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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編3
 翌日。
 バイトの時間より三十分ほど早く家を出た。髪の毛もちゃんと結った。
 電車に乗って席に座ると、私は考えた。
 ――駅で会ったらどうしよう。
 もちろんちゃんと、おはようございます、って言おう。うん。
 時々、コンパクトミラーで前髪をチェックしたり。
「……」
 女の子の髪に触ることが多いのって……どういうことなのかな?
 やっぱり……そういう経験があるってことなの……?
「……」
 ……付き合っている『彼女』がいるってことかも。
 彼女付き、かぁ……。それは、ありえるかも。そうだったらどうしよう……。



 電車が駅に着いた。電車から降りた私は、改札口の辺りで必死にレナさんを探した。
 ――いない。
 寂しいような、ホッとしたような……。
 人込みに押されるように改札口を抜けると、そこでトンと肩を叩かれた。振り向くと誰かが立っている。見上げると、
「――!」
 レナさんだった。
「ひゃ、び、びっくりした……」
 レナさんは微笑む。
「そんなに驚かすつもりはなかったんだけれど……。おはよう」
「あ……おはようございます」
 慌てて頭を下げる。
 黒いVネックの半袖Tシャツ、白いジーンズ姿の彼は歩き出した。
 並んで歩きながら、何からどう喋っていいのか解らなくて混乱する。夏の太陽が眩しくて、それに負けないぐらい、レナさんが眩しい……と少女マンガのようなことを考えてしまう。
「今日は早いんだね」
 迷っているうちにレナさんはそう声をかける。
「昨日、遅刻しそうになったので……」
 そう言うと、ふと、レナさんはバツが悪そうな顔をする。
「その……昨日はごめん」
「え?」
「駅で……」
「あ……」
 尻餅ついたこと……。
「べ、べつに……」
 どこも痛くないし、青あざ作ったわけじゃないし。
 レナさんは、
「本当は昨日、謝りたくて……見るつもりじゃなくて……」
 と言った。
 見る? 何を……?
 あの状況で何を見るかと考え、気付いた。
「ひどい……! だいきらいっ!」
 私は自分のスカートを押さえて叫ぶと、彼を置いて走った。



 『皐月堂』の二階に、樹莉がいた。
「おは……どうしたの!」
 私は女子更衣室のドアを乱暴に開けて閉めた。
「留姫! どうしたのよ!」
 樹莉の声に返事をしないで、自分のロッカーからウェイトレスの制服を取り出して着替えた。
 そのうちに、樹莉の
「おはようございます」
 と言う声が聞こえた。
 白いふわふわしたエプロンのリボンを結び、レースの飾りの付いたカチューシャを付けた。
 その時にはもう、かなりいつもの私に戻ってきていた。
 ドアを開けると、樹莉が駆け寄る。
「どうしたの? 何があったの!」
 同時に、急いで着替えてきたレナさんも男子用更衣室から出てきた。
 私はレナさんの前に立ちはだかった。
 レナさんは神妙な顔で私の前に立つ。
「忘れて下さい!」
 そう、私は言った。
「すまなかった」
「もう、いいですからっ」
 レナさんは私に頭を下げると、一階に下りて行った。
 樹莉が遠慮しながら私の顔を覗き込む。
「あの人と何かあったの?」
 言われて、涙がじわっと出そうになった。泣きそうになるのを必死に堪え、
「ひどいの、聞いて……!」
 私が話し始めると、樹莉は聞いてくれた。
「そっか……見られちゃうのは嫌よね……」
 樹莉は頷く。
「もう、最悪ぅ……寝坊したからかなり……あんまりかわいくないのだったのに……」
「……?」
 樹莉は首を傾げる。
「そっか……今日のは?」
 どれどれと樹莉が私のスカートを持ち上げる。
「ちょ、ちょっとやだ!」
「いいじゃない、ちょっと見るぐらい……」
「やめてったら!」
「かわいい下着だったら見られても良かったってことでしょ?」
「そういうわけじゃ……!」
「今日のは……ベビーピンクか。こういうかわいいの、留姫も持っているのね。今日のだったら良かったのにね。リボンとレースで涼しげで、ばっちりかわいいじゃない」
「や、やだっ! やめてったら!」
「後ろも見せてよ」
「いやぁっ!」
 その時、ドアが開いた。
「――あの、何をしているの?」
 遅れて来たアリスは何事かと驚き、瞬きをした。



 昨日よりもちゃんと働いている。昨日失敗したことはしないように気をつけた。グラスも落としたりしなかった。
 あの、姿見に映った自分を思い出す。
 この制服着ているんだから。ちゃんとバイトしているように見えるんだから……。
 ――ああ、でも! 見られちゃったのはショック! しかもちょっとレースが付いているけれど白でシンプルなあれを……。……ううん、どれを見られてもやっぱり嫌! しかも駅で!
 ふと、テーブルを拭く手が止まる。
 そうだ。駅だったんだもの。他にたくさん人がいて……。
 私はレナさんの姿を探した。ちょうど、離れた場所のテーブルに着いたお客様からの注文を聞きながら書き留めているところだった。お客様から受け取ったメニューを揃えて持ち、テーブルを離れようとした彼と――目が合う。
「……」
 けれど、彼はすぐに目を逸らした。カウンターに向かう彼に、今すぐ駆け寄って訊きたくなる。
 ――だから、すぐに起こしてくれたの?
 でも……バイト中だからそれは出来ない……。



 バイトが終わって二階に上がると、タイムカードを押して急いで着替えた。
 けれど、私が着替え終わった時にはレナさんはすでに着替え終わっていて、もういなかった。
 ぎゅっと両手を握った。
 下着を見られたのは恥ずかしいけれど、……じゃあ、今日の下着見られていたら違ったのかな? それに……駅ですぐに起こしてくれたのは、私のこと気遣ってくれたの?
 ――わかんな〜いっ! いっそ、私の下着なんか見て見ぬふりでもしてくれれば良かったのに! どうして律儀に謝るのかしら、もう!
 樹莉が二階に上がってきた。
「あら? なんだ……」
「――何よ?」
「ううん、てっきり……仲直りしているのかなと思って。覗き見しちゃおうかな!っと思ったのに」
「あのね、樹莉! 私はこんなに怒っているのよ! 仲直りするわけがないわっ」
「でも……留姫はあの人のこと、好きなんでしょう?」
 急に言われて、私は慌てた。
「ち、違う! そういうのじゃないもの」
「シフトが同じ時間の時が多いから、仲良くなっちゃったら?」
「本当に違うったら!」
 私は樹莉を押し退けて部屋を出た。
 『皐月堂』を出てすぐにレナさんを見つけた。『皐月堂』から少し離れた場所に立っている。
 ――どうしてそんなところにいるのよ!
 腹が立ってきて、私はずんずんとレナさんに向かって行った。
「何ですか! 言いたいことがあるんなら、はっきり言って下さい!」
 レナさんは神妙な顔で言った。
「明日、バイト休むから……もう一度、謝っておこうと思って……」
 そして、
「本当にごめん」
 と頭を下げた。
 休み……。そうだ。休みってものがあるんだ。
「それだけ言いたくて……」
 言いたいことをさっさと言って、レナさんは私の前から立ち去ろうとする。
 いやだ。
「待って!」
 いやだ、そんなの、いやだ。『皐月堂』に来ても明日は会えないなんて、いや!
 どう言っていいのか解らない。レナさんだって、用事があるからバイトに来ないんだもの、きっと……。
 呼び止めたものの何も言えない私の前に、レナさんの手が差し出された。
「駅まで行こう」
 私はその手を取った。
 レナさんが歩き始めた。
 私も歩調を合わせて、黙って手をつないで歩く。
 でも――すごく嬉しくて。大きな手だな〜とか思ったり。
「……本当に気にしないで」
 私は言った。
「ごめん」
 レナさんは、もう何度目かの「ごめん」を言う。
 仲直りが出来て、私はホッとした。
 ――きっとレナさんは生真面目で、女の子に優しいんだ。
「それじゃ。お疲れ様」
「お疲れ様でした」
 駅で別れて一人で電車に揺られていても、明日のことを考えていてもちっとも寂しくなくなっていた。
 ――明後日にはまた会えるんだから。
 そう思えてきたら、明後日が待ち遠しくて、とても楽しみになってきた。


   ◇


 翌日、私はバイトの朝当番でかなり早めに家を出た。
 『皐月堂』の店内の掃除を手伝って、グラスやスプーンなどの食器類を磨くのを手伝った。
 もちろん開店時間が来たら、ウェイトレスとしてちゃんと仕事もした。
 朝当番だったのでお昼過ぎには仕事が終わり、着替えてお店を出た。
 昼間の太陽は眩しくて、照りつけるそれをうんざりしながら見上げた。
 ――これから家に帰って、夏休みの宿題しようかな……。
 駅に向かって歩くうちに、どうしても喉が渇いてしまう。
 商店街の途中にあるファーストフードショップの自動ドアを、くぐってしまった。美味しそうなシェイクの垂れ幕が私を誘惑したから。
 チョコレート味のシェイクを買い、それを持って二階の禁煙席に上がる。空いている席を探そうと店内を見回して、びっくりして傍にある大きな観葉植物の影に隠れた。
 レナさんがいた……! し、しかも……女の人と一緒!?
 その女の人と楽しそうにしゃべっている。いったい、どういうこと? それにその人、誰なの?
 私が必死にそちらをうかがっていると、ゴミ箱の掃除にきた店員さんが不審そうな目を私に向ける。 仕方なく、こそこそと空いている席に座った。
 気付かれないようにこっそりそちらを見ていると、なんだか楽しそう……。
 何を話しているのかな? 紙見たり、本開いたり……。
 ――やだぁ! あの女の人、そんなに身を乗り出すな! 離れて! やだやだ! 笑いあって、ムカツク――!
 あんなに飲みたかったシェイクが、それほど美味しく感じられない。
 ……何しているんだろ……私……。
 コトン、と、紙コップをテーブルの上に置いた。
 ――あの人が彼女なのかな……。大人っぽい人……っていうか、大人だぁ……。あの人の髪とか、触っていたりするのかな……。
 そのうち、女の人の方が先に席を立って店を出て行った。
 レナさんはそれを見送る。
 私も女の人を見る。
 スタイルのいい人だな……。セミロングの巻き髪、艶々で綺麗……。ヒールの高いサンダル、かっこいい……。
 ふと、視線を感じた。――レナさんがこちらを見ている!
「――!」
 びっくりして、隠れられるわけがないのに隠れる場所を探した。
 ……ど、ど、ど〜しようっ! きゃーっ!
 レナさんが手招きしている。そっちに行くのなんか……出来ないっ。
 すると、レナさんが立ち上がる。
 ――こ、こっちに来るの? ちょっと待って!
 座っていて!と両手を広げて合図をして、私はほとんど飲んでいないシェイクを持ってそちらに移動した。
 レナさんがいるテーブルの横に立つ。
「お疲れ様。今、バイト終わったところ?」
「あ…はい……」
「そう。こっちは論文書いたりしていた」
「論文?」
「大学の」
 そこで初めて、私はレナさんが大学四年生だと知った。
「就職先決まっているから、気楽にバイトしている」
「そ、そう……」
 どういう仕事、卒業したらするの? 訊きたいけれど……そういうことって聞いたら迷惑じゃないかしら……。
「さっきの人……同じ大学の人ですか?」
「ああ」
「もしかして、論文のことで?」
「そうだよ。声をかけてくれても良かったのに」
「邪魔したくないし……」
「それぐらいで邪魔になんかならない」
 レナさんが、前の席を勧める。
「座る?」
 そこは……さっきあの女の人が座っていたところ……。
 迷っていると、レナさんが
「そうか……」
 と、窓側に席を詰めて座り直す。
「こっちの方が、風がきて涼しいから?」
 軽くポンポンと、空いた場所を叩く。
 ――ひぇ! 隣ですか!
 逃げ出しそうになるのをグッと堪えた。
 ――逃げたらダメ! チャンスなんだから!
「失礼します……」
 恐る恐る、隣に座る。足が震える……うわん、どうしよう!
「留姫は高一だったよね?」
「はい……」
 学校の名前を言ったら、レナさんが目を丸くした。
「そう……」
 たいてい、誰でも驚く。うちの学校、お嬢様学校って言われて有名だから。
「でも、別に……」
 学校の卒業生の子供や親戚であれば優先的に入学出来る制度になっている。私は、おばあちゃんとママが卒業生だから、幼稚園から通っている。
 ちなみにアリスは、親戚のお姉さんが卒業生。そして樹莉は、家から通える範囲の学校の中で調理部のある学校を選んだだけだった。うちの学校の調理部はかなりレベルが高く、OGの中には有名な料理研究家やシェフがいる。
「留姫みたいに元気がいいんだ、あの学校に通う子って」
 ――なにぃ!?
「失礼な言い方するんですね!」
「誉めたつもりなんだけれど。――そうだね、ごめん」
 レナさんは謝る。
「バイト、大変なんじゃない? 大丈夫?」
「大丈夫です。もうグラスは割りません」
 たわいもない会話をしばらくしてから、私達は店を出た。
「駅まで送ろうか?」
 言われて、首を傾げた。
「これから用事あるんですか?」
「家に帰るけれど? ――ああ、その、前にスーパーに寄って野菜買わないと……」
「そうじゃなくて、……電車で帰るんじゃなくて?」
「うち? うちはあっち」
 その、あっち、と指差された方は、駅に向かう道とは外れている。
「ええ? でも、駅で電車乗って帰っていたじゃないですか?」
「ああ、あの後のバイト先が……」
「バイト掛け持ちしているんですか!」
「うん。レストランのホール係。そっちは夏休み終わったら辞めるけれど」
 『皐月堂』だけでもけっこう忙しいのに……!
 ふと、気付いた。
 自分の家が近くにあるのに、さっきの女の人は家には上げていないってこと? だったら付き合っているわけじゃないってこと?
「やったー!」
 ぽろっと、その言葉が口から出た。
「? どうしたの?」
「え? 別に、何でもないですっ」
 私はにっこり笑って言ってみた。
「レナさんの家って、どんなところなんですか?」
「たいしたところじゃないよ。普通のマンションの一室」
「ふ〜ん……見てみたい……」
 レナさんの顔色がちょっと曇る。
「留姫は誰にでもそういう言い方をするの?」
「?」
「あまりそういう言い方は良くないと思う」
 え? 私、何か言ったらいけないこと、言った?
「あの……ごめんなさい」
「べつに……」
 そのまま、レナさんは私を駅まで送ってくれた。会話があまり盛り上がらなかった。
 なんだか気まずいまま、私はレナさんと別れた。
 どうしてレナさんが不機嫌になったのか解らない。何度も考えてみたけれど解らなかった。

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