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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編20
 マスターがナースセンターに知らせに行ってくれるという。
 私も病室から外に出て、急いでレナを探した。いったいどこに行っちゃったのかしら?
 ――もしも、本当はウイルスに感染していたら……?
 不安が募る。どこを探しても姿は見えない。どこにいるの?
 廊下の窓ガラスから外に視線を向けた時、金色のものを見た。急いで窓に駆け寄った。
「――!」
 隣の病棟の屋上に、キュウビモンがいる!
 急いで私はそちらに向かった。
 長い廊下を走る。エレベーターがなかなか来ないので、階段を探して駆け上がった。息が苦しくても足が痛くても、急いだ。
 ようやく屋上へ辿り着いた。雨がまた降り始めていた。
 彼は、屋上のフェンスから向こう側の世界を見ていた。四肢や九本の尾の先に灯る青白い炎は、雨に濡れても消えない。
 非常口のドアが音を立てて閉まる。
 その音に気付いた彼が振り向く。驚いている。
「そんなところで、何をしているの? ほら、早く! 風邪引くじゃない!」
 キュウビモンはこちらに来ない。
「こっちに来て!」
 怒鳴ったけれど来ない。
「――私が……私が風邪引くじゃない!」
「――」
 キュウビモンの体がしなる。トーンと、跳んだ。あっという間に、私のすぐ目の前に来る。
 あまりにも突然だったので、私は驚いて身を引いた。
 キュウビモンが私に擦り寄る。
「ちょ、ちょっと!」
 肩を押されたので、私は後ろを向いた。私の背中を、キュウビモンは額で軽く押す。
「……こら!」
 私は彼に向き直り、彼の顔を両手で軽く挟んだ。
「私のことばっかり気にして! 自分のことも気にしなさいよっ!」
 彼が、私の左肘の裏側に鼻を近づける。悲しそうな声で鳴く。そこには注射の跡が有る。
「……テイルモンさん、注射上手だったよ。全然痛くなかったんだから」


「――ル、キ……」


 ――え?
「……ル……」
「喋れるの? 少しなら、喋れる?」
 私は彼の額にキスをした。
「無理しなくても大丈夫だから。もしもまだ入院するような結果が出たら、毎日お見舞いに来るから」
 不安そうな色を湛える彼の瞳に、ほんの少し笑いかける。
「――昨日ね、眩暈がして座り込んじゃったの。ちょっとだったけれど。そうしたら、キュウビモンが起きたから……。もしかしたら、キュウビモンには解ったのかもって……そういうことだったらいいなって……思った……」
 キュウビモンは、目を丸くして私を見ている。
「……そんなに見ないでったら!」
 私は背を向けて、非常口まで走った。扉に手をかける。
「ほら、早くして!」
 キュウビモンは急いでこちらに来た。


「そういうことがあるんだ? 興味深いね」


 誰かの声が響く。
 キュウビモンが弾かれたように体を向け、警戒する。
 ――他に誰かいるの?
 いつのまにか屋上のフェンスの上に人影がいる。――三人?
「――それって、絆ってやつ?」
「そんな生ぬるい言葉、吐き気がする」
「大したことはない。その類いのものほど、もろく崩れやすいものはない」
 黒のスーツ姿、黒いネクタイ。喪服のような姿だけれど、それぞれ、金髪だったり、灰色だったり、くすんだ暗緑色に染めていたりと髪の色は違う。そしてそれぞれ、頬などに奇妙な文様が浮き上がっている。
 彼らにも雨は降り注ぐ。けれど、――なぜか、不自然さを感じる。
 ――なんなのよ、この人達……!
「『バッカスの杯』の改良品、――どんな調子なの?」
 そう、灰色の髪の男がキュウビモンに訊ねた。
 ――改良品!?
 キュウビモンは牙を剥き出し、唸り声を上げた。
「まだ、効果は出ていないだろう? だが、『砂時計の砂』が全て落ちる時は来る」
 金髪の男がそう言い笑う。
「楽しみ! 今回はデジモンだけじゃなく人間も襲うようにしたからね☆」
 灰髪の男がくるりと一回、フェンスの上でターンをした。
「今週末。八月十八日、金曜日。零時零分、ジャスト」
 暗緑髪の男が、淡々とそう言い、眼鏡のずれを直す。
「それまで、せいぜい、悪あがきしてね〜」
 灰髪の男は、まるでサーカスの曲芸のように、先ほどとは逆方向に一回、ターンした。
 キュウビモンが飛びかかるまえに、非常口のドアが開いた。
 マスターだった。走り、マスターは私達の前に立つ。
「何者だ!?」
 金髪の男が嘲笑う。
「『バッカスの杯を掲げよう』」
 そう言い、金髪の男はマスターを指差す。
「――覚えているか? 五年前を?」
 マスターが弾かれたように金髪の男に飛び掛った。金髪の男は右手をかざし、シールドのようなものを張る。マスターは弾き飛ばされた。屋上に手を付き、着地したマスターの体が一瞬の強烈な光を帯び、そこから獅子頭の獣人が現れる。
 ――マスター!?
「我々は貴様を覚えている。――貴様は我々を知らないだろうが」
 暗緑髪の男は言った。
「おっと! ここをバトルフィールドにするつもりはないよ?」
 灰髪の男がニヤリと笑う。
「必要な小道具が揃ったら、招待状を届けよう」
 暗緑髪の男は言った。
「今度こそ、『バッカスの杯』に酔い、破滅の酒宴が始まる」
 金髪の男が高らかに宣言した。
 そして――彼らは消えた。
 マスターは雨の中、立ち尽くしている。再び光に包まれ、先ほどと全く同じ――人間の姿に戻った。



 退院する支度が終わっても、レナは黙って、ベッドの縁に腰掛けていた。
 私には信じられない。レナは普段通りのまま。それなのにウイルスに感染しているという。『バッカスの杯』の改良品だと言っていたけれど……。
 ――デジモンだけじゃなく、人間も襲う――。
 五年前の事件と言われても、私はそんなことを聞いたことは無い。人間側には情報が行き渡っていないのかもしれない。デジモン同士だけに起きることだったから、一般には事実は伝えられなかったのかもしれない。
 もしも、今回のウイルスが『人間も襲う』と知れたら? パニックが起きる。デジモンの存在を排除しようとする、きっと――。――デジモンであるというだけで、きっと……!
 マスターがレナのいる病室に戻って来たのは、ずいぶん時間が経ってからだった。
「検査ではウイルスは確認されていないらしい」
「じゃあ……」
「病院側に報告したが、このまま退院させる」
 マスターがそう言うと、レナが、
「それがいい。――ついでに、どこか別の場所に閉じ込めてもらった方がいい」
 と言った。
「――レナ!?」
 私は驚いてレナを見つめた。けれどレナは、私を見ようとしない。
 マスターが言った。
「他のデジモンへの感染力は、今のところはっきりしていない。けれども奴らはキュウビモンの前にまず現れた。もしも私がウイルスに感染していたとするならば、先に私の前に姿を現していたはず。――恐らく、
今、彼らが改良したウイルスに感染しているのはキュウビモンのみか、他にいたとしてもまだ限られているだけか……」
「……」
「彼らが本当に用があるのは、私だけのはずだ」
「どうして?」
 マスターは、それには答えない。
 ドアをノックする音がした。ウィザーモン先生だった。白衣ではなく、スーツ姿だった。
「私も同行します」
「!?」
 マスターが驚いている。
 ウィザーモン先生は私達の方へ歩み寄る。
「退院しても、まだキュウビモンはうちの患者ですから」
「ウィザーモン……」
「あの事件で多くの者が家族を失った……。本当の結末を見届けたいと思います。それに、」
 ウィザーモン先生が背広の内ポケットから、一通の白い洋封筒を差し出す。
「先ほど、机の上にありました」
「「「――――――――!!!」」」
「どうやら、私にも用があるらしい」
「なぜ?」
 レナが訊ねると、
「あのウイルスの無効化ワクチンを作ったのは私です」
「本当なんですか?」
「今は小児科、内科勤務ですが、昔はそういう場所で働いていました」
 ウィザーモン先生は言った。それをしまうと、マスターに問う。
「あの頃の関係者に連絡はしましたか?」
「昔の同僚連中に調べてもらっている」
 「そうですか……」と、ウィザーモン先生が呟く。私達を促した。
「――急ぎましょう」
 突然、勢い良くドアが開いた。
「――」
 ウィザーモン先生がそちらへ視線を向けた。そして向き直る。
「――どういうことなの!」
 テイルモンさんだった。足早に近付く。ナース服ではなく、私服――膝丈のシンプルなワンピースにヒールの高めの靴。手には、一通の白い封筒――ウィザーモン先生が先ほど私達に見せたものとは違う、一般的な縦長の封筒を握り締めている。
 テイルモンさんが睨みつけても、ウィザーモン先生は明るく答える。
「ちょっとそこまで……。用事が出来ました。出かけて来ます」
「まるで『豆腐を買い忘れたので買ってきます』って言い方しないで!」
「その程度の用事です」
「嘘! ――それならなんで、こんなものを置いていくの!?」
 テイルモンさんが、足元に封筒を投げつける。ぐしゃぐしゃに握り潰していたけれど、辛うじて『退』の文字は私からも見えた。
 ――『退』?
「……こんなにしちゃって……」
 ウィザーモン先生がそれを拾い上げる。
「丁寧に書いたものだから、こんなにされると凹みますよ」
 『退職願』の文字がようやく、私にも確認出来た。――って、退職ぅ!?
「凹んでいる場合!? 退職願を置いて、豆腐買いに行くバカ者がどこにいるっていうの!」
「そうですね……。――貴女の目の前にいるバカ者ぐらいでしょうか?」
 ウィザーモン先生が微笑んでいる。
「じゃ……」
 と、ウィザーモン先生がテイルモンさんの横を通り抜けようとした。
「質問に答えなさいよ!」
 テイルモンさんがその前方に移動して立ちはだかる。
「豆腐を買いに」
「まだ言うの!」
「秘密です」
「答えて!」
「テイルモン……」
 ウィザーモン先生が溜息をつく。
「解りました――」
「話してくれるの!」
 テイルモンさんがパッと顔を輝かせる。けれど、一瞬のうちに跳び退いた。
「――そんな小細工が私に通用すると思っているの!?」
 いつのまにか、ウィザーモン先生の手には一本の杖が握られている。
「――少し忘れて下さい。数時間程度でいい」
「本気なの!?」
「それか、……私に関する全ての記憶を消させて下さい」
「――――!」
 テイルモンさんは目を見開いた。
「ど…うして……」
「すみません」
「なんで謝るの……!?」
「謝りたいからです。そんな顔をさせてしまうから、謝りたいんです」
「私がどんな顔をしてようが、別にそんなこと、どうだっていいことじゃないの!」
「いいえ。私には大切なことですから」
 ウィザーモン先生が杖を掲げようとする。
「――私が何も知らないと思っているの!」
 テイルモンさんが言い放った。悲鳴のような声だった。
 ウィザーモン先生は手を止めた。
「資料室の奥のファイルラック。赤い背表紙のファイル――見つけたの。読んだわ。昨夜……」
「――よく、あれに辿り着いたものですね」
「そんな誉め言葉いらないわ! あれが事実なら――あの犯人の仲間がまだいるとしたら……アンタ、絶対、消されるのよ!」
「……」
「――どうして返事しないのよ! あの五年前の事件――あのワクチンが無かったら、大勢のデジモンが死んでいた……私だってそうだった! 結局あのワクチンがあったから、あれ以上の犠牲者が出なかったんじゃない! あの犯人の目的を阻止したアンタを、生かしておくわけがないじゃないの!」
「――『最善を尽くす』って……」
「え……」
「貴女はいつも、そう言うでしょう? ――とても励みになります。今、私なりに、最善を尽くしたいんです」
 テイルモンさんが顔を真っ赤にして怒鳴った!
「いい加減にしなさいよ! そんなに励みになるっていうなら、私も同行するわ!」
「危険ですからやめて下さい」
「私が決めたことだから、好きなようにするから! 勝手に記憶消されるよりはマシよ!」
 ツーンッと、テイルモンさんは顔を背けた。
「テイルモン!」


 ――何かが、舞い落ちた。
 それは、白い封筒だった。


 私達は息を飲んだ。
「これは! 招待状!?」
 ウィザーモン先生が拾い上げる前に、テイルモンさんがそれを引ったくるように拾い上げる。
「――ふ〜ん。私にも? 犯人から? ――上等じゃないの!」
「テイルモン、待って下さい!」
「すぐに支度してくるから! ――置いていったらただじゃおかないから!」
 そう言い、出て行ってしまった。
 ウィザーモン先生が、がっくりと肩を落とした。
「どうも……彼女のペースは崩せないんですよ……。……まいった……」
 ――無理なんじゃない?
 そう思ったけれど、言わなかった。
「これで、招待状は二通」
 レナがベッドから下りた。枕の下、ベッドの横にある棚の上や引出しの中、自分のバッグの中を覗く。
「――無い」
「私の分もまだ無いもの」
 そう言うと、レナが厳しい目を向ける。
「留姫は家に帰って」
 その言葉に
「留姫は同行させる」
 と、マスターが言った。
「そんな!」
「留姫の声でキュウビモンの感情制御が可能なら、居てもらう必要がある」
 レナの足元に、いつのまにか、白い洋封筒が落ちていた。
「――――!」
 レナはそれを掴み、中身も見ずに握り潰す。
 私も自分のバッグの中を見ようとして、ふと、自分の足元に白い洋封筒が落ちていることに気付いた。
「いつのまに?」
 拾い上げて、金茶の封蝋が施された封を開けた。中から、黒いカードを取り出して広げる。
 一言。
「"Welcome."――」
 マスターが考え込む。
「私の分は?」
「すぐには届かないものなのかもしれない」
 レナが暗い声で呟いた。



 間もなくテイルモンさんが戻って来た。手にはかなり大きい銀色のジュラルミンケースを下げていた。
 ――何かしら?
 急いで病院を出ようということになったので、訊かなかった。

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