[携帯モード] [URL送信]

カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
変わる日々 Side:BEELZEBUMON
 月曜日。
 大学の、第六校舎の廊下でばったりとアンティラモンに出会った。
「あ……」
 アンティラモンが逃げようとするのを
「おい!」
 と呼び止めた。
「何で逃げるんだよ?」
「え……いや……」
 アンティラモンは困ったような顔をして、けれど笑いを堪えるのに必死になっていく。
「……気分悪いな、おい」
「すまない」
「そんなに面白いか?」
「意外過ぎるから」
 ――コイツ。ピンクのミュールだけでどこまで勝手に想像してやがるんだ?
「あー。そうかもなー」
 やる気なさそうなオレの返事に、アンティラモンが不思議そうな顔をする。
「何かあったのか?」
「オマエが元凶だ」
「我が?」
「オマエがうちに来なかったら、たぶん、あんなことにはならなかった」
「え? え?」
 アンティラモンが不安そうに問いかける。
「ケンカでもしたのか?」
「――その逆だ」
「?」
 オレは持っていた茶色の小さい紙袋を見せた。
 ファーストフードショップのその紙袋を、アンティラモンはさらに首を傾げる。
「これがどうかしたの?」
「問題は中身だ」
「え?」
「――まあ、色々とオレにも事情があってな。今日は食堂には行かねぇから。外で昼食うから」
「外で? それなら我も……」
「一人で食うから。じゃあな」
 オレはアンティラモンと別れ、校舎の外に出た。
 大学敷地内を歩き、誰もいなさそうな場所を探す。だが、これだけ広い敷地内でもなかなかそういう場所はない。
 歩き回って結局、テニスコートを見下ろす土手の上に腰を下ろした。草地にあぐらをかく。薄い曇り空を見上げた。春になったばかりで少し肌寒い。
「――面倒臭ぇっての……」
 文句も言いたくなる。紙袋から取り出した、弁当包みを眺めた。頭を抱えたくなる。
 ――嫌がらせに近いぞ。
 それは、爽やかなブルーの……ウサギ柄……。世界的に有名な絵本作家の描く、超有名な白いウサギ……。
 ――どうしてだよ! アイツ、ウサギが好きなのか? 
 弁当くれるっていうから、今朝、アイが学校に行く前に待ち合わせしたものの、こんなものを渡された。
 オレがあからさまに嫌そうな顔をしたら、アイは腹を立てると思った。が、そうせずに半泣きになってオレを見上げたのだ。
 ――あんな顔されたら断れねぇ……。
 とにかく誰かに見られたらまずいと思って、ファーストフードでコーヒーをテイクアウトして、それが入っていた紙袋に弁当包みを入れて持ち歩いていた。
 ――そもそも、アンティラモンがうちに来たから! でなけりゃ、あんなことにはならなかったんだぞ!
 アイのことは嫌いじゃない。弁当も嫌じゃない。アイが傍にいるのは嫌じゃないと思うんだが、オレとアイの間にある距離が一気に縮まり、崩れて、それについていくことが出来ない。アイからのメールを見るたびに、返事を返すのを躊躇う。苛立つわけじゃなく、腹が立つわけじゃなく、ただ、どうしようもなくビミョーな気分になる。
「腹、減った」
 自分の腹が鳴ったので、さっさと弁当の包みを解いた。中身は普通の弁当だった。アルミホイルで包まれた大きなおにぎりが三個。おかずの入った弁当箱が一つ。弁当箱の方は普通の、半透明の容器だった。
「弁当包む布は普通に出来なかったのかよ?」
 ちょっと疑問を感じる。本当は嫌がらせなのか?
 ――だったら、あんな顔しねぇよな?
 弁当は美味かった。普通に――いや、普通以上に美味い。アイは料理が上手い。食べている時に「美味い!」しか頭に浮かばない料理作れるのは、たいした才能だと思う。
 さっさと食べ終わって、紙袋の中に弁当箱などを戻した。「弁当うまかった〜」とそればかり考え、しばらくぼーっと過ごした。



 校舎に戻るとテリアモンが待ち伏せしていた。――デジモンの姿で。
「おい。規則違反だろ」
 オレがそう言うと、テリアモンは
「本当はラピッドモンの姿でいたい気分だよっ!」
 と、オレを睨む。
「――なんだ?」
「『なんだ?』じゃないよぉ! アンティラモンとちゃんと仲直りしなよ〜!」
「仲直り?」
「とぼけないでよ!」
「は? オレが? ケンカしたっけ?」
「『は?』って?」
 テリアモンは顔をしかめる。
「でもアンティラモンは落ち込んでいるんだよ!」
「なんで?」
「え? ……だからぁ!」
 廊下のあちこちから、厳しい視線を感じる。どうやら、オレとアンティラモンがケンカをしたことになっているらしい。
 ――めーんどくせぇ……。
 オレはガシガシと頭を掻いて、
「ケンカしたつもりねぇんだが、謝っておきゃいいのかよ?」
 と言った。
「本当に心当たりはないの?」
 テリアモンは納得出来ないという顔をしているが、つむじ風とともに、人間の姿になった。
 教室に行き、アンティラモンを探すと、レナモンといた。
「あの、ベルゼブモン!」
 オレに気付いてすぐに、アンティラモンが急ぎ足でこちらに来る。
「さっきは本当に……」
「あのさ、」
 オレはさっさと誤解の決着をつけようと、話を遮った。
「べつに、ケンカしたつもりはねぇぞ? なんでそうなるんだよ?」
「外で昼食食べるって……」
「一人で食べたら悪いかよ?」
 遅れて近付いて来たレナモンが、首を傾げる。
「――で。明日は?」
「明日?」
「それ」
 オレの持っている紙袋を指差す。
「――え、あの、これは……」
「これから毎日?」
 ――まさか、弁当だってばれたのか?
 焦っていると、アンティラモンがレナモンに訊ねた。
「毎日って?」
「その店、女性アーティストのコンサートチケットが当るキャンペーンをやっている」
 レナモンが頷き、その女性アーティストの名前を言うと、アンティラモンが「な〜んだ!」と笑う。
「もしかして恥ずかしかったの? 我もあのアーティストは好きだけれど?」
 ――ハズレだ、オマエら……。
 ごまかすことが出来るのなら、そんな些細なことなどどうでもいい。この紙袋の中のあの布さえ見られなければ、それでいい!
「……そういうわけだ」
 と、オレは適当に頷いて退散しようとした。
 が、横で聞いていたテリアモンが
「でもぉ……」
 と呟いた。
「昨日でキャンペーン終わっているけれど?」
 ――なにぃ!?
 オレはぎくりと歩みを止めた。背後に視線を向けると、テリアモンの目が輝いている。
「それの中身、何が入っているの?」
 その言葉に、レナモンとアンティラモンが「「そういえば……」」と気付いてしまった。
「――ファーストフードの匂いがしない」
 と、レナモン。
「おにぎりと焼き鮭、いんげんの胡麻和えの匂いがする……」
 とアンティラモンが呟き、そこでようやく何が入っていたかに気付いたようで、
「え……差し入れ?」
 なんて呟きやがった!
「「差し入れぇぇぇ!?」」
 レナモンとテリアモンまで、これに何が入っていたのか気付いたらしい。
 ――おいこら! 内緒にするんじゃなかったのかよ!
 ひどく慌てているアンティラモンを軽く睨むと、オレは他のヤツらにも言った。
「べつに、なんでもねぇって! ガタガタ言うとぶん殴るぞ、オマエら!」
 さっさと荷物を置いていた机に向かい、どっかり腰を下ろした。どよめく周囲にガンを飛ばし、オレは苛立つ心を精一杯、押さえ込む。



 その日の予定を終えた頃、ロゼモンに声をかけられた。急いで駆け下りていた廊下で、オレは踊り場から上の階を見上げた。
「ちょっと時間ある?」
「ねぇよ」
 オレは即座にそう返事をした。
 今日は忙しい。自転車屋のバイトがある。その前に『夜勤』の給料が銀行口座に入っているか確認して、金を下ろさなければ。大学敷地内にもATMがあって昼前にも何度か確認したが、まだ入っていなかったからだ。その場から去ろうとしたが、
「新聞部から『情報提供を!』、ってしつこくって――」
「何?」
 言われた言葉に背筋が凍る。新聞部とは名ばかりで、ゴシップ記事ばかり書く集団だ。
 ――晒し者はごめんだ。
「私の方で、適当にごまかしてあげてもいいわよ?」
 ロゼモンがそんなことを言ったので、オレは胡散臭そうな視線を向けた。
「……何が条件だよ?」
「私に本当のことを教えてくれたら、でいいわ」
「相変わらずだな。オメェにだけは知られたくねぇなぁ」
「いくつかの質問に答えてくれたら、でいいわよ。――彼女出来たって本当?」
「一個目の質問から、それかよ?」
「いいじゃない。そんな顔しなくても」
「――あのさ、一個で充分だろ?」
「う〜ん……そうねぇ……でも……」
「――マジで時間ねぇから」
 オレはひらひらと手を振った。
「じゃあ、明日は?」
「ああ」
 適当に頷いて、また階段を下り始めた。
 ――暇なヤツらが多いなぁ……。
 とりあえず自転車屋のバイトが先だ。
 行く途中で銀行口座の残高を確認した。『夜勤』のバイト料は無事に入っていた。一気に機嫌を良くしたオレは、心に余裕が生まれた。
 ――アイに弁当の礼、何か……。やっぱ、ケーキとか好きなんじゃねぇかな……。
 何か食いたいものを買ってやろうと思ったが、バイトが終わる時間になってもアイは顔を見せない。学校の帰りに寄るのかと思っていたのに。
 弁当箱と弁当包みを返さなければならないので、ケーキでも買ってから、それと一緒に返しに行こうと思った。
 オレが知っている店の中で一番美味いケーキの店は、ここからかなり離れている。ブラストモードで飛べば速い。電車や地下鉄を使うと回り道だが、それらを無視しての直線距離ならそう遠くはない。
 ――問題は、この時間にケーキが残っているか、だな……。
 夜道を歩きながら、携帯電話で店に電話をかけてみた。
 しばらく聞いていない、懐かしい声が電話に出た。
「――よお。久しぶりだな。オッサン」
 携帯電話越しに、苦笑と小言が聞こえてくる。
「ああ――いちいち言われなくても解ってるよ。それよりオッサン、ケーキ残っているか? ああ、あるなら――」
 ちょっと考える。
 ――確かアイの家は……弟がいるって聞いてはいたけれど、弟って一人か? 他に兄弟はいるのか? 何人家族なんだ?
「いくつか欲しいんだが、何個かちょっと解らねぇんだ。とりあえず四個以上……ああ、そっちに今から買いに行くから」
 通話を切ると、少し急ぎたい気分になってきたので小走りになる。
 ――あの店のケーキ、美味いからなぁ。アイ、驚くだろうなぁ……。
 人のほとんどいない道を歩きながらデジモンの姿に戻り、ブラストモードになって暗い夜空に一気に浮上する。そのまま店を目指した。



 店の近くに下りて、人間の姿になった。
 古い洋館のようなそのカフェは、昔からの知り合いが経営している。まだ明かりがついていた。
 木で出来た、古めかしいドアを開けた。
「――よお」
 営業時間は過ぎているが、ケーキ作りなどの仕込みのためにその『オッサン』はいた。
「久しぶりだな」
「そうだな、オッサン」
「――その言い方はやめろ」
 年齢を気にしているわけではない。その呼び方が、オレのバイト先で言われていたものだからだ。
 人間の姿をしているが、『オッサン』もデジモンだ。あの頃は『警備対策部 統括本部長』なんて肩書きを持っていた。だが事情がいろいろあって、今はこんなカフェのマスターをしている。
「ケーキ、何が残ってる?」
 五個、残っていた。レアチーズ、チョコレートのケーキ、モンブラン、チェリータルト、フルーツケーキ。
「全部バラバラか。うん、それでいいから、全部」
「プレゼント用か?」
 まあな、と言いかけ、オレは顔をしかめた。
「追跡調査が始まっているぞ」
 オッサンは笑いを堪えながら、ケーキを箱に詰める。
「なんだって! なんでこんなところまで」
 ふと、明るい笑い声が起きた。ギョッとしてそちらを見ると、なんとロゼモンがいた――!
「どうしてここにいるんだ!?」
 ロゼモンはクリームリゾットを食べている。
「夕食」
「まかないか? ここでバイトしていたっけ?」
「無理! あんなかわいい制服着れないもの」
「あー、そうだな〜」
 ここのウェイトレスの制服がどんなものかは知っている。あれがロゼモンに似合うわけがない。キャバクラか、どっかの学園祭のノリになること、間違いない。
「笑わないで! 表に出る!?」
「いいぜ」
 オッサンが大きな溜息をついた。
「究極体同士で張り合ってどうするつもりだ。こんな場所で被害を出さないでくれ」
 すると、ロゼモンはころっと態度を変えた。
「は〜い! ここのカフェ飯食べられなくなったら私生きていけないわっ」
 あまりの豹変に、オレはぽかんと口を開けた。
「大げさだな」
「これ、美味しいもの!」
 確かに美味そうだ。
「オッサン。なんか残ってる?」
「ああ、あるぞ」
「よし! 夕飯ゲット」
 オレはロゼモンの向かい側に座る。
「――で、彼女にあのケーキをあげるの?」
「うるせぇなぁ……」
「――実家暮らし? それとも、ただのケーキ好き?」
「……」
「嫌いな食べ物も好みも何も知らない。とりあえずケーキを買おうと思った――かしら? 一番美味しいここのケーキを買いに来るなんて、ね」
「美味いもの買って、何か悪いかよ?」
 そう言いながら、オレはふと、思う。
 ――アイの嫌いな食べ物とか、何も知らねぇ……。まさかケーキ嫌いじゃないだろうし……。
 ドーナツを買うぐらいだから、と単純に考えていた。
「……」
 ふと、重要なことに気付いた。
 ――あのドーナツの代金って? アイの小遣いから出したのか?
 よく考えてみれば。アイぐらいの年齢で十個入りのドーナツがいくら半額だって言っても、それをぽんとオレに買ってよこす……のか?
 ――まさか、ドーナツは好きじゃない? まさか? ドーナツはアイの好きなものの一つで、たまたま半額セールでオレにも買ってよこそうと……そう思っていたが、違うのか?
「……」
 そもそも、アイがオレにドーナツをなんでよこす? オレはべつに、アイにドーナツが好きだと言ったことはない。ただ、オレに連絡を取るための口実だったのかもしれない……。
 ――アイツ、マジで何を考えているんだ?
 アイのことが、さっぱり解らなくなってきた……。
「…………ちょっと、アンタ!」
「ん?」
「いい加減にしなさいよ」
「何が?」
 はあ、と、ロゼモンが溜息をついた。クリームリゾットをいつのまにか食べ終えている。
「あのぉ。――辛気臭い顔しないで欲しいんだけれどぉ」
「……ああ、わりぃ」
「さっき言ったの、ビンゴだったの?」
「……」
「珍しいわね。アンタがそんな顔しているなんて」
「そんな顔?」
「彼女が出来たんじゃないのね」
「――尋問かよ?」
「ううん、べつにそんなつもりないけれど。――ケーキを嫌いな女の子って、いないと思うわよ」
 ――そう、それが気になっていた。まさかさっき買ったケーキをアイが嫌がったら、と……。
「……そうか? やっぱ、女ってケーキ好きか?」
「生クリームがダメ、とか、イチゴがダメ、とか、そういう場合もあるけれど。違う種類のケーキが五個あるのなら、どれか一つは食べられるんじゃないかしら? その子、アレルギーは?」
「アレルギー?」
「ほら、ソバアレルギーってあるでしょ。ソバ以外にも食品でアレルギー反応してしまう人もいるのよ。皮膚や呼吸器官に異常出たりするの。卵、乳製品、小麦、大豆……ケーキの材料だけれど、そういう理由で食べることが出来ない人も増えてきているみたい。果物ならメロン、リンゴ、イチゴ、マンゴーなどがダメって人もいるわよ。野菜でも起きるって」
「それって、何も食えないじゃねぇかよっ!」
「そうでもないみたい。他の食品を代用してケーキを作る場合もあるわよ。低アレルギーの食品なら大丈夫だっていう場合もあるし。小麦がだめなら米粉などを材料に選べば問題ないみたいだもの。でも重度のアレルギーだと、調理する場所から徹底してアレルゲンを取り除くみたい」
「アレルギーは無さそうだったなぁ……」
 話をしているうちにクリームリゾットが届く。
 オッサンはロゼモンが食べ終わった皿を片付け、フルーツパフェを置く。
「よく食うなぁ………」
「別腹よ」
「――美味そうだな」
「アンタって、パフェ食べるっけ?」
「悪ぃかよ? まあ、たまに食べるぐらいだがな」
「ふ〜ん……」
 クリームリゾットを食べ、チョコレートパフェまで食べた。
 代金を払おうとしたら、オッサンから
「ケーキ代だけでいい」
 と言われた。
「『夜勤』も始めたそうだな。――何があった?」
 最後の方は、声を落として言われた。
「何もねぇよ」
 オレは首を傾げた。
「……っていうか、『何』が? 金がねぇだけだよ。アンティラモンが交渉してくれたおかげでバイト料は翌日払いなんだ」
「そうか」
 オッサンは安堵したようだった。
 ――心配症だな。それとも『何』か心当たりでもあるのかよ?
 オレがバイトを始めたきっかけが、実はこのオッサンから声をかけられたことだった。最初はまさか、んな肩書き持っている奴だとは思わなかった。
 オッサンについては、知られていないことの方が多い。想像を絶するほどの闇ルートの知り合いが何人もいる、だとかいう噂も聞く。――噂、だが。
 オッサンがあの仕事を辞めた時のことは、今でも鮮明に覚えている。突然、いなくなった。デカい事件があって、それが一段落した頃で……。
「……」
 オレはオッサンに訊ねた。
「――オッサン」
「なんだ?」
 オレは――アイのことを考えながら、訊いた。
「あのさ。『バッカスの杯』に感染したデジモンがまた症状が出る可能性って、あるか?」
 オッサンも、席にまだ座っていて、メールチェックをしていたロゼモンも。
「何?」
「何ですって?」
 オレの一言に息を飲んだ。
「――べつに、そういう兆候があったわけじゃねぇんだが」
「『バッカスの杯』に感染したことがあるデジモンって、定期検診受けるのよね? それ受けているんでしょ?」
 ロゼモンはそう言いながら席から立ち上がる。
「ああ。半年に一度。バイトの更新で必須条件だから」
「そう。それなら大丈夫じゃない?」
 ロゼモンは大きく息を吐いた。


 数年前。オレは、あの狂気のウイルスに感染した。
 他のヤツらより長く『バイト』を続けていたオレは、面倒臭ぇと思いながらも後輩の指導なんぞをしていた。おごっていた。自分は誰よりも強い、と。
 今でも思い出せば気分が悪くなるし、夢にうなされることもある。
 多量の血で染まった場所に一人立ち尽くした。
 血みどろの両手。どろりと霞むような視界。気だるい感情――渦巻く殺意。
 目を凝らしても先が見えない、どす黒い赤で染まる空気の中で、天に向かって叫んだ。
 ――あの時に、オレは…………。


「気になるようなら、検査を受ければいい」
 オッサンがそう言った。
「……検査……か。そうだな、それ、受けりゃいいか……」
 急に現実に引き戻されたオレは、訊ねた。
「全部検査するのって、どれぐらい金がかかる?」
「全部……か」
「やるんなら徹底的に」
「そんなに気になるのか?」
「――なんとなく」
「『徹底的』なのに、『なんとなく』なのか?」
 オッサンは苦笑する。
「二、三日はかかるぞ。費用は実費が数千円で、あとは補助金が出る」
「そっか……。大学の出席に影響が出るなぁ……」
「ゴールデンウィークなら?」
 ロゼモンに言われて、それもそうだな、と思った。
 店を出て、デジモンの姿に戻った。ブラストモードに変わると、空に舞い上がろうとした。
「ベルゼブモン」
 一緒に店を出たロゼモンに声をかけられた。
「アンタもしかして――その女の子のこと本気で好きなの? だから検査なんか受ける気に? 面倒臭がりのアンタが……」
「さあな」
 ――オレにも良く解んねぇけれど。
 オレはケーキの箱を見詰めた。
「もしも、オレがまたあの時のようなことになったら困る。――それだけだ、きっと」
 オレは空に舞い上がった。アイの家の近くを目指し加速しようとして――ケーキの箱のことを考えて、スピードを出すことは控えた。
 公園近くに降り携帯電話でメールを送ると、すぐにアイから電話がかかってきた。
「――弁当包み、返したいんだが」
「うん……」
 アイの声が、なんとなく元気が無さそうだ。気になるが、とりあえず公園で待ち合わせをした。
 待っていると、アイがやってきた。マジでいつものような元気は無くて、小走りに来るものの表情が曇っている。何かあったのかと不安になりつつも、
「これ」
「え?」
 弁当包みとケーキの箱をアイに渡そうとしたら、驚かれた。
「『夜勤』のバイト料、入ったから」
「そうなの?」
「弁当、美味かったぞ」
「良かった〜!」
 アイは急に元気になった。
 ――なんだ? そんなにあの弁当、自信無かったのか?
「でも……これ、お菓子でしょ?」
「ああ。弁当の礼だ」
「……でも……」
「なんだ? 五個入っているから、足りなくねぇだろ? 大家族じゃねぇよな?」
「そんなに入っているの? ううん、うちは四人家族だから足りるけれど……いいの?」
 アイはだんだん、申し訳無さそうな顔になってきた。
「オレの知り合いが店を構えていて、そこのだ。めちゃくちゃ美味ぇぞ」
「そうなの?」
 申し訳無さそうな顔が、好奇心溢れる顔に変わる。
 それにホッとしたものの、言った。言うべきことは言っておかなきゃならない。
「――あのさ。弁当包む布、ウサギ以外はねぇのかよ?」
 アイが気を悪くしねぇように気をつけながら訊ねると、アイは嬉しそうに言った。
「ウサギ以外も買ったの! じゃあ、またお弁当作ってもいい?」
「わざわざ買ったのかよ?」
「だって……嫌なんじゃないかな、って思って。弟に一緒に選んでもらったの。今度は大丈夫だから!」
「そっか、大丈夫か……それならいいや」
 明日も作ってくれるらしい。
 家に帰って行くアイを見送って、オレは歩き出した。あの美味い弁当が明日も食えるのかと思うと、嬉しい。



 翌日。
 オレは追っ手を撒き、土手に辿り着いた。
「くっそ! 好奇心旺盛なバカどもばかりだ!」
 昨日のケーキは、アイの家で大好評だったらしい。最後の一個はジャンケンで争奪戦になったという。お礼とばかりにデザートにカットフルーツまで付けたという。
「――それはありがたいんだが、」
 オレは周囲に視線を向け、誰もいないことを確認する。紙袋から弁当包みを取り出した。
「どうにかなんねぇのか? この弁当包みはよぉ……」
 世界的に有名なアニメーション映画に登場する、水兵の格好をしたアヒルの柄だ。アイのことだから真剣に選んだはずだ。
 ――これを断る術が考えつかねぇ……まいったぞ。
「……弟がいるんだったっけ……」
 ――なんとなく解ってきた。これはアイの弟からの嫌がらせだ! こないだの――自分の弁当がオレのついでになったことでの嫌がらせに違いない!
「――しばらく一人で昼飯食うしかねぇなぁ……」
 オレは溜息をついて、ガシガシッと頭を掻いた。

[*前へ][次へ#]

16/36ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!