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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
シネマの国のアリス Side:DOBERMON
 ゴールデンウィークまであと数日に迫ったある日。
 友人から借りていた映画のビデオテープを徹夜で観ていたので、朝から寝不足気味だった。
 ……欠伸を一つ、噛み殺す。
 今日はついていない日だと思う。早朝にビデオを返しに行くと、延々とソイツが付き合っている彼女についての愚痴を聞かされた。「そんなに嫌なら別れればいいのに」と言ったら、別にそこまで嫌じゃないと言う。
 ――誰かを好きになったことはないから、正直、さっぱり解らない……。
 他人に対して無頓着で、良く言えば寛容、悪く言えばどうでもいい。誰かを好きにならないから、誰かに好かれたいとも思わない。友人は大切にするが、恋愛には興味がなかった。
 ――映画の観過ぎなのかもしれないが、どうせ現実の世界で興味を惹くような女はいない……。
「……」
 自分の真紅の瞳を隠すために掛けているサングラス越しに、世界は広がっている。
 今日はついていない日だと思うもう一つの理由は、いつも瞳の色を隠すために使っているハードコンタクトレンズをうっかり水道に流してしまったことだ。新しいものを買うために趣味の映画観賞を何本か我慢しなければならない。
 ――サングラスをかけて大学の講義を受けるわけにもいかないから、仕方ない……。
 とにかくさっさと自分の家に帰ろう。まずは、一眠りするに限る。
「……」
 でもまあ、あの映画は良かった。メジャーではないからDVDを探すのも困難で、貴重な映画だ。


 ――『不思議の国のアリス』。


 あの話をそのまま映画化、もしくはモチーフにして作られた映画は無数にある。その中でもかなり古い映画だった。テレビで再放送したものを録画したビデオだったが、映像の色合いが綺麗だった。アクション映画ばかりではなく、たまにはああいう映像美術的な価値のあるものもいい。
 ふと、バラの花の香りに足を止めた。
 ――ああ、バラの咲く時期だな……。
 バラを植えるのが近隣で流行っているのか、その道の両側のどの家の庭先にもバラが植えられていた。
 駅から来る時には気付かなかったなと思いながら、なんとなく今朝まで観ていた映画の内容を思い出しながら、そちらの道を選んでみた。真っ白いバラの花をペンキで赤く塗るアリスを思い出しながら……。
 再び歩き出したが、ふと、また私は足を止めた。英語の歌が聞こえてくる。どこまでも透明で綺麗な歌声に耳を澄ませた。
 ――女の子?
 その歌が、ちょうど今朝まで観ていた映画で使われていた曲だと気付くのには、さすがに数秒かかった。
 ――まさか、な。偶然だ、偶然……。
 そう自分に言い聞かせて振り返る。
「――――!」
 先ほど自分が通った道とは真逆の方から、女の子が現れた。
 透き通るような金髪が揺れる。まるでアリスだと、一瞬思った。でも違った。
 ――時計ウサギ、か。
 漆黒のセーラー服の胸ポケットから懐中時計を取り出し、時間を気にしながら歩いている。両耳の上より高い位置でそれぞれ結った髪と、先を長く垂らした黒く細いリボンが歩調に合わせて揺れる。
 立ち止まっている私の方へ、時計ウサギのようなその子が歩いて来る。
 時計ウサギは音をさせないように懐中時計の蓋を閉めた。セーラー服の胸ポケットに懐中時計を滑り込ませる。そして顔を上げた。白い肌、薄い水色の瞳――。
 時計ウサギは私に気付いて、歌うのを止めた。頭を下げる。
「おはようございます」
 近所に住む人だと思ったのだろう。
「――おはよう……」
 何もためらわずにそう言った自分に、驚いた。
 時計ウサギは下げた頭を上げた。金の絹糸のような髪だと思った。
 私の横を、時計ウサギは通り過ぎて行く。私は振り向き、その後ろ姿を目で追う。
 バラの花を眺めながら、時計ウサギはまた歌を歌い始めた。やはりどう考えても、あの映画の中でアリスが歌う曲だ。
 やがて角を曲がって駅の方角へ……。その子の姿は、やがて見えなくなった。



 ――どうして、後を追わなかったんだろう。
 あれからだいぶ日も経ち、ゴールデンウィークまで終わってしまったのに、まだ後悔していた。何度か、あの時間にあの場所に足を運んでみたが……。
 ――当然だ。世間はゴールデンウィークで、学校は休みだ。
 制服を着ていたのは覚えている。けれどもどんな制服だったのかまではあまり覚えていない。もっとも、覚えていたとしても、女子高生の制服に興味はないので、どこの学校かまでは解らない。
 時計を気にするあの女の子のことは、白昼夢だったのかもしれない……と思えるようになったある日。偶然、また見つけた。
 その日、バイトの帰りに本屋に立ち寄った。映画専門の雑誌を買うためだ。いつもは大学の生協で買っているが今日はたまたまそこで買おうと思った。
 開いた自動ドアから店内に入ると、店の右手側にある目当ての棚へ向かった。


 ――いた……!


 あの女の子がいた。
 とても驚いたが、もっと驚いたのはその子が雑誌を真剣な表情で立ち読みしていたことだった。
 ――時計ウサギが、本屋で立ち読み……。
 思わず、一本隣の本棚へ足を運んでしまった。
 ――私が隠れる必要があるのか?
 そう思ったが、とにかく気になる。真剣に何を読んでいるんだろう?
 ずいぶん長い間、彼女は雑誌を読んでいたが、そこに彼女の友達らしい同じ制服を着た女の子が寄って来た。
「アリス。そろそろ電車の時間じゃない?」
 ――『アリス』――!?
「うん……」
 その子はポケットから懐中時計を取り出して時刻を確認して、雑誌を本棚に戻した。
 友人と楽しそうに話をしながら、あの子は店を出て行く。
 ――『アリス』というあだ名か? この近くの駅を使っているのか! あの制服は、駅の向こうにある学校のものだ……。
 そんなことを考えながら、その子が立ち読みしていた雑誌を探した。
「……」
 それは自分が買う予定の本日発売の映画専門誌だった。好きな俳優のインタビューでも載っていたのかと、無性に気になった。



 バイトの帰りにその本屋に行くようにしたものの、やはり『アリス』は現れない。まさか本当にあの雑誌だけが目当てだとは思えないのだが。
「――!」
 次の雑誌の発売日に、また『アリス』はいた。
 学生が買うには少し高いその雑誌の発売日は月に二回。
 ――気になる……。
 おそらく、私があの日観たばかりの映画を、彼女も最近観ていたんだろう。だが、あの映画はかなり――言葉が悪いがマニア向け……。
 ――いったいあの子はどういう映画が好きなのか? 『アリス』というのはあだ名なのか?
 訊いてみたい。だが、突然知らない男から声をかけられても困るだろう……。
 気が付くといつも……いつのまにか『アリス』のことを考えている。次の雑誌の発売日に、彼女がまたあの場所にいるのか?と、それだけが楽しみになっている。驚いたことに映画よりも楽しみになっている……。
 ――もう、いいかげんに声をかけてみようか。たぶん、私はあの子が好きなのだろう。
 そんなことを考えるようになったが、実際に行動に移す勇気はない。
 ――まあ、このままでも仕方ないか……。
 結局、そう思って諦めようと思った。自分の性格は自分が一番良く知っている。今さら変えられるものでもない……。



 梅雨空の続くある日。
 その日も朝から雨が降っていた。
 夕方頃、バイト先のカフェ『皐月堂』のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
 いつも通りに声をかけてから、それが誰なのか気付く。
 雨の中、傘を差さないで走ってきた様子の女子高生が、息を切らしながら立っていた。腕にはしっかりと通学用バッグを抱えている。それと、あの本屋のビニール袋も。
 ――『アリス』……!? どうして?
 『アリス』は呆然と……けれど戸惑い気味に私を見上げる。それがなぜなのか私は解らない。
「あの……」
 『アリス』の視線が私と店内を交互に見るので、ようやく私は気付いた。
「失礼しました。どうぞ」
 店内の窓側の席に案内しようとすると、その子は戸惑う。制服を着ていたことに気付いて、私は外から見えにくい場所に案内した。その制服が、お嬢様学校と有名なエスカレーター式の学園のものだとは知っている。おそらく校則で、こういう場所に立ち寄るのは禁止されているのだろう。
 ……そう考えると発売日に雑誌を立ち読みするのも、彼女にとってはかなりの緊張を強いられるものなのかもしれない。だからあんなに真剣になっていたのかもしれない……。
 ポケットから白いハンカチを取り出して、『アリス』は髪や肩を濡らした雨の雫を拭く。席に付くとメニューをざっと見て、ホットのカフェラテを注文した。
 カウンターの傍に立ちさりげなく様子を見ていると、あの本屋の袋を開けた。
 ――今回の号は買ったのか……。
 嬉しそうに雑誌を読んでいる。
 ホットのカフェラテを持っていくと、『アリス』は私の方を見て、けれどすぐに視線を伏せた。
「……ありがとうございます……」
 綺麗な声だ。けれど、以前に歌っていた時よりもずっと小さい。怖がられているのかと思った。今日はコンタクトレンズで瞳の色を隠していなかったから……。
 ――隠しておけば良かった……。
 激しく後悔に苛まれた。だが、今日は明け方まで提出する課題の作成に追われていたのでそんな時間もなかったのだ。
 『アリス』は時々、こちらを見ている。けれども私と目が合うと逸らす。
 ――それとも、この瞳が珍しいのか?
 複雑だった。私は珍獣ではないのに。……けれども腹が立たない。むしろ、どちらかというと嬉しい気持ちの方が強い。
 カウンター越しにマスターに呼ばれた。マスターは
「余っているから」
 と、チョコレートケーキが一切れのった皿をカウンターにのせる。
「え……?」
「知り合いなんだろう?」
 それが『アリス』のことだと、すぐに気付いた。
「……まあ、そういうものかも……」
「え……?」
「いえ……ありがとうございます」
 私はケーキ用フォークを取り、その皿を銀のトレイにのせる。
 ――さて、どう言って渡せばいいのか?
 『アリス』はやはり、普通の反応をした。
「……あの……こちらは……?」
 戸惑っている。
「――雨が降っていますので……」
「?」
 アリスは首を傾げる。
「……雨……ですか?」
「お客様が少ないので……」
 そこまで聞けば、これが余っているものであることは解ったらしい。
「ありがとうございます!」
 予想以上に嬉しそうだ。
 ふと、――『アリス』の開いている雑誌のページに目が止まる。
 それは、チョコレート菓子を作るパティシエが主人公の映画の紹介ページだった。
 ――偶然だ。
 アリスのことを最初に見かけたのも。
 本屋でまた目撃したのも。
 映画が好きだと知ったのも。
 そして今日ここで会ったのも。
 それに、このチョコレートケーキのことだって――全部、偶然だ。
「ありがとうございます。喜んでいました。――ちょっと二階、行ってきます。すぐに戻りますから」
 私はマスターに一言告げると、二階へ上がった。
 ――朝から雨は降っていたのに、なぜ『アリス』は傘を持っていないのか? もしかしたら、本屋の店先に置いていて、置き引きに遭ってしまったのかもしれない。
 いつもあの映画雑誌を買えなくて立ち読みしていたのに今日は買っていたから、もうその場しのぎのビニール傘を買う金もないのかもしれない。
 ――だが、雨宿りついでにカフェラテを注文するには、金は足りた……と。
 二階には従業員が使う更衣室やロッカーなどがある。
 バイトが使う傘立てから、もうほとんど乾いている自分の黒い傘を手に取る。それを持って一階へ戻った。



 バイトが終わり、制服から私服に着替える。
 ドアの影にある傘立てには、もう傘は残っていない。けれどもちろん『アリス』には「もう一本予備の傘があるから」と言って渡した。最初は遠慮して断ったが、二度、三度すすめると、遠慮しつつ礼を言って受け取ってくれた。申し訳なさそうだった。
 ――『アリス』はきっと、あの傘を返しにまたここに来る。
 もしも偶然が重なっただけなら、『次』はないかもしれないと思えたから。もう一度、今度は偶然には頼らないきっかけを、自分で作らなければと思ったから――。
 ここまで誰かのために何かを考えるのは初めてだ。
 ――『アリス』は無事に駅に着いただろうか……。『アリス』はいつ頃、また『皐月堂』に来るのだろう……。
 外に出た。さっきよりも雨の勢いは強まっている。
 雨宿りのついでに雑誌を買って帰ろうと、本屋へ足を向け――気付いた。
「――!?」
 私が渡した傘を差して、『アリス』が少し離れた道端に立っていた。
 ――まさか、ずっとここにいたのか?
 驚いてそちらに近付くと、『アリス』も急いでこちらに来た。
 私の髪を濡らす雨が、頬を伝った。
「……たぶん、この傘しかないんじゃないかと思って……」
 背伸びをして傘を差しかけてくれる。……『アリス』の耳が赤い。
「――どうして?」
 傘を受け取ろうとして、彼女の手にわずかに触れた。冷たい手だった。雨の中で立っていて風邪をひかせてしまったら申し訳ない……。
 『アリス』が濡れないように気をつける。
「……誰かに貸すのなら、予備の傘の方を渡すんじゃないかしら?と思ったんです……」
「そうか……」
 なかなかの推理力だ。
「駅まで送ろう」
 と、『アリス』を促した。私達は歩き出した。
 ――何を話せばいいのだろう?
 ――突然、映画のことを訊いたら驚かせてしまう……か。
 『アリス』は恥ずかしそうにしている。下手に何か話しかけたら、時計ウサギのように逃げ出してしまいそうだ。
 ……結局、ろくに話も出来ないまま、名前も聞けずに改札口前で別れた。せっかく『アリス』と話をするきっかけが出来るかもしれないと思ったが、そう上手くはいかないもので……。こういう時にどう言っていいのかも解らないまま……。
 でも、傘は『アリス』に貸した。――正しくは、押し付けた……。私の家は駅からさらにバスで行くところにあり、ほとんど傘は使わないから、と。それは嘘ではない。
 ――そのうち、また会える……。
 それも、次の雑誌の発売日前に。きっと『アリス』はそれよりも早く、あの傘を返しに来る。
「……」
 自分の分の雑誌を買っていなかったことに、ようやく気付いた。すっかり忘れていた。明日、大学の生協で買おう……。


 『アリス』が彼女の本当の名前だと知るのは、ずっと後のことだった――。



《ちょっと一言》
 この話は、元は友人のkouhさんが描いてくれたイラストのイメージで書いた話です。ご許可をいただきPC用サイトに掲載していて、今回、こちらのケータイ用サイトにも掲載しました。

 本文中に出した『不思議の国のアリスの映画』について。昔、テレビでの再放送(?)で見たもののイメージです。今となってはあれがどこの国のものか、映画なのかドラマだったのかも解らないのですが、とにかく印象に残っていたので…。
 ちなみにそれは実写版で、映像が幻想的なものでした。

 この話、PC用サイトに掲載した当初は“アリスが懐中時計の蓋をカチリと音をさせて閉めた”という行動を書いていましたが、このような形状のものは蓋を鳴らして閉めると金属が磨り減り『末永く愛用』出来なくなってしまうようです。この作品内のアリスの性格には合わないので内容修正しました。アンティークものって奥が深いですね。

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