[携帯モード] [URL送信]

カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
天使と名乗る者 Side:Alice
 窓から夕陽が差し込む時刻になっても、ベッドに突っ伏したまま、起き上がる気にもなれなかった。
 ……頑張ったのに……。
 昨日の夜、樹莉から電話があった。私の家に泊まっていることにして欲しいって頼まれた。どうしたの?って私が訊ねたら、「マスターの実家に来ちゃったの……」と言われて驚いた。
「成り行きで…」と言う樹莉がとても困っているのはわかったから、引き受けた。とても羨ましくて、私もドーベルモンと仲良くなりたい、って相談したら、「手作りのお菓子とかプレゼントしたら?」って言われた。
 だから、私、頑張ったのに……。
 ――美味しいって、言ってくれたけれど……。
 少し顔を上げ、自分の手を見る。
 ――勇気を出して、自分から手をつないだのに……。
「きゃぁっ、やだぁ……恥ずかしいっ……」
 大きな手で……とても優しい手……!
 触れた時に恥ずかしくて手を引っ込めそうになるの、堪えるのは大変だった。
 いつも「どんな時でも動じないのね」とか言われるけれど、……ドーベルモンと一緒だと、恥ずかしくなっちゃう。もっとちゃんと顔を見て話したいのに、それも恥ずかしくてあまり出来ない。
 でも、もっとドーベルモンと一緒にいたい。一緒にいると恥ずかしくてドキドキするけれど、とても安心出来るんだもの。
 ――大好き……!
「でも、どうしてダメなのかしら……」
 昨日は「許されない」って言っていたけれど、――許すも何も、私とドーベルモンの問題でしょう? それって、ドーベルモンのことを育ててくれた人達が許さないってことなのかしら?
「……」
 ……もしかして、そうかも……。
「……私じゃダメなの?」
 年下は恋愛の相手に出来ないのかしら? もっと大人っぽい人が好みなのかしら?
 ――そういえば、ドーベルモンと私、いったいいくつぐらい年齢が離れていることになるのかしら?
 きちんと教えてくれたことは一度もない……。
 私は枕に顔を埋めた。
 好きだと言ってもらえないことが辛い。あんなに優しく抱き締めてくれたのに、どうして?
 ――頬にキスしてくれたのに……。
 私の部屋に来るのも嫌がっていたみたい。私のことはそこまで好きじゃないのかしら?
「おじいちゃんが、何か頼んでいるのかもしれない……?」
 ――やだ。それじゃ、ベビーシッターがわりってこと?
 そっと両腕で自分を抱き締めた。昨日、抱き締めてくれたことを思い出すと、とても切なくなる。もっと抱き締めて欲しい。頭撫でたりして欲しい……。
 ――やっぱり、明日……。
 私は携帯電話に手を伸ばした。けれど……電話をかけるのは止めた。あまりしつこくしたら嫌われちゃうかもしれない……。
「……?」
 携帯電話の電源が切れていることに気付いた。
 ――また壊れちゃった?
 私は携帯電話を胸に抱き、スカートのポケットの中に入れていた懐中時計を探した。
 ――落ち着かなくちゃ。
 懐中時計の冷たさが、手の中で徐々に消えていく。
 携帯電話の電源が入るようになった頃、おじいちゃんが家に帰ってきた。夕食の支度をするために、私は部屋を出て一階のキッチンへ向かった。



 夕食を食べ終わって後片付けをしていた時にふと、今日の昼間のことを思い出した。
 ――ドーベルモン……。
 食器を洗ってくれて、私がそれを受け取って拭いて……。
 目の前がぼやけた。後から、後から、涙が零れた。
「アリス? どうした?」
 おじいちゃんがいつのまにかキッチンの入り口に立っていた。
「なんでもないわ」
 私はおじいちゃんの横を通り抜けて、二階への階段を駆け上がった。
 自分の部屋へ行き、ドアを閉めた。
「ドーベルモンのそばにいたい……」
 寂しくて、寂しくてたまらない。


「――それがきみの願いか……」


 声がした。驚いて顔を上げると、そこには――何度か会ったことのある、銀髪の男の人がいた。
 悲鳴を上げたくても、怖くて声が出ない。
 ――いったい、いつ、この部屋に来たの? どうして、この家の中にいるの……!?
 窓辺にいたその人は、ゆっくりこちらに歩み寄ってきた。
「……悪魔なの?」
 震える声で訊ねると、その人は嘲笑う。
「悪魔……か。――ヨハネの黙示録で"終末"が起きる時に笛を吹くのが大天使達の役目なら、我々はそれだ」
 天使? 黒いスーツ姿で?
「我々にはきみの力が必要だ。協力して欲しい」
 ドアに駆け寄り、開けようとして――ドアのノブに触れなかった。まるで幽霊になってしまったように、私の手がドアノブに触れない。――それとも、ドアノブの実体がないの?
 小さい声を上げて後退りすると、後ろにその人が立っていた。トンッと私の背が当り、驚いて振り向こうとしたけれど、後ろから抱きすくめられた。
 ――いやっ!
 ぞっとするほど、冷たい。金属の冷たさだった。その腕の力は強い。
「いや、痛い……! 放して!」
「――温かい体だね。人間はこうも……血が通っている……」
 ――ドーベルモンッ!!
 頭上から降り注ぐようにかかる声に耳を塞ぎたかった。でも、両腕の自由を奪われてそれも出来ない。
「きみの大好きな彼は、――きみのことは避けているようだけれど? 怖いんじゃないかな? 彼はデジモンだ。きみの力は彼には邪魔だろう」
「――私の……力が……? 怖い? そんな……」
「彼はきっときみのことは嫌いじゃないんだ。本当は仲良くなりたいと思っている。きみの力を全て我々にくれればいい。きみがその力を手放せば、彼は安心してきみと一緒にいられる。――それは、きみも嬉しいだろう?」
 この、薄気味悪い力を捨てられるの? 『普通』になれるの? でも、そうしてしまっていいの?
「……貴方達の目的は何だというの?」
「利口な娘だな」
「悪いことをするのなら、そんなこと出来ないわ」
「――次に会う時に、我々と一緒に来てもらおうか」
「出来ないわ」
「条件を付けよう。我々との取引をしないのなら……。……そうだな、こういうのはどうだ? 我々は、きみの大切な彼の命を奪う」
「ドーベルモンを!? やめて!」
「成熟期のデジモンである彼は、我々と戦っても勝つ確率は低いからな……。デジタマに戻れぬよう、データを砕き撒き散らそうか?」
「いやっ! お願い――お願い、何でもするからドーベルモンにひどいことしないで!」
「――そんなに大切?」
 ――痛いッ!
 顎に手を掛けられ、無理矢理、上を向かされた。
「何でも言う事をきく……か。――さて、何をしてもらおうかな……」
 銀髪の男が嘲る。


 ――――携帯電話が鳴った。


 背中の気配も私を拘束していた腕も、一瞬のうちに消えた。私はその場に崩れるように座った。
 ――今の人、何だったの?
 呆然としながらも、ベッド横のサイドテーブルの上に置いたままだった携帯電話を見つめる。立ち上がろうとしたけれど、足元がふらついて真っ直ぐに歩けなかった。なんとか辿り着くと、携帯電話を手に取った。
 通話ボタンを押したら、ドーベルモンの声が聞こえてきた。
「――アリス?」
 彼の声が、申し訳無さそうに問いかける。
「すまない。今、電話をする時間はある?」
 緊張の糸が切れた。
「……ドーベルモン……ドーベルモン……!」
 私は泣きながら彼の名前を呼んだ。何度も、何度も呼んだ。声が枯れるほど、何度も呼んだ。



 ベランダへのガラス扉が開いた。ランプも点けていない暗い部屋にドーベルモンは入り、ガラス扉を閉めた。
 部屋の隅に蹲っている私を見つけ、駆け寄って来てくれた。彼の表情は険しかった。
「――誰がここにいた? どういうことだ? こんなに強いデジモンの気配――」
 泣き続けたので、しゃべることも出来ないぐらい声が枯れていた。私が両手を伸ばすと、膝をついて抱き締めてくれた。
「――」
 ドーベルモンはふと、――息を潜めた。
「何もされなかった?」
 何度も頷くと、
「アリス。――離れて」
 と、私の腕を無理に引き剥がす。両手首を強く掴まれて、痛くて小さい声を上げた。けれどドーベルモンは何も言わず、私の顎を上向かせた。
「――痛くない?」
 顎と首の付け根を撫でられ、痛みに体がびくんと跳ねる。
 ――な、何?
「……少し、切り傷が出来ている」
 直後、温かくてざらざらしたものが私の首に触れた。
 ――ぃやあっ!
 傷を舐められたんだと気付き、びっくりして体が硬直した。
「――大したことはないようだ。他には?」
 私は首を横に振る。それより、今、舐められたことで頭が混乱してしまった。
 デジモンの姿でされたって驚くけれど、人間の姿の時にするなんて、ドーベルモンは平気なの? 私は恥ずかしくていやぁっ!
「どんな姿のデジモンだった? ――声が出ないのか?」
 ドーベルモンは困惑した声で問いかける。
 ――きゃあっ!
 再び抱き締められた。
「そんなに怖かったのか?」
 しばらくそのまま、私は彼の腕の中に抱えられていた。
 ――ドーベルモン……。
 私は目を閉じた。
 おじいちゃんを巻き込みたくなくて、助けを求めることなんか考えられなかった。でも本当はドーベルモンも巻き込みたくない……。
「……守るから。アリスのことは私が守るから……。だから……おやすみ……」
 ――本当に……? 傍にいてくれる……?
 まだ体が震えていたけれど、それがだんだんおさまっていく……。
「……アリス……」
 囁いてくれる声が心地良かった。



 夜明け頃に目を覚ますと、私はベッドの中にいた。目を凝らすと、ベッドの傍に誰かがいた。デジモンの姿のドーベルモンだった。私に気付き、顔を上げた。
「――気分はどう?」
 答える代わりにベッドから降りて膝を付き、私は彼を抱き締めた。
「昨夜はあれから誰もここには来なかった」
 私は彼の頬にキスをした。
「アリス……」
「ありがとう……」
 すっかり掠れてしまった声でそう言うと、ドーベルモンは悲しそうに溜息をついた。
「ひどい声になってしまったな。無理をして話さないよう、大人しくしているといい。まだ朝まで早いから、もう一眠りしていて」
 促されて、私はベッドに戻った。
 人間の姿になったドーベルモンが、ベッドの端に腰を下ろした。
「私は一度、家に戻る。――後で迎えに来てもいいか?」
 私が頷くと、ドーベルモンはホッとしたようだった。そんなに心配をかけてしまったことがとても申し訳なかった。
 そのまましばらく眠り、朝になってから、朝ご飯を作るためにキッチンへ下りた。
 おじいちゃんの分の朝ご飯だけ用意して、私はシャワーを浴びて出かける支度をした。お湯がかかると首筋の切り傷がしみて痛かった。
 キッチンに出かけることを書いたメモを残して、私は自分の部屋に戻った。いつも持ち歩いているトートバッグを手に、部屋を出た。キッチンへ行き、パンやハム、チーズなどを取り出してラップに包んでそれらを大判のバンダナに包み、バッグに入れる。
 玄関をそっと出て、鍵をかけた。
 犬のアレックスが私に尻尾を振る。私は優しくアレックスの頭を撫でた。
(――静かにしてね。――いってきます)
 家の門を出て、しばらく歩くと公園がある。そこでドーベルモンと待ち合わせをしていた。
 ドーベルモンはすでに来て、待っていてくれた。
 デジモンの姿になった彼の背に乗る。彼は空に駆け上がる。
 なんとか、振り落とされないぐらいには慣れてきていた。



 ドーベルモンの住む家に着くと、私は訊ねた。
「朝食はまだでしょう?」
 ああ、とドーベルモンが頷くのと、私がトートバッグから自分の使っているエプロンを取り出すのは同時だった。
「アリス?」
「朝食、作るわ」
「いい、そんな……」
「作りたいの」
 バッグに入れてきた材料でサンドイッチを作り始めた。足りない材料などは借りた。冷蔵庫やオーブンレンジを壊さないように気をつけた。
 サンドイッチとグリーンサラダを用意して、テーブルの上にそれを並べた。
 ドーベルモンを探すと、ソファに寝転がって眠っていた。起こすのはかわいそうなので、サンドイッチなどはラップをかけて冷蔵庫にしまった。
 ソファに戻ると、ドーベルモンの顔を覗き込む。
 ――昨日、眠っていないのかしら?
 とても申し訳なくて、そっと頬に触れた。
 ――よく眠っているのね……。
 起こさないように気をつけながら、軽く頬を押してみる。それでも起きないので、なんだかとても嬉しくて、しばらく私は彼の寝顔を眺めていた。
 あの銀髪の人は、私が言うことを聞かなかったらドーベルモンを殺すと言っていた。私がこの力を渡してしまえば……ドーベルモンには何もしないでくれるのなら……。
 ――あの人が言っていたように、ドーベルモンは私の力は邪魔だと思っているのかもしれないもの……。おじいちゃんは心配していたけれど、パソコンを壊すぐらいのことしかしないのに……いったい、何が出来るのかしら?
「……」
 でも、やっぱり、怖い。あんなに怖い人達が欲しがるぐらいだもの、きっと、とても怖いことをしようとしているに違いないもの……。
 私は呼吸を止めて、ドーベルモンの頬にキスをした。彼はそれでも起きなかった。

[*前へ][次へ#]

9/36ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!