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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編13
 ドキン、ドキン。
 自分の心臓の音がこんなに大きく聞こえる。
 ドクン、ドクン。
 血が自分の体を流れる音さえ、聞こえそう。
 ごくり――と、私は唾を飲んだ。
 ――怖い。怖い、怖い、怖い――――。
 目の前の『金髪』を、私は凝視した。どう見ても人間にしか見えないこのデジモンが、どんどん恐ろしい存在だと解ってくる。あれほど怖いと感じた『灰髪』ファントモンよりも恐ろしい。他のどのデジモンよりも恐ろしく感じた。
 『金髪』は、ゆらりと体を動かした。一瞬、とてつもなく大きなデジモンの姿が幻のように現れて『金髪』の姿に重なる。
「――!?」
 あまりの大きさに、私もアリスも後退りした。なんて、なんて大きいの……! これがこのデジモンの本来の姿!
 ロゼモンさんもアイちゃんも驚いている。けれど、ファントモンと、メタルマメモンはその正体を知っているから驚かない。
 けれど本来の姿が垣間見えたのはその一瞬だけで、元の人間の姿に戻った。『金髪』の姿に重なった大きなデジモンの幻は完全に消えた。
「……人間の姿でいるのも、あとわずか。こんな下等生物の姿でいることがどんなに苦痛か……」
 下等ですって!
 私が何か言おうと口を開く前に、ロゼモンさんが
「そんな……」
 と言いかける。けれど、
「弱者ほど吼えるものですね」
 と、メタルマメモンさんは一言だけ言った。
 その場に緊張が走る。
 『金髪』は口の端を上げ、頬をひくつかせる。
「キサマ……! 下等評価されるとはな……!」
「そうですか? 自分の能力だけで作戦を行えず、能力開発や同種であるデジモン達の実験改造などに頼らざるをえなかった。――正当な評価だと思いませんか?」
 メタルマメモンさんは冷徹に言い放つ。ロゼモンさんに話しかけていた時とは、まるで違うデジモンのように思える。
 ロゼモンさんが、ぎゅっとアイちゃんを抱き締める。そして、その肩に顔を埋める。泣いているように見える。
 ――ロゼモンさんだって、怖く感じるわよ……。
 『金髪』はカツンッと床をその場で蹴る。メタルマメモンさんに、
「そんなことを言っていられるのも今のうちだ」
 と言った。
 そう言われても、メタルマメモンさんは
「言いたいことは言いたい時に言います。誰も俺に指図出来ませんよ」
 と、平然と答える。慌てることも、威嚇することもしない。その冷静さが怖過ぎる!
 ど、どーなっているの!? 『金髪』を怒らせちゃうのは――作戦なの!?
「ロゼモン達を逃がすつもりだろう? 生憎だな、地下にはサーベルレオモンを捕獲している」
 勝ち誇ったように、『金髪』は言った。
「サーベルレオモン?」
「元関東支部、警備対策部 統括本部長」
「『皐月堂』のマスターのことですか?」
「アイツには世話になった。牙に我らの崇拝するあの御方の、基礎データとコアを隠していたとは――知恵者とは恐ろしい」
 メタルマメモンさんの顔から笑みが消える。
 『金髪』は勢いづき、嘲笑う。
「地下に逃がすつもりが、そう出来なくなって残念なことだ! サーベルレオモン――ヤツは適度に痛めつけ、ウイルスを仕込んでやった。血に飢えて狂い出すのも時間の問題。そんなところに、ソイツらを逃がせまい?」
「マスターを!? ひどいっ!」
 アリスが叫ぶ。
 私は唇をかみ締めた。マスターを殺されたら、『金髪』は『バッカスの杯』の犯人の基礎データとコアを取り出して、犯人が復活してしまう? それとも、もうすでに目的の物は取り出したの? ウイルスが活動を始めるまで……もう時間もあまりない。阻止するのは、もう間に合わないのっ?
「……」
 メタルマメモンさんは『金髪』からロゼモンさんへ目を向けた。
「――『地下に出口はありません』――」
 メタルマメモンさんは、なぞなぞのようなその言葉を言ってからすぐに、顔の前に上げていた手を軽く動かして指を鳴らした。
 ヲォォォン……。
 低く共鳴する音が響く。動物の鳴き声なのか、何かが振動する音なのか?
 ファントモンが、ハッと顔を上げて周囲を見回した。
「どういうこと? メタルマメモン!」
 メタルマメモンさんは、指を鳴らしたその手を素早くジャケットの内ポケットに滑り込ませて何かを掴んだ。
「ファントモン」
 呼ばれ、ファントモンはとっさに無事な左手を伸ばした。メタルマメモンさんはそちらに、掴んでいた何かを投げた。光を反射してそれは小さい光を放つ。弧を描くそれを、ファントモンは受け止める。
 鳴り響いていた共鳴する音と共に、突然、
「――――穴だわっ!」
 私達の背後に大きな穴がぽっかりと口を開いた。
 大きくて深い、そして暗い大穴だった!
「何だとぉ、近道を用意しているとは……!」
 『金髪』が駆け寄ろうとするその一瞬を、まるでスローモーションのように、私は見た。
 メタルマメモンさんが、『金髪』の前に一歩出る。
 ロゼモンさんが、メタルマメモンさんへと手を伸ばしかけた。
 メタルマメモンさんが素早く、トンッと床を蹴った。大穴が一瞬で、さらに大きく広がった。
「きゃあああっ!」
 私は声を上げて、とっさにアリスにしがみつく。
 私がしがみついたアリスももちろん、
「きゃああ――――っ!」
 と声を上げるしかない。穴に落ちる。
 ロゼモンさんも、足場が無くなって穴に落ちる。メタルマメモンさんへと伸ばされた手が空を切る。
「やだ、やめて――――!」
 ロゼモンさんは悲痛な叫び声を上げた。傍らに寄り添っていたアイちゃんは、ぎゅっとロゼモンさんにしがみ付いた。
「させるか……!」
 『金髪』の声と共にその周囲から銃撃音が響く。銃弾がこちらに向かう。ただの弾丸じゃない。どこから出現したのか――超小型のミサイルのようなものが無数に、弧を描きならが私達に迫る。
「――防御能力で俺には勝てませんよ?」
 メタルマメモンさんの声が聞こえた。
 大穴の周囲に、突然、透明な膜のような壁が生まれる。それに弾は次々にぶつかり、破壊音が響く。けれど、その透明な壁は一発も弾を通さない。
 次々に起こる閃光と轟音に、体が震えて涙が零れた。
 轟音は鳴り続ける。空気を、びりびりと振動させている。
 無理よ! こんな攻撃を仕掛けてくる敵を相手に、メタルマメモンさんが一人で立ち向かうなんて無理! 無事には済まない――――!
 穴の中を真っ逆さまに落ちながら、ロゼモンさんが狂ったように悲鳴を上げる。
「やめて――――! お願い、やめて――――!」
 デジモンの姿のロゼモンさんは飛べるらしく、そちらに行こうとした。
 ファントモンがそれを
「バカやんじゃないよっ!」
 と怒鳴りつける。
「メタルマメモンを助けるんだろう! 今すぐ、『金髪』よりも先にサーベルレオモンの元に行ってヤツの計画を止めないと、メタルマメモンを助けることさえ間に合わなくなるよっ!」
「いや! メタルマメモンッ!!」
 ロゼモンさんはそれでも、ファントモンの言葉を無視して戻ろうとした。狂ったように恋人の名前を叫ぶ。
「ロゼモンさん!」
 アイちゃんも必死に呼び止める。
「ベルゼブモンが――きっと、メタルマメモンさんを助けてくれます!」
 それでも、ロゼモンさんは止められない。
 ファントモンが、
「チッ!」
 と舌打ちして、首に掛けていたネックレスの残骸――鎖だけになっていたそれに手を伸ばし、勢い良く引く。ブチリと鎖は引き千切れ、それをファントモンはロゼモンさんに投げつける。
「『決して、傷つけるな!』」
 普通の話し声とは違う。その声には周囲に反響するようなくぐもった響きを込めていた。例えるのなら呪文のようで、それと同時に投げつけられた鎖が一瞬で、太く長く音を立てながら伸びていく。
「きゃあ!」
 ロゼモンさんが悲鳴を上げた。ロゼモンさんの腕を捕らえ、一瞬で後ろ手に縛り上げてしまった。
「嫌ァッ! 放してッ!」
 ロゼモンさんはもがくけれど、鎖はびくともしない。
「ロゼモン。アンタはアタシにさっき『お願い』って言ったよね? アタシも今『大人しくしてな』ってお願いしたいよっ! 頼むから、わがままは止めな! 我慢しなよ! 今、ここで戻るのは危険だから――」
 ロゼモンさんは、とたんに――大人しくなった。暴れることも悲鳴のような声を上げることも止める。
 落下し続けるままの皆は、ロゼモンさんを見つめる。
「え? どうしたの? 本当に大人しくなっちゃって……」
 ファントモンが驚きの声を上げる。
 ロゼモンさんは早口で訊ねる。
「今、戻ったら、わがままかしら!? 彼に迷惑もかけちゃうのかしら?」
 必死にそう訊ねる。否定してもらいたいんだと思う。
 けれどファントモンは、
「わがままだし、迷惑だよっ!」
 と怒鳴り声に近い声を上げた。ロゼモンさんはびくりと顔を強張らせ、ファントモンはさらに言った。
「いいかい? もう一度言うから、よっく聞きなよ! メタルマメモンはアンタを逃がした。アタシ達も逃がした。どういうことか解るか? 『金髪』が危険だって言った。それなのにアタシ達を地下へと落とした。――頭、正気だよね!? 解るよね!?」
 ロゼモンさんは顔をさらに歪め、ボロボロと涙を流した。私は、今まで見たどのロゼモンさんよりも綺麗だと思った。
「私達を…信じてくれた。守ってくれた……」
 嗚咽混じりにそう言ったロゼモンさんに近付き、ファントモンは左半身だけの体で抱き締める。
「――解っているね? メタルマメモンが言っていたじゃない? 自分をコントロールして、って。アンタ、強いんだから。メタルマメモンは――きっと、アンタに頼りたい、力を貸して欲しいって思っているよ」
 ロゼモンさんは泣きながら訊ねる。
「本当? 私、彼の力になれる?」
「ロゼモン。アタシ、隠しておかない方がいいと思うから今、はっきり言っておくけれど、『金髪』は強いよ。メタルマメモン一人じゃ、対抗するのは難しいかもしれない。だから、サーベルレオモンのところにまず、行こう!
 いいね? それから、メタルマメモンのところに帰るよ!」
 そう言ったファントモンは、ロゼモンさんにしがみ付いたままのアイちゃんに
「いい? ロゼモンから離れないようにね? アンタ――さっきから何度も思うんだけれど、アタシのこと怖くない?」
 と声をかける。アイちゃんはこくんと頷く。
「少しだけ、です」
 アイちゃんは特に考え込んだりしないで即答した。その言葉の歯切れの良さに、ファントモンは怯む。
「……って、ええっと……そっか。そう思っているんだったら、別にいい……」
 そう言いながらも、何かが心に引っかかっているようで、
「あのさ、アタシ、さっき、とても重要なことに気付いたんだ。アンタに訊こうと思ったんだけれど、――訊く前にそれが何だったか解らなくなっちゃった」
 と、言った。
 アイちゃんは首を傾げる。
「それって、どんなことですか?」
「後で思い出したら訊くよ」
 ファントモンも首を傾げながら、そう言った。
 アリスがファントモンに訊ねる。
「さっきメタルマメモンさんが投げた物って何ですか?」
 ファントモンは、ああ、と頷く。
「後で解るよ。――もうすぐ地下に着くから、後でね」
 そして、ファントモンはロゼモンさんから離れた。
「こっち見ないでよっ」
「見ないでって?」
 この落下している状況で無茶な!
「いいから、あっち向いていてってば!」
 そう言うと、ぼろぼろなのがさらにぼろぼろになっていたローブを左手で剥ぎ取るように脱いだ。
「え――――!」
 私は声を上げた。
 ファントモンの姿は元々が透明だから、そこには何も見えなくなった。脱ぎ捨てられたローブは広がる。予想以上に広がり、落下し続ける私たちの下に滑り込む。
 そのまま、地下に激突しそうになる前に私たちを受け止める。トランポリンの上に落ちたように、私達の体は跳ねた。
 ふわりとローブが床に、ゆっくりと被さるように下りた。
「さっさと下りて」
 ファントモンが焦った声で急がせるので、私達は急ぐ。床に下りるとローブが空中に引き寄せられるように舞うのを唖然として見ていた。
「――見るなってば」
 ファントモンの姿が形作られ、すぐに元のように憮然とした声はそこから響く。空中に浮いているファントモンに、
「見ていないわ。見えないもの」
 ロゼモンさんが言うと、
「見えなくても見るなってば。同性同士でもスッ裸を見られたくないんだってば!」
 とファントモンは言った。
「「「それは無理」」」
 私、アリス、アイちゃんが三人同時に言うと、ファントモンは不機嫌そうに体を揺らす。
 それからファントモンは、思い出したように、
「……もう必要無いね?」
 とロゼモンさんへ、左手を差し出す。ファントモンが身にまとうローブは揺れ、
「『傷つけずに戻れ』」
 ロゼモンさんを縛り上げていた鎖は生き物のようにするするとロゼモンさんから離れた。空中を泳ぐようにファントモンの手に鎖は戻る。大きさも元通りになった鎖を、ファントモンは左手で器用に首に巻く。
「……こっち。ついておいで」
 ファントモンは薄暗いその場所を移動し始めた。
「あの! ありがとう!」
 ロゼモンさんがそう言い、私達もお礼を言った。ファントモンは少し頷いただけだった。
「そういえば……」
 私はファントモンに訊ねた。
「ねえ、そもそも、私に訊きたいことがあったんでしょう? 私に訊きたいことって?」
 ファントモンは頷く。
「あったけれど……いいんだ。解ったから」
「解った? どういう意味?」
 私がファントモンに訊ねると、ファントモンは体を揺らす。
「あのね、アタシは――メタルマメモンのこと、本当の意味で好きっていうのとは、ちょっと違ったなぁって。憧れもあったし、優しくしてもらって嬉しかったし……」
「ファントモン……」
「アタシのこと、好きになってくれるヤツなんてこの先もいないかもね。――好きになるってもっと、想像も出来ない感覚なのかなって思えてきたよ。――ね、ロゼモン?」
 突然呼びかけられて、ロゼモンさんは、きょとんとした。
「え?」
「アンタみたいになるのかな? 好きなヤツが傷つきそうになった時、気が狂ったようになるのかな……」
 ファントモンは俯いた。
「ファントモン?」
 ロゼモンさんが訊ねた。
 ファントモンは俯いたまま、
「私も、自分以上に他の誰かを好きになることはあるのかな……」
 そう、ぽつりと呟いた。
 私はファントモンを見つめた。何か言うべきなのかもしれないけれど、ファントモンが空中を進む速度に合わせて歩きながらも、言葉は見つからない。
「まるで時間が無いような言い方をするんですね……」
 アリスが言った。
「……」
 ファントモンはアリスを見つめる。
「昔観た映画でそういうセリフがあったと思い出して……それだけですけれど。私から質問してもいいですか?」
 アリスの話し方は丁寧だけれど。その雰囲気からは有無を言わせないものを感じる。
「……アタシが答えられることなら」
 ファントモンの返事には警戒が込められていた。
「『銀髪』の、あのデジモンのことです」
 アリスは即座にそう言った。
 ファントモンは、
「アリス……」
 と呟いたけれど、それ以上は何も言わない。
 歩きながらアリスは言葉を選び、話を続けた。
「この『城』、周囲の『海』、私がいたあの塔とガラスビン。――全て、『銀髪』のあのデジモンが造ったんじゃないかと思っているんです。間違っていますか?」
 ファントモンは首を横に振る。
「間違ってないよ」
 アリスはフードの中の、ファントモンの顔――透明で私達からは読み取れないその表情を覗き込むように、訊ねた。
「似ていると思ったんです。私が見たことがある映画のいくつかに登場する風景と……」
「どういうこと?」
 私が口を挟むと、アリスは私に真剣な眼差しを向けた。
「元々あのデジモンも私のように映画が好きで、良く観るのかしら? そうでは無いとすれば、――あの『銀髪』のデジモンは、どうしてそこまで私のことを知っているんでしょう?」
 ファントモンは小さく溜息をつく。
「それ、アタシから答えるのは無理だよ」
 溜息をつかれ、アリスは少し戸惑う。
「どうしてですか?」
「答えるとしたら、アイツは自分で答えたいと思うから」
「自分で? 答えてくれるかしら……」
「アイツは余計なことされるの、嫌いなんだよ。特に私からは余計なことをされたくないみたい」
「ファントモンから?」
 アリスの横から口を挟み、そう訊ねたのは私。
「さっき、留姫がガラスケース壊した時だって、最初はアタシを疑ったじゃない? アイツはいつも、アタシに余計なことされると他のヤツがそうした時以上に怒るのさ」
 そう言うファントモンは、ちょっと機嫌が悪くなった。
 やがて、私達は鍾乳洞のような場所に出た。天井が高いそこは、地下世界のように思える。
 一際広い壁に、金色の巨大な獣が串刺しにされていた――――。

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あきゅろす。
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