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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編3
 階段を駆け上がって来る無数の足音が聞こえてきた。近づいて来る。
「こっちです!」
「急げ!」
 やがて医師、看護士さん達が息を切らしながら駆け上がってきた。
「緊急警備を!」
「DNSSに至急で……」
 『逃げた』だの『逃走した』だの……そんなことを口々に言っている。アリスの病室を見てそれに、『連れ去る』とか『拉致』とかいう言葉が足されていく。
「留姫っ――――」
 階段の方から猛スピードで走って現れたデジモンがいた。私達は驚いてそのデジモンを見つめる。見たことのないデジモンだった。けれどじっくり見ている暇もない。
 獣と人間の間――まるでレオモンの姿のマスターを思い出した。金色に輝く毛並みの狐に似た姿のそのデジモンは私に駆け寄ると、
「無事だった? 良かった! すまない、」
 と、私を――まるで荷物を取りに来た、ぐらいの勢いで抱きかかえる。
「一緒に来てくれ!」
 その声はキュウビモンに似ている。キュウビモンよりは高く、ポコモンに比べればずっと低い。
 彼は私を抱えたまま近くにある非常口へと走り、そのドアを開ける。非常階段に出た。デジモンの病院だけあって、非常階段も広い。
 彼は私を抱えたまま、非常階段のコンクリートの手すりに飛び乗る。
「どこに行った?」
 一瞬、その目と耳、それ以外の恐らく感覚全てを使って、彼は何かを探す。すぐに、
「こっちかっ!」
 と、階段の手すりからさらに上へ、駆け上がる。私は無我夢中でその腕にしがみついた。速過ぎて怖い。悲鳴が喉に張り付いて、出ない――。
 そう、『彼』なんだ、と、脳の片隅が答えを弾き出している。
 ――ポコモンから進化? まさか、これがレナのデジモンの時の姿、『レナモン』――――!?
 レナモンはそのまま、屋上へ。フェンスを飛び越えて、そこへ降り立った。
「ドーベルモン!」
 レナモンが鋭い声で呼んだ。
 屋上にいた! 横たわるアリスに寄り添うドーベルモンさんは、こちらを見ようともしない。
「私ハ……」
 ドーベルモンさんの呟きが聞こえる。
「私ハ……私ハ……」
 私は肩を震わせた。
「こんなことって……ひどい……!」
 私は、ぼろぼろと涙をこぼした。ドーベルモンさんの心が悲鳴を上げていると感じたから。レナモンにしがみついて、泣き続けた。
 ドーベルモンさんがアリスを見つめていたのは? 傍にいたのは? 守ってくれたのは……何のため? それはアリスのためで、そしてアリスを好きだという自分のためだったはず。ごちゃごちゃした理屈無しに本当の愛情だと信じたい。だって……ドーベルモンさんはそれを知ってこんなにショックを受けているんだもの。
「必要だったことが重なってこんなに辛いことが起きるのなら、今この瞬間までの時間って一体なんだったというの……」
 やり場のない、怒りのような気持ちが湧き起こる。
 レナモンは私を抱えたまま、ドーベルモンさんに歩み寄る。ドーベルモンさんからは先ほどの気迫は感じられない。
「私ハ……違ウ……」
 ドーベルモンさんはアリスの頬に自分の鼻を押し付ける。ドーベルモンさんの体が消え……、その場には小さいデジモンがいた。
「ドーベルモンッ!」
 レナモンが駆け寄る。ドーベルモンさん達の傍に来ると私を下ろした。
「ドーベルモン! しっかりしろ!」
 レナモンはその小さいデジモンに呼びかける。
 私はアリスを抱え起こそうとした。
「アリス、しっかりして!」
 けれど、レナモンに止められた。
「待って、留姫! そのままで。医師達を呼んで来るから、二人を動かさないように見ていて」
 レナモンは元来たように走って行く。
 レナモンを見送り、私はアリスの傍に膝をついた。
「アリス……しっかりして……」
 血の気の失せた頬に触る。
 アリスの目蓋がほんの少し揺れた。
「アリス、目を覚まして!」
 長い睫毛が揺れ、アリスは薄く目を開けてこちらを見た。綺麗な水色の瞳は、儚げに揺れる。
「る…き……。わたし……」
 私はアリスの手を取り、両手で包み込む。その手の平に自分の頬を押し当てた。
「アリス……」
 アリスはぼんやりとした声で、
「ドーベルモ…ンは……?」
 と訊ねた。
 私は泣きそうになるのを必死に堪えた。
「いるわ……アリスのすぐ傍に、ちゃんといるから……」
「よかった……」
「アリスを一人になんかしないわ……ドーベルモンさんはアリスを愛しているんだもの……」
「……わたしも……あいしている……」
 アリスはそう呟き、目蓋を閉じた。
「アリスッ!」
 驚いたけれど、息をしていることはすぐに確認出来たのでほっとした。
「アリス……ドーベルモンさん……」
 私は二人を見つめた。
――数字なんか……あてにはならないわよ。私は絶対、そう思うわ……。
 心の中でそう呟いた。


   ◇


 すぐに転院する準備が整った。アリスからドーベルモンへ『能力』を移すことは口で言うほど簡単なものではないらしく、レナモンも付き添いを兼ねて一緒に移されることになった。だから私も一緒に行くことになった。
「デジモンと人間の両方を治療出来る病院に移動するから」
 レナモンにそう言われた。
「うん……」
 私はレナモンを見上げた。
「どうかした?」
「え?」
「私の顔に何かついている?」
「えっと……なんでもない」
 レナモンはふわりと尻尾を振った。
「……行こう」
 私に手を差し出す。
「う、うん……」
 手をつなぐと、レナモンに手を引かれるように歩く。
 レナモンの姿には慣れていないから、なんだか恥ずかしいしくすぐったい。綺麗な毛並みで、力も強くて……。
 ――尻尾、ふかふか……。後で触ってみてもいいかしら? 怒るかしら?
 大きなレナモンの尻尾が揺れる。
 病院の救急車が止まる場所まで来ると、救急車に乗り込んだ。救急車の中は狭いのでレナモンは退化してポコモンの姿になり、私の膝の上に乗った。
 アリスの両親はすでに電車で目的地に向かったという。
「そうだったんですか。それなら私達が電車に乗った方が良いんじゃないですか? アリスのお母さん、転んでけがをされたって……」
 アリスのお母さんは、逃げるドーベルモンさんを止めようとして転倒したらしい。額を切ったと聞いていたので心配だった。
 アリスのおじいさんは申し訳なさそうな顔をして、
「大丈夫だ。それは気にしないでいい。それよりも牧野さんは大丈夫なのかい?」
 と私に訊ねた。
「え? いえ、とくにはどこも……かなり元気です」
 そう私が答えると、アリスのおじいさんは感心した顔になった。
「普段から何かスポーツでもやっていたのかい? きみは『受け皿』に飛び込んで活躍していたそうじゃないか。聞いて驚いたのだが……」
 そう言われてしまい、私は赤面した。
「別に……私はデジモンみたいに飛んだりも出来ませんし、戦うことも出来ないし……」
 私の膝の上で話を聞いていたポコモンが、
「留姫は最後まで頑張ってくれたから」
 と言う。
「違うでしょう! 私は諦めたのに、アンタが言うから頑張れたのよ」
「そう?」
「そうよ。根性キャラなんて、私のキャラじゃないもの」
 ポコモンが
「負けず嫌いではあるけれどね」
 と言うと、アリスのおじいさんは表情を緩ませた。



 救急車に乗ったのは初めてだった。
 目的地である港区の病院に着くと、私達は病室に移動した。四人部屋だった。
 ドーベルモンさんは先に連れていかれてしまった。
 手術の準備が全て整ったら呼ばれると言われ、私とポコモンはしばらく待っていた。
 ベッドに横たわるアリスは目を覚まさないけれど、準備が整い次第、手術を始めるという。
「せめてアリスが目を覚ますまで待ってくれたらいいのにっ」
「手術を急ぐ必要があるから仕方ない……」
 ポコモンはベッドの上に座り、私を見上げる。
「わかっているわよ!」
 私はポコモンの隣に腰掛けた。
「私は……悔しくてたまらないの! アリスがどう思うのかは誰も考えてくれないんだもの!」
「そうだね……」
 ポコモンはそう頷いた。
「もしもこのこと、アリスが知ったら……」
 アリスは泣くかもしれない。アリスはお父さん達を許さないって言うかもしれないもの……。
 やがて呼ばれたので、私達はアリスと一緒に手術室へ移動した。
 アリスは手術室の中へ運ばれて行った。外からはその姿は見えなかったけれど、アリスのおじいさん、アリスの両親はすでに中で待機しているんだと思う。
「アリス……」
 手術中のランプが点る。それは不気味だと思った。私はその光をずっと見ていられなくなって、目を逸らした。
「なんか……怖い。ダメね、私……」
 私は少し離れた場所にある、ソファに腰を下ろした。
 ――手術も怖いけれど……ドーベルモンさんがアリスを見る目が変わるかもしれないって思うと、本当に怖い……。
 待ちながら、私は何度も溜息をついた。そのたびに、ポコモンが私の手に擦り寄る。
「大丈夫だ。きっと……」
 どうなってしまうのか解らない。けれどポコモンはそう言って私を励ましてくれた。 
 手術は数時間かかった。



 手術が終わってから、私達は元いた病室へ戻った。
 アリスはベッドに寝かされている。最初の一、二時間はひっきりなしに看護士さんが出入りして様子を見てくれたけれど、アリスのおじいさんが戻ってきてくれた。
 看護士さん達は
「ちょっとでも何か気付いたことがありましたらブザー押して呼んで下さいね」
 と言い、他の患者の看護にかかることになった。
「ひどい……。アリスは手術したばかりで、それに点滴受けているのに」
 そう私が言うと、アリスのおじいさんは微笑んだ。
「事件の混乱で病院側も大変だから仕方ない。アリスの手術は成功しているんだから、後は私が見ていよう。牧野さん達も外の空気を吸って来てもいいんだよ?」
 アリスのおじいさんはそう言うけれど、数時間も手術に立ち会ったのだから相当疲れているはず。
「おじいさんこそ、仮眠取って下さい。何かあれば起こしますから」
 私はそう言った。
「こちらに、どうぞ」
 ポコモンがベッドを貸すと申し出た。
「すまないね」
「私は眠る必要ありませんから。ウイルスに関わってしまったのでまだ検査を受けなければいけませんが、薬が良かったから回復が早いそうです」
「ああ、ウィザーモンが作ったらしいね」
「はい」
「話を聞いて、さすがだと思ったよ」
 アリスのおじいさんはベッドに上がると、「そういえば……」と私達に訊ねた。
「リリスモンが復活したそうだね」
 その名前をアリスのおじいさんから言われて驚いたけれど、
「リリスモンさんとお知り合いだったんですよね? リリスモンさんがアリスに話していました」
 すぐに思い出した私は訊ねた。
「アリスが世話になったそうだが、リリスモンには私もずいぶん世話になった。もともと、うちの家内の友達だったんだが、うちの家内の方が先に死んでしまって……」
「え……!」
 初耳だったので、私は驚いた。
「本当ですか……!」
 ポコモンも驚いて目を丸くした。
 アリスのおじいさんは頷き、懐かしそうに話す。
「うちの家内はまだ若かったから……死ぬような年齢になる前に病気でな……。リリスモンは気丈だった。いつもそうやって寂しさに耐えているんだ。あのデジモンは……」
 そう言ってから、アリスのおじいさんは少し笑顔になった。
「だが、復活して良かった! よしよし、それなら私も頑張って、今度こそリリスモンの見合い相手を探してやろうじゃないか!」
 アリスのおじいさんがそう言うので、私は、
「あ……その必要は……」
 と、遠慮がちに右手を上げた。
「何?」
「あの……『指きり』とかしちゃって、けっこう大変なことになっちゃっていたみたいです……」
 恐る恐るそう言うと、アリスのおじいさんは
「『指きり』?」
 と首を傾げる。
「何だ? ん……ああ、そんなことを以前に言われたか……ええっと……」
 天井を見上げて「何だったかな?」とアリスのおじいさんはぶつぶつ呟き、そして急に、
「なんだって――――――――!」
 と腰を抜かさんばかりに驚いた。
「それは本当かね!」
「あ、はい……見ていましたから……」
「なんと――――!」
 アリスのおじいさんはベッドから飛び下りると、
「こうしちゃいられない! 電話を! ああ、でもっ、アリスが! いや、大事件だっ! いや、うちの孫がっ!」
 私達が唖然とする前で、アリスのおじいさんはパニックを起こしている。
「落ち着いて下さい! そんなに大事件になっちゃうんですか?」
 アリスのおじいさんはハッと我に返ってこちらを見ると、
「あ……いや、すまない……」
 と顔を赤くする。
「今の若い子は知らんだろうが、リリスモンは女優や演歌に活躍していてわしらの世代ではアイドルなんだよ。ニューヨークに来た時も特に凄かった!」
 と言われた。
「アイドル……だったんですか?」
 私が呟くと、
「女優……ああ、そういえば時代劇とか……」
 とポコモンが思い出したようだった。
「時代劇? そうなんだ……」
 あの姿なら似合いそう!と思った。そういえば、ずいぶん年上みたいなことを聞いたような……。
「私と会うたびに、『見合いがしたい! 恋がしたい! 結婚がしたい!』と連呼していたんだが、ようやく年上で良さそうなデジモンが見つかったんだな! ――ああ、大スクープだ! 私だけが知っているなんてもったいない!」
 アリスのおじいさんはまた興奮してきたみたい。
「年上?」
「……」
 私はポコモンと顔を見合わせた。
 アリスのおじいさんは
「『どうしても年上がいい!』って言って……な。それは無理だと何度も説得したんだが、『違う次元に行ってでも、自分より年上の殿方を探してみせるわ!』って高笑いするもんだから……だが良かった。――それで、お相手は何歳ぐらいかな?」
 私は指折り数えて、
「見た感じは十代前半で、でもたぶん十代後半ぐらいかと思いますけれど?」
 と伝えた。どう考えてもファントモンはそれぐらいの年齢だと思う。
 予想通り、アリスのおじいさんは、
「相手が成長するのを待つつもりなのか?」
 と目を点にしている。私達がリリスモンさんとファントモンのことを話すとますます驚いたけれど、メタルファントモンに進化したことを話すと首を傾げた。
「それは……進化なのか?」
「え?」
「いや……理論上ありえないと思うのだが、果たしてどうだろう? 興味深い……」
 デジモンの研究者から見ても、ファントモンって珍しいのかしら? ふーん……。
 窓から夕焼けの光が部屋の中に入り込む。
「もう夕方なのね……」
 私は呟き、眩しい西日を遮ろうと、カーテンを引くことにした。窓に近づいた時、突然、建物が揺れた。
「地震っ!」
「何っ!」
 私は驚いてベッドの下に潜り込もうとして、
「あ! アリスッ!」
 と気付き、アリスの上に物が落ちてこないように走り寄った。眠ったままのアリスの上に、おじいさんと一緒に覆い被さる。
 幸い、何度か揺れがあったものの、すぐに治まった。
 起き上がろうとして、何かに触れた。レナモンだった。ポコモンから進化して、私たちを守ろうとしてくれた!
「地震、治まったみたいだね」
 レナモンはすぐにポコモンに退化して、私の足元にいる。私はポコモンを抱き上げて頬擦りした。
「ありがとう!」
「留姫……くすぐったい!」
 ポコモンはすぐに私の腕から抜け出して、自分のベッドの上に戻ると丸くなった。よほど恥ずかしかったみたいで尻尾をぱたぱたと忙しなく動かしている。
「こんな時に地震なんて……」
「昨夜も地震があったぞ。新宿区の商店街で火災が発生したそうだ」
 と言われた。
「本当ですか?」
「ああ、今朝のニュースで見たのだが……」
 私達が話しているうちに、看護士さんがドアからこちらを覗いた。
「今の揺れは患者が暴れたからなので、落ち着いて下さい」
 そう言われ、
「そんなに大きなデジモンが入院しているんですか!」
 と私は驚いた。
 ここは関東でも有数の、大型のデジモンを治療出来る病院らしい。知らなかったのは私だけで、アリスのおじいさんもポコモンも知っていたという。
 夕食の時間が近づき、アリスのおじいさんは病院の面会時間が終わるので帰り支度を始めた。
「明日、また来るから」
 そう言って帰ろうとした時、ドアが開いてアリスの両親が現れた。
「父さん……」
 アリスの両親は揃ってアリスのおじいさんに頭を下げる。
「お前達も帰るのか?」
 アリスのおじいさんが訊ねると、アリスのお父さんは頷く。
「近くのビジネスホテルに泊まろうかと……」
 アリスのお父さんはそう言った。けれど、
「うちに泊まればいい」
 とアリスのおじいさんが言った。
「父さん……!」
「まだ、お前達を全面的に許したわけじゃないぞ! だがな、家族には遠慮はいらないものだ。――ほら、帰る前に娘に挨拶してくれ」
 アリスのおじいさんはそう言った。
 アリスの両親はまだ眠ったままのアリスに近づき、代わる代わるにその頬を撫で、前髪を掻き上げて額にキスをした。
 三人が出て行った後、病室は静かになった。
 やがて、夕食が運ばれて来た。
 病院の夕食は量が少ない。私はもともと夕食はそんなにたくさん食べないけれど、ポコモンは
「しばらくポコモンのままでいようか……」
 と仕方なさそうな顔をしている。
「今夜は私達も早めに休もう」
 夕食の後にポコモンはベッドに入った。私は付き添い用の移動式ベッドを用意してもらう。あまり寝心地は良くないけれど、贅沢は言えない。
 ドーベルモンさんは結局、今夜はこちらの部屋では休めないらしい。無菌室状態の部屋から出られるのは早くて明後日頃だという。
 患者用のベッドが二つも空いているのはもったいないと思うけれど、ドーベルモンさんもそのうちこちらに移るなら、今だけかも……。
 アリスのおじいさんとアリスのお父さん、お母さんがもっと仲良くなればいいのに。アリスも仲直り出来たらいいのに。
 でも……ドーベルモンさんは養子だったなんて……。
 私は布団にくるまった。早くドーベルモンさんが戻ってきてくれるといいのにと思う気持ちは、確かに私の中にある。けれどそうなってしまったら?とこれからのことが心配でもある。ごちゃごちゃと考えてしまい、私は眠れなかった。

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