。流石は大戦を潜り抜けた経歴を持つだけあり、その眼光はお世辞抜きに迫力を感じる。

 王国兵は突然の飛び入り参加に驚いたが、すぐに怒りを上げて凄んだ。

「何だと? お前には関係がないだろう!」

 少女の腕を掴み上げていた王国兵は、ぐいっと少女の腕を引っ張り上げた。少女はいたい! 何すんのよ! と、なみだ目ながら負けじと怒鳴り上げる。そこに、リュウが兵士の傍らに立った。

「その子を離すんだ!」

 トンファーの柄を引っ掴んだまま短く叫ぶ。その後ろからぞろぞろと手だれた雰囲気を持つ仲間達が姿を現せば、多勢に無勢と恐れをなすのも仕方がない。王国兵はありきたりな捨て言葉を吐き捨てて尻尾を巻いて逃げ出した。

「ちょっとちょっと、大の大人が何してんの? 保護者でしょ、あんた」
「これであっちに勘づかれたらどうするんだい?」

 マオとアイリの二人から言われると、正気に戻ったフリックは面目ない、と小さくなった。

「あ、あのっ、ありがとうございました!」

 頬を赤らめた少女は、両手を組んで背の高いフリックを見上げる。

「あ……いや、別に……」

 しどろもどろのフリック。助ける事で頭に血が上ったせいか、その後の事を何も考えていなかったらしい。それでも少女は構わずきらきらとした瞳を向ける。

「お陰で助かりました! 私、ニナと言います。よろしければお名前、教えていただけませんか?」

 頬がピンクに紅潮した少女。どうやら、フリックに一目ぼれしてしまったらしい。意味深な視線をやりとりするマオとルックの前でフリックはぎょっと目をむいた。

「い、いやっ! あー、その、急いでるんだ。……さ、さあ行くぞお前たち」
「何をいきなり偉そうにしてるんだい?」

 アイリが呆れて溜息をついた。さかさかと足早に学園へと向かうフリックの姿に、二ナはああっ待ってくださいー! と背後で叫んでいた。






「フリックさんってばあ! 純情な乙女の気持ち、踏みにじっちゃいきませんよ」

 にやにやと下品に笑むマオがフリックの腕を掴むと、フリックは顔を赤らめる所か苦虫を噛み潰した顔でうんざりとマオを腕からぶら下げる。

「ミーハーは、どうも好かない」
「硬派ってことね」

 背筋を震わしながらフリックはグリンヒル学院の門を叩いた。正確には、門を引いたのだが。

 学院内は生徒達が大勢行き交う。そんな中、ぞろぞろと旅人姿の少年少女が学院内に入っていく光景を、生徒達は好奇の視線で見ていた。学院の敷地内には王国兵の立ち入りを禁じている様子で、青い制服の王国兵は一人たりともいなかった。

 校舎内は静まり返っているわけではないが、とても静かな空間である。優れたマオの聴覚では、今も沢山の教室で授業をしている事を察せる。

 フリックとリュウは受付に書類を渡して手続きをしていたが、何か話し込んでしまった。その後ろでキニスンとアイリはこれからの学院生活に思いを馳せ、そしてルックは少し離れたところでロッドを抱きながら俯いている。

 マオは一人、手持ちぶたさにふいっと気が向くほうへと歩んでいった。





 学院での勉強も、マオにとっては何もかもが目新しいものだった。こっそり教室に忍び込み、こっそりと席について勝手に見学する。ひとつの講堂に生徒数もそれなりの人数で、一番後ろで隠れるようにさえしていれば、マオが紛れ込んでも他の生徒は騒ぎ立てたりはしなかった。

 生徒はみな、一様に机の上へと水晶玉を置いて、それと片手に厚い教科書を持ちながらうんうん唸っている。講堂を制服が占める中一人だけ違う衣装に水晶も教科書も持っていないマオが見つからないのは、隠れているからではない。しかし、生徒達が勉強に集中しているわけでもなかった。生徒達はうっとりと教卓に立つ教師を見つめていたのだ。

 男子はうっとりと、女子は羨望の眼差し。教卓の前に立つのは、魅惑的でスタイル抜群の女性が長く緩いウェーブのかかった銀髪を揺らしながら封印球片手に説明している。マオはほうっと感嘆の溜息を吐き、まるで女神のような様態の教師を見つめた。

 暫く封印球の仕組みについての説明が続き、火の紋章の簡易図を黒板に書くとき、チョークを片手に持った教師と目があった。マオは驚いて、どう言い訳をしようと頭の中で思考を張り巡らせる。しかし、教師は魅惑的な笑みをゆったりと浮かべただけでマオの事を指摘したりはしなかった。

「――変な教師」





 その日は準備もあって、登校は翌日からとなった。この時間をスパイ活動の得意なキニスンとアイリが情報収集に向かう中、マオは男子寮の一室に引きこもるルックを尋ねていた。

「ルックさん、ご所望なら治癒魔法をかけてあげますが?」

 案の定。ルックは寝台にぐったりと横たわっていた。すっかり旅疲れしてしまっているさまに、そりゃそうだと頷くマオ

「あんた、トゥーリバーの遠征の時はずっと馬に乗っていたものね。体中ひどいんじゃない?」
「……うるさい。出て行け」
「放っといたらあんた、熱出しそうなんだもん」
「……ふん」

 寝台の端に肘をつくマオから、不貞寝をするように背を向けたルック。マオは生意気で尊大な態度が常のルックが、歳相応なところを見てうきうきしている。

「きみがうらやましいね。良く聞こえる耳に良く視える目に、疲れない体……」
「別に疲れてないわけじゃないし。ただちょっと五感が鋭くなっただけ」

 それも、ちょっとである。以前は現代社会の生活で怠けきった視力が、澄んだ空気のお陰か見晴らしの良い地域のお陰か、視力が上がったように感じている。それだけではないのも、数週間を暮らしてみれば以前との違いが明らかになる。

 継承者となる縁での能力向上なのか、重力の違いか、なんなのかは判断し難いものであった。しかし、マオより視力が優れる狩人のキニスンも居れば、マオより腕力が優れるオウランもいる。恐らくは後者なのだろうと的をつけつつ、ありがたいものとして受け取る。マオが生きている場所は、戦争の真っ只中なのだから。

「んー、と、いいましても。治癒魔法よりは……マッサージの方がいいんじゃないかな?」
「ちょ、何乗ってるんだ。降りろ!」
「まあまあ」

 寝台に横たわるルックの上へと跨ぎ、馬乗りになったマオ。端から見れば怪しい関係と間違う事この上ないが、マオがこういった行為を起したのは、善意からである。そこに余計な欲などは一切ない。

「筋肉痛で泣きを見るより、ここで素直に甘えときなさいよ」
「うるさい……!」
「はいはい。ほんと、なんでそうひねくれてるんだか……」

 そうぼやきつつも、その手は絶えず動いている。ルックの肩を揉み解し、背中を伸ばしてやる。暴れようとするも、無駄な事だと早々に察したルックは、仕方なくその身をマオに任せる。

 自ら名乗り出すだけあり、その加減は中々絶妙なものであった。疲れ切っていたルックの体は泥の中にいるように重く、冷えていた。それが今や。なんだかぽかぽかと血行の巡りが良くなっている気がする。

「……ふん……」

 皮肉の一つでも浴びせようかと思ったけれど、その考えもすぐに散りじりとなってしまった。

 ルックは不本意だった。けれど、彼女を認めざるを得なかったのだ。彼女は確かに、人々を救う存在なのだと。

 自分の中心にある魔物が猛りを静めている。憎たらしいほどの想いが、どうだろう。涙が出るほど溶かされている。そんな気がして、ならなかったのだ。

「……ルック」
「……何」
「あのさ、もっと他の人、頼ってもいいと思うよ。あんたってばわたしより年下じゃない。なのに、それなのに三年前も戦ったんでしょ? すごいと思うけど、あんたはもっと子供らしくしてもいいと思うんだよね」
「何を……馬鹿な事を。……今のこの時勢をなんだと思っている? ……生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの時代なんだ。……子供だって戦わざるを得ない」
「それでもさ、あんたっていつもいつも気を張ってるから。暇さえあれば……なんだっけ? あの石版のとこで立っててさ。あんたこそ、もっと仲間と交流を深めるべきだよ」
「うるさい。ぼくには……必要ないものだ」
「どうして?」

 ぴたりと揉み解す手を止め、マオはルックに尋ねる。ルックは手の動きが止まった事を名残惜しく思いながら、枕に顔を押し付けたまま視線だけをマオの方へと投げる。

「ぼくは……レックナート様から授けられた使命でデュナン軍の手助けをしているまで。そうでなければあんな下等なやつらと付き合うものか」
「……ルック、それはさみしいと思うよ」
「さみしいだって?」

 こくりと頷くマオは、黒の瞳にとても悲しそうな色を帯びさせる。

「どんな理由で戦ってても、結局は力を合わせる事になるんだよ。みんな、そうして平和を求めようとしているんでしょ? 一国を相手するのに、一人じゃ無理だと知っているから。色んな人がいるけれど、ハイランドの皇子を打ち負かすっていうひとつの目標があって、力を合わせてこの戦いを生き抜こうとしている。そんな人達に感情を抱かないの?」
「……知るものか。ぼくは見てきた。人は平和を手に入れても、それを仮初だと気づかずのうのうと生き、ささいな事やおおきな事から諍い、そして対立し、刃を奮いだす。それに巻き込まれる人間がいて、そして戦争が起きる。人々のくだらない感情というもののせいで、森は焼かれて生命は時を待たずに絶えて行くんだ」

 そんなものを見せて、レックナート様はぼくにどうしろというのだろう?

 それがぼくの疑問だ。懲りずに戦いに向かわせて、何をさせたいというのだろうか?

 マオは虚無的なルックの言葉に憐憫の想いを胸に抱く。寂しさが触れる背中に、じかに伝わってくる。つめたいルックの体。熱い自分の右手――紋章が泣いている。

「怒ったり嫌ったり、それも人。けれど、衝突する事で共に同じ壁を乗り越え、そうして成長する人間は儚くて美しい――」
「……マオ?」
「――だからわたしは救いたい……?」

 不思議と出てきた言葉だった。人間が、美しい? マオは戸惑っていた。

 ルックは訝しげにマオの顔を穴が開くほどに見つめる。先ほどの彼女の表情が虚ろで、眠る直前のようにぼんやりとしていたのだ。

 マオは自分で自分の言った言葉に困惑はしていたが、それでも誤っているとは思わなかった。口に出してからではあるが、自分の言葉に納得している。

 人はぶつかりあう。けれど、それでも手を取り合う事はできる。一緒に笑いあう事も、自分が面白いと思ったものを共有できる。感動したものを、知っているものを。一人で笑っていたって、楽しくなど無いのだから。

「……要はアレだよ。ご飯!」
「……は?」

 突然、テンションの移ろいだマオに今度はルックが困惑するも、マオはうつ伏せのルックに向かって遠慮なく人差し指をつきつけ、微笑んだ。

「三大欲求を共に分かち合う事って、人間の最大のコミュニケーション方法だと思うわけ! 美味くても不味くても、一緒に食べる事で感動したり笑ったりできるわけ! ひとりじゃ、そんなことできないじゃない? だからルック、あの朝食の時、楽しかったでしょう?」
「……ビクトールと食べた時の事? あんなの、あの馬鹿が暴れたおかげでレストランに被害を出しただけじゃないか」
「それでもわたしは笑えたじゃない。それにビクトールだって、本気で怒ってたわけじゃないもん。冗談だとわかった上で、敢えてケンカとして受けて立ったの。そうやって衝突して、それでもあんたたちは仲間。でしょう?」
「……どうだか」

 ルックはマオの勢いに気おされつつも、その勢いに飲み込まれないために瞳を閉じて枕に顔を押し付けた。

 だまされるな。妙な思想に惑わされるな。

 人間は騙す生き物だ。そして、騙される生き物である。欲を持つからこそ人は愚かなのだから。だから世界は人によって――。

「……かんがえたくもない」
「ルック?」
「あんたは黙って揉んでいればいいさ」
「……? よくわかんないけど、そうするわ」

 黙りこんでしまったルックにマオは不思議そうにしたが、まだ揉みほぐれていない事を懸念して手の動きを再開した。

 ルックはまどろむ思考の中で延々と唱えていた。騙されるものか。こんなやつに、騙されるなんて――。



(変化)




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