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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
約束と黒い傘と Side:Alice
(※番外編の『シネマの国のアリス』の続編です)

 ホームには、これから帰宅する人達が大勢いた。制服のポケットから懐中時計を取り出し、蓋を開けて時間を確認した。もう門限はとっくに過ぎている。
 ――おじいちゃんに怒られちゃうかもしれない。こんなに遅くなるって連絡しなかった。きっと、とても心配している……。
 けれど、携帯電話から連絡はしなかった。
 ――今は、誰にも連絡をしたくない……。
 ホームで電車を待ちながら、私は傘を軽く振った。傘についている水滴がパラパラと落ちた。丁寧に傘をたたむと、柄をきゅっと握った。
 ――あの人、どうして貸してくれたのかしら……。
 今思い出しても顔が赤くなってしまうほど、かっこいい人だった。黒髪は癖があって、背にかかるぐらい。後ろで束ねていた。褐色の肌。……とても綺麗な、
「……真紅色……」
 と、小声で呟いた。
 まるで宝石みたいな色の瞳だと思った。
 電車がホームに滑り込んで来たので、私はそれに乗った。



 地元の駅に着いたら、雨が先ほどより激しく降っていた。
 傘を借りることが出来て良かったと思うけれど、あの人は傘を持っていない。本当に大丈夫だったのかしら?
 傘は一本しかないんじゃないかしら、って私が言い当てた時、あの人は驚いていた。当てられたことがとても嬉しかった。
 家の門をくぐると、庭先にいたゴールデンレトリバー犬のアレックスが私に気付き、犬小屋から出て来た。
「ただいま!」
 けれどアレックスは、――牙を剥いて唸り声を上げた。
「?」
 私は首を傾げた。どうしたのかしら? 私に向かって吠えることなんてないのに……?
 玄関のドアが開き、おじいちゃんが姿を現した。
「アリスだったのか……」
「ただいま!」
 私が駆け寄ると、おじいちゃんは眉をひそめた。
「その傘はどうした?」
 最初にそのことを訊かれ、言葉に詰まってしまった。
「……貸してもらったの……」
「誰に?」
 おじいちゃんの声が少し厳しく問いかけた。
 もしも、知らない人から借りたって言ったら……きっと怒られる。どうしよう……!
 私は言葉を探そうと、懸命になった。
 けれど、おじいちゃんは
「話は家の中で聞こう。――おいで、アリス」
 と、私を促した。
 玄関で傘をたたむと、家に入った。
 自分の部屋に行き、少し濡れてしまった制服から私服に着替えて、おじいちゃんの部屋に行った。あの傘も持って行く。怒られるのは……怖い。
 おじいちゃんは自分の書斎で、椅子に腰掛けて待っていた。
 私は、応接用のソファーに腰掛けた。
 私の持っている傘を、おじいちゃんはじっと見ている。
「その傘を貸してくれたのは、どんな人だった?」
「本屋さんに寄ったら傘を盗まれてしまって……。雨宿りしようと思って……その近くのカフェに行ったの……」
 私は小声で言った。
「学校からは真っ直ぐ帰ってくるように約束したのは忘れたのかい?」
「……ごめんなさい……」
 おじいちゃんは私の顔を覗き込む。
「それで? その人はどんな人なのか、話してくれるかな?」
「あの人は……この傘しか持っていなかったの……」
「じゃあ、他に傘は無くて……?」
「あの人は、駅からは雨にあまり濡れずに帰れるんですって」
「そうか……。優しいようだな」
 おじいちゃんは小さく頷く。
「だが、うちのアレックスが吠えたということは、その傘の持ち主は――デジモンだ」
 ――――え?
 私は驚いた。
「デジモンには関わらないように、と言ったが……」
「デジモンには見えなかったわ。あんなに……人間に見えるのに……?」
 おじいちゃんが怒っている原因がそんなところにもあるなんて思わなかった。
「アリス。もう一度、訊くが――本当に優しい、ただのデジモンだったのか?」
 おじいちゃんがとても怖い顔をしている。
「その傘をこちらに渡しなさい。おじいちゃんからお礼を言って、その傘の持ち主に返してあげるから……」
「どうして?」
「もう二度と、その人に会ってはいけない」
「だから、どうして?」
「デジモンと関わらない方がいい。――おまえのためだよ。アリス」
「いや! そんな……そんなのいや!」
 私は傘を取られないよう、抱き締めた。
「この傘は私、ちゃんとあの人に返すの!」
 おじいちゃんは椅子から立ち上がった。私の方に近付く。
「アリス。――こちらに渡しなさい」
 私はぎゅっと、瞼を閉じた。
「いやっ!」


 甲高い音が鳴り響いた。


 驚いて顔を上げた。
 部屋の入り口に向けて置いてある大きな机の上の、おじいちゃんのノートパソコンが鳴っていた。
 おじいちゃんがそちらに駆け寄った。パソコンを覗き込み、息を飲む。
「――アリス! やめなさい! ……落ち着くんだ。いいね? おじいちゃんのパソコンを壊さないでくれ。――その傘はアリスが返してもいいから」
 私はとても気が動転していた。落ち着かなくちゃと何度も、何度も自分に言い聞かせる。スカートの上からポケットの中に入れてある懐中時計を握った。
 やがて、――おじいちゃんの溜息が聞こえた。
「その人は本当に優しかったかい? 悪事を働くようなデジモンじゃないね?」
 私はおじいちゃんを見つめた。
「大丈夫だと思う。でも今日初めて会ったから、よく解らないわ」
「本当に初めて会ったのか?」
「ええ……」
「そのカフェには、本当に雨宿りするために立ち寄ったんだね?」
「そうよ。――おじいちゃん……パソコン、壊れちゃった?」
「いや、大丈夫だ」
「ごめんなさい……」
 私はうなだれた。
 時々、こんな風に感情的になって、誰かのパソコンを壊しちゃうことがある。だから冷静になっていなくちゃダメだったのに……。
 おじいちゃんがこちらに来る。
「アリスは何も悪くない。そんな顔をしないで……」
 おじいちゃんは私の肩に手を置く。
「そのままでいい。自分のあるがままでいいんだよ。――もしも、今後もその人に会うようなことがあれば、そのカフェの名前を教えなさい」
 私は頷いた。
「お店の名前、覚えていないの。今度、教えるわ」
「ああ、それでいい。その人にも、会う必要があるな……」
「え……?」
「孫がお世話になったんだ。お礼を言いたい」
 おじいちゃんは微笑んだけれど、私は首を横に振った。
「ダメ! 恥ずかしいもの。私、もう高校生だもの!」
「アリス……」
 おじいちゃんは悲しそうな顔をする。
「普通の生活をするには、必要なことなんだよ? それに今後もしもアリスが関わるのならば、こちらの事情も話さなくてはならないから……」
 私はソファーから立ち上がった。部屋を飛び出した。
「アリス!」
 おじいちゃんは呼んだけれど、追いかけてはこなかった。



 自分の部屋に戻り、ドアを閉めた。
 ドアに寄りかかって、ずるずると座り込んだ。大切な傘をしっかり抱える。
 ……普通の生活、したい……。
 今の世の中ではパソコンが必需品とされているのに、パソコンやコンピュータ機器をたまに壊してしまうから、私はあまり普通の生活が出来ない。おじいちゃんはそれが、パパとママのせいだっていうけれど……。
 ――私のせいでパパとママはおじいちゃんとケンカして、ドイツに行ってしまった。
 私のパパとママは、より簡単な操作で機械を動かすことが出来るようにする……私にはよく解らないことを研究していたらしい。ある時突然、私は、おじいちゃんが『同調』と言っていることが出来るようになってしまった、と。
 ――普通の生活。普通の恋愛……。
 おじいちゃんが言うような、そういうことが出来たらいいのに。瞼を閉じると、傘を貸してくれたあの人のことを思い出した。少しだけ触れた手が、温かかった。
 ――あの人の方がよっぽど私よりも人間らしい。
 低くて落ち着いた、優しい声だった。けれどほとんど喋らなかったから、聞けなかった。もっとあの人と話をしたかったのに、恥ずかしくて私の声はとても小さくなってしまった……。
 ――背も高かった……。
 どうして見ず知らずの私に傘を貸してくれたのかしら? だって自分が濡れてしまうじゃない……。どうして……? ――私だったら……出来ない。


 ……もしも『普通』が手に入るのなら、あの人の傍にいたい……。


 傘を返しに行かなくちゃ。でも傘を返してしまったら、あの人との繋がりが何も無くなっちゃう……。何か、お礼の……ハンカチでも用意して渡そうかしら。
 デジモンって、もっと怖いんだと思っていた。けれど、違った。あの人と仲良くなれたらいいのに……。
 今頃、もう家に着いたのかしら? 家族で暮らしているのかしら? それともひとりで暮らしているのかしら……?
 くうっと、お腹が鳴った。
 私は傘を部屋の窓の近くに広げて置いて、部屋を出た。
 キッチンでご飯を食べる。おじいちゃんは冷たいスープなどを用意していてくれた。おじいちゃんにひとりで夕食を食べてもらっていたことには罪悪感を感じた。



 梅雨の晴れ間のある土曜日。
 私は精一杯のおしゃれをして、家を出た。傘と、プレゼント包装されたお礼のハンカチも持った。
 おじいちゃんには、あのお店にまた行くことを言わなかった。
 電車に乗って、通学に使っている駅で降りる。学校とは駅を挟んで反対側にある、そのカフェに足を運んだ。
 ――『皐月堂』、ね。覚えておかなくちゃ……。
 お店の前に行こうとしたけれど、急に足が竦んだ。
 ――もしも、冷たいことを言われたらどうしよう……。
 その少し離れた場所から、『皐月堂』をしばらく眺めていた。


「きみは人間なのに、彼のことが気になり始めている」


 突然、声をかけられた。気付かなかったけれど、隣にいつの間にか男の人が立っていた。
 ――この人、何なのかしら?
 まるで喪服のような黒いスーツを着ている。けれど、銀髪だった。少し短めの髪を逆立てるような髪形……。
 その人は私を見下ろして、
「彼は冷酷だと言われている。それなのにきみには優しいみたいだ」
 と言った。
 ――冷酷……? そんなことないのに?
「でも、きみに優しいのも今だけかもしれない」
 と言った。
 ……どっと、強い風が吹いた。
 ――きゃっ!
 その風に驚いて両腕で顔を覆うと、しばらくして風が止むのを待った。
 いつの間にか、いなくなっていた……。
 ――今の人、どこに行ったの?
 首を傾げたけれど、なんだか薄気味悪い人だったからそれ以上は気にするのをやめた。
 お店のドアの前に立つ。深呼吸して、それを開けた。
「いらっしゃいませ」
 この前来た時と同じように、目の前にあの人が立っていた。
 心臓の音が跳ね上がった。
「……久しぶり」
 一言そう言う彼が、わずかに微笑んだ。
「……あの……」
 ――挨拶しなきゃ! 傘を返さなくちゃ! お礼言わなくちゃ!
「……先日はありがとうございました……」
 そこまで言い、いくつもの視線を感じた。店内から……。
 ――この人、人気あるのね……。
「……傘を貸していただいて助かりました。ありがとうございました。……お礼に、よろしければお使い下さい」
 そう言い、最後に頭を下げた。
「お気遣いなく……かえって申し訳ない。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
 私はもう一度頭を下げた。
『皐月堂』を出て、私は振り返った。
 ――また今度、ここに来よう。
「そうだね、そうした方が彼も喜ぶ」
 ――?
 また、先ほどの男の人がいた。
「けれど気をつけた方がいい。彼はデジモンだ。きみがあらゆるコンピュータ機器と同調出来ることを知ったら、きみのことを嫌うかもしれない。――他の人間達以上にね」
 私はびっくりしてその人を見つめた。けれど、
 ――消えた?
 また、いなくなった。私は周囲を見回した。とても気味が悪かったので、私はその場を離れて家に帰ることにした。



 家に帰ると、おじいちゃんはアレックスを散歩に連れて出かけているみたいだった。
 私は自分の部屋に行き、ベッドに腰を下ろした。靴を脱いでころんとベッドに転がる。
 ――変な人がいてちょっと怖かったけれど……。
 ハンカチ、渡しちゃった! 使ってくれるかしら……?
 月曜日に学校の帰りに行ってみようかしら。おじいちゃんには内緒で……。

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