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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
誰かが悲しむ時 Side:DOBERMON
 アリスと花火を見に行った夜。
 ひとりで暮らす家に帰り、部屋の電気を点けた。
「……」
 見慣れた自分の家がとても寂しいものに感じた。
 ――ここにはアリスはいない。
 浴衣を着て恥ずかしそうに頬を染めるアリスを見た時、とても驚いて……困った。アリスから特別に思われたいと強く願っている自分に、あらためて気付いた。
 二人きりになりたくて、私はアリスを遠くに連れ出した。誰かの傍にいたいとこんなに強く願ったことは初めてだった。アリスはデジモンの姿でも、私のことを見つめてくれた。一緒にいたいと言われ、思わず抱き締めた。
 私はソファーに腰を下ろした。
 先ほどまで一緒にいたアリスのことばかり、考えてしまう。アリスの存在を求めている……この感情は『飢え』に似ている――。
 ――あの時、もしもアリスがドイツ語を呟かなければ……。
「……」
 私は立ち上がり、隣の部屋へ行く。
 その部屋は、データサーバやパソコンや、その他いろいろなものを置いている。この家にはおよそ似つかわしくないものばかりだ。
 気になることがあったので養父母にメールを送った。
 私の養父母は、今はデジモンの研究をしている。昔、まだデジモンがこの人間の住むリアルワールドでは認知されていない頃に、あの人達は偶然、私を見つけてくれた。
 私はその頃はまだ小さいデータの塊で、あの人達が私を保護してくれなかったら消滅していただろう。私にとってあの人達は恩人で、かけがえのない存在だ。
 気になったのは、アリスの言葉。――ドイツに両親がいて、ずっと会ってはいないという。
 私の養父母にも子供がいる。私が訊ねても、その子供については性別も名前も教えてくれたことはない。アメリカに住んでいる、とだけ言っていた。私に配慮してのことだと感じていた。
 ――もしもアリスが、養父母の実の子供だとしたら……。
 なんとなく、嫌な予感がした。
 メールで、アリスの名前と年齢を伝えた。とにかくそれだけ書いた。身長などの身体的な特徴は一切、書かなかった。
「……」
 アリスには申し訳ないが、背に乗せた時にアリスの体重はかなり正確に解ってしまった。だからかなり詳細な数字まで、今なら書けてしまう。
「……」
 もしもあの時、アリスが断らなかったら……アリスを抱き上げてキスをしていたかもしれない。
 アリスを愛している。アリスともっと、ずっと一緒にいたい……。



 メールの返事は、意外に早く届いた。養父母が住んでいるドイツでは日本から七時間前の時間で、ちょうど夕方頃のはずだ。大切な会議を翌月に控えていてとても忙しいのに、私のことをとても気にかけてくれている。
 彼らは大変喜んでいた。「自分達の娘に間違いない」、と。
 「もしも友人になったのなら、何か困っていることがあったら力になってあげて」と書いてあった。「あなたの義妹だから」、と。


 ――『妹』!?


 思わず椅子を蹴って立ち上がる。モニタを凝視した。確かにそう書いてあった。
 ――今さら、そんな……。
 養父母は命を助けてくれて、今まで養ってくれて、充分過ぎるほどの教育も受けさせてくれた。
 私を育てることを、彼らは周囲に反対されたという。それなのに実の息子以上の愛情を注いでくれた。そのことで自分達の実の娘を取り上げられて、家を出なくてはならなくなったことも、後から人づてに聞いて知っていた。
 ――私がアリスから、親と暮らす幸せを奪ってしまったというのか……。
 そして、もちろん血の繋がりはないけれど戸籍上は妹で……。
 私は目を閉じた。
 ――これ以上、アリスを好きになるのは止めよう。
 養父母から受けた恩を仇で返すわけにはいかない。離れて暮らしていても、……彼らは私に言わなくてもアリスのことをとても大切に思っているのだ――。



 翌日。
 昨夜はアリスのことを考えて眠れず、とても寝不足になってしまった。
 休憩時間に一眠りしようと思って二階に上がると、留姫がドアの前に立っていた。右の耳をハンカチで押さえ、目に涙を溜めている。
(――どうした?)
 私が小声で訊ねても、何も答えずに留姫は一階へ下りて行った。私はすぐに部屋のドアを開けた。私の前に休憩時間に入っていたレナモンに何か嫌がるようなことをされたに決まっている。
「――おい!」
 と、怒鳴ったが、レナモンを見て……言葉を失った。
「……何で半べそかいているんだ、おまえ……」
「半べそなんか、かいていない」
 ――いや、明らかに半べそだろう?
「……留姫との距離が保てない」
 距離?
「――たぶん、具合が悪いから……」
「具合? どこか具合悪いのか?」
 レナモンが立ち上がる。
 ――ふと、何か違和感のようなものを感じた。
「おい、ちょっと待て。――変だな、おまえ」
 レナモンがじっと、私を見つめる。
「――変?」
「なんていうか……雰囲気が違うな。――留姫と何かあったのか?」
「……なんでもない」
 ――なんでもないようには見えないが?
 樹莉が二階に駆け込んで来た。



 留姫がストーカーに付け狙われていることが解り、用心のため私はアリスを家まで送ることにした。
 人の気無い路地で私がデジモンの姿になると、アリスはそっと、私へ手を伸ばして頬を撫でた。
「アリス……」
 心臓が跳ね上がる。触れるアリスの指先が心地良い。その指先を舐めると、アリスは驚いて手を引っ込めた。
「私の姿は怖くない?」
「うちにも……犬がいて……」
 ……ああ、私の姿は犬に似ているから、そんなに怖くはないのか。
 少し安心して、私はアリスを背に乗せようと腹這いになった。アリスが遠慮がちに背に乗ったので、私は立ち上がる。アリスを落とさないように気をつけながら、夜空に向かって走り出した。
 アリスは――私の背にしがみ付いた。背中越しに感じるアリスの体温が心地良い。
 アリスを好きになるのはやめようと思ったのに、歯止めが利かなくなりそうになる。
 ――義妹……。
 それならば、良い義兄になればいい。アリスが安心出来るよう守ってやればいい。――何度も自分に言い聞かせた。
 夜風にアリスの声が運ばれてきた。
「ドーベルモンさんの家は、どの辺りなんですか?」
 私は、近くにあった雑居ビルの屋上に降りた。
「あっちの方角だ」
 都心からは離れた場所にある。
「ずいぶん離れているんですね」
 アリスが申し訳なさそうに呟く。
「走ればすぐに帰ることが出来る」
「それはそうかもしれないけれど……」
「気にするほどの距離ではないから」
「マンションですか?」
「いや、一戸建て」
「一人で住んでいるんですか?」
 アリスがちょっと驚いたようだった。
「いろいろ、物が多くて……。パソコンやDVDやレコードや……」
 アリスが呟く。
「羨ましい……」
「え?」
「私……パソコンとか、ダメなんです……」
「何か解らないことがあれば教えてあげることは出来るが?」
「それが……どうしてもダメで……」
 ――かわいい。
 頭が良くてしっかりしていて何でもこなしてしまうアリスが……パソコンが不得意だとは。
「今度、教えよう」
「……あの……」
「難しいものではない」
 恥ずかしいのかもしれない。アリスはそれっきり黙ってしまった。
 私は再び、夜空へと走り出した。



 アリスの家の近くに、私は降り立った。
 すぐに人間の姿になって、アリスを家の前まで送った。
 庭の広い、大きな家の門をアリスが開けると、庭で飼われている犬が顔を上げた。
「ただいま。アレックス」
 けれど犬は、アリスを見ていなかった。私に向けてやたらと尻尾を振っている。
「アレックス? やだ……ドーベルモンさんの方が好きなの?」
 アリスが拗ねた声を出した。
「変なの……どうして? デジモンに対して吠えるはずなのに……」
「そうなのか?」
「ええ。あの黒い傘にはとても吠えたのに……」
 ――それはもしかして。あの傘はレナモンや同じゼミの奴らにも貸したことがあったから……。
 私は首を傾げつつ、
「この犬はずっと飼っている犬なのか?」
 と訊ねた。
「最初はアレックスのママを飼っていて……もうアレックスのママは天国に召されてしまったんだけれど……」
 ――ああ、それなら、もしかしたら母犬と私が会ったことがあるのかもしれない。記憶にはもうないが……。
 玄関のドアが開き、初老の老人が顔を覗かせた。私がいることに、とても驚いている。
「おじいちゃん、ただいま。あの、こちらは……バイト先の……」
「私が話そう」
「え……」
 私はその老人に、バイト先の他の女の子がストーカー事件に巻き込まれそうになったことを手短に話し始めた。けれど話がまだ途中なのに老人は遮った。
「続きは家の中で話そうか」
「いえ、夜分遅い時間ですから。ご迷惑をかけるわけにはいきません」
「大切な孫を送って下さったのに、お茶も出さなかったら申し訳ない」
 老人はとても頑固なようだったので、私は申し訳なく思ったが申し出を受け入れた。
 家の中に入り、応接室として使っているらしい部屋に案内された。掃除が行き届いている部屋だった。
 私は部屋の中を見回して、『何か』に気付いた。その部屋は蛍光灯などの電灯ではなく、アルコールランプで明かりを灯していた。
 家電らしきものはない。こういう家ならオーディオ機器があっても変ではないと思うが、そういったものがここにはない。趣味なのだろうか?
 二人分のコーヒーをアリスが運んで来た。不安そうに、私と祖父に視線を送る。
「部屋に行っていなさい」
 老人にそう言われ、アリスは私を見つめる。
 大丈夫だから、と私は小さく頷いた。
 アリスは嬉しそうに、部屋から出て行った。
 勧められて、コーヒーを飲んだ。美味しい。
「――孫が迷惑をかけていないだろうか」
 まず、そう言われた。私は面食らった。アリスが誰かに迷惑をかけることなんて今まで一度も無い。
「いえ、何も……」
「そう……それならいいのだが……」
 老人は何か考え込んでいる。目の下辺りは養父に似ていると、私は思った。
「あのカフェのマスターには、アリスには内緒で事情を説明してあるが、何か聞いてはいないだろうか?」
「何も聞いてはいませんが……?」
 老人は言った。
「うちの孫は、コンピュータ機器を壊してしまうのだ」
「壊す?」
「外から力を加えるわけではなく……同調して、壊す……」
「同調?」
 ――そんな、バカな……。だからパソコンが『ダメ』だと言っていたのか――?
 聞いたことがある。そういう能力を持っている人間が稀にいると。対象となるものが植物だったり動物だったり、様々な事例は報告されているが、アリスの場合はその対象がコンピュータ機器……。
「一部の人間が同調――シンクロするという非科学的にも思える現象は、人間の体が帯びる微弱な量の静電気などが原因と言われていても、未だそれを全て解明するまでには至っていないはずですが……。
 本当に同調だと言うのですか? 何かの間違いでは? アリスと一緒にいても、そのような様子は見えないのですが……」
 老人はあっけにとられている。
「ずいぶん詳しいんだな、きみは……」
 うっかり自分が何を言ってしまったのか気付いて、焦った。この老人を警戒させないように、ドイツでコンピュータに関することを学んでいたことを伝えた。その道の研究者である養父母の名前は伏せた。
 大学と学部の名前を言うと老人は目を輝かせた。あの頃に私が世話になった教授と知り合いだった。
「そうか。きみのような人と知り合いになったのか。最近、孫がデジモンと知り合いになったと知って困惑していたが、良かった。安心した」
「え……」
「傘を借りたらしくてね……」
 ――それは私のことだ。
 私は老人を見つめた。
「デジモンからは遠ざけたい。うちの孫の特異体質を悪用されるかもしれないから」
 苦々しく言われ、こっちこそ困惑した。更なる誤解を招く前に言ってしまった方が良いと思った。
「私がその傘を貸しました。デジモンは……お嫌いでしたか……」
 老人が目を見開く。
「まさか……!」
「ご不快を招いてしまい申し訳ありません」
 私は立ち上がって、老人に頭を下げた。
「待ってくれ!」
 老人が狼狽した声を上げた。
「そんな……きみだったとは……」
 引き止められても、止まるつもりはなかった。肌の色、目の色、髪の色、デジモンであること……様々なことで心無い言葉を言われることは今まで多かった。それには慣れているつもりだったけれど、まさかアリスの祖父にああいう言われ方をするとは思わなかった。
 ドアを開けようとして、けれど、私は立ち止まった。ドアの向こう側にアリスがいる気配がした。
 私は振り向き、何も言わずにドアを指差した。
 老人は一瞬あっけに取られ、すぐに顔を真っ赤にした。
(すまない。普段は立ち聞きをするような悪い子ではないのだが……)
 小声で謝る老人と、ドアからは遠く離れた窓際に移動した。
「きみは、うちの孫をどう思うかね?」
 そう訊ねられて困惑した。
「きみがデジモンでも、あの子はきみのことを愛している」
「……」
 言葉を失った。
 アリスから嫌われていないと思って少しでも好かれたいとは思っていたが、あらためて第三者からそう言われると言葉に詰まる。もしも養父母からのメールを読んでいなかったら、こんな気持ちにはならなかったのかもしれないが……。
「先ほどはずいぶん酷いことを言ってしまってすまなかった。頼む――孫を守ってやって欲しい。あの子は親から捨てられたから、私が今まで守ってきた。きみなら孫を守ってくれるだろう」
 ――違う。貴方が養父母を追い出したんじゃないのか? 貴方がアリスから引き離したんじゃないのか? 私が……原因だったんじゃないのか?
「――少し、考える時間を下さい」
 迷った挙句、それだけ言った。



 帰宅して部屋に戻ると、養父母からのメールが届いていた。
 それには、アリスの祖父への不満が書かれていた。どうしてアリスを日本に連れて行っているのを内緒にしていたのかと連絡を取ったら、「子供を捨てた親が何を今さら言うか!」と言われたらしい。
 ――メールではなく、こういう場合は対面して話し合うべきだ。
 養父母はアリスのことをとても心配していたので、私はアリスのことを少しメールに書いた。賢くて思いやりがあり、とてもかわいい、と。
 養父母からメールの返事がすぐに届いた。私が伝えたアリスのことを、とても喜んでいた。けれどアリスの祖父からもメールが届いたらしく、その内容についても触れていて、とても怒っていた。
 アリスの祖父は――アリスがデジモンと仲良くなっていることを書いたらしい。それは間違いなく私のことなのだが、養父母はとても怒っている。
「私達の大切な娘を悪いデジモンから守って欲しい」とまで書いている。
 ――このメールにどう返事を書けばいいのか?
 私は困惑してしばらく液晶モニタを見つめたが、もう今日は疲れたのでメールソフトを終了させた。

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