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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
距離と永遠 Side:DOBERMON
 留姫がケガをしてバイトに来られなくなったので、バイトの時間を各自が多く取ることになった。
 レナモンはどこか、具合が悪そうだった。
「もう帰れ」
 私はそう促したが、
「ただの寝不足だ」
 とレナモンは言い張っている。留姫がケガをしたことに責任を感じているらしかった。
 ――もしもアリスが、留姫のように何者かに攫われたとしたら?
 ふと、そんなことを考えた。そんなことになれば冷静に行動することは難しい……。
 アリスとは明日の木曜日にバイトを休んで映画を観に行く予定にしていたが、それは一日延期させることにしようかと提案した。金曜日からの三日間は『皐月堂』がお盆休みに入るから、その間でもいいと思った。アリスもそれを考えていたらしかった。
 映画を観るのは楽しみだが、アリスと二人だけで出かけるのは花火見物以来なので、私は緊張していた。



 『皐月堂』がお盆休みに入ったその初日は晴れていて、とても暑い日になりそうだった。
 映画館前で待ち合わせをしていた。遅れないようにと思ったが、私が乗った電車よりも先を走っていた電車で急病人が出たらしく、待ち合わせの時間より遅れてしまった。携帯電話の番号はお互いに交換していたので車内から連絡はしたが、アリスは待ち合わせ時間より数分早く着いたらしかった。
 待ち合わせ場所に急ぐとアリスは涙ぐんでいた。
「遅れてすまなかった」
 アリスは何も言わず、首を何度も横に振った。
「――どうした?」
 映画館前では少し人だかりが出来ている。最新式の音響設備が導入されていることで話題の映画館の前に、手書きの張り紙が貼られていた。
 ――故障……?
 機器が故障を起こしているらしい。映写機、音響設備の故障で本日は全館休業となってしまったらしい。
 ――まさか……アリスが?
 距離が離れているから考え難いが、ありえないことではない。
 映画館の上映スケジュールや空き状況などは調べていた。けれど、こういう事態まで予想してはいなかった。
 私が来るのが少し遅れたから? 不安にさせてしまったから?
 考えてみれば、普段の『皐月堂』でほとんど何も起こらなかったのは、留姫や樹莉などアリスの友人達が常に傍にいるからなのかもしれない。
 他の映画館に移動するか……。
 私はアリスを促して歩き出そうとしたが、アリスが俯いたままそこから動こうとしない。
 私は手を差し伸べた。
「アリス」
 アリスは驚いて私を見上げる。恐る恐る、私の手を握った。
 アリスと映画館で映画を観たかった。でもこんなに動揺しているのなら無理はさせたくない。幸い当日券を買って観ようと思っていた。券を買う前で良かった。
 ――映画を観るなら、他の場所でも観られる。目当てだった映画は無理だが、他のものでもかまわなければ……。
 こういう繁華街で他に人がいない場所を探すのは難しい。人通りの多い道を通り抜け、路地を通り、自転車置き場になっている線路下のトンネルをくぐった。
 アリスは不思議そうな顔をしたが、特に何も言わずについて来てくれる。
 ようやく他に人がいない場所に出た。
「アリス。――あちらから人が来ないか、見ていて」
「はい?」
 アリスは首を傾げ、そちらへ目を向けた。
 私は瞬時にデジモンの姿になった。
「え? ――ドーベルモンさん!」
「乗って」
 腹這いになってアリスを背に乗せると、立ち上がった。そのまま、上空に一気に駆け上がった。



 郊外の、木々が生い茂るその場所に降り立つと、アリスは私の背から滑り落ちた。そのままころんと草の上にひっくり返る。
 人間の姿に戻ってアリスを抱え起こした。
「大丈夫か?」
 声をかけてみたものの、アリスは息を切らしている。ぎゅっと私の腕にしがみ付き、震えている。
「――すまなかった」
 アリスが特に言わなかったから平気なんだと思っていたが、相当怖かったらしい。申し訳ないことをしてしまった。
「……」
 ――ふと、思った。コンピュータ機器に影響は与えても、我々のようなデジモンに影響を与えることはないのだな、と。なるほど、そういうことならアリスの祖父が心配するようなことも起きるかもしれない。
 アリスを抱き上げると、彼女は身を硬くした。
「落とさないから」
 と声をかけた。
 そのまま歩き出すと、アリスはようやく周囲を見回す。
「ここは?」
 目の前の家を見つめる。
「私の家」
「え……」
「ここなら、アリスが他の人の迷惑になることはない」
 アリスの腕が伸びてぎゅっと私に抱きついた。
 ――アリスは優しい。
 周囲に迷惑をかけていることに罪悪感を抱きながら、ずっと生きてきたと思うと不びんに思う。
 玄関の前でアリスを下ろした。
「まるで外国の家みたい」
 白い塗り壁の家を珍しそうに見上げている。
「私が育った家に似ているから選んだ」
「そうなんですか?」
 ドアを開けて中に入るように促した。
 エアコンのスイッチを入れ、ソファーに座るように勧めて、私はアリスのために飲み物を用意することにした。
「アイスカフェオレと紅茶と……コーヒーぐらいだな。何がいい?」
「アイスカフェオレをお願いします」
 ふと思って、言った。
「私に敬語は使わなくていい」
「え? でも……」
 義妹なんだから、と言いそうになったが、その言葉を飲み込んだ。
「――とにかく、いいから」
 飲み物を用意して、それから、アリスの好きそうな映画のDVDを何枚か選んで持ってくる。アリスがあまりDVDプレイヤーなどに近付かないように気をつけた。
「――祖父から聞いたんですか?」
「ああ」
「……ごめんなさい。ドーベルモンさんに迷惑をかけて……」
 私はそっと、アリスの頭を撫でた。
「呼び捨てで呼んでいい」
 アリスは頬を染めた。
 持ってきたDVDを差し出すとアリスは迷っている。
「好きなものを選んでいいから」
 結局、アリスが選んだ映画は――意外にも女の子があまり好まないような映画だった。けれど私はそういうタイプの映画が好きだった。
 ――周囲のこともあるが、どうしたものか……。
 ソファーの隣に座るアリスとは肩が触れ合う距離だった。普段よりもかわいい服を選ぶのはデートなのだから当然だと思うが、ウェストをリボンで編み上げているそのワンピースは、とてもアリスに似合っていた。
 こうして間近に見て、同じ年齢の子に比べればスタイルが良いとあらためて思う。腕を回せば抱き寄せられるこの距離は……私にとって拷問に近い。
 義妹であることには変わりは無い。だから今のままの距離を保っているべきだ。
 ――『距離』……。
 そういえば、レナモンも似たようなことで悩んでいた。留姫とはいい関係を築いているものだと思っていたが、まさか……アイツ、何かしたのか……? ――一度、留姫に訊ねる必要がある……。
 DVDを見終わって、次は何を見ようかとアリスと話していると、時折、アリスがスカートを気にしていることに気付いた。
 それがアリスの持っている懐中時計のことだと気付く。――癖、なのか?
「え……と、その……お守りみたいなもので……」
 恥ずかしそうにアリスは懐中時計を見せてくれた。祖父から貰ったものだと言う。
 ――ショックだった。お守りに頼らなければならないほど、私といると不安になるのか。
「不安になる?」
「……?」
「私と一緒にいるのは……嫌?」
 アリスは驚いている。
「そんなこと……だって……」
「だって、何?」
「……嬉しい、から……」
「嬉しい?」
 アリスは俯いた。耳が真っ赤になっている。
「……アリス?」
 アリスは俯いたまま、首を横に振った。
 私の携帯電話が鳴った。
「ちょっと待っていて」
「はい……」
 アリスが戸惑っている。
「すまない。すぐに戻るから」
 立ち上がり、部屋から出た。
「もしもし」
 電話をかけてきたのは、養母だった。
「Wie geht es dir? ――そちらに変わりはない?」
 ドイツ語で言って、なんとなく日本語で話したくなったので言い変えた。養母は日本語も話せるので、電話の向こう側から笑い声が聞こえた。
『ええ、元気よ。久しぶりに貴方の声を聞きたくなって。今は日本語を話したいの?』
「ああ。――今はどこに?」
『これからシンガポールに行く用事があって、今、空港』
「そう……」
『日本にも寄ろうかしら。今は夏休みなんでしょう?』
「ああ。――それなら、少し、時間を作ることは出来る?」
『もちろん。三人で夕食を食べましょう』
「……会わないのか?」
『誰に?』
「貴女達は本当の家族と、一度会って話した方がいいと思うのだが」
『……そうする必要はないわ』
「私から頼んでも?」
『ドーベルモン……』
「家族は一緒に暮らすべきだと思う」
『貴方はやさしいのね。アリスから何か言われたの?』
「まだ……何も話してはいない。私のことも、貴女達のことも」
『そう……解ったわ。お父さんと相談するから。――お父さんと代わるわ。貴方と話したいって』
 養父が電話に出た。
『なんだ? 日本語が話したいのか? そうか、よし!』
 養父も日本語が話せる。けれどあまり上手くない。それでも、私に合わせようと努力する。聞き取り辛い養父の話を聞きながら、私はとても優しい気持ちになった。
『ところで、ガールフレンドはいるのか?』
 養父の言葉に、電話の向こう側で養母が笑っている。『私達のドーベルモンにはそんな子いないわよ。ちょっと残念だけれど……』と。他人にあまり興味を持たずに育ったのは、養父母も承知していることだった。
「……想像に任せる」
 そう答えてみた。彼らが本当は、もっと感情豊かに育てばいいと望んでいたことは知っている。
『まさか……いるのか?』
「親しくしている人はいる」
 そう答えると、養父の声がとたんに弾む。興奮してドイツ語混じりに、ぜひ紹介しなさいと言ってきた。私が閉口していると、養母が養父から携帯電話を取り上げたらしく、電話に出た。
『貴方にガールフレンドが? まあ、なんて素敵なの! どんな子?』
 ――貴女達の愛娘、だ。
「紹介出来るようなら紹介する」
 挨拶を交わして、私は電話を切った。
 ――事態が好転すればいいのだが。
 溜息をついた。養父母がアリスと会ってくれれば……。
 アリスの気配に気付いた。振り向くと、部屋のドアの前に立っていた。
「何でもな……」
 何でもない、と言いかけた。けれど途中で言葉に詰まった。アリスの目が潤んでいた。
 ――まさか、ばれた?
 一瞬、動揺した。
「アリス……」
「……あの、ドイツの友達ですか?」
「……友達?」
 訊き返すと、アリスの目から涙が溢れそうになる。
 何を話していたか思い起こし、――そういえば、女友達からかかってきた電話と思われたかもしれない、と気付く。
 ――まさか。
 そんなことを勘繰られるほど、アリスから好かれているとは思えないのだが……。
「部屋に戻ろう」
 アリスを促して部屋に戻った。ソファーに座り直しても、アリスは不安そうだった。あまり不安にさせて何かを壊されても困るので、仕方なく、電話の相手が養父母だったことを伝えた。
「ドーベルモンさんの……?」
 アリスはそっと息を吐いた。不安が消え、穏やかな表情になった。
 ――そんなに好き? 私を?
 私はアリスの頬に手を伸ばす。
「呼び捨てで呼んでいいから」
「でも……」
「名前だけで呼んで欲しい」
 アリスは戸惑い、目を伏せた。
「……ドーベルモン……」
 小さい呟きに、私は目を細めた。愛しくて、たまらない。
「――アリス」
 そっと、アリスの横顔に顔を近づける。頬にキスをしてしまった。
 アリスは身を硬くする。目を見開いていた。
「……すまない」
 自分がしてしまったことを後悔して、私はアリスから離れた。けれどアリスが倒れ込むように私にしがみ付いた。
 私はアリスの背に腕を回した。けれど、抱き締めはしなかった。アリスの体を支えられるよう、添えただけだ。
 アリスは身じろぎもしない。
 私も、じっとしていた。
 ――養父母は、アリスに対する私の気持ちを知ったら何と言うだろう。まさか、自分達が育てたデジモンが愛娘を好きになるとは思ってもいないだろう。彼らは今までとは態度を変え、私を疎ましく思うかもしれない。そうなれば私は孤独になる……。
 アリスには幸せになって欲しい。アリスにとって一番幸せなのは――普通の生活。普通の家庭のように家族の愛を得ることがアリスにとっての幸せなのだと思う。
 この腕に力を込めて抱き締めたい。けれどそうしてはいけない。私達が義兄妹であることをあの人達が望むのなら……そんなことをしてはいけない。
「養父母が日本に来るらしい」
 アリスは私を見上げた。
「いつ頃……?」
「忙しい人達だから、恐らく突然現れるだろう。その時は夕食を一緒に食べようと言われた」
「羨ましい……」
 アリスはそう呟いた。
 彼らが本当はアリスの親なのだと、言えないことが歯痒い。
「アリスに同席して欲しいのだが」
「え……?」
「養父母にアリスのことを少し話したら、会ってみたいと言っていた」
「でも……」
 アリスは戸惑っている。
「かまわない。私より話しやすい人達だと思う。私が親しくしているから、会ってみたいらしい」
 アリスは顔を強張らせ、私から離れた。
 ――アリス……?
 アリスはじっと私を見つめる。
「私のこと、何て紹介したの?」
「養父母は――私のガールフレンドだと思っている」
「それなら……貴方は?」
「……」
「ドーベルモンって、呼び捨てで呼んでもいいのなら……。敬語を使わなくていいのなら……。そう思うのはどうして……?」
 アリスからこんなにはっきりと意見を求められるとは思わなかった。
 私はアリスを見つめた。
「……好き?」
 ――どう答えればいいのだろう。
「……今、言わなくてはならないのか?」
 私は、そう言った。
 アリスは目を見開いた。すぐに泣きそうに顔を歪めた。
「――いいえ。ごめんなさい……」
 抱き締めてはダメだと思った。――けれど、抗うことが出来なかった。
 アリスへと両手を伸ばす。アリスが気付いて声を上げる前に、私はその体を抱き締めていた。柔らかくて心地良いその体を、壊さないように抱き締める。
「ドーベルモン……」
 耳元で囁かれるアリスの声。花のような甘いシャンプーの香り。愛しくて、愛しくてたまらない。こんなに誰かを好きになったことはない。アリス以外の何もかもがどうでもよく思えてしまうぐらい。全てを捨ててしまいそうになるぐらい……。
 けれど、――そうしてはいけない。
「すまない。――私には許されない」
 そう私は言った。
「どうして?」
 アリスは戸惑った目で私を見つめる。
「私も貴方と一緒にいたい……。……そう思ってはいけないの?」
 私はアリスから離れた。
「ドーベルモン……?」
「……すまない」
 アリスの肩に手を添え、腕を突っ張る。
 ――苦しい。
 下を向き、唇を噛み締めた。
 やはり、結果がどう出るのか恐ろしいが、養父母に本当の気持ちを打ち明けるべきかもしれない。彼らは何と思うだろう。
 アリスの祖父も……。信頼したデジモンが、昔、自らが追い出したデジモンだと知ったら……。
 自分が大切に思う人達がどんな気持ちになるのかと思うと、そんなことはしたくない。けれどどんなに隠したとしても、こればかりはいずれ言わなければならない。
 アリスに会えば養父母は自分達の娘の成長を喜ぶだろう。けれど同時にアリスは、私と彼らの関係を知ってしまうのだから。
 アリスと一緒にいられるのなら、どんなことでもしたい。けれどそれで誰かが不幸になるのなら、アリスは決してそれを望まないだろう。



 それ以上のことは言えないまま、夕方になってしまったのでアリスを家まで送った。
 アリスは彼女なりに、私の気持ちを理解してくれているらしかった。
「――私、ドーベルモンといつまでも……永遠に一緒にいられると思う」
 夜風が運んだその言葉を、私はさほど気には止めなかった。
「そうなるのなら、いい」
 そう、私は応えた。
 アリスの家は、もうすぐそこに迫っていた。

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