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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編14
「…………」
 ――どこ?
 私はゆっくりと瞬きをした。
 薄暗い部屋にいた。床はコンクリートだった。起き上がろうとしたけれど、腕が何かに捕われていてすぐには起き上がれなかった。
 ――石? 違う……氷――!?
 私の両手を拘束しているのは、大きな氷の塊だった。
 何よ、これ!? どうなっているの!?
 両手に力を込めて持ち上げてみるけれど、かなり重い氷なので相当な力が必要だった。
 ――こんな変質者じみたことをするなんて……。
 すぐにあの、私に携帯電話の番号が書かれたメモを渡した男性のことを思い出した。
 ――ここにいたら、ヤバイ!
 焦って氷を割ろうとしても、床に打ち付けるのも思うように出来ない。
「――――!」
 びくりと体を震わせた。
 物音が聞こえた。近付いて来る。
 私は慌てて、再び仰向けに横たわった。――手は、わざと自分の頭よりも高い位置に移動させた。なるべく無防備に見えるように。隙をみて、逃げ出せるように――。
 目を閉じて気を失ったふりをして待っていると、走ってきた靴音が四、五メートルほど先で立ち止まった。そして、ゆっくり近付いてきた。
 薄目を開けて、あの男性かと確認しようと……した。
 ――え――――っ!
 不気味な、恐ろしい悪魔のような姿がそこにあった。背の高さ、手足の異様な長さ――人間じゃない!
 濁り水のような色の化け物が、コウモリの羽を思わせる翼を震わせた。
 拘束具のようなベルトを巻きつけた手が、私の腕や頭を撫でる。首、そして胸まで――!
 ――あぅっ……いやぁ――!
 やんわりと胸を掴まれて、怖くてびくりと体が震えた。
「――」
 私に覆い被さるように顔を近づける。長い爪が、ノースリーブのニットパーカーの首元に引っ掛かった。そしてそれを一気に切り裂いた――。
「いやぁ――――っ!」
 我慢も一気に限界に達した。腕を拘束する氷の塊を、化け物の頭に振り下ろした。
 鈍い音がして、氷が砕けた――。
 自由になった手で化け物を押し退けると、立ち上がり、逃げ出した。
 ――どこ、出口!?
 物がやたらと多い。倉庫のような場所みたい!
 必死に走り回るけれど、裸足じゃ思うように走れない。真っ暗でどこに何があるのか解らないから、すぐに行き止まりになる。全然、ここから出られない――!
 どうしよう、どうしよう……!
「――いたいっ!」
 裸足の足で、何か鋭利なものを踏んでしまった。痛い――!
 立ち上がろうとしても、足が痛くて力が入らない。傍にある鉄骨のようなものにすがりつきながら、私は叫んだ。
「レナ――!」
 お願い、助けて!
 グシャッと、何かが潰れる音がした。その音がまた聞こえる。そして、また――。
 ――アイツ、近付いてくる!
「レナ……」
 ぐらりと、膝をついた。血の匂いがする。怖くて気を失いそうになる。
 ――いや――!
 力の入らない体で、精一杯、逃げ場を探した。けれどもう立てない……。
 不意に、薄気味悪い笑い声がすぐ目の前で聞こえた。
「――――!」
 悲鳴を上げたけれど、声にならない。
 助けて――――!
 右手を取られ、引っ張り上げられた。
「いや――っ」
 化け物が顔を近づける。息遣いで、顔が近付いてくるのが解る。
 ――やだやだやだ――っ!



 どこかで、ガラスが割れる音がした。
 その姿を見てもいないのに、レナが来てくれたんだと思った――。
 爆発音とともに、爆風が起きた。私は驚いて身を竦めた。
 目の前の化け物が、私を下ろす。私はその場に座り込んだ。
「キュウ……ビ…………」
 何かを呟き、ニタリと笑う。
 化け物に向かって、何かが飛び掛ってきた。けれど、化け物の長い腕がその何かを横に薙ぐ。
 何かが壁に激突するような音はしなかった。牙を剥き出してその何かが唸り声を響かせる。
 ――猛獣ぅ……?
 トラとかじゃない、この声は――何?
 青白い炎が舞っているのが見えた。
 目の端に、巨大な獣――妖怪の九尾狐のような姿が見えた。それが化け物に敵意を剥き出す。金色の毛並み、凛と立つ獣。水の色の瞳――。
 ――水の色……あの瞳……!
 化け物が巨大な獣を爪で切り裂こうと襲い掛かる。獣が身を翻す。二度、三度……。
 また、爆発が起きた。赤い炎が闇を照らす。
 巨大な獣の尾が揺れる。唸り声と共に、九本の尾の先から無数の青白い火炎が放たれる。弧を描きながら化け物に次々と当り、豪炎となっていく。
 化け物が不気味な笑い声を上げる。
「オマエ…ハ……ワタシト、オナジ…ダ…………」
 やがて、完全に炎に包まれた。化け物のものらしい断末魔の声が響き渡った。
「……!」
 トン、と一跳びして、巨大な獣が私のすぐ傍に降り立つ――。
 私はその獣を見上げた。――けれど、すぐに意識が闇に沈んだ。





 ――時計の、微かな音が聞こえる。エアコンの音も聞こえる。
 私は重い瞼を開けた。
 ――足、くすぐったい……。
 目を向けると、巨大なあの獣が私の足の傷を舐めている!
 びっくりして足を引っ込めると、獣も驚いて私を見つめる。
 ――治そうとしてくれていたの?
「……平気……」
 私がそちらに指を伸ばすと、その獣が怯えた目をした。
 ――そんなに大きいのに、そんな目をするの?
 巨大な獣はどこかに行ってしまった。
 起き上がると、自分が横たわっていた場所がソファの上だと気付いた。――ここ、レナの部屋だ。
 足の傷を見てみると、血はもう止まっていた。
 何かが落下する音が聞こえて、私は驚いた。
 巨大な獣がまたこちらに来た。月明かりの下、金色の毛並みが浮かび上がるように光を弾く。鼻先で、救急箱を押しやる。何度も、何度も……。
 私はずり落ちるように床に座り、ソファに寄りかかった。そして、気付いた。
「……どうしよ、これ……」
 引き裂かれたニットパーカーを指先で摘む。ライトブルーのブラジャーが見えてしまっている……。
 獣と目が合う。獣は慌てて私から目を逸らし、どこかに行ってしまった。すぐに戻ってくると、何か咥えている。
「……」
 レナのシャツだった。
 ――これを着て、と?
 手に取り、私は迷う。嫌だ……レナのシャツ借りるなんて……恥ずかしい! けれどこんな状況の中で仕方ない……。
「……借りるね」
 金色の獣は、私に背を向ける。
 私はニットパーカーを脱いでそれに着替えた。
 ――だぶだぶ……恥ずかしい……! 恥ずかしくて腹が立つぐらい!
「着たから」
 金色の獣がこちらへ体を向ける。私が救急箱の蓋を開け、足の傷口を消毒して包帯を巻いてしまうまで、その獣は私を見下ろしていた。消毒薬が染みるたびに私は小さな声を上げてしまい、その獣が心配そうな声で鳴く。
 包帯を巻いてしまうと救急箱の蓋を閉め、私はその獣を改めて見つめた。綺麗な毛並みだった。私の恥ずかしさも腹立たしい気持ちもかなりおさまっていた。
 ――これがレナの本当の姿なの? デジモンって、本当はこんなに大きな姿なの?
 もしかしたら、さっきの化け物もデジモンなのかもしれない。あの気味の悪い男性はきっと、デジモンだったんだ……!
 私はもう一度、指先をその獣に向けた。
 恐る恐る、獣がこちらに近寄る。四本の足の先は尾の先と同じように青白い炎を灯している。けれど、床がその炎によって燃えることはない。不思議な炎……。
 私は腕を伸ばしてその獣を抱えるように抱く。
「ありがとう……」
 私は頬を彼に摺り寄せた。
 獣が微かな声で鳴く。
 私は目を閉じた。その毛並みは温かく優しい。
 顔を傾け、頬にキスをした。獣がサッと離れる。
「――ッ」
 バランスを崩して床に倒れた。
「いっ…た…い……」
 痛い。けれど、それ以上に痛がってみせる。
 獣が申し訳なさそうな顔で近付く。
 ――本当にレナだ……。
 私は起き上がろうとして、――気付いた。
 ――これが……。
 レナの部屋の床が傷だらけなのは、この姿の時に床を爪で傷つけてしまうからなのね……。
 私はレナに笑いかける。
「ねえ、話せないの?」
 金色の獣は答えない。立ち上がってベランダへ行き、サッシを開けた。夜風が流れ込む。そして私の傍に戻り、寝そべる。
「――?」
 私は手を伸ばす。ふかふかして気持ちいい。少し乗っかるように首に手を回して抱き締めると、
「きゃっ!」
 金色の獣がゆっくり立ち上がった。私は急いでしがみ付いた。彼の首に飾りのように巻かれている太い紅白の縒り紐をしっかりと握る。
 ――うわぁ……。
 ドキドキする。すごくドキドキしている――。
 なんて大きいの! すごい……!
 けれど、彼はそのままベランダに出た。
「?」
 そして、ベランダの手摺りに前足をかける。
「――!」
 がくんと揺れ、振り落とされないようにしっかりとしがみ付く。
 ――えっと……なんか、似ている。ほら……。
 私は瞬きした。そう、これってもしかして。――ジェットコースターが下降する直前のような……。


 グラリと体が揺れた。
 私はしがみ付いた。
 彼が、跳んだ。


 ――きゃぁ――――っ!
 そのままベランダから遥か下の一階へ落下するのかと思った。けれど、ふわりと、何もない空中に足場があるように、金色の獣は走り出した。
 ――なんで――!?
 信じられなくて目を丸くした。眼下に、夜の街が広がる。夜風が彼の毛並みを揺らし、私の体を撫でる。
 すごい……!
 振り落とされないように必死になりながらも、夢中だった。
 やがて、どこに向かっているのか気付いた。私がいつも使っている駅の方角みたい。
 ――送ってくれるつもり?
 案の定、駅の真上辺りで金色の獣は立ち止まる。
「私の家なら、あっちよ? ほら、スーパーが見えるでしょ? あの向こうに神社があって……」
 私の言葉に従って、金色の獣は再び走り出した。
 やがて、私の家の真上で立ち止まる。
「うん、ここよ……」
 つっと、下降しようとする獣に
「待って!」
 と声をかけてしまった。
 獣は空中に留まる。
 私はぎゅっと、でも彼が苦しくないように抱きついた。
「このままでいたい……」
 私はそう言ったけれど、金色の獣は再び下降を始めた。
「……待ってったら!」
 静かに庭に降り立った彼の背から、仕方なく下りる。すぐ目の前が私の部屋だった。縁側から家に上がれる。
「……ありがとう……」
 彼にはそう言い、でも心の中では
 ――いじわる!
 と呟く。もうちょっと、空の上で一緒にいたかったのに……!
 金色の獣が、私が着ているシャツの裾を軽く噛み、引っ張る。
「――あ、返すね。ごめんね……」
 私は音を立てないように縁側から上がると、自分の部屋に向かった。適当なTシャツに着替えて、借りていたシャツを手に戻る。
「でもこれ……洗濯してから返した方がいい?」
 縁側に膝をついて、彼に問いかけた。
 彼が近付く。彼が畳んだシャツを咥える前に、私はそれをひょいと持ち上げる。
「うん――やっぱり、洗って返す。いいでしょう?」
 すると、
「――あ、ちょっと……」
 金色の獣が、私の胸にその額を擦りつけるようにする。甘えるようなその仕草に、私はドキドキした。
「――やん、くすぐったいったら……」
 ぺろんと、鼻と頬を舐められた。頬を押し上げるように、ざらついた舌が何度も舐める。
「――きゃっ…あん、やめ……」
 そして、耳まで舐められる。ぞくりとした。
「――やぁだっ」
 私は思わず耳を手で隠す。
 シャツが縁側に落ち、それをサッと金色の獣が咥える。踵を返し、あっという間に、彼は空へと駆け上がっていく。
「――あ――。ずるい……」
 私は去って行く彼の姿を目で追う。けれどすぐに見えなくなってしまった……。



 翌日。
 バイトはお休みした。ママに連れられて病院に行くと、三日は自宅で休むように言われた。傷は深くないけれど、足の裏なので安静にしているようにと勧められた。
「バイトお休みすることになっちゃって、残念ね……」
 帰り道、タクシーの中でママは私に話しかけてきた。
「うん……」
「サンダル、もっと足に合うものを買い直しましょうね」
 私のバッグとサンダルは、翌日、縁側に置いてあった。たぶん、あの後、レナが探して届けてくれたんだと思う。
「うん……ごめんね、ママ……」
 ママは今日、たまたま午前中だけ仕事が休みで。忙しい中でせっかく取れたそのちょっとの休みを私のために使うつもりらしい。
「本当はすぐにでも新しいサンダルを買ってあげたいけれど、今日は無理ね。このまま家に帰りましょう。今度の土曜日は足も治っているだろうから、お洋服とか買いに行きましょうか? それとも映画でも、たまには二人で観る?」
「うん……」
 『足に合わないサンダルを履いて行って、デートの帰りにあまりに痛いので脱いで歩いていたらケガをした』……ことにした。レナに迷惑をかけたくなかったので、レナと別れてからケガをしたことにした。レナにはそのことをメールしておいた。
 ――初めて送るメールの内容がそれになってしまうとは。がっかり……。
 『皐月堂』は今週末、お盆休みを取ると聞いている。金曜日から日曜日まで。マスターが里帰りをするらしい。
 ――五日間もレナに会えないなんて……マジ、死んじゃう……。
 どんどん落ち込んできた。
 ――レナに会えないなんて、レナに会えないなんて……。今ごろ、バイトしているんだろうな……。あの姿はあの時だけで、いつもの人間の姿に戻っているんだろうな……。
「あのね、留姫ちゃん……」
 ママが私を気遣う。
「本当にごめんなさいね。もっとサンダルが足に合っていれば、留姫ちゃんはバイトを休むこともなくて……」
「気にしないでよ、私が悪いんだから……」
 私はタクシーの座席に沈み込むように体を押し付けた。
「この休みの間に、宿題全部終わらせちゃうわ。後の夏休みを満喫するから!」
 ママはホッとしたようだった。

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