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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編5
 キュウビモンはシードラモンを追いかけて空を走り続ける。キュウビモンの体が風になっていくように思えた。その背から振り落とされないように、必死にしがみつく。こんなところで落ちたら最悪の形で足手まといになってしまう。
 ――アリス! ドーベルモンさん! きっと、二人を助けられる……! ここまで追いかけてきたんだもの。きっとまた会えるに決まっている! 絶対に、皆で一緒に帰るんだから……。
 何度もそう心の中で叫ぶように願った。とにかく間に合って欲しいと願った。
 激しい爆発音はまた、数回聞こえた。あの塔の上にいるとしても、塔がもしも崩れたりしたら取り返しのつかないことになるかもしれない。
 シードラモンは真っ直ぐに、空を泳ぐように飛ぶ。とても速い。
 キュウビモンも全速力で走り続ける。彼がこんなに早く空を走れるなんて知らなかった。ずっと私を気遣ってくれていることは解っていたけれど、本気ならこんなに速いなんて……。
 あらためて自分の無力さを思い知る。
 ――仕方ない、私は人間だから。
 けれどそう思っても、もしも私がリリモンさん達のようにデジモンだったらと考えてしまう……。
 ――それが何なの? 今さらじゃない。バカな私……。そんなこと考えている暇があるなら、アリス達を助けることだけを考えなくちゃ……!
 下に広がる森は黒く煙るガスに覆われる。毒に犯されたような不気味な静けさのその森の中へ、突然、シードラモンは飛び込んだ!
「――うそっ!」
 驚いて、思わず私はそう叫んだ。
 ――本当にこの森に入って大丈夫なの? 出来ることなら、こんな暗い森になんか入りたくない!
 けれど、それでも後を追うしかない。キュウビモンは直ぐにその後を追った。
 ――――キャアッ!
 慌てて息を止める。それと同時に、
 ――息を吸ってから止めれば良かったのにぃ……!
 と後悔した。でもすでに遅い。黒く濁った空気に沈む森へ、私達は突入した……!
 体に濁った空気がまとわりつく。重い何かがのしかかるような気がした。急いで目を閉じたけれど、
 ――あれは!?
 閉じる前に一瞬見えたその風景に驚いて、目を開けた。けれど、
「――――ッ!」
 目に直接、ひどくしみる何かが触れた。
 ――痛いっ!
 涙がぼろぼろ零れる。この空気は毒そのものなんだわ!
 そして、それを吐き出しているのは恐ろしいことに、この森そのもの――――!
 さっき一瞬だけ見えた恐ろしい光景は、木の根から、幹から、枝、葉から、次々と黒い水蒸気のようなものが噴出しているというものだった。
 ――元からこんな、恐ろしい死の森だったの? それとも、これはあの犯人グループが作り出した世界に毒されていったからなの……?
 恐ろしくて身が竦む。体が震えれば、私が感じている恐怖がキュウビモンに解ってしまう。心配をかけないようにと必死に堪える。
 やがて、ふとした瞬間に体が軽くなった。今までの重圧から開放され、体が浮き上がるように感じる。
「……!?」
 恐る恐る目を開けると涙でぼやける視界には、どこかの通路のようなものが映った。
「ここは……!」
 走り続けるキュウビモンの背にしがみついたまま、左右を見て、そして後ろを見た。
 ――どこに通じているのかしら?
 いつのまにか、そんなところに出ていた。あの森の中のどこかにこの通路の入り口はあったみたい。ここを通って、シードラモン達はあの塔から出てきたのかもしれない。
 空気は濁っていない。それにはとても安心した。深く呼吸をしようとしたけれど、走る彼の背の上にいるから浅い呼吸しか出来なくて、それを何度か繰り返した。
 どうしてまっすぐに空から行かなかったのかしらと考え、すぐに、何か仕掛けがあったのかもしれないと気付く。塔までの道は見えるのに、その塔に向かおうとすると、たどり着けないように幻を見せるか、もしくはその他の何か……。人間ではなく、デジモンだから、きっとそういうことも可能だと思う。
 ――デジモン同士の戦いでは珍しいことじゃないのかもしれない……。
 キュウビモンは驚くことも戸惑うこともしなかった。その様子が余計に、私にそういう現実を感じさせる。キュウビモンとの距離を感じて不安になる。知らないことばかりが起きて、不安になるのを止められない……。
 通路を抜け、塔の下部のような場所に出た。塔の壁の内側を這う螺旋階段は使わずに、塔の上を目指して一直線に飛んだ。
 ドーンッ。
 また激しい揺れと爆発音が響いた。近くだからとても大きい。塔の内側をグワァンと反響する。
「アリスッ!」
 名前を叫んだ。
 先ほどの爆発により、上から石の壁がはがれて崩れ落ちてくる――!
 ――キャアアアッ!
 心の中で悲鳴を上げた。次々と降り注ぐ大きな石を避けながら、キュウビモンはシードラモンの後に続いた。
 やがてようやく、光が見え、それは一気に大きくなる。外の光だった。
「――出た!」
 私達はその勢いで空中に飛び出した。空には雲が波打ち、薄っすらと明るい。冷たい風が強く吹いている。
 塔の最上階を見下ろしながら、その場所の様子に驚愕する。何度か耳に届いた爆発により、その場所はかなりヒビ割れ、破壊された柱や壁が散乱している。あちこちに土煙が立ち上っている。
 瓦礫ばかりのその場所に、
「ドーベルモンさん――――!」
 血まみれになっているドーベルモンさんを見つけた。デジモンの姿だった。
 ドーベルモンさんは全身にひどい傷を負って倒れている。傍にあるガラスのビンのようなものに、ドーベルモンさんのものらしい血が飛び散っている。それに叩きつけられたみたいだけれど、そのガラスビンは頑丈なようでヒビさえ入っていない。
「ドーベルモンさんっ!」
 と私は叫んだ。そして、
「あれは……!」
 と、ドーベルモンさんからかなり離れた場所にいる誰かに気付き、声を上げた。
 そこにいたのは――アリスじゃない! それはデジモンで、その姿に私もキュウビモンもとても驚いた。
「ファントモン――!」
 なんと、ファントモンだった!
「ファントモン!?」
 シードラモンも驚きの声を上げた。
 信じられない。けれどその姿はたしかにあの、ファントモンだった……!
「うそ! だって、死んだはずなんじゃ……!」
 私はキュウビモンに問いかけた。キュウビモンの全身が強張る。その美しい金色の毛並みがざわりと逆立つ。
「死んだ? ファントモンが? ファントモンが死ぬなんて、それはありえないことだ」
 シードラモンの声が緊張する。
「でも私達の目の前で――金髪の男がいて、『身の程知らず』って言って、大きな雷で攻撃したんです!」
 私はシードラモンへそう答えた。
「金髪――あのデジモンが!?」
 あの時、確かにあの言葉と共にその存在は消えたはず。それを確かに見て、体の震えが止まらないぐらい怖かった。
 ――それなのに、どうしてここにいるの……!? じゃあ、あの時の落雷は? 夢なんかじゃなくて現実の、恐ろしい出来事だったはずなのに……!
「あのデジモンが……まさか……!」
 シードラモンさんの声に怒りが含まれる。
「まさか、って?」
 ――シードラモンさんは、あの金髪の男の正体を知っているの?
 ファントモン――全身に黒い奇妙な模様を浮かび上がらせるその体は、頭と左半身しか残っていない。右半身のある場所には何も無い。ぽっかりと不自然な空間になっている。
 その体でもバランスを崩さずにファントモンは空に浮いている。左手に持つ鎌をドーベルモンさんに向けた。
「その小娘、こっちに渡しなっ!」
 小娘? それって、アリスのこと?
 アリスの姿を探したけれど、この場所に姿は見えなかった。
 ドーベルモンさんが薄く瞼を開く。私達に気付いたみたい。
「……」
 何か呟き、ドーベルモンさんがふらつきながらも立ち上がろうとした。けれども立ち上がることが出来ない。前足はヒビの入った床の上に立ち上がろうと突っ張るけれど、後ろ足はそう出来ずに、がくりと崩れる。反動で前足もバランスを崩し、床にどさりと横倒しになってしまった。
「ドーベルモンさんっ!」
 ドーベルモンさんは苦しそう。けれど全身を大きく震わせると、もう一度立ち上がろうとする。それでも立ち上がれない。また、バランスを崩して倒れた……!
「――キュウビモン! 早く助けなくちゃ……!」
 私はキュウビモンを急かした。キュウビモンが空中を走ろうと数歩移動した。
「来るな……」
 声が聞こえた。
「え……?」
 私は驚き、キュウビモンは歩みを止めた。
 ドーベルモンさんが言った言葉だった。聞き間違いかと思ったけれど、もう一度、
「来るなっ!」
 とドーベルモンさんは声を絞り出すように言った……!
「ドーベルモンさん! どうして! ドーベルモンさん……!」
 私が呼ぶのと、キュウビモンが低く唸り声を上げるのは同時だった。
「こっちに、来るな……!」
 何度も立ち上がろうとしたけれど出来ない。けれどようやく、ドーベルモンさんは立ち上がった。私達はようやく気付く。
「あの模様……!」
 と私は呟いた。
 ドーベルモンさんの左首筋から肩にかけて、文字のような模様が浮かび上がる。ファントモンの全身に浮かび上がっているものと同じみたい。黒に近い色の短い毛並みに、少し薄い色のその奇妙な文字が浮かぶ。徐々に、文字は広がっていくみたい……!
「来る…な……逃げろ……頼む、こっちに……来るな……」
 ドーベルモンさんの声が途切れる。
「来、る……な……!」
 ドーベルモンさんの足元に、光の輪のようなものが広がった。
 ファントモンの笑い声が響く。
「小娘をこっちに渡せば、そのウイルスに支配されることも無かったのにねぇ!」


 ――ウイルス!? まさか、『バッカスの杯』――――!?


 ファントモンは低く笑い声を上げた。
「殺せ、殺せ、仲間も全て殺してしまえ――――っ!」
 そして、大鎌を振り回す。すると突然、
「消えたっ! いったい、どういうこと?」
 ファントモンの姿が突然掻き消えたので驚いた。
「ドーベルモンさん!? ウイルスに感染してしまったの?」
 思わず悲鳴に近い声を上げた私に、ドーベルモンさんが唸り声を発する。
「私達のことも解らなくなってしまうのっ?」
 獣のようなドーベルモンさんの声に、キュウビモンが全身を震わせた。低く唸り声を上げる。
「キュウビモンッ! だめ!」
 私は彼の首にしがみ付き、手のひらで彼の背を叩いた。
「お願い! ドーベルモンさんと戦わないで! そんなことしないでっ!」
 けれどドーベルモンさんの姿が、みるみるうちに光を帯びていく。青白い光がさざなみのようにドーベルモンさんの体を包んだと思うと、その光の表面にふつふつと何かの模様がさらに浮かび上がる。黒い模様は不規則な流線を描いている。
 突然、キュウビモンが低く鳴いたかと思うと体を大きく捻り、
「やめ……あっ、キャアッ!」
 私を振り落とした!
「――ッ!」
 地面に叩きつけられる前に、私を誰かが受け止めてくれた。
「――あ、リリモンさん……!」
「大丈夫ね?」
「大丈夫です……」
 私は答えながらも呆然と、キュウビモンを見上げる。上空に留まったままの彼は、私には見向きもしない。
 ――そんな……どうしてっ?
 彼に、邪魔だと言われたように感じた。振り落とされたショックは大きくて、涙が溢れそうになる。
「泣かないで。彼は私が貴女を助けられると解っていたのよ」
「うそ……」
「ドーベルモンが攻撃してきたら貴女に危険が及ぶでしょう。それを避けるためよ。解ってくれる?」
 小声でリリモンさんは私に囁いた。
「……」
 けれど、それに答えられない。解っていますって、言えない。
「とにかく、こっちに……」
 リリモンさんは私を抱え、急いで大きく数歩飛び退いた。それから踏み切り、ターンッと上空に舞い上がった。
「キュウビモンはドーベルモンと戦うつもりね」
 リリモンさんの言葉に、私は悲鳴を上げる。
「そんなの絶対ダメ! 戦っちゃダメ! 同じ仲間なのに……!」
「そうね。仲間よね……」
「ドーベルモンさんは優しいんです。あんな……ウイルスに負けてしまうなんて……」
 リリモンさんは、
「キュウビモンは……たとえドーベルモンと戦っても勝てないわ」
 と言った。
「え……!」
 私は驚いて言葉に詰まる。どちらが勝つかなんて考えもしなかった。
「勝てないわよ。私でも、もちろん無理。ドーベルモンは特殊な技を身につけているのよ。ロゼモンから聞いたことあるの。私は実際に彼が戦っているところを一度も見たことは無いわ。けれど、たとえ相手がどんなデジモンでも苦戦すると思う」
「技? それってどんなものなんですか?」
 私はリリモンさんに問いかけた。
 「よいしょ」と言いながら、リリモンさんは私を抱え直した。
「戦う相手の攻撃を封じ込めて無力化することが出来るの。攻撃が出来ない上に防御も出来ない状態にしてしまう、恐ろしい技よ」
「無力化? そんな、信じられないっ。キュウビモンは手足も出ないってことじゃないですか!」
 リリモンさんは少しだけ難しそうな顔をする。けれど絶望はしていないみたい。
「でもね、どうにかなると思うわ。キュウビモンだけが戦うんだったら勝ち目は無いかもしれないけれど、ウイルス感染時の対処方法に熟知しているデジモンがこっちにはいるんだから」
 リリモンさんに言われて、
「解った! ベルゼブモンとアンティラモンのことですね?」
 私は彼らのことを思い出した。安心した。
「そうよ。ベルゼブモン達ならきっと……」
 リリモンさんは微笑む。けれど、
「……?」
 と、すぐに何かに気付いた。
 話すのを止めて黙って首を傾げたリリモンさんを見上げ、私は焦って問いかけた。
「え? ちょっと、まさか……!」
「シッ! 静かにして!」
 私は言いかけた言葉を飲み込んだ。
 リリモンさんは耳を澄ませる。
 数秒の後に、リリモンさんは突然、
「下から!?」
 と叫び、同時に大きく飛び上がった。抱えられたまま突然上に引っ張り上げられたような状態になり、苦しくて
「――うぅ!」
 小さく声を上げた。
 石造りの床が突然崩れた。その下から、巨大なデジモンが飛び掛ってきた……!
「キャアッ!」
 私は悲鳴を上げた。先ほど戦った黒い巨鳥の姿のデジモンと同じ。敵の追っ手みたい!
「――そう。来たってわけ!」
 リリモンさんが挑戦的な言葉を放つ。素早く羽ばたき、そのデジモンから遠退こうとする。黒い巨鳥が攻撃を出す前に先制攻撃をしようとしたけれど、間に合わない……!
「早いっ!」
 リリモンさんはそれでも大きく距離を取って避ける。
 突然、リリモンさんの目の前にシードラモンが
「離れてっ」
 と滑り込む。
「アイスアロー!」
 というシードラモンの声とともに、その口から吐く息が冷気を帯びて氷の矢となり放たれる。巨鳥は避けようとしたけれど、右翼の付け根に矢が刺さった。とたんに、
「ギャアッ……」
 全身を瞬時に凍りつかせた。そしてすぐに亀裂が入り氷は砕け、軋む音、砕け散る音と共に散った敵デジモンのデータは光の粉のように舞い、下方へと吸い込まれていく。もしかしたらまた、卵の姿になるのかもしれない……。
「シードラモンッ。どこか安全な場所はない?」
 リリモンさんはトンッと跳び、シードラモンの顔のすぐ傍に舞い降りる。
「安全な場所に――えっと……」
 私の顔を覗き込んだリリモンさんに、
「留姫です。呼び捨てでかまいませんからっ」
 と早口で私は名乗った。
「留姫、ね。――シードラモン、留姫とマコトくん達を下ろして、私達もキュウビモンを援護した方がいいわよね? 完全にウイルスに支配される前ならまだ間に合うわっ!」
「援護っ?」
 シードラモンの背にしがみ付いていたマコトくんが、額に汗だくでリリモンさんに問いかけた。
「そうよ。マコトくん、今ならまだ……」
 リリモンさんは言いかけ、けれどその言葉を
「だめだっ!」
 シードラモンが急いでさえぎる。
「え? ――――ッ!?」
 リリモンさんは振り向きながら、そちらを見て息を飲んだ。
「うそ…、ドーベルモンさん!?」
 ドーベルモンさんはすでに全身に文字を浮かび上がらせている。その真紅の瞳は、何かに支配されているように不気味に、鮮やかな光を放っている。
「ヤバッ! 感染ってこんなに早いのぉ!」
 リリモンさんが目を丸くする。
「シードラモン! ねえねえ、ベルゼブモン達は?」
「俺達の後ろをついてきていたはず。でも、気付いたらいなくて。途中で何かあったのか……?」
 シードラモンが周囲を警戒しながらそう言った。
「キュウビモン……!」
 私はきゅっと唇を引き結び、彼を見つめた。
 キュウビモンは、こちらの様子は気付いていると思う。けれど、こちらを振り向かない。ドーベルモンさんから視線を外すのは、隙を見せてしまうから。
 ドーベルモンさんが、キュウビモンに向かって咆哮を上げる。宣戦布告のように感じた。
「ドーベルモンさん――――!」
 ――始まった……!

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