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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編14
 呆然とした。何が起きているのか解らなかった。
 鍾乳洞の中を冷たく湿った風が吹き抜ける。光も届かないはずなのに、まるで夜明け前の時間のような明るさ。何の光なのか解らないけれど……。
「……」
 その光が照らしているのは、巨大な獣。金色の獅子が壁に杭で打ち付けられている。強い力で打ち付けられたようで、激突した衝撃で大きくヒビが入った壁にめり込んでいた。赤い血が壁に流れ、岩ばかりのその場所に筋を作っていた。行く筋も流れる血は、黒く固まってしまった部分もある。
 周囲の鍾乳洞は、鋭利な刃物で削り取られたり崩れたりと破壊跡も生々しい。
 獣は瞼を閉じて顔を歪める。苦しそうに呻き声を上げる度に、赤い筋が一本、また一本と増える。傷から血が噴き出しているみたい!
 獣の鋭い牙が並ぶ口には上あごから伸びる巨大な牙がある。元は二本あったみたい。けれど左の牙は根元近くからバッキリと折られていた!――。
「牙が……!」
 アリスは息を飲む。
 折られた牙の辺りにはパチパチと火花が散っている。
 ロゼモンさんが、弾かれたように駆け出した。
「嘘でしょう!!」
 悲鳴に近い声で、呼ぶ。
「マスターッ!」
 その言葉を、私は聞きたくなかった。『金髪』が言っていた言葉は覚えている。けれど、それが真実ならこの獣はマスター以外の何者でもない。デジモンの姿――レオモンから、サーベルレオモンへと進化している姿……!
「マスター!!」
 アリスも叫んだ。
 ――どうして? この状況は、どうしてっ!
 マスターは恐ろしいウイルスに感染して、そして今、こんな酷い姿で目の前にいる。
 私は声も出ず、その場に立ち尽くしたまま。近付くための一歩が踏み出せない。駆け寄れば、この目の前の出来事が現実と確定してしまう。
 こんな事態になるなんて――。不安はあったけれど、それでも最後は絶対に間に合うと心の奥底で信じていた。だって皆、必死に走って、守ろうとして、助けようとして、戦って……!
 ――私は……! 私は信じたくない! だって、だって……もしものことなんて、私は考えたくなかったんだもの……!
「留姫!」
 ……どうしてっ!
「留姫! しっかりして!」
 私の肩をアリスが揺さぶっている。ようやく気が付いた私は、友達を見つめる。
「アリス……」
「しっかりして! まだ生きているのよ! 苦しそうだわ、助けなきゃ!」
「でも、でも!」
 アリスは真っ青な顔をしている。ショックなのは私と同じ……。
「何が『でも』なのよ! 痛がっているってことは、意識があるのよ! まだ、ウイルスの感染はそれほどじゃないのかもしれないわ。まだ間に合うかもしれないわ! 急がなくちゃ!」
 アリスに引っ張られ、私はよろけながらも小走りになった。
「急がなきゃ、急がなきゃ……!」
「ごめん、私……」
「留姫! 私のことを留姫が助け出してくれたじゃない? だったら今度は私が引っ張っていっても、それはお互い様ってことだわ。ね? そんなことを気にしている場合じゃないわ!」
 アリスはそう言い、真剣な眼差しを私に向ける。
「私達はまだ走れるわ。最後まで頑張りましょう」
「そうね。ごめん……アリス。――サンキュ!」
 私は次第に、全身に力が戻って来る気がした。走りながら、アリスの手をぎゅっと握り返す。
 ロゼモンさんはすでにデジモンの姿に戻り、ファントモンと一緒にマスターを助けようとしていた。
「『伸びろ!』」
 ファントモンはネックレスを首から引き千切るように外すと、軽く振る。一瞬で長くロープのような長さに伸びたそれを、マスターの肩の上に突き刺さる杭に巻きつけようとした。けれど、数メートル差で届かない。
「ダメか!」
 ファントモンはすぐに他の手段に移る。ネックレスを元通りに首に掛けると、今度は左手に黄金色の鎌を出現させる。鎌の柄の下に伸びる鎖を、杭に目がけて
「『伸びろっ!』」
 器用に鎌を回転させ、思いっきり鎖を伸ばす。ジャラジャラと鎖同士が鳴る音が響き渡る。今度こそ、しっかりと杭に絡みついた。左手だけでは、黄金色の鎌は扱いにくいみたい。
「く……ぅ、何だっての、こんなの!」
 苦しそうな声もすぐに、挑むような言葉に変える。躊躇わず、すぐに、
「ロゼモン!」
 と、ロゼモンさんに合図を送った。
「同じようにすればいい?」
 ロゼモンさんはファントモンに訊ねる。
「ああ、しっかりやってよ!」
 ロゼモンさんも、自分の両腕をその杭に向けて伸ばす。指し示すようなその動きに合わせ、両腕に巻き付くバラの蔓が瞬時に延びる。巻き付くものを探すように伸びたそれは、杭に触れたとたんに一気に巻き付く。
 ファントモンは軽く鎖を引っ張る。巻き付き具合を確認すると、
「行くよ! 踏ん張りなっ!」
 全身から、不思議な光を発する。灰色だけれど、ほのかに薄く桜色に近い色が混ざる。
「はいっ!」
 ロゼモンさんの全身もほのかに光る。こちらは鮮やかな真紅の色……!
「せーのっ!」
 ファントモンが掛け声をかける。ロゼモンさんは、
「う……くぅっ!」
 小さく声を上げ、渾身の力を振り絞る。二人はそれぞれ、鎖とバラの蔓を渾身の力を込めて引く。杭がわずかに揺れる。けれど、引き抜くまでには至らない。長いこと踏ん張っていられないみたいで、
「くっそぉ! ちょっとすぐには難しいわ!」
 ファントモンは鎖を緩めた。
 ロゼモンさんは荒い息を吐いて上半身を前に傾ける。膝を両手で掴み、上体を支える。けれど、その目はマスターを見つめる。
「早く助けたいのにっ」
 ロゼモンさんは自分の両手を見つめ、そして、それぞれをギュッと握る。
 ファントモンが溜息をついた。
「アイツがいたらなぁ……!」
「え? アイツ?」
「『銀髪』。アイツだったらあんな杭、引っこ抜くことだって簡単だよっ」
 そう言うファントモンは、――けれども急に、
「あれ? え? ひぇえええ――――!?」
 と裏返ったような声を上げた。
「ちょっと、ロゼモン! あれ、見て! 良く見てよ!」
「え? 杭?」
「あれは杭じゃないよ! あれは、『金髪』の爪だ!」
「ええっ!」
 ロゼモンさんは驚きの声を上げた。
「ちくしょー! あれが爪じゃあ簡単になんか引っこ抜けない! 何だよ、いったいここで、どんなソーゼツなバトル繰り広げたんだ! あーもーっ、どーしたらいーのさっ!」
 ファントモンはクワッと空に向かって吼えた。
「あれが爪? そんな……なんて巨大なの……!」
 ロゼモンさんは泣きそうな顔で、自分達が来た道を見つめる。
「……ごめん、ロゼモン。メタルマメモンが心配でも、アンタをあの場所へ行かせるわけにはいかない」
「ファントモン……」
「メタルマメモンを信じよう。――アタシは信じる。だって本当に強いんだから、さ……」
 ファントモンは呟くように言うと、鬱々とした空気を振り払うように声を荒げる。
「ついてないなぁ、アタシは! たまにイーことしているのにぃ! ついてないなぁぁぁっ!」
 私とアリスより先に来ていたアイちゃんは、不安そうにファントモン達を見守っていた。迷いながらも、ロゼモンさんに呼びかける。
「ウイルスに感染しているならそれを何とかする方法も考えないと……!」
 ロゼモンさんは頷く。
「でも、今、助けなくちゃ! 出血がひどい。死んでしまうわ!」
 アリスが私の腕から手を外す。
「留姫。私、ドーベルモンを呼んでくるわ!」
「アリス」
「ドーベルモンだったら、きっと何とか出来るかも……せめて、こういう場合にどうしたらいいのか、いい案を出せるかもしれない」
 アリスはマスターを見上げてそう言い、周囲を見回した。
「この場所……『地下に出口はありません』って言っていたわよね?」
「よく覚えているわね! 確かにメタルマメモンさん、そんなこと言っていたわ」
 私は頷く。
 アリスは少し考え込んで、
「――そうね、脱出する方法は解ったわ」
 と言った。
「本当? だって、出口はないんでしょう?」
「うん。――あ、でも……ドーベルモンを探しに行くことは出来ないかもしれないわ」
「そうなの?」
「ええ。『出口がない』のが本当なら……」
 アリスはぺろっと自分の右手人差し指を舐めた。その指を自分の体から遠ざけるように腕を伸ばし、目の前に立てる。
「何をしているの?」
「風向き。どこかに風が抜ける場所があるのよ」
 私は首を傾げた。
「それ、どこかに出口があるってこと?」
「出口になるような場所は無いと思うわ。でも風が抜ける場所はあるんじゃないかと思って。こんなに広い場所だとしても、鍾乳洞で、ほら、苔も生えているわ。空気は流れているのよ。こうやって指を濡らして風向きを知れば……」
 私の隣でアリスの話を聞いていたアイちゃんが突然、振り向いた。ずっと遠くの闇を凝視する。
「誰か来ます。二人!」
「「え?」」
 同時に驚き、私とアリスはアイちゃんが指差す方を見た。
 しばらくは何も聞こえない。けれど、アイちゃんを疑うことはしない。アイちゃんの言っていることは正しい気がした。アイちゃんは――なんとなくだけれど、耳が良いような気がする。そして私達もなんとなく、そちらから誰かが来る気がしたから。
 アイちゃんが指差した方角には、暗い入り口がぽっかり空いている。そういう入り口はいくつかあって、そのうちの一つは私達が通ってきた通路。けれどそれとは別の通路から誰かが来るという。
 やがて、指差した方角から引き摺るような靴音が聞こえるようになる。ロゼモンさんとファントモンは、バラの蔓と鎖をそれぞれ外すと私達のいる場所に戻り、身構える。ロゼモンさんの手にはレイピアのように真っ直ぐに鋭いバラの蔓が、ファントモンの手には黄金色の鎌が握られている。
「二人?」
 ロゼモンさんの問いかけに、アイちゃんは頷く。
「話し声がしたような気がしたんです」
 アリスも頷く。
「私も、なんとなく二人いるように感じます。それに、何だか言葉にするのが難しいんです……怖い……」
 ロゼモンさんとファントモンは顔を見合わせ、
「怖い?」
「怖いって?」
 とそれぞれ言った。けれど、徐々にその表情はどちらも――とても緊張したものに変わる。
「変だわ」
「ああ。気をつけな……!」
 私も、なんとなく全身が鳥肌が立つ時に近いような、そんな感覚を感じていた。
 やがて、私達は一人の少女の姿を確認した。
「留姫……アリスも……どうしてここに?」
 私達に呼びかけたその少女は、樹莉だった。



「樹莉!」
「樹莉っ!?」
 私とアリスは樹莉に駆け寄った。
 樹莉は全身泥だらけだった。上の方だけ結っている髪もほどけかけ、疲れきった顔には涙を流した跡も残っている。
 私は両手を広げて樹莉を抱き締めると、すぐに泥だらけになってしまっている樹莉のワンピースの泥を手で落とそうとした。
 その手を樹莉は止める。
「いいの。そんなことより、マスターを助けなくちゃ……」
 樹莉は泣きそうな顔をした。壁に串刺しのままのマスターを見上げる。
「樹莉……」
「私がいたからマスターは敵に攻撃することも出来なくて、あんな姿になったの……! 私がなんとかしなくちゃ……!」
 ふらふらと樹莉は歩き出す。
「待って」
 支えようとしたアリスが手を差し伸べた。その手を、
「触らないで!」
 樹莉は鋭い声とともに払った。
 パシッ。――そんな小さい音が鳴った。小さい音のはずなのに、私にはとても大きい音に聞こえた。
「樹莉……」
 アリスは目を見開く。軽く叩かれた手を引き戻し呆然としている。
「私にしか出来ないの! 邪魔、しないで!」
 樹莉は険しい目をアリスに向ける。
「樹莉! アリスはずっと樹莉を心配していたのよっ」
 私は樹莉に急いでそう言った。
 けれども樹莉はますます鋭く、アリスを睨みつける。
「だったら、もっと早く来てくれれば良かったのよ!」
 悲鳴のようなその言葉に、私もアリスも立ち竦む。
「もっと……もっと早く、助けに来てくれれば良かったのよ! そうすれば、マスターはあんな姿にならなかった! マスターは私を助けようとして……! 大好きなマスターが……! 誰かが助けてくれたら……もしも、マスターだけじゃなかったら……!!」
「樹莉っ……」
「アリスは一階にいたんだもの! アリスがもっと早く、あの時に二階に来てくれたら良かったのよ! そうすれば、私はあんな怖いデジモン達に攫われなかったもの!」
「樹莉、でも、あの時は……!」
「言い訳なんか聞きたくないわ! アリスなんか、大嫌いっ!」
 アリスは唇を震わせた。
「そんなこと言わないで……」
「やめて、樹莉っ!」
 私は悲しくて辛くて堪らなくなった。樹莉はこんなこと言う子じゃない。樹莉はこんなことを私達に言ってしまうほど、辛かったんだ……!
 心が痛い。昔――パパがいなくなった時にママを責めた時を思い出した。両親が離婚した時、それがどういうものか解らなかった小さい私は、何度も何度もママのことを『大嫌い』と責めた……。
「樹…莉……sorry、ちが…う……ごめんなさ…い……」
 アリスは瞳を潤ませ、震える声で話しかける。
「ごめん……な…さい……」
「許さないわ! 私、絶対に許さないから!」
 樹莉はアリスを睨みつけることを止めない。
「許してなんて……そんなこと…言えない……。樹莉の言うことは正しいわ……でも、お願い――私は樹莉のこと大好きよ。友達だから……親友だと思うから、樹莉のために私、力になりたい……」
 アリスの瞳から涙が零れ落ちた。
「友達? 親友? 力になれるの? 出まかせ言わないでよっ」
「樹莉……」
「言ったでしょう! アリスなんか大嫌い! アリスに力を貸して欲しいなんて思わないわよっ」
 樹莉はアリスを睨んだまま、
「私はマスターを助けるわ。私だけの力で助ける。究極体デジモンさえ連れてくれば、マスターを助けることは出来るのよ!」
 樹莉の言葉を聞いて、私は戸惑った。
「究極体? どうして?」
「究極体のデジモンさえ連れてくれば……そうすれば助かるの……!」
 私達の口論をはらはらしながら見守っていたロゼモンさんが、
「究極体? それならいいの?」
 歩み寄る。
「え?」
 突然話しかけられた樹莉は驚いてロゼモンさんを見つめる。
「デジモンには様々な種族、属性があるのよ。それには条件はつかないの? 究極体以外の条件があるなら教えてちょうだい」
 ロゼモンさんは問いかける。なるべく優しく、言葉を選んでくれているみたい。
「貴女は……」
 樹莉が言いかける。
「何度か、『皐月堂』で会ったでしょう?」
「ええ……」
「貴女の名前、確か、加藤さん、だったわよね? 加藤樹莉さん?」
「……はい」
 樹莉は――なぜか敵意を剥き出しにしてロゼモンさんを睨みつける。こんな樹莉は初めて見たので、私もアリスもかなり驚いた。アリスに対してよりも、厳しい表情になる。
「私も覚えています。マスターと楽しそうに話していた……」
 樹莉はそう言った。
 ロゼモンさんはその言葉を聞いて、ほんの少しだけ苦笑いしている。
「そんな顔をしないで。私、貴女の力になれるわ」
「え?」
 樹莉は訝しげな顔をする。
「力に? どういうことですか?」
「究極体のデジモン。――それなら、私がそうよ」
 樹莉は目を見開く。
「究極体? 本当に?」

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