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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
続×2 及川さんち。 Side:PIPIMON
 八月ももうすぐ終わる。まだまだ暑いけれど、夕方になったから暑さも和らいできている。
 人間の姿のブラックウォーグレイモンさんはバイクを走らせる。安全運転をしてくれているのは、後ろに私がいるから。バイクは渋滞する車の間を通り抜ける。
 私はずっとしがみついていた。バイクは怖い。こないだ初めて乗ったから、まだこれで二回目だもの。慣れていないから揺れるたびに怖くなった。
 でも、もっと怖いことがある。それは……。
「……っ」
 私はきゅっと唇を結んだ。体が震えそうになる。
 及川さん達は車で『仕事』に出かけた。ブラックウォーグレイモンさんは私を事務所に送ってからそちらに行くと言っていた。
 ――どんな仕事なの? とても危険な仕事なの?
 及川さん達がどういうことを仕事にしているのか、今頃になってなんとなく解ってきた。私を引き取って面倒をみてくれていたウォーグレイモンさんから「知り合いだ」と聞いた時には思いもしなかった。
 ……私、鈍感だもん……。
 ウォーグレイモンさんがDNSS『関東支部』の総代表なら、そういう関係での知り合いだって……もっと早く気づいてもいいものなのに。私って、本当に鈍感……。
 ――でも、及川さんのこと好きだもん。アルケニモンさんやマミーモンさんやブラックウォーグレイモンさんだって好きだもん……。
 私はふと気づいた。ブラックウォーグレイモンさんに送ってもらわなくても、自分で事務所に行けるって。地下鉄とか使えば、って……。
「ブラックウォーグレイモンさーんっ!」
 走るバイクの後ろに座る私は大声を上げた。
「何だ?」
 即座に怒鳴るように返事が返ってきた。
「私、一人で事務所に行けます。ブラックウォーグレイモンさん、及川さん達が行った場所へ早く行きたいでしょう?」
「……」
「私は大丈夫ですから」
 バイクは大通りから横道に逸れた。ブラックウォーグレイモンさんはバイクを停めた。
 ――足手まといになっちゃった……。早く気づいて言えば良かったのに……。
 私はかなり後悔しながらもバイクから降りようとした。
「送るにはそれなりの理由がある」
 ブラックウォーグレイモンさんにそう言われ、私はきょとんとした。
「理由って? それって何ですか?」
 聞き返しながら、ブラックウォーグレイモンさんが私の方を見ていないことに気づく。
「俺達に関わるなら、色々とちょっかい出して来るヤツもいる」
「?」
 何のことを言われているのか解らなかった。
 ブラックウォーグレイモンさんは真っ直ぐ前を向いたままだった。その前方にいたデジモンに気づき、私は声を上げた。
「ネフェルティモン!」
「知り合いなのか?」
 ブラックウォーグレイモンさんに問われて、
「はい! 同じクラスなんです!」
 と私は頷いた。声が自然と元気になる。だって久しぶりに大好きな友達に会えたから!
 私は急いでバイクから降りると、ヘルメットを脱いだ。
「ネフェルティモン!」
 左手でヘルメットを抱え、空いた右手を大きく振った。そうしながらブラックウォーグレイモンさんに
「私達、高校の入学式で会った時からずっと仲良しなんです」
 と言った。
 ネフェルティモンは人間の姿で、学校の制服を着ている。私はあまり私服を持っていないからいつも制服だけれど、ネフェルティモンは学校の帰りだからだと思う。ネフェルティモンはいくつか部活を掛け持ちしているし、生徒会の副会長だから夏休みでもほとんど毎日学校に通っているもの……。
 肩より上で切りそろえた髪を少し揺らし、ネフェルティモンは私に、
「ピピモン。どうしてそいつと一緒にいるの?」
 と話しかけた。
「?」
 『そいつ』とネフェルティモンが言ったのがブラックウォーグレイモンさんのことだと気づき、私は首を傾げて訊ねた。
「ブラックウォーグレイモンさんのこと、知っているの?」
「ええ……」
 ネフェルティモンは頷き返す。
「あの、ブラックウォーグレイモンさん。ネフェルティモンと知り合いだったんですか? あ……」
 声をかける私には視線を向けず、ブラックウォーグレイモンさんはバイクから降りると、
「……悪いがお前の相手をしている暇は無い」
 とネフェルティモンに言った。
 私はなんとなく嫌な予感がして、ブラックウォーグレイモンさんとネフェルティモンを交互に見る。
「二人とも……もしかして仲、悪いの?」
 二人は答えてくれない。
 ネフェルティモンはじっとブラックウォーグレイモンさんを見ている。美人でいわゆるクールビューティーなネフェルティモンの視線からは、睨みつけるとまではいかなくても敵対心は感じられた。
「えっと……もしかしなくても、すごーく仲が悪いの? ――これって……一触即発なの?」
 焦り始めた私は、ハラハラしながら二人を見つめた。
 先に動いたのはブラックウォーグレイモンさんだった。
「――ピピモン。必ず事務所に行っていろ」
 と言い、ブラックウォーグレイモンさんはバイクにまたがる。
「あ……はい。気をつけて下さい!」
 ちょっと呆然としながらも、私はそう言った。
 ブラックウォーグレイモンさんはすぐに走り去ってしまい、その姿が通りの向こうに完全に消えてからネフェルティモンは私へと歩み寄る。
「あいつと知り合いなの?」
「うん。こないだメールで話した新しいバイトの……」
 そう教えたとたん、ネフェルティモンは少し顔をしかめた。呆れたみたい。
「ピピモンったら……! どうしていつもそうなの?」
「?」
「ピピモンは怖いもの知らず過ぎるわ。気をつけなさい」
 同い年なのにお姉さんっぽい言い方でそう言われ、私はちょっと嬉しくなる。
「何で嬉しそうな顔をするの?」
「だって、お姉さんみたいだもん! なんだか嬉しいなぁって!」
「馬鹿ね。同じ学年じゃないの。いつもこんな調子なんだから……」
 ネフェルティモンはさらりとそう言い微笑むと、
「それで、どこに行くつもりだったの?」
 と私に問いかける。
「どこって……?」
 ネフェルティモンはそっと顔を傾け、ブラックウォーグレイモンさんが走り去った方へ視線を向ける。そこにはもうあの姿は無いけれど。
「ピピモンはブラックウォーグレイモンにどこかに連れて行ってもらうところだったのよね?」
「うん。――あ、そうなのね……。ブラックウォーグレイモンさんは私に、ネフェルティモンに一緒に事務所に行ってもらえって言いたかったの……」
 私は納得して、ぽんと手を打った。
「手を打つほどのことじゃないでしょう。解っていなかったの?」
「ごめん。……呆れちゃった?」
「別に。もう慣れたわ」
「えー。それって本当に呆れているのね? そうなのね?」
「あら、違うわ。そういうところ、ピピモンの長所でしょう」
「長所? そう?」
「私のことだって怖がらないじゃない」
 私は首を傾げた。
「ネフェルティモンは怖くないよ。怒ると怖いけれど」
「……そういうところ、本当に長所だと思うわ」
「そう?」
「ええ。――ところで、その事務所の場所はどこ?」
 ネフェルティモンに事務所の場所を説明すると、
「そう……。それじゃ、行きましょう」
 と彼女は私を促す。
 私達は並んで歩き始めた。
 私はヘルメットを抱える。
「それ、重い?」
 ネフェルティモンがヘルメットを見ている。
「ううん。軽い。大丈夫よ」
 このヘルメットは大きさのわりに重くない。バイクのヘルメットって意外に軽いものだって知らなかった。頭に被るものだから重いと困るものね……と思う。
「このまま歩いて行けるの? 地下鉄とか使うのかと思った」
 ネフェルティモンにそう訊ねると、
「もう目と鼻の先よ。タクシーを拾うほどの距離じゃないし、徒歩でちょうどいいわ。目的地の近くまで来ているって気づかなかったの?」
 と言われた。
「うん。だってずっとバイクだったもの」
 私はヘルメットを頭上に掲げるように持ち上げ、うーんと伸びをした。バイクに乗っている間、とても緊張していたんだとあらためて思う。
「それにしてもラッキー! 偶然ネフェルティモンに会えるなんてとても嬉しいー」
 私はそう言うと、
「偶然じゃないわ。私、貴女を探していたのよ」
 とネフェルティモンに言われた。
「私を?」
「ええ。親戚が入院しているらしいから、お見舞いに行きたいの。今度、付き合ってくれない?」
 そう言われたけれど、意外なことだったので私は訊き返した。
「そのデジモンのお見舞い? ネフェルティモンが?」
「私だってそれぐらいするわ」
「でも、ネフェルティモンのおうちって……」
 ネフェルティモンは肩を竦めた。
「家は関係ないの。母さんに言われたことじゃない。――頼まれたって母さんの用事ならごめんだわ」
 ネフェルティモンは両親ととても仲が悪い。そのかわり、たくさんいる兄弟とは誰が見ても羨ましくなるぐらいとても仲良し。
「これは私が自分で決めたの。小さい頃からお年玉もらったり、動物園に連れて行ってもらったりと何かと遊んでくれたお姉さんが入院したって言うから……」
 そこまで言い、ふと、ネフェルティモンは驚いた顔をして空を見上げた。
「――わぁ……ケルビモンさん!」
「どこ?」
 ネフェルティモンの視線の先を探すと、スーツ姿の人間がすぐ傍の電柱の上からこちらを見下ろしている。本物の人間ならこんな登場はしない。
 ケルビモンさんはふわりとこちらに降りてきた。ケルビモンさんはデジモンで、三大天使と呼ばれるほどの強い力を持っている。
 トンッとアスファルトの上に降り立ったケルビモンさんを羨望の眼差しで見つめて、ネフェルティモンは訊ねる。
「どうしたんですか? 私に何か……?」
 ネフェルティモンはとてもとても、嬉しそう。
「こんにちは、ネフェルティモンちゃん。ピピモンちゃん。邪魔をしてごめんね……」
 控えめにそう言うケルビモンさんに
「邪魔だなんて……いつでも声を掛けて下さい。私に遠慮はいりませんからっ」
 とネフェルティモンは急いで応える。
 ケルビモンさんは笑み、
「ありがとう。でも、せっかくネフェルティモンちゃんがお友達と話しているから……」
 と優しい目をする。
 ネフェルティモンは感情を表に出さないけれど、怒ると怖いし決して容赦はしない。そんなネフェルティモンが大好きなのが、親代わりのように気遣ってくれるケルビモンさん。ネフェルティモンやその兄弟が小さい頃からずっと面倒を見てくれて、『実の親よりもよっぽど親らしいわ』とネフェルティモンは私にたびたび話してくれていた。
「テイルモンの退院が決まったそうだから伝えようと思って」
 そうケルビモンさんは言った。
「本当ですか? 嬉しい……」
「もしかして今ちょうど話していたデジモンのこと? 入院している親戚のお姉さん、退院するのね。良かったわね」
 私も喜ぶと、ケルビモンさんは微笑む。
「今朝挨拶に行って、ネフェルティモンちゃんのこと伝えたらとても嬉しそうだった。今度遊びに来てって言っていたよ」
「元気そうですね。嬉しい……心配していたんです」
 ネフェルティモンはホッとした顔をしている。
 ケルビモンさんは、
「これを……」
 と、小さな紙袋をネフェルティモンに渡す。
「保冷剤も入っているから……。では、またね」
 と微笑みかける。
「ありがとうございます……!」
 ネフェルティモンはとても嬉しそうにケルビモンさんを見送った。ケルビモンさんの姿が見えなくなると、ネフェルティモンは小さく溜息をついた。
「嬉しい……すごく嬉しいわ……」
 と紙袋の中を覗き込む。
「チョコレートだわ。匂いがするもの……」
 グリーンの包装紙に包まれた小箱を取り出し、ネフェルティモンは大切そうに眺める。
「大好きなケルビモンさんに会えて良かったね!」
「ええ。今日は良い日……。事務所に行ったらピピモンにも一つあげるわ」
「ありがとう! 残りはお兄さんと弟さん達にあげるのね」
「ええ。そうするつもりよ」
 ネフェルティモンは頷き、歩き出す。先ほどよりも足取りが軽い。
 友達の嬉しそうな微笑みを見上げ、私もとても幸せだと心から思った。



 事務所のあるビルに着いた。
「ちょっと待ってて」
 ネフェルティモンに待っていてもらい、エレベーター近くの壁に近付く。
 壁に埋め込まれているセキュリティボックスのふたを開け、カードキーを読み込ませる。古いビルだけれどセキュリティだけはわりと新しいものみたい。教わっていた暗証番号を入力して事務所のセキュリティを解除するピーという小さい音を確認して、ふたを閉じる。
 ネフェルティモンのところに戻り、一緒にエレベーターに乗った。
 古いビルの狭いエレベーターの中は蒸し暑い。ネフェルティモンはいつもどおりのクールな表情だけれど、それでもやっぱり暑かったみたいでエレベーターから降りるとほっと息を吐いた。
「こっちよ」
 そう言い、ドアの鍵を開ける。五階が丸々事務所だから、こっちと案内するまでもないけれど。
「はい、どうぞ」
 私はドアを開けた。それからすぐにエアコンのスイッチを入れた。
 ネフェルティモンは
「失礼します」
 と言ってドアをくぐる。
 書類棚やコート掛けの横を通り、中に案内すると、ネフェルティモンは
「綺麗に片付いているのね」
 と、感想を言った。
「マミーモンさんがとても綺麗好きなのよ。手早くて凄いの」
 と答え、私は小さい台所へ行き、冷蔵庫を開ける。
「麦茶でいい?」
 そう訊ねると、
「どうぞおかまいなく……」
 とネフェルティモンは微笑む。
「お客様にはお茶ぐらい出さなくちゃ」
「私はこの事務所のお客様じゃないわ」
「でも……」
「解ったわ。じゃあ、麦茶をお願い」
「うん!」
「いいの? 後で何か言われない?」
「友達に麦茶を出したって、後でマミーモンさんに言うわ」
「そう……」
 冷えた麦茶の入ったグラスを二つ、お盆に乗せて運ぶと、ネフェルティモンが事務所の入り口に立ったままだったので、
「どうぞ座って」
 と応接用ソファに案内した。
 黒い合皮張りのソファにスカートのプリーツを乱さないよう気遣いながら座ると、ネフェルティモンは
「まだ信じられないわ」
 と溜息をつくように呟いた。
 私は隣に座りながら
「何のこと?」
 と訊ねた。
「ピピモンが及川悠紀夫と知り合いなんて……」
「わあ、どうしてフルネーム知っているの?」
「……目を輝かせるほどのこと?」
「え? 目、輝いていた?」
「キラキラしていたわよ。まさかとは思うけれど、ピピモンは及川のこと好きなの?」
「えっ!?」
 思わず腰を浮かしかけると、
「驚き過ぎ」
 と注意された。
「えっと……」
「いいわ、言わなくても。だいたい解ったから」
 ネフェルティモンは麦茶のグラスを手に取ると、少し飲んだ。グラスをテーブルに戻すと私に、
「落ち着いて座ったらどう?」
 と声をかける。
 私はドキドキしながら座り直した。
「あの……ネフェルティモンは及川さん達のこと、知っているの?」
 ネフェルティモンは私の質問に答えてくれると思ったのに、答えずに
「ピピモンは及川達のこと、どこまで知っているの?」
 と私に訊ねた。
「どこまでって? えっと……」
 どう答えていいのか迷っていると、ネフェルティモンはケルビモンさんからもらったお菓子の包装紙を器用にささっと開け、中からホワイトベージュの小箱を取り出した。
「全く何も知らないのなら、私からあれこれ言うべきじゃないのかもしれないわね……。――チョコ、食べる?」
「ありがとう……」
 差し出された小箱の中からチョコを一つつまむ。それを口の中に入れるとふわりと甘さが広がった。
「及川さん達は、本当はとても危険な仕事をしているのかもしれないって思うけれど……」
「そう?」
「うん……でも及川さんは良い人だし、マミーモンさん、アルケニモンさん、ブラックウォーグレイモンさん達も良いデジモンだと思うから……」
「そう……」
「あのね、及川さんに地下鉄の中で助けてもらったの。それで……」
 私は今までのことをネフェルティモンに話し始めた。話しながら、まだ及川さん達に会って一週間も経っていないんだと思い知らされたような気がした。ちょっと寂しくなる。
 ネフェルティモンは私の話を聞き終わると、飲みかけの麦茶をまた飲んだ。そして、
「もしも危険なことが起きても大丈夫なのね?」
 と訊いてきた。
「危険なこと?」
「大げさと思うかもしれないけれど、あいつらと一緒にいると大変だと思う。もしも本当に大変なことに巻き込まれたら……」
 私はネフェルティモンに微笑んだ。
「心配してくれてありがと!」
「ピピモン……」
「私は大丈夫だから!」
 元気良くそう言うと、
「もう、ピピモンったら……」
 ネフェルティモンは苦笑した。



 兄弟達のところへ行くネフェルティモンをビルの一階で見送り、私はエレベーターへ戻ろうとした。
「あ、郵便……」
 ポストから郵便物が覗いている。マンガ雑誌ぐらいの厚みがある茶封筒だ。
 中途半端にポストに突っ込まれているそれを、横着してそのまま引っ張り出そうとしたら、微妙なところでつかえてしまっていて取り出せない。
「やっぱり開けなくちゃだめだったのね……」
 ポストの開け方も教わっていたので、暗証番号を順番にダイヤルで合わせて扉を開いた。
 郵便物はその一つだけで他は何も無かった。ダイレクトメールもチラシも無い。
 ふと、その封筒の表には切手も、郵便料金を支払った後に貼られる紙も無いことに気づいた。
「変な郵便物ぅ!」
 私は首を傾げ、すぐに不安になった。
「まさか、爆弾入っていたり……する?」
 恐る恐る箱に耳を近づけても、映画とかであるような時計の音は聞こえて来ない。けれど、
「ん?」
 私は目を点にした。もう一度耳を澄ます。
「あれ?」
 時計じゃなくて、何か別の音が聞こえたような気がする。けれど……気のせいだったのかもしれない。
「ええー? ……どうしよう」
 私はそれを眺めた。なんだか怪しいけれど、事務所に持って行ってもいいの? ネフェルティモンが帰る前だったら一緒に考えてもらったのに、ちょっとタイミング悪い……。
 うーん、うーんと数分ぐらい悩んでから、やっぱり事務所に持って行くことにした。私の考え過ぎなのかもしれないもの。
 近くに住んでいるデジモン、もしくは近くにある会社から直接持って来られたのかも?とも思ったけれど、それは違うような気がした。
 エレベーターに乗って五階へ向かう。古いエレベーターが少し揺れるたびに、まさかここでこの封筒が「ドッカーン!」なんてことにならないわよね?とドキドキしたけれど何も起きず、無事に五階で降りた。
 いったん鍵をかけていた事務所のドアを開けて中に入った。西日が差し込む事務所の中はほのかにオレンジ色に染まっていた。
「及川さんの名前が書いてあるけれど……」
 やっぱり怪しい封筒なので、及川さんの机の上に置くのもなんだか怖い……。
「とりあえず、ここに置いておこうかな……」
 応接テーブルの端に茶封筒を置き、使っていた二個のグラスを替わりに持った。
 そのグラスを台所に持っていき、洗ってから戻ると事務所を見回した。あらためて一人で留守番するのはつまらないと思えた。
「ダメダメッ! これ、私の仕事だからっ! 電話がかかってこないなら、他の事しなくちゃ!」
 気合を入れなおすと、ちょっと机を拭いたりしようかと雑巾を取ってきた。
 固く絞った雑巾で及川さん達が使っている机や棚などを拭いていく。
 お掃除しておくと、仕事もはかどるものね……。
「及川さん……」
 及川さんの机を見つめる。書類は位置を変えちゃいけなくて、文房具もそのまま触っちゃいけなくて……だから及川さんの机は、拭くところがあまり無い。
 パッと見た感じだとちょっとごちゃごちゃしているようにも見えるけれど、どこに何が置いてあるかを覚えているみたいで、「消しゴムはどこだ?」だなんて及川さんは絶対に言わない。
「えへっ! 及川さんってすっごいのー!」
 ぽそっと思わず呟いてしまい、慌てて辺りを見回した。もちろん、私の他には誰もいない。
「……仕事しなくちゃ」
 恥ずかしくてたまらない。ドキドキしながらちょっとだけ及川さんの机を拭き、及川さんがよく使っている棚も拭いた。
 ……及川さんって、恋人とかいるのかな? 好きな人っているのかな? 恋人なら人間がいいってやっぱり思うのかな? デジモンはダメって思うのかな? ええっと、でも、デジモンでも美人だったら? だって……アルケニモンさんだって美人でしょ? でも……アルケニモンさんは及川さんと家族みたいに見えるし……変なのぉ。……まさか及川さんってバツイチ!? ええっ! ……あ、年齢的に無理がありそう。良かったー! あー、とっても驚いたー。
 私は大きな溜息をつくと、頭を左右に振った。
「もーうっ! 私ったら余計なこと考え過ぎ! 雑念禁止! お仕事に集中!」
 一人でいると想像が一人歩きしちゃうので、黙々と掃除の続きをすることにした。
 やがて皆さんの机周りを一通り拭き、次は応接テーブルを拭こうと近付き――私は首を傾げる。
「私、ここに置かなかった?」
 さっき置いたはずの封筒が無い。拭き掃除しているうちに、無意識にどこかに移動させたのかしら?
 あちこち見回しているうちに、応接テーブルの下に何か小さいものが落ちているような気がした。
「何?」
 良く見ようと屈み込むと、確かにそこにそれは落ちていた。
「……?」
 見たことが無いものだった。でもただの小石だと思った。黒いガラスで出来たような艶があるけれど、ただの小石……。
「さっきは気づかなかった……」
 それを拾い上げようとした。ごみはごみ箱に……。これは……不燃ごみ?
 ふっと、周囲が暗くなった。
「あっ」
 驚いて辺りを見回す。さっきまでのオレンジ色の事務所から一転して、薄暗い。
「雲が出てきたのかな? 夕立が来るのかも?」
 それなら明かりをつけなくちゃ、とスイッチのある壁へと行こうとして、
「……?」
 私は歩みを止めた。
「誰?」
 デジモンの気配がした。私の他に、ここに誰かがいるみたい!
「誰かいるんですか?」
 そう声をかけた。怖い感じはしない。もしかしたら、私がグラスを洗っている時に来たお客様かもしれないと思えた。


「及川悠紀夫を知っているか?」


 声が聞こえた。
「及川さんを? はい……知っていますけれど。あの……」
 私は部屋の中を見回した。
「どこにいるんですか? ごめんなさい。暗くて良く見えなくて……」
 暗いところは怖い。でもそこまでの暗さじゃないからかろうじて動ける。真っ暗だったらきっと足が竦んで動けなくなっていたと思う。
「すみません。お客様もこんなに暗いとご不便ですよね……」
 ちゃんとお留守番しなくちゃ。私、ここのバイトなんだから!
 急いで電気を点けようとしたら、誰かの手が私の手に触れてきた。
「あのっ!」
 驚いて手を引っ込めようとしたら、
「ああ、驚かせてしまったね……」
 優しい男の人の声だった。
「あ……いえ、ええと……」
 私の真後ろにいるみたい。
「もしかして、私の代りに電気を点けてくれようとしましたか?」
 この人、優しいなぁ……! 人間じゃなくてデジモンかもしれないけれど……。
「……?」
 おかしなことに気づいた。私の後ろに立っている『誰か』から、人間の気配もデジモンの気配も感じられない!
「お客様は、どうして……」
 振り向こうとしたら、そっと肩に手を置かれたので、ちょっと驚いた。
「あっ!」
 そうされると振り向けないんだけれど……。
「かわいいね……」
 突然そう言われ、顔が赤くなった。
「そんな……そんなことないです」
「及川悠紀夫は幸せだな。……きみみたいにかわいいデジモンとパートナーだなんて……」
「パートナー?」
 私は首を傾げた。
「何のことですか? あ、もしかして……! やだ、違います! ええっと、恋人とかそういうのじゃなくて、私はただ、ここの事務所のアルバイトで……」
「かわいいね。羨ましいな……」
「お…お客様はお世辞上手ですね」
 私は混乱してきた。
 どうしよう! このお客様、優しいけれど何だか変! なんか……なんかやだっ! 怖い! 怖いよぉ! 及川さん達、早く帰って来ないかな……どうしようっ! 及川さん、及川さんっ! 早く帰って来て下さい――!
「きみは及川悠紀夫を知っているんだね……」
 私はぎゅうっと目を閉じて頷いた。
「はい、及川さんを知っています。それで……あの? あなたは誰ですか?」


   ◇


 何度も強く名前を呼ばれていると気づいた。
 うっすらと目を開けると、そこには及川さんがいた。
「ピピモン!」
 及川さんはすごく怖い顔をしていた。
「大丈夫か!? 何があった?」
 そう訊かれても、私には何のことだか解らない。
「……おいか…わさ……」
 ――あれ? どうして? 頭がぐらぐらする……。
 起き上がろうとしても、体に力が入らない。まるで風邪をひいた時みたい……。
「どうしてこんなところに倒れていた?」
「え……? ええっと……」
 どうしてって……?
 事務所の床の上に倒れていたらしい。すぐに私は及川さんに抱き上げられて、応接用のソファの上に寝かされた。恥ずかしい!と頭の片隅で思っても、体に力が入らなくて何だかわけが解らない……。
 及川さんが離れ、入れ替わりにアルケニモンさんが私の腕を手に取り、脈を見たり、目を見たりしてくれた。
「どこも異常は無さそうだけれど……」
 そう言いながらアルケニモンさんはマミーモンさんに「アンタが撤収グズグズしていたからだよっ!」と、愚痴りながら当り散らす。
「ごめんなさい……」
 消えそうな声で呟くと、アルケニモンさんはまだ少しいらいらしながらも
「ピピモンのせいじゃないわよっ」
 と言う。
 ブラックウォーグレイモンさんも怒っている。
「ネフェルティモンと一緒じゃなかったのか?」
 と言ったので、私は思い出す。
「はい。ネフェルティモンと一緒で、麦茶飲んで……一階まで見送って……」
 言いながら気づく。ネフェルティモンを見送ってからどうしたのか――そこからの記憶が途切れている。
「ネフェルティモンを見送ってから……ええと……すみません、覚えていなくて……」
 と私が言ったとたん、アルケニモンさんが大声で、
「アンタ達、ちょっと外に出て――!」
 と鋭く叫んだ。
 皆が驚いているうちにアルケニモンさんはマミーモンさんを事務所のドアの外へ蹴り出し、及川さんの背中を押して追い出す。ブラックウォーグレイモンさんにもガミガミ言いながら追い出した。
 びっくりしている私の所にアルケニモンさんはすぐに戻ってきた。とたんに声を低くして、
「……あのね、落ち着いて答えなさいね? 何かあったの? 怒らないから、正直に言いなさい。誰かがいて、その……知らない男とか……?」
 と私に訊ねた。
「?」
 言われた意味が解らないのできょとんとしていると、
「あーもうっ! 知らない男が来ていて、まさか乱暴とかされなかったのか?って訊いているのよっ!」
 と怒鳴られたので仰天した。
「ひゃ、ひゃあ……そんなことされてないと思いますっ!」
 アルケニモンさんの訊きたいことがようやく解って、慌てて首を左右に大きく何度も振った。
「そう……それならいいわよ。じゃあ、立ち眩みか何かで倒れたのね? 本当にそうね? 全くもう! 驚かせないでよ……」
 アルケニモンさんは大きく息を吐きながらソファの横に座り込んだ。
「ごめんなさい。心配かけて……」
 深く頭を下げて謝りながら、ふと……心に何かが引っかかった。
「――ああ、私……砂時計を見ていたんです……」
「砂時計?」
 アルケニモンさんに問いかけられ、私は我に返る。一瞬、何かを思い出してぼんやりとしてしまったみたい。
「ええっと……すみません。思い違いかも……」
「そう?」
「夢を見たんだと思います。男の人の声がして……私、砂時計を見た……きっと夢だったんだと思います……」
 私がそう言うと、アルケニモンさんは
「そう……砂時計……?」
 と呟く。そして、
「それ、きっと夢ね。私、夢占いとかさっぱり解らないから、後でマミーモンに訊いておいてあげる。疲れていたのよ、きっと。今日は荷物運んだりしたものね。もう起きられる? アパートに行くけれど……」
 と言った。
「はい。大丈夫です。――そうですね。きっと夢……」
 私は頷いた。
 アルケニモンさんが呼びに行くとすぐに及川さん達は戻ってきた。
 マミーモンさんが
「具合悪いのか? 食欲はないのか? 夕飯どうしようか……おかゆ作ろうか?」
 と心配してくれた。
「平気です。何でも食べられます。心配かけてしまってごめんなさい」
 そう私が答えると、マミーモンさんは
「そうか? それならいいんだが……」
 と、にこっと笑う。マミーモンさんって、とても優しい。
「消化が良くて栄養ありそうなもの作れ」
 と及川さんがマミーモンさんに言った。
「そうですか……うーん、難しいなぁ……だって夏だし、これが冬だったら鍋焼きうどんとか作るんだけれど……」
「つべこべ言うな!」
 及川さんは怒鳴る。及川さんがいらいらしているのは私のせいだ。私が心配かけたり迷惑かけたりしたから。
「具合が悪かったら言え」
 と言われた。

 及川さん、いらいらさせてしまってごめんなさい。
 アルケニモンさん、怒らせてしまってごめんなさい。
 マミーモンさん、心配かけてしまってごめんなさい。
 ブラックウォーグレイモンさん、怒らないで……ごめんなさい……。
 本当にごめんなさい。気をつけます。だから……ここにいさせて下さい。私の居場所、ここに……下さい……。

 涙が溢れた。頬を伝ってスカートの上に落ちた。
「おいっ!? 別に俺は……そんなに厳しいこと言っていないだろ?」
 及川さんは戸惑った顔で私の頭を撫でてくれた。その大きな手は優しくて、私は嬉しかった。


----------


《あとがき》
 今回のこの話は、及川さん達を登場させた当初から予定していた話です。
 ネフェルティモンは大人っぽい容姿の頭の良い女の子というイメージです。  ちょっと性格が攻撃的ですが、普段は隠しています。いろいろ設定考えていますが、ネタバレになってしまうのでまだ話せないことが歯がゆいです(笑)
 読んでいただきありがとうございましたv

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