カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
続×3 及川さんち。前編 Side:Y.Oikawa
アパートに帰ると、俺はずっとパソコンに向かっていた。
薄型の液晶モニタに表示されるのは、ここ最近のデジモンが起こした事件の記録。DNSSの公式発表、口コミの情報、アルケニモンが集めた情報などを集めて構成されたデータベースは信頼のおけるものだ。
マップと写真入りで映し出されるそれに目を通しながら
「……」
時々、俺は眉をひそめた。
――まさかとは思うが、俺達は利用されたのか?
気になったから調べたのだが、どうやら予想が当たっているらしい。
――誰が、何のために?
俺はいらいらしながら今日のことを思い出す。
◇
今日のあの『仕事』は奇妙だった。アルケニモン達と江東区へ向かうと、新木場駅周辺で確かに情報通りにデジモンが暴れていた。
DNSSは今、一週間ほど前に起きた大事件の後処理で手が足りなくなっている。それでいつもやつらがやっている仕事を手伝うという依頼が来ていたのだが、こちらは元から高額報酬を吹っかけていたので、アルケニモンとマミーモンは
「ボス! これで家計が潤いますね♪」
「お金入ったら豪勢に外食したいなあ〜」
などと言いながらほくほくした顔をして大暴れしていた。
けれど、すぐに俺は何かがおかしいと思った。暴れているデジモンは例のウイルスに感染しているデジモンではなく、普通のデジモンだった。それ自体は珍しいことではない。たまに頭に血が上ってカッとなったやつが暴れることはあるから、それだと思った。
巨大なハチの姿のデジモンが、マミーモンに包帯で幾重にも拘束されて身動きが取れなくなった時に、俺は気づいた。そのフライモンが何かを呟いた。
「?」
俺は首を傾げた。フライモンは時折体をけいれんさせながら、呆然と繰り返し呟き続ける。それは――――。
◇
「『時計』……」
あの時、フライモンが呆然と呟いていた言葉を何度も思い出す。確かに『時計』と俺には聞こえた。
――『時計』か……。
俺はパソコンのキーボードを叩き続ける。調べていくうちに、ここ最近、あちらこちらでたわいもない事件を起こすデジモンが増えていることは解った。
「多いな……」
テレビのニュースは時間が限られているので、大きな事件を優先して伝えるしかない。ワイドショーも話題性があったり、視聴者が食いつきやすかったり、番組を構成する録画VTRなどの映像、音声、画像素材が集まりやすい事件をどうしても優先させる。
フライモンのような大型のデジモンではなく小型のデジモンが起こした事件なら、なおさら話題にされないだろう。
――民間人には伝えられていない小さい事件が多い……つまり、情報の波に打ち消されているというわけだ。DNSSは気づいているのか?
もしも何者かが俺達やDNSSの目を小さな事件に向けさせて、何かとんでもないことをしようとしているのだとしたら? デジモンをウイルスに感染させるというテロに近い事件が起きた直後だ。さすがに人間どもの世論は、デジモンとの共生に異論を唱える方向に傾き進み始めるだろう。
「……」
まあ、それは後でウォーグレイモンにメールでも送っておくとしよう。
――それとは別に、もう一つ気になっていることがある。ブラックウォーグレイモンの様子がおかしいのだ。
今もおかしい。人間の姿でテレビの前にあぐらをかき、普段はニュース番組を積極的に見ないのに、ビールを飲みながらそんなものを見ている。あいつも――何かに気付いているのかもしれない。
マミーモンは夕食をいそいそと作っている。そうめんをゆで、ゴーヤチャンプルーなども作っている。夏の定番料理だがマミーモンの作るゴーヤチャンプルーはなかなか美味い。以前、買い物に行った時にどこかで習ってきたと言っていたっけ……。
「……」
ピピモンとアルケニモンは風呂に入っている。ピピモンは具合が悪そうだったが今は大丈夫らしい。
ここは安いアパートなので時々、風呂場から笑い声が聞こえてくる。
「…………」
うちはアパートだ。狭いんだ。それなのに数が増えてどうする! アパートっていうのは造りが頑丈ではないというのに! そこでデジモンがうじゃうじゃ住んでどうするっ!
いらいらしていると、アルケニモンの声が聞こえてきた。
「ほら、髪拭いて……ええ? やだ、もうっ! こーらっ! ピピモンだって成長すればこれぐらい胸は大きくなるわよっ。触っちゃだめっ」
即座に台所で「うわ、あっちぃぃぃっ!」とマミーモンの声が響いた。そうめんの鍋でも誤って噴きこぼしてしまったのだろう。俺だって一瞬、風呂場の想像をしてしまって頭を抱えたぐらいだから。
何を騒いでいるんだ! アルケニモンもピピモンもっ!
また、アルケニモンの声が聞こえてきた。
「待ちなさいったら、ピピモン! 服は!?」
――へ? 服?
俺はキーボードを叩く手を止め、思考が数秒停止した。
――服って……着てないのか!? まさか……ピピモンがバスタオル一枚で風呂から出て来るのか!
「こんっのっ、バカヤロウッ!」
怒鳴って台所へ急ぐ。女子だという自覚があるのかピピモンを説教しなければ!と思ったのだが、
「いない? どこだ?」
ピピモンの姿は無い。
「おい、ピピモン!?」
ピピモンがいない代りに、別の何かが足元にいた。そちらを見ると、
「お……及川さんっ」
小さい、緑色の物体がそこにいた。幼年期のデジモンらしい。小さい、メロンぐらいの大きさの木の実のような姿で、足が二つ、ちょんとついている。黒いつぶらな瞳で俺を見つめている。
「……デジモン?」
「やだ……及川さんったら……」
その小さいデジモンは頬を真っ赤にしてもじもじとして、すぐにタタッと走ってマミーモンのところに行ってしまった。
「……?」
俺はふと、意識が遠のくような、それとも逆に何かに急速に近付いたような奇妙な感覚に捕らわれた。
――何だ……?
立ち眩みとは違う。
――違うはずだ。そうじゃなかったはずだ……。
俺は右手で目を覆った。白色の蛍光灯の光が遮られ、奇妙な感覚がわずかに治まる。
――『及川さん』? 違うだろう? ピピモンは俺を『ゆきお』と呼んでいたじゃないか……?
◇
頭の中に景色が浮かぶ。アルケニモンとマミーモンが人間の子供達と戦っている。『選ばれし子供達』と呼ばれた子供達だ……。
アルケニモンが百本のダークタワーからブラックウォーグレイモンを誕生させた……。
戦いばかり。いつまでも、戦いばかり……。どれも知っている景色だ。俺が見てきた過去。俺が犯した罪。
そして、俺の心に直接話しかける存在、それは……。
『ゆきお? ゆーきーおー!』
◇
――そうだ。ピピモンは元からあの姿だ。ずっと……俺は忘れていた……。忘れていた……? そうなのか……?
「やっぱりボスも驚きました? ピピモンってまだ幼年期のデジモンだったんですよ。私は昼間、片付けの時に教えてもらっていたんですけれど……」
アルケニモンの声がする。振り向くと、背後にいた。部屋着に使っているサマーワンピースを着ていて、風呂上りなので濡れたロングヘアをタオルでそっと押さえるように水気を取りながら乾かしている。
「……何を言っているんだ?」
「え? ボスはピピモンが幼年期のデジモンって知っていたんですか?」
そうアルケニモンに訊ねられて、俺は首を横に振った。
「違う。そうじゃない……。お前だって以前から知っていただろう?」
アルケニモンはきょとんとしている。
「以前から? ええと……ずっと前から、ですか?」
違う、そうじゃない!と思ったけれど、それ以上はどう言っていいのか解らなくなった。言うべき言葉が上手く選べない歯がゆさに俺は拳を握り締めた。
「ボス?」
「……パソコンを片付けてくるっ」
俺はそう言い、部屋に戻った。
部屋に戻ってドアを閉めると、ゆっくりとそこに座る。
――ここは、どこだ?
急に、大切なことを思い出した。
――ここは……俺のいた世界ではない!
俺は信じられない気持ちで部屋の中を見回した。
――なぜ、俺はここにいる? ここはいったい、どういう世界だ? 俺がいたはずの世界はどうなっているんだ? あの世界とこの世界は……ああ、もう、何だ? これは一体、どういうことだ?
突然思い出した数々の記憶の量に圧倒される。
ここは俺がいた世界ではない。それは確かなことだ。けれども、だからどうなっている? どうしてこの、元いた世界ではないところにいる?
俺はさきほどまで使っていたパソコンの電源を切ろうと、シャットダウンさせる。終了の動作を行うパソコンから目を離し、振り向いた。ドアが開いたからだ。
「――何の用だ?」
俺はブラックウォーグレイモンに問いかけた。
ブラックウォーグレイモンは奇妙な者を見つめるような、訝しげな視線を俺に向ける。
「今になって思い出したのか? ピピモンの本来の姿を見たからか?」
そう問いかけられ、俺は驚いた。
「何だと?」
「こっちの世界に来た時に、以前の世界の事を覚えているのは俺だけだった」
ブラックウォーグレイモンの言葉に俺は混乱した。
「こっちの世界? どういうことだ?」
「言ったとおりだ。――最初は俺だけ気が変になったのかと思ったが……」
「どういうことだっ!?」
俺が怒鳴ると、同時に
「ごはんですよー」
とマミーモンが顔を覗かせた。満面の笑みの平和ボケした顔へ反射的に蹴りを食らわせそうになったがその感情を抑え、
「今そっちに行く」
と答えた。
「そうめんですから急いで下さいー」
マミーモンはすぐに台所へ戻って行った。
ブラックウォーグレイモンは
「俺も腹が減った。話せば長くなるだろうから、後で話そう」
と肩を竦めて部屋を出て行った。
「……チッ」
俺は舌打ちした。混乱しているが夕食を食べに行った。
「いただきまーす」
「いただきます!」
アルケニモンとピピモンが嬉々として言い、マミーモンが
「召し上がれー」
とのんびりと応える。
ブラックウォーグレイモンは、
「いただきます」
とさらりと言って(ピピモンがいるから言ったようだが普段は絶対言わない!)、先ほど俺と話していたことなど無かったことのように淡々と箸を運ぶ。
座卓に並べられた夕食の品々はいつもよりも少しばかり豪勢だ。ピピモンの歓迎の意味を込めたのかもしれない。
ピピモンはデジモンの姿のままで、テーブルの端に乗って嬉しそうに夕食を食べている。ピピモンには手が無いが、アルケニモンが小皿に取り分けてくれたものを器用に食べている。
俺も座布団の上に座り、そうめんをすすり、ゴーヤチャンプルーを食べる。
「あれ? ボス……」
マミーモンが缶ビールを指差す。
「ビール飲まないんですか? ビール?」
「ああ?」
俺はそれを見た。いつもの安い発泡酒では無く、ビールだ。
「どうしたんだ、これ?」
マミーモンの代りにアルケニモンがいそいそと、
「たまには安いのじゃなくても、と思いまして……」
と言った。
「……」
俺は金色の星のマークの缶をしげしげと見つめる。
「もしかして、ビールって気分じゃありませんでした? 下げましょうか?」
アルケニモンがおどおどとした態度になり、マミーモンがおろおろとする。
「……いや、これは後でもらうから冷蔵庫に戻しておいてくれ」
「え? ああ…はい、お風呂上りですか?」
マミーモンが立ち上がって缶ビールを冷蔵庫に戻す。
ブラックウォーグレイモンが
「だったらそれ、こっちにくれ……」
と手を伸ばしたが、
「アンタはもう四本飲んだじゃない! いーかげんにしなさい!」
アルケニモンにぴしゃりと手を叩かれている。
「……」
ちょっとムッとしているブラックウォーグレイモンと、ふと視線が合った。
「……」
「…………」
お互いに見ていると、
(あのぉ……何かあったんですか?)
と小さい声が聞こえた。気づいて隣を見ると、いつの間にかピピモンがテーブルを降りてこちらに移動していた。
デジモンの幼年期の姿は、他の生物の子供がそうであるように弱く可愛い。
(心配するな)
ひそひそとそう言いピピモンの頭を撫でると、ピピモンは
(はい!)
と嬉しそうな顔をして戻って行った。
夕食後、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
「ボス? どちらへ?」
台所で後片付けをしているマミーモンに呼び止められた。
「外だ。すぐに戻る」
マミーモンの隣で洗い終わった皿を拭いていたピピモンと目が合う。
「今からですか?」
「すぐに戻るから、テレビでも見ていろ」
とだけ言い、俺は缶ビールを片手に家を出た。外はまだ蒸し暑い。
街灯の明かりの下、俺は歩く。今まで何とも思わなかったこの周囲、この世界が異質な物に感じられて俺の心を無性に不安にさせる。
近くの公園に行くと、そこにはブラックウォーグレイモンがいた。そして、
「おまえまで? 何で?」
と俺を驚かせたのは、ウォーグレイモンもいたことだった。人間の姿でスーツを着たままだ。まだ勤務中らしい。
ウォーグレイモンは目を細める。
「記憶が戻ったと聞いて急いで来たが、俺に関することは思い出していないのか? 全部思い出したのかと思っていたのだが?」
と言われた。
「お前には関係無いだろう」
と言い、すぐに俺は、
「……いや、待て……」
と言い直した。何かが心に引っかかり、それでようやくウォーグレイモンに関することも思い出す。
「ああっ!」
ベンチに座っているウォーグレイモンを
「お前、ずっと昔もそんなこと言っていただろう!」
と指差した。
「……そういう言い方をするな。まるで元凶と言われているようでいい気分にはならない」
ウォーグレイモンはそう言い、やれやれと溜息をついた。
ブラックウォーグレイモンは俺に問いかけた。
「元凶はピピモンだ。――どうだ、思い出したか?」
俺は頷く。どんどん思い出して来ている。
「俺は……デジタルワールドを元に戻そうとした……」
俺は瞼を閉じた。
俺の心の中に、眩しいほど幸福に満ちた景色が広がる。
――ああ、懐かしい。俺はあの場所にいた……。
◇
空はどこまでも青く澄み渡っていた。穏やかな風が時折吹く。優しい、初夏の日差しが溢れていた。
再生したデジタルワールドで、ピピモンが遊んでいた。平和で穏やかで……あの戦いがあったことなど嘘のように続く、安らぐ時間。
――そうだ。ここには時計などいらない……。
草原に長く延びる、野の花が咲く道をピピモンが跳ねるように歩く。とても楽しそうだ。
ピピモンはたびたび、俺を見上げる。
「ゆーきーおー!」
俺の体はもう無い。人間しての生を終え、無数の蝶のような幻影に近い姿になってしまっている。
ピピモンに話しかけたくてもそれは叶わない。俺は寂しさを感じるが、精一杯の気持ちを込めてピピモンの上をくるりと舞う。
するとピピモンは笑う。嬉しそうに、楽しそうに、幸せそうに……ピピモンは笑う。
ピピモンが一人では寂しいだろうと思っていると、時間が経つうちにアルケニモンやマミーモンの姿が現れるようになった。俺のような幻影の姿では無く、デジモンの姿だった。ピピモンはとても喜んでいた。
やがて、ブラックウォーグレイモンの姿まで現れるようになった。遊ぶ相手が増えたのでピピモンはもっと楽しそうだった。
けれどもやがて、俺はその様子を見るたびに『面白くない!』と思うようになった。――それでも、自分の犯した事に対する報いなのだと諦めていた。
そんな日々が過ぎ、やがてある日。とんでもないことが起きた――――。
◇
俺は瞼を開けた。そのままウォーグレイモンが座るベンチの近くに行き、その前で歩みを止めた。
「そうだ、全ての元凶はピピモンだ。あいつはある日、鬼ごっこをしているうちに次元の歪みに落ちたんだ。俺達はすぐにあいつを助けようとした。そして……」
ウォーグレイモンは頷いた。
「そのようだ。ブラックウォーグレイモンは俺にそう言った。そういう経路でこの世界へ来た、と」
それを聞き、ブラックウォーグレイモンは大げさな溜息をついた。
「そう何度言っても信じてはもらえなかったが?」
恨めしそうに言われ、ウォーグレイモンは苦笑する。
「『良く似た別の世界から来た』と言われて、すぐに信じられるか? しかもそう証言出来るのはブラックウォーグレイモン、お前だけだった。及川悠紀夫はピピモンと『自分』に関する記憶を全て無くしていた。アルケニモンとマミーモンも似たようなもので、別の世界に来たということすら忘れている」
「そうだ。――何で俺だけが記憶を無くさなかったんだろうな! 俺がどれだけ苦労したか解っていないだろう! 貧乏くじを引いたとずっとお前達を恨んでいたんだぞ!」
とブラックウォーグレイモンに嫌味ったらしく言われ、
「知るか、そんなこと……」
俺は持ってきたビールの缶を開けた。少しだけ泡が溢れたそれをすするように少し飲む。
「――で、それを思い出したところで、帰り方も解らないのだが?」
とウォーグレイモンに訊ねる。
「そんなものは知らない」
そうウォーグレイモンは肩を竦める。勤務中なので酒の代りに買った缶コーヒーを飲んでいる。
「パラレルワールド、か。……こんな奇妙な世界にいつまでもいられない」
「おい、及川? 今まで何とも無く過ごしていたこっちの世界に対して、ずいぶんな言い方だな!」
とウォーグレイモンは呆れたように言う。
「何とも無い? ピピモンのことはどうなっているんだ!」
「あ?」
「『あ?』じゃない! ピピモンの親のこととか……ピピモンに嘘を信じ込ませていたんだろう?」
そうウォーグレイモンに詰め寄ると、
「及川。お前はまずピピモンに謝るべきだ」
と言われた。
「謝…る?」
「ピピモンの身の上話はほぼ事実だ」
「そんな嘘を……」
「ピピモンがこっちの世界に来た時に、あるデジモンに拾われた。当時、幼年期デジモンを育てている家庭には補助金が支給されたから、それ目当てで育てられていたようだ。本当の親子じゃ無かったということは、お前と会ったと最初に聞く時まで――つまりほんの一週間前までこちらは全く知らなかった。何も資料として残っていなかったからな」
「……何だと。そんな、馬鹿な……」
「及川。お前の記憶で辿れるのはどれぐらいだ? こっちでのお前の記憶は八年ぐらいのはずだ。そうだろう? けれどピピモンはそれよりも三年前、つまり今から約十一年前にこっちの世界にたどり着いた」
「――――!」
「八年前にブラックウォーグレイモンが突然俺の前に現れて、事情もはっきり言わずに『ピピモンを返せ!』と言ってきた時は――どうなったか想像出来るだろう? 俺のところでピピモンを引き取ったばかりだったからかなり面食らったぞ」
ウォーグレイモンの言葉にブラックウォーグレイモンは顔をしかめた。
「あの時はピピモンを及川に会わせれば元の世界へ戻れると思っていた。当てが外れてしまったが……」
「なるほど。以前にバトルを挑んで戦って――というのは話に聞いていたが、何が原因だったかは知らなかった……」
俺は呟くように答えた。
ウォーグレイモンは俺に厳しい目を向ける。
「なあ、及川。約十一年だぞ? ――迎えに来るにはあまりにも遅いじゃないか? 孤独で寂しくて……あの子は辛かったんだ。あの子の受けた苦しみや悲しみを考えると、どうしても俺は『反省しろ!』と思ってしかたがなく、だからずっと黙っていた。――俺が把握している事実などそれこそ氷山の一角に過ぎないだろうから、言ったところで何の手助けにもならないだろうが……」
「お前なんかに言われなくても……」
俺は唇を噛み締めた。なぜ今まで思い出せなかったのか、記憶を取り戻せなかったのかと自分を責めた。……が、ふと思い出した。
「『女』だ!」
「女?」
俺は記憶の中に浮かび上がった姿を思い出そうとするが、『女』だったとしか思い出せない。
「俺達はピピモンを探そうとして次元の歪みに飛び込んだ。けれどその時にはもう、ピピモンを見失ってしまっていた。困っていた俺達の前に『女』が現れた。どんな姿だったのか、デジモンなのか人間なのかそれとも別の存在なのかは覚えていないが……『ピピモンのいる場所を探すことが出来る』と言われた……」
「「本当かそれは!?」」
ウォーグレイモンとブラックウォーグレイモンは驚いている。
「ああ、本当だ。確かにそうだった……!」
俺は夢中で『女』の姿を思い出そうとしたが、全く思い出せない。変わりに
「『女』は、『連れて行くことは難しい』と言っていた。俺達の体に何か起きるかもしれない……というようなことを言っていた」
ウォーグレイモンが「ふむ……」と考え込む。
「つまり、及川。お前は記憶や心を欠いていたわけで、急激な次元移動が原因だった……ということか。実体を持たなかったというお前が人間として存在するのもそのためなのか?」
「それは……俺にはそこまでは解らないが……」
「ブラックウォーグレイモン、その時のことは覚えているか?」
ウォーグレイモンに訊かれ、ブラックウォーグレイモンは顔をしかめて首を横に振った。
「そんな記憶は残っていないが……俺もその時の記憶は欠いたのかもしれない。いや……その『女』がその部分の記憶を消したのかもしれない。次元移動などやれる者だったら、それぐらい簡単だろう」
ウォーグレイモンがそれを聞き、興味深そうに
「その『女』のことを調べてみよう。何か解るかもしれない」
と言った。
「『女』か……………………ん?」
俺は『女』のことを考えているうちに、それとは全く別だがとても重要な事に気づいた。
「ちょっと待て!」
俺は声を荒げた。
「何か思い出したのか?」
「どうした?」
ウォーグレイモンとブラックウォーグレイモンがほぼ同時に訊いた。
「ピピモンは元いた世界では自分の事を『僕』と言っていたじゃないか! 何でこっちの世界では女子高生になっているんだ――!?」
そう言い、喉がいい加減にカラカラに渇いていた俺は、残っていたビールを一気に飲み干した。
「どういうことだ? さっぱりわからん!」
「「……」」
「何だ? おい、何とか言え……って、お前ら、何だその目は――――!」
顔を上げると、ウォーグレイモンとブラックウォーグレイモンが、哀れな者を見るような目で俺を見ていた。俺が怒鳴ったら、ブラックウォーグレイモンがさらに悲惨な者を見る目になる。
「及川……ピピモンはお前のパートナーデジモンだぞ」
「それぐらい解っている!」
「……そうか。それならそれでいい」
その言い方にカチンとなり、
「ピピモンが、恋人どころかガールフレンドさえも出来なかった俺を哀れに思っていたとでも言うのか――!」
と詰め寄った。
「それ以外にどう説明する?」
ブラックウォーグレイモンはそう言い、ウォーグレイモンは「やれやれ……」と苦笑する。
「あのなあっ、俺はロリコンではなぁぁぁいっ――――」
俺は地面を踏み鳴らしてそう叫ぶ。身の潔癖を訴えたところで、ブラックウォーグレイモンもウォーグレイモンも
「お前の好みにあれこれ言うつもりは無い」
「ピピモンのことは責任を取ってやれ」
と言うだけだった。
――やがてブラックウォーグレイモン達が気づいて、俺達のささやかな会合はお開きになった。
公園で騒いでいる者達がいると通報が入ったらしく、公園から出て行く俺達と入れ替わりに派出所勤務の警察官が二人ほどやって来た。
こんなところで職務質問されては困ると急いでアパートに戻ると、アパートの階段にピピモンが座っていた。人間の姿をしているピピモンを見て、ぎょっとした。
――ピピモンが望んだのか? それとも俺が望んだのか? 違う! 俺はロリコンではない! ちっがぁぁぁうぅぅぅ――――!
当然のことだが、俺の心中の大絶叫が周囲に聞こえるわけがない。
「及川さんっ」
俺の姿に気づくなり、ピピモンは急いでスカートについた砂埃を払いながら立ち上がると、一段飛ばしで階段を駆け下りる。
「危ないだろっ!」
「これぐらい慣れていますからっ。それより……あの、あの……! 本当は何かあったんですか?」
「何?」
「私に話せないような……そういう『仕事』とか……。私……及川さんがケガしたらって……」
ピピモンは目を潤ませ、ぽろっと涙をこぼす。
「……」
俺の目の前にいるのは確かにピピモンだ。『僕』だとか『ゆーきーおー』だとか言っていた無邪気なだけのピピモンでは無いが……。
「……何でも無いっ」
俺はごちゃごちゃと頭に押し寄せる葛藤を押し退けるようにピピモンの頭に手を伸ばし、ふわふわした髪をくしゃくしゃと撫でた。
「ひゃあっ……」
――ばかやろうっ! そんな女の子らしいかわいい声出すなっ!
「――帰るぞ!」
俺はさっさとアパートの階段を上った。
「及川さん、待って……」
ピピモンの声を無視して階段を上り部屋に戻る。
「入れ! 子供はとっとと就寝しろ!」
「すみません……」
ドアを開けてピピモンを先に部屋の中に入れると、急に思い出した。
「――しまった。言い忘れた……」
ピピモンの後ろに続いて部屋に戻ろうとしたブラックウォーグレイモンが
「何を?」
と歩みを止めて首を傾げる。
「ウォーグレイモンに話そうと思っていたことがあったんだ……」
言いながら、声を潜める。
(今日の夕方の新木場駅のアレは、誘導されたのかもしれない)
(何だと?)
(あの時間帯に、新木場など東京湾に近い場所で数件、騒ぎが起きていた。ここ一週間ほど似たような騒ぎが起きているが、そのたびに東京を中心とした近県のどこかに集中している傾向にある。まるで注意を逸らすためのように思え、気になるのだが……場所がバラバラなのでそれの意味は解らない)
(なるほど……。ケータイで連絡しておくか……)
ブラックウォーグレイモンは興味深そうに考え込んでいる。
「ボス、お帰りなさい。――あら? どうしたんですか?」
アルケニモンが顔を覗かせたので、
「何でもない」
と応え、俺は部屋の中に戻ろうとした。
「先に電話しておく」
「そうか」
ブラックウォーグレイモンは部屋に戻らず、家の外で電話してくると言った。ピピモンがいるから家の中では話しにくいだろうと俺も思う。
「他に伝えることはあるか?」
「ああ……そうだ。『時計』という言葉に心当たりはあるかって聞いておけ」
「『時計』? 時限式の何かのことか?」
「爆弾か発火装置だと思うのは当然か……」
「違うのか?」
「何のことだかは解らないが、今日の夕方、マミーモン達が戦ったフライモンが言っていたんだ」
「そうか……了解」
俺は靴を脱いで部屋に入った。
ピピモンの姿が見えない。
「ピピモンはどうした?」
アルケニモンに訊ねると、
「もう眠っています。今日はいろいろあって疲れたみたいですよ」
と返事が返ってきた。
「そうか……」
子供は早寝早起きしないとなぁ……と心の中で頷き、俺は風呂に入ることにした。俺がここの家主なのにいつも風呂が最後というのは納得出来ないことだが。……ああ、今日は一番最後はブラックウォーグレイモンか……。
「はい。ボス」
アルケニモンからタオルを受け取ると、風呂に向かおうとした。
ドアを蹴破るようにブラックウォーグレイモンが家に入ってきたのは、ちょうどその時だった。
「及川っ!」
「おい、静かにしろ! 今、何時だと思っている! 大家が来たらうるさいぞ」
「そんなことはどうでもいいっ」
ブラックウォーグレイモンは目を血走らせる。
「ウォーグレイモンに、ここ数日間でデジモンが起こした事件について訊いたんだが、やはり『時計』と口走るデジモンが多いらしい。DNSSは情報収集に奔走していたようで、あっちも何で俺が知っているのかって驚いていたぞ」
「そうか。それで何か解っていることはあるのか?」
「『時計』じゃなく『砂時計』のことかもしれないと警戒を強めているらしい」
「『砂時計』? 何かのパスワードか?」
「一週間前の事件で『砂時計』が発見されたらしい」
「はあ? 一週間前って、例のアレか?」
「『砂時計』って言っても、よくあるような一分だとか三分だとかを計るやつじゃない。犯人達が犯行声明で『砂時計』がうんたらって言っていて……」
俺は話が長くなりそうでうんざりした。
「おい、長い話か? 風呂上りにでもゆっくり……」
と言いかけたところで、アルケニモンが
「ピピモンッ!」
と叫んで和室へ向かった。そしてすぐに戻ってきた。
「ボス! ピピモンがいません!」
「ピピモン? 先に眠っていたんじゃ……」
アルケニモンが真っ青な顔で言った。
「さっきちゃんと眠る支度して布団に入ったんです。私に『おやすみなさい』って言ったんですから! それなのにピピモン、こっそりといつも着ている制服に着替えて出て行ったみたいなんです! パジャマ畳んで置いてあって……」
その行動の異常さに気づき、全身から血の気が失せた。
「出て行った? 窓からか? どうして? まさかさらわれたのか?」
「解りませんっ。でもあの子、言っていたんです。ほら、事務所で倒れた後に――」
アルケニモンは声を絞り出すように、
「『砂時計を見たのは夢だったのかもしれない』って。『男の人と砂時計を見た』って……!」
と言った。
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