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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編7
 月曜日。
 朝当番で早く来たら、マスターに呼び止められた。内容は、バイト料の振込み先のことと、休みの日のことについて。アリスから聞いていたから、振込み先の口座番号などを書いたメモを用意していたので、それを渡した。
「お盆休みはあるけれど、他に休む予定は?」
「今度、一日だけお休みが欲しいんですけれど、まだいつにするか決めていなくて……」
「そうか。決まったら教えてくれればいい」
「はい。――あの、昨日はごちそうさまでした」
 パフェのお礼を言った。
「とても美味しかったです」
「良かった」
「あの……」
 何て言っていいのやら。立ち聞きはマナー違反だし、私と樹莉の会話をどこまで聞いたのか訊きたいし……。
 マスターは優しい目をする。
「私が料理を作ることを始めてから、いつも一番嬉しいと思う時は、どんな時だと思う?」
 ――?
「美味しいって言ってもらうことですか?」
「それもとても嬉しい。けれど、食材やそれまでの過程に興味を持ってもらえることはもっと嬉しい。――これでも、料理の講師をしていたしね」
「料理の先生だったんですか?」
 もっと詳しく話が聞きたかったけれど、朝当番だから準備もしなくてはならなくて。とにかく、急いで二階に行った。
 樹莉が来ていた。着替えて私を待っていた。
「おはよう、留姫」
「おはよ! 樹莉、今すぐ下に行ってみて」
「どうしたの?」
「マスターって、料理の先生だったって! 知っていた?」
「ええ? 本当に?」
「ほら、樹莉は料理が大好きだし、共通の話題が出来そう!」
「――よぅし、行ってくるっ!」
「頑張れー!」
 樹莉を送り出して、私はやれやれと自分のタイムカードを押した。
 着替えたら、私はテーブルのセッティングをしようっと。グラス磨いたりするのはキッチンでやるから、樹莉におまかせっと……。



 その日のバイトが終わって二階に上がろうとしたら、ドーベルモンさんに声をかけられた。
「ちょっと……」
 何の用だろうと思ったら、ドーベルモンさんは黙って二階を指差す。
 二階で話がしたい、ってこと?
 二階に上がると、ドーベルモンさんが携帯電話を取り出した。黒い二つ折りの携帯電話を軽く一振りして開くと、素早く操作する。
 ――仕草がワイルドな人……。アリスって、アクション映画の俳優とか好きなのよね……。
 褐色の肌。黒髪は背にかかるぐらいの長さで、癖がある。緩く波を作るその髪は後ろで一つに束ねられている。そして――真紅の瞳。
 はい、とドーベルモンさんが携帯電話を私に差し出した。
「?」
「ケータイの番号ぐらい、伝えておいたほうがいい」
 電話が繋がっているらしい。
「もしもし……?」
 相手が誰なのか解らないので不審に思いながら話すと、声が聞こえた。
『ごめん……お疲れ様』
 レナからだった!
「お……お疲れ様です!」
 私は携帯電話を握り締めた。電話越しに声を聞くのは初めてなので、緊張で手が震えそうになる。
『ちょっと相談したいことがあるから、今から会える?』
「大丈夫……です」
 ドーベルモンさんの視線に気付いて、言葉遣いを敬語に直した。
『これから支度するから少し遅くなるかもしれないけれど、こないだの店で……』
 あのファーストフードショップの前にいるから、と言われた。
「解りました」
 携帯電話のボタンを押して通話を切ると、緊張が解けてドッと疲れが出た。大きく息を吐く私に、ドーベルモンさんが手を差し出す。
「ありがとうございました」
 慌てて携帯電話を返すと、ドーベルモンさんはそれを受け取った。けれど、私をじっと見ている。
 ……な、何かな?
 何か言われるのかと身構えていると、もう一度、手を出した。
「通話料」
 ……は、はい?
 慌てて
「いくらですか?」
 と訊ねたら、
「――冗談」
 と肩を竦ませる。真紅色の瞳が緩やかな笑みを湛える。
 ――も〜っ! 私をからかうとはいい度胸じゃないの!
 ……と心の中で叫びはしても、私はとりあえず、
「本当に助かりました」
 と頭を下げた。だってほんと、助かった。レナから携帯電話の番号やメアドを聞き出す口実も出来ちゃった!
「礼だったら……」
 ドーベルモンさんが口篭もる。
「何ですか?」
「聞きたいことがある。アリスのことだが……」
「?」
 まさかドーベルモンさんの口からアリスの名前が出てくるとは思わなかった。
「アリスが何か?」
「留姫とは中学から同じクラスだと聞いたが?」
「ええ。中学の三年間はクラス替えありませんから。高校でも同じクラスだと解った時は驚きました」
「その……」
 ドーベルモンさんが声を落とす。
「あの子はどんな性格なのか教えてくれないか?」
「性格?」
 私は瞬きをした。
「そうですね……」
 どんな性格って言っても……。
「ドーベルモンさんから見たら、どういう性格に見えますか?」
 彼は少し考え込み、
「大人しい……とは思うんだが……」
 と言う。
「当っています」
 と私は答えた。
 「そうか……」と、ドーベルモンさんが頷く。
「何か訊ねても小さい声でしか答えないから……怖がられているのかもしれないが……」
「怖がるなんて……そんなことはないです。ただ私達、女子校育ちだから、男の人と話すのはどうしても緊張してしまうので……」
 ――と、大嘘をついてみる。
 アリスは年上の従兄弟が何人もいるところで育ったから、実は頑固だし、言わなければならない時にははっきり自分の意見を言える。
 樹莉は家が小料理屋を営んでいるから、男の人と話をするのなんてへっちゃら。若い人からお年寄りまで、世間話から身の上相談まで、どんとこい!ってところ。
 私は……友達が電車内で痴漢に遭った時に、ホームへ降りて逃げる痴漢を追いかけ、跳び蹴りで仕留めたことがある……。
「だからアリスは、ドーベルモンさんの前で緊張してしまうだけだと思います」
 ドーベルモンさんはそうとは知らず、「なるほど」と呟く。
「もうバイトを始めて一週間が経つのに、まだ遠慮しているのかと思っていた。それか――ひどく怖がられているのかと思った」
「そういうことはないと思います」
「それならいいが……」
 と、ドーベルモンさんが少し考え込む。
「ドーベルモンさん?」
「瞳の色で怖がらせているのかと思ったから……」
「え? そんな……」
「たまに言われるから。人間の瞳の色ではないから……カラーコンタクトを入れて隠していることも多いんだけれど」
「その色の方がカラーコンタクト入れているように見えますけれど? それに隠してしまうなんてもったいない……綺麗なのに……」
「綺麗……か。そういう風に見えるものなのか?」
「私はそう思います。それに……」
 アリスもきっと……とは言えない。
「……ううん、何でもありません」
「……」
 ドーベルモンさんは私の言いかけた言葉を少し気にしているみたいだけれど、
「聞いて安心した。――ありがとう」
 私にお礼を言うと、一階に戻って行った。
 ――ドーベルモンさんはアリスの態度が気になっていたのね。
 私は急いで着替えると、部屋を出ようとした。レナが待っているもの。
 私がドアを開ける前に、アリスが外側からドアを開けたので驚いた。
「留姫っ!」
 アリスが詰め寄る。
「留姫はレナモンさんが好きなのよね?」
「どうしたの?」
「なんで? ドーベルモンさんと何を話していたの? 二階から降りてきたドーベルモンさん、なんだか楽しそうだった!」
 ――あ。
 私は右手をアリスの肩に置いた。
「あのね、アリスが話をする時、声が小さくなっちゃうじゃない? それを気にしていたみたいよ。訊かれたの」
「――わ……私のこと?」
 アリスは顔を真っ赤にして言葉に詰まる。本当に、かわいそうなぐらいに。
「そんな……だって声、小さくなっちゃうもの!」
「うん、でも今は大きな声、出せるじゃないの?」
「だって……」
「頑張って、声、出そうよ?」
「でも……!」
「頑張って!」
「……う、うん……」
「そういえばドーベルモンさんって、ケータイ使う時、かっこいいね」
「ケータイ?」
「なんか、こう……チャッて」
 私は自分の携帯電話を取り出して、真似をしてみた。でも、
「あ……れ? 上手く出来ない……」
 なんか違うのよね……こう、チャッ!って。カチャ!じゃなく、もっと素早かったのに……。
「――それって……」
 アリスが更衣室へ行き、自分の携帯電話を持ってきた。やってみたその仕草は、さっきのドーベルモンさんの仕草とほぼ完璧に同じだった。
「なんでー? それ、流行っているの?」
「三年ぐらい前に流行ったハリウッド映画で……」
 映画の名前を言われたら、私も覚えているものだった。
「主人公がこう、携帯電話を操作するのがかっこいいから流行って……。 私、あの映画大好きなの。あの映画を作った監督の作品、他にもたくさん観たわ」
「それかも! 訊いてみたら?」
「え?」
「その映画のこと」
「ダメ! あの映画って男の人が好む映画なのよ! 女の子が好きなジャンルからすっごく離れているの! 私はああいうかっこいいのが好きだけれど、従兄弟に話したら皆に大笑いされたもの……」
「そうかしら? 映画観に行こうって、デートに誘ってみたら? 好みが近いのかもしれないわよ?」
「そんなの無理よ……」
 階段を上がってくる足音が聞こえた。
「忙しいから勝手にいなくなると困る」
 ドーベルモンさんがドアを開けてアリスに注意をした。
「すみません……」
 アリスが慌てて頭を下げる。
「あの!」
 私は片手を上げる。さっきの映画のタイトルを言った。
「ドーベルモンさんってもしかして……」
「正解。よく解ったな」
 すごく意外そうな顔をしている。
「あの映画監督の作品、アリスは大好きなのよね!」
 と、私は言ってみた。
「……ちょ、ちょっと、留姫!」
「そうなの?」
 意外そうな顔でドーベルモンさんが訊ねる。
「あ……あの……はい……」
 アリスはおろおろしている。
「そう……。あの監督の先週公開された新作は観に行った?」
「あれは……あの……」
 おろおろしているアリスの代わりに、私が答えてあげた。
「公開前の先行上映会に行ったのよね? 雑誌で募集記事見て……」
「留姫!」
 アリスが顔を真っ赤にする。
 ところが、
「え……!」
 ドーベルモンさんが人差し指で自分を指差しながら、
「それ、行った。なんだ、同じ場所にいたのか」
 と、興味深そうに言った。
 今度はアリスが
「え……!」
 と言う番だった。
「あの……誰と行ったんですか?」
 ――ああ、やっぱりそこ、重要よね?
 私も気になったので、ドーベルモンさんがどう返事をするのか見守る。
「一人で。いつも映画を観る時は一人で行くから。アリスは?」
 アリスはホッとしたようだ。
「私も……一人で。私も映画を観に行く時はほとんど一人で……」
「そうか……。あれは面白かったね。もう一度観に行こうと思った」
「私もそう思いました。描写がとても細かくて……」
 アリスが大きく頷く。本人は全く気付いていないけれど、普通に声を出している。
 私はぽん、と軽くアリスの背を押す。
「バイト終わったら映画の話をしたら?」
「――留姫ったら!」
 アリスは慌てる。
 すると、ドーベルモンさんが言った。
「どんな映画が好きなのか、ずっと前から訊いてみたかった」
「「――!」」
 私もアリスも、そんなことを言われたからびっくりした。
「アリスが映画好きなことは知っていたから」
「ど……どうして?」
「本屋で、」
 ドーベルモンさんは『皐月堂』の近くにある本屋の名前を言った。
「アリスが立ち読みしていたから」
「――――!」
 アリスが硬直した。
「月二回発売の映画専門誌を毎回、発売日にあの本屋で立ち読みしている子――だと、ここにアリスが来ているのを初めて見た時にすぐに気付いた。あの雑誌がこの近辺で手に入るのはあの本屋だけだから」
「そんな……」
「立ち読みも仕方ないと思う。高校生の小遣いじゃ、あの雑誌はちょっと高い。月二回発売だから特にね」
 アリスはしゅん…として、うなだれた。
 ちょっと失敗したかも……と私は焦る。立ち読みしている現場見られていたなんて……かなり恥ずかしいよね……まいった……。
 アリスの家ってちょっと厳しくて。あの雑誌をどんなにアリスがねだっても、許可は下りないらしい。
 けれどドーベルモンさんは、
「……実はアリスが棚に戻した雑誌を、私がいつも買っていた」
 と言った。
 アリスが顔を上げた。きょとんとしている。
「毎回、アリスが読み終わってから、あの棚に移動して……」
「え? え…?」
「発売日に買いに行くと、必ず先に来て立ち読みしている子がいた、と。あまりにも真剣に読んでいるから、傍に行って邪魔する気になれない……というのも変な話だけれど。今度、貸そうか? 最近のものなら全部ある」
「いいんですか? ……ありがとうございます!」
 アリスは嬉しそうに頭を下げた。
 私はスッと、ドアに近付いて開けた。
「――じゃ、お疲れ様でした……!」
 私は二人を残して、さっと部屋を出た。
 階段を下りながら、いいことをした後は気分がいいな〜って思った。
 マスターが私に声をかける。
「あの二人は?」
「すぐに下りてくると思いますよ」
 樹莉がさりげなく私に近寄る。
「……もしかして?」
「もしかしなくても、よ」
「そうなんだ」
 樹莉が笑う。そして小声で、
「今朝はありがと!」
 と言って、カウンターへ戻っていった。
 ――うん。私も頑張ろう。ボケッとしていたら夏、終わっちゃうもの!



 レナと待ち合わせして、ファーストフードショップに入る。
「中で待っていてくれても良かったのに」
「一緒にお店に入りたかったの」
「また具合が悪くなるんじゃない?」
「ならないわ。大丈夫」
 注文したものを持って二階の禁煙席に座ると、私はさっそく携帯電話を取り出した。
「番号教えて」
 携帯電話の番号とメアドを教えてもらった。
「ところで、こないだ話したことだけれど……」
 来週の火曜日に休みを取ろうということに決めた。
「……それで、申し訳ないんだけれど、もしも嫌いじゃなかったら……」
 一枚のカラー印刷されたチラシを取り出した。
「これのチケットが二枚あって。同じゼミのヤツが行けなくなったって押し付けられたんだけれど」
 私はそのチラシを手に取った。
 ――縄文・弥生の生活展。上野の博物館か……。
「買い物も頼まれて……」
「あ、それって、図録でしょ? 展示されていたものの写真を載せた厚い本出すものね!」
 ちょっと知っていたので訊いてみたら、レナは苦笑する。
「それも頼まれたんだけれど。他にもある」
「他にも?」
「会場限定でトレーディングフィギュアが出るらしい。それをコンプリート
してこい、と」
「フィギュア?」
「埴輪とか、土偶とか……」
「マジ!?」
「彼女と彼女の弟が欲しがっているらしい。――だったら自分でやれと思うんだが」
「え? 私も欲しい。埴輪……」
「留姫も? どうして?」
「え? かわいいじゃない、埴輪……」
 私はう〜ん、と首を傾げた。
「埴輪ってダメ?」
「いや、ダメって……そんなことは言っていないけれど……」
 かわいいと思うんだけれど……馬のとか……。
「楽しみ!」
 レナが苦笑する。
「楽しみなら、別にいいんだけれど。映画とかの方が良かった?」
 ちょっと、アリス達のことを思い出した。
「――ううん、博物館でいいの」
 チラシを返そうとしたら、レナは「それ、持っていていいよ」と言った。
「家の人に、話しておいて」
「?」
「心配するだろうから」
「う〜ん……ママが喜ぶだけだけれど……」
「なんで?」
「え? ううん……なんでもない。ほら、私が初めてバイトするから、バイト先の人と仲良くしているか気になるみたいだったから。おばあちゃんも気にしていたから……」
「お父さんは?」
「え……」
「お父さんは留姫がバイトをすることに反対したりしなかった? 留姫がお父さんの話はしないから気になっていたんだけれど」
 私はとっさに、
「たぶん、私が今、何をしているのかも知らないと思う。ママとパパが離婚してからもうずっと会っていないから……そんなに顔も覚えていないし……」
 いつもは訊かれても言わない本当のことをレナに答えた。
 あまり、パパのことは話したくない。ほとんどの人は私がこう言うと『かわいそう……』って顔をするから。同情してほしくなんかないし、こんなことで哀れんでほしくない。ママとパパが離婚したのは二人でちゃんと話し会うってのことだって、何度も言われてきたから。
 でも……レナには話した。同情でもいいから私のことに興味を持ってほしいと思う気持ちがゼロだったわけじゃないけれど、もっと私のことを知ってほしいと思う気持ちが強かった。
 レナは
「そう……」
 と一言言った。それだけだった。上辺だけの同情もしなければ、話をもっと聞きたがる好奇心も持たなくて、ただ、私を見つめている。
 私は何かをレナが言ってくれると思っていたので、少しだけ拍子抜けした。
「……なんだ。もっと何か言うのかと思ったわ」
 私は苦笑して、ほとんど飲み終わりかけていたソーダを一口飲んだ。
「留姫が話してくれるのなら聞きたいし、嫌なら無理に聞き出したくない」
 トクン。
 私の心臓が少し大きな音を立てた。
 レナは話をさりげなく元に戻して、私もそれきり、パパのことは言わなかった。
 こんな優しさに触れたのは初めてだった。

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