[携帯モード] [URL送信]

カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編12
 日曜日。
 朝、私と樹莉とアリスが『皐月堂』の二階に着いたのはぎりぎりの時間だった。
 三人それぞれタイムカードを押して、ホッと息を吐いた。
「遅刻するかと思ったわ」
 樹莉が苦笑した。
「眠い……」
 アリスが小さい欠伸をした。
「うん……」
 私も、昨日はレナのことを考えて眠れなかったから……アリスよりも大きい欠伸をした。
 私達はお互いに、昨夜のことはそれ以上話そうとはしなかった。
 レナは私と会っても、昨日のように話をしないのかと思っていた。けれど違った。まるで、あの時のことはなかったかのような態度だ。――それはとても、私の心を軽くした。もう少しだけ、『恋愛ごっこ』を続けてもいいみたい……。
 眠いけれど仕事は頑張った。けれど欠伸を我慢しながら仕事をするのも限界があり、樹莉と交代で休憩時間に入ると、テーブルに突っ伏して昼寝をした。
 ……眠いの我慢していたから、気持ちいい……。



 ――名前を呼ばれているのは解るんだけれど……。
 なかなか目を覚ますことが出来ない。
 ……?
 なんだか、……変? 耳、くすぐった……い……!?
 私は薄く目を開けた。
 レナがそこにいた。
「――――ッ!」
 レナを払い退ける前に、彼は自ら離れた。
「起きた?」
 悪戯っぽく目を細める彼を押し退け、私は部屋を出た。ドアを閉めて寄りかかる。
 ――何をするの!
 右の耳を両手で押さえる。少し濡れている……!
 ハンカチを取り出して急いで拭いた。私は半泣きになる。
 ――好きでもない子の耳を舐めるの! それは悪ふざけ過ぎるんじゃないの!
 休憩時間に入ろうと、ドーベルモンさんが階段を上がって来る。
 私の様子に驚いて
(――どうした?)
 と小声で訊ねる。
 私は何も答えずに首を横に振ると、ドーベルモンさんの隣を擦り抜けるように一階に下りた。
 入り口のドアの前を通り過ぎようとした時、ちょうど、ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
 私が言うのと、その人が誰なのかを認識するのと、その人がサッと近付くのは同時だった。
「――!」
 私は手を取られ、何かを握らされた。
 その人はすぐに、ドアから店の外に出て行った。
 私はふらりと、一歩後退した。それでも立っていられるだけで拍手ものだ。
 ――気持ち悪い……!
 それはあの、私の名前を訊いてきた男性だった!
 アリスが走ってきて、私の肩を揺さ振る。
「大丈夫?」
 私はかなり顔色が悪くなっているみたい。アリスが私の背を押しながらキッチンへ連れて行く。ポケットから取り出したハンカチを広げ、私の手からさっきの紙を取り上げる。呆然としている私の手を取り、水道の水をかける。冷たい水と、業務用のハンドソープの泡で丁寧に手を洗ってくれた。仕上げに消毒用アルコールまでつけてくれる。
「……ありがとう」
 マスターが警察へ連絡をしてくれたと言う。
 樹莉から知らせを受けて、レナとドーベルモンさんが来てくれた。
 手を洗って少しずつ落ち着いていたので、
「大丈夫」
 と、ひらひらと手を振った。
「強がるなっ」
 ドーベルモンさんが少し強い口調で言う。まるで私の代わりに怒ってくれているみたい。
 アリスがハンカチの包みをドーベルモンさんに手渡す。
「ケータイの番号が書いてあります」
 ドーベルモンさんはハンカチの中身を見ると、ハンカチごとマスターに渡した。
「警察に情報提供して、しばらく周辺を見回ってもらおう」
 騒ぎになってしまったので申し訳なくて、私は下を向いた。
「しばらく留姫は休んでいて」
「でも……」
「警察の人が来たら事情を説明してくれればいいから」
 マスターに言われて、私はレナに付き添われて二階へ上がった。
「ごめん。ちょっと動揺しちゃった……あはは……」
 私は椅子に座ろうと背もたれに手をかけた。
 突然、後ろから抱き締められた。
「すまなかった……」
 レナが呟く。
 私の心臓が跳ね上がる。
「――平気。大丈夫。なんともない……」
 昨夜、花火を見ている時に抱き締められたことを思い出してしまい、慌てる。
「ほんと、大丈夫……」
「とにかく、ここから出ないで」
 レナはすぐに私から離れ、一階へ戻っていった。
「……」
 離れる間際に、レナの腕にすがり付きたかった。同情でもいいから傍にいて欲しい……。
 ドアが閉じた。私はしばらく、ドアを見つめた。



 警察の人に事情説明してから、レナのバイトが終わるまで二階で待っていた。もう気分的には回復してきているのに、皆が「休んでいなさい」と言ってくれた。――嬉しかった。
 バイトが終わったレナは私と一緒に『皐月堂』を出て、駅まで送ってくれた。
 ――こんなに心配してくれるのに……どうして『恋愛ごっこ』なの?
 途中、見上げると大きな看板に目が止まる。それは、大手化粧品メーカーのファンデーションの告知。
 レナも足を止めた。
「留姫も化粧品に興味があるの?」
 少しからかうようにレナが言うので、ちょっと意地悪く言い返す。
「この人、――美人だと思う?」
 化粧品のイメージキャラクターの女性。
「ああ……」
 レナは看板を眺める。
「美人だね、うん」
「わりと……好みのタイプ?」
「顔で人を判断するつもりはないよ。好みかどうかは……わりと好きかな。どうしたの?」
 レナの言葉に、ちょっと、言ってみる気になった。
「こういう感じ。――たぶん、ね」
「何が?」
「未来の私」
「未来って? そうだね、似ているけれど……」
 ふと、レナが「あれ?」という顔をした。
「そうよ。だって私、牧野ルミ子の娘だもん」
 レナが、ゆっくりと瞬きをした。言葉を失ったまま私を見つめる。
 私達はちょっとだけ、黙ってお互いを見つめた。
「ママの若い頃にそっくりなんだって。だから――私、美人になるよ。たぶん……」
 レナは何も言わない。
「早く大人になれたらいいのに。――レナも、美人と知り合いなら嬉しいでしょ?」
 レナは、私から目を逸らした。
「そうだね。――でも留姫はきっと、その頃には私を忘れている」
 そう言いながら、レナはそっと私の手を取った。
「この『恋愛ごっこ』なんて、きっとその頃には忘れている」
 レナはそう言った。
「そう? 忘れちゃう……かな?」
 私は言った。
 ――忘れるわけないじゃない。こんなに苦しい気持ちを忘れるわけないじゃない!
 レナが言った言葉の意味が解らない。
「うん、きっと……留姫は忘れる」
 レナが言う。
「留姫はきっと好きな人が出来て、私のことは忘れると思う」
 トクン、と、私の心臓が音を立てた。
「……そうね。そうなるかもね……」
 言いそうになる。
 ――貴方が好き、と。好きだから……こんなに好きになった人だから、絶対に忘れるわけがない、と。
 私はそっと気付かれないように、苦しい息を吐いた。



 駅でレナが、
「ちょっと待っていて」
 と切符を買おうとするので大人しく待っていた。
 ――これからどこか行くのかな?
 と思っていたら、レナは私を促す。
「留姫の家の近くまで送るから」
 驚いて私は首を横に振った。
「いいよ、そんな……」
「よくない」
 レナは私と同じ電車に乗る。ホームで電車を待っている時に、耳元で囁く。
(――気付いていなかった?)
 言われて、私は首を傾げる。レナがちょっとだけどこかに視線を送り、すぐに私へ視線を戻す。レナの腕越しにそちらを見て、私は声を上げそうになった。
 ――あの気持ち悪い人!
 私達は電車に乗ったけれど、あの人は電車に乗らなかった。走り去る電車が、ホームに佇んだままのあの人の前を通過する時、
 ――こわっ!
 にやついたあの人と目が合った。
「留姫が電車の中で一人になった時か、地元の駅を出て一人になった時を狙うつもりだったんだろう」
 レナと私は、ドアの近くに立つ。
 急に怖くなってきた。何度か家までつけられていたのかもしれない……。
 私の手を、レナが握る。
「家まで送ろうか?」
 そこまでの迷惑はかけられないから、私は首を横に振った。
「駅から走って帰るから、平気」
「でも……」
 まさか、何度かストーカーや痴漢を跳び蹴りで撃退したことがあるなんて言えない。
 地元の駅に着いた。ホームに降りて、レナが帰るのを見送ることにした。
「……明日、ここまで迎えに来るから」
「まだそんなこと言っているの? 大丈夫だから……」
 わざと明るく言ったら、
「私がそうしたいだけ……!」
 レナが強い口調で言葉を遮った。
 私はびくりと体を強張らせた。
 ――そんなに心配してくれるの?
「ごめん……」
 レナはすぐに謝る。
 私もすぐに
「こっちこそ……心配してくれたのに……」
 と、言った。
 明日、この場所で待ち合わせすることにして、私達は別れた。
 家に帰るとマスターから連絡があったらしくておばあちゃんが急いで迎えに出てくれた。
「大丈夫だった?」
「うん。駅までバイト一緒の人が送ってくれたの……」
 私は自分の部屋に向かうと、クッションを抱えて畳の上に寝転がった。
 ――ストーカーっぽいあの気持ち悪い人は怖いけれど、レナがすごく私のこと心配して気にかけてくれるのは嬉しい。……複雑……。



 月曜日の朝方、夢を見た。

 夢の中で、ちょっとだけ大人になっていた。
 学校の教室で。
 アリスも樹莉もいて。
 でもやっぱり、レナはいない……。



 ――変な夢だった。「レナが学校にいるわけないじゃないの!」と、ツッコミ入れてみる。どうせなら、もっとレナと仲良くしている夢が良かったのに。
 出かける支度をしていたら、ママが起きてきた。ママは夜中まで撮影で、明け方近くにタクシーで帰宅していた。
「バイト行くの?」
「大丈夫。心配しないで。――ああ、そうだ。ママの出ている化粧品の看板、駅で見たよ」
「そう?」
 ママが嬉しそうに微笑む。
「どうだった?」
 そこら中にポスターは貼られているのに、ママは私からの感想だけは聞きたがる。
「いいんじゃない?」
「えー? それだけ?」
 ママはつまらなさそうに口を尖らせた。――こらこら、高校生の娘の前で親がそういう顔するわけ?
 私は苦笑して、付け加えた。
「美人だと思うよ」
「ほんとー!?」
 ママは「わーい!」と子供のようにはしゃぐ。
「あと、――美人だって言っていた」
 と、言ったら、
「ん? 誰が?」
 と、ママは訊ねた。
「う〜んと……内緒」
 言いかけたけれど、私はやめた。
「なんでー! 途中まで言ってずる〜い!」
 私は玄関に向かい、靴を履いた。
 ママは玄関まで追いかけてくる。
「あ、そうだった……」
 私はバッグに入れっぱなしだったチラシを取り出した。
「明日、バイト休んでこれ見に行ってくる」
 ママは不思議そうな顔をした。
「これを? 留姫ちゃんが?」
「クッキーのお礼、だって」
 と言ったら、
「あ…、あ――!」
 ママが大声を上げた。
「静かにしてよぉ……。何時だか忘れているの?」
「ごめん、だって……」
 ママが目を輝かせた。
「良かったわね、良かったわねっ!」
「うん、……ありがと。――じゃ、行ってきます」



 レナは駅で待っていてくれた。
「おはよう」
 レナが私の顔を覗き込む。
「眠そうだね?」
「……あまり眠れなかった」
 レナが私の手を取り、ぎゅっと握る。
「大丈夫だから……」
 電車に乗ると、一つだけ空いている座席にレナが案内してくれる。
 私は座るとレナを見上げた。
 レナが少し屈み、
「駅に着くまで眠っていていいよ」
 と言った。そっと頭を撫でてくれる。
 促されるままに、眠り込んだ。
 うとうとしていると、隣の席が空いた。その場所に、レナが座る気配がした。
 そっと、私の手が引かれた。
 ――寄りかかっていいの?
 促されるままにレナの腕に寄りかかった。



 駅に着く間近に起こされた。二人でホームに降り、エスカレーターで改札口まで向かう。
 レナは心配したけれど、あの男性は見当たらない。
 私はレナと歩きながら、小さく欠伸をした。
「眠い?」
「うん……ちょっと」
 レナの目が優しいのが嬉しくて、少し恥ずかしくて、私は下を向いた。
 『皐月堂』での時間はいつも通りで、私は安心して仕事をすることが出来た。念のため、入り口近くには女の子は立たないように配慮された。
 休憩時間に二階に上がると、先に休憩をしていたレナと、明日の博物館行きの待ち合わせ時間を決めた。今朝のように、駅までレナが迎えに来てくれることになった。
「じゃ、私、戻るね」
 私が立ち上がろうとすると、頬に何かが触れた。
 ――え? 何?
 レナが手を伸ばしていた。そしてその手が私の耳に触れたので、私は昨日のことを思い出してびくりと身をすくませた。
「いや?」
「……どうして?」
「留姫がかわいいから、したくなる……」
 耳をくすぐられて、身を捩った。
「や……ん……」
 レナは椅子から立ち上がると、私の横顔に顔を近づける。また耳を舐められそうになり、私は慌ててレナを押し退けた。
「いいかげんにしてよ! ふざけ過ぎ!」
 睨むと、レナが苦笑する。
「嫌なら逃げていいよ」
 レナが問いかける。
「――それとも、気持ちいい?」
「バカ!」
 私は自分の耳を押さえてレナを押し退ける。ドアを開けて外に出ようとした。
「留姫といると楽しい」
 私は立ち止まり、振り返らずに言った。
「――ふざけてばかりのレナと一緒にいるのは楽しくない!」
 そう言うと外に出た。ドアを閉めて、その場にうずくまる。
 ――楽しい? ふざけてからかうことの出来る相手だから? それって、恋人とは違うじゃない! 悔しい――!
 ――明日は絶対、どんなことしてでもいい雰囲気作ってやるんだから!
 私は大きな溜息をついた。階段を下りて一階に向かった。
 バイト中、耳が気になってしょうがない。どんなに気にしないようにしても、どうして気になる。
 ――何よ、腹が立つ!
 レナの視線は完全に無視した。私は怒っているんだから!



「ごめん。――まだ怒っている?」
 レナに何度か言われたけれど、私は一言も喋らなかった。
 それでもレナは、私を地元の駅まで送ってくれた。
「バイバイ」
 それだけは言った。
「じゃ、明日……」
 レナに言われたけれど、無視した。
 レナが乗った電車がホームを出て行ってしまってから、私は少しだけ反省する。
 ――せっかく送ってくれるんだから、もうちょっと仲良く出来たらいいのに。
「……」
 でも、レナが悪いんだから!
 私は改札口へと走り出した。

[*前へ][次へ#]

12/21ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!