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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
LOVE ME 後編 Side:METALPHANTOMON
 ――恋愛の相手?
 まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。
 ――そう思っているのか? 俺を?
「さきほどからずっと考えていたのよ。貴方はファントモンと同じ存在だったのだから、可能なはず! 今すぐに、どうか……私と『指きり』をなさい! そうすれば先ほどのような『消滅』の予兆のようなことは抑えられるはず!」
 御主人様はそして、声を絞り出すように付け加えた。
「――私のことを何とも思っていないならそれでいいわ。誰か他に想う方がいるのなら、そちらへ行こうとも……留めないから……。約束するわ……だから、お願い……」
 ――そこまで? 俺を?
 俺はくくっと笑ってしまった。嬉しくて仕方ない。
「どうして笑うのっ!」
「いや、すまない。こんな……」
 と、言いかけ、ふと、
 ――あ……?
 目の端に赤いものが見えた気がした。朱塗りの欄干の色が残像を見せたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
 ――何だ? ……仕方ない。御主人様には後でまた時間を作ってもらうか……。
「この話は後でゆっくりしないか?」
 俺がそう言うと、御主人様は
「酷いわ……。私がこんなに真剣に考えているのに……」
 と、声を震わす。その体から滲み出るのは暗黒――強い力。
 ――困ったな……。下手なことを言えば暴走するのか? 仕方ないな。見世物じゃないんだが……。
 俺は
「こんな気持ちになるのは、どうしてだろうな……」
 と、先ほど言いかけて止めた言葉を言いなおした。
「それは……どういう気持ち?」
 御主人様は、俺の言葉を恐れるようにその眼差しを逸らす。
「愛しくてたまらないとは、おそらくこういう気持ちなのだろう」
 そう、俺は言った。
 彼女の肩が震えた。
「何ですって……」
「言葉どおりだ」
 御主人様は激しく首を横に振った。
「もう止めて! どうしてなの? そう思ってくれるのなら、どうして……!」
「だからこそ――俺はファントモンを貴女の傍に残そうと思った。『指きり』によってファントモンが簡単なことでは死なない存在になったのなら、貴女が決して一人ぼっちにならないように……。『孤独』にならないように……」
「……!?」
 御主人様は逸らしていた視線を上げて俺を見つめ返す。
「周囲に誰がいようと、……例えば家族や友人がいて、それ以上の存在がいたとしても……『孤独』を感じることは誰にでもある。誰でも、『孤独』をたまに感じながら生きている。そういうものだから……」
 御主人様は泣きそうな顔をした。
「貴方も? そういう時はあるの?」
 俺は頷く。
「ある」
「そういう時はどうするの? 苦しくなるでしょう? ……寂しくて、辛くなるでしょう?」
 俺は、
「眠る。それが一番早い。そうすれば、朝が来る頃には忘れてしまう」
 と言った。
「貴方らしい答えね……。でも、もしも……どうしても眠れなかったら?」
 御主人様はなおも俺に問いかける。
「数でも数える。もっとも、俺は数を正確には数えられないが……」
「え? まさか……」
「本当のことだ。文字のことだけでも御主人様に迷惑をかけそうなのに、言い出し辛いと思って話さなかった。内緒にしていてすまない……」
 御主人様は優しい目になる。
「今まで必要が無かったのでしょう? だったらおかしいことじゃないわね。それなのに……貴方は、数が数えられなくても……それでも数えるの?」
「適当に、な」
「それなら……数の数え方を覚える気はある? 私で良ければ、数え方を教えましょうか?」
「御主人様が教えてくれるなら覚える努力をしよう。美人からなら教わりたい」
 御主人様はじっと俺を見つめる。
「貴方は……不思議な考え方をするのね……」
「そうじゃない。元来、不真面目なだけだ」
「嘘をおっしゃいな。ただ、それらが必要じゃなかっただけでしょう?」
 御主人様は目尻から涙が零れそうになり、慌てて指先で拭っている。毒を含んでしまうそれを、そうすることで瞬時に解毒しているのだろう。
「どうした? なぜ泣く?」
「嬉しいからよ……」
 御主人様は微笑む。ひっそりと闇夜に咲く花のように見えた。
「貴方が話してくれたから、嬉しいの……」
「……?」
「本当よ。私は嬉しいの。どんな些細なことでも、貴方のことを知ることが出来るなら……嬉しいの……」
 御主人様はそう言い、微笑む。
 ――右目を残しておいて良かった。この姿を見られないのは、もったいないからな……。
 俺は、じっと御主人様を見つめた。
「いつか……消えるのなら。例えば、来るはずの朝が来なかったように。――そんなことをずっと思っていた」
 そう、御主人様に言った。
「……!」
 御主人様は目を見開き、驚いている。
「そう思っていたの? 貴方にとって私は……そういう別れ方をしてもいい存在なの……?」
「俺がいなくなってもファントモンが貴女の傍に残ればいい、と思っていたからな」
「そんな……」
「俺が生きてきた全てはファントモンがそのまま受け継いでくれるから、『消滅』には何も……恐怖さえも感じていなかった。でも、今は――御主人様のことを愛しいと思う気持ちは確かにここにある」
「そこまで私のことを考えてくれるのなら、どうして……!?」
 御主人様は唇を震わせた。
「俺は今まで手段を選ばずに生きてきた。それは……『殺戮』だけじゃない。――察してくれないか? そういう汚い生き方をしてきた――」
「……!?」
 察しろと言った言葉が示すことが何かを御主人様はすぐに気付いたのだろう。彼女は絶句している。考えもしなかったのだろうから、当然だ。
 ――避けては通れないだろうから、仕方ない。
 それを明かさずに御主人様と深い関係になったとしても、その時点で解ってしまうだろう。御主人様を混乱させ悲しませ、それが暴走に繋がれば大変なことになる。
「言うつもりは無かったが、これ以上隠してもいられないだろうからあえて言った。――せめて暴走しないでくれないか?」
「そのために……? 私を暴走させないために?」
「そうだ。それに……これ以上、嫌われたくないからな……」
 俺は御主人様を見つめた。
「『指きり』、か……。それよりも欲しいものがあるんだが……」
「何ですって?」
「『指きり』の申し出は確かに魅力的だが――。俺は別に欲しいものがあって……それが手に入らなければ、せっかくのご好意だが御主人様の申し出に応じるつもりは無いんだ」
「そんなに欲しいものがあるの? それは何? 何でもおっしゃいな! それが条件というのなら、必ず用意するわ! 貴方のためなら、いくらでも……」
 必死に訊ねる御主人様に、俺は微笑む。
「金では買えないものだぞ?」
「お金で買えないほど高価なもの? そんな……いいえ、とにかく言いなさい!」
 御主人様は戸惑った顔をする。
「必死だな?」
「う……うるさいわね! だいたい、お金で買えないほど手に入りにくいものだなんて……」
 俺は笑いかけ、
「おや? 御主人様の心は金で買えるのか? ずいぶん安いなぁ!」
 そう告げた。
「……!? 今、何て……?」
 御主人様は驚いた顔で俺を見つめる。そして――突然、すがりつくように俺を抱きしめる。
「嘘ではないの? からかっているわけではないのね?」
「ああ。――いいのか? 俺で?」
「ええ……。ずっと……ずっと一緒にいて欲しいの……」
 御主人様は口付けをねだるように瞼を閉じた。
 俺は苦笑した。
 ――おいおい。毒入りだと本人が忘れてどうする? それに、――これ以上はまずいだろう?
 いつのまにか媚薬のような毒が御主人様の体から流れ出していることに気付き、俺は
「――ストップ」
 と押し止める。
「え?」
「すまないが、続きは二人きりの時にしないか?」
「ええっ? ――きゃあああっ! ファントモン……!?」
 ようやく気付いたらしく、御主人様は慌てて俺から離れる。
「ご、ごめ……ごめんなさい……!」
 と。何も存在しないはずの欄干の上に、抱きつくように乗っているファントモンが現れた。
「いつからそこにいたのっ!」
 ファントモンはふわっと飛んで御主人様に近付き、
「ちょっと前から……。あの……本当にごめんなさい……!」
 と、謝る。
「そんな……」
「覗き見するつもりじゃなくて……」
「いやだわ……恥ずかしいったら……!」
 御主人様はファントモンから顔を背けた。
 ファントモンは戸惑いながら、俺の方に来た。
「邪魔しちゃった……ごめんなさい……」
「御主人様が話を途中で止めなかったからな」
 俺の言葉に、御主人様は頬を染める。
「じゃあ、さっきは……!?」
「ああ。だから言ったのになぁ……」
 御主人様は耳まで真っ赤になった。
「ごめんなさい……」
 ファントモンは落ち込んでしまっている。
「そうしょげるな。姿を隠すの、上手くなったな?」
「うん。でも、メタルファントモンにはばれちゃっていたんだね。それに……」
 ファントモンはもじもじと俺を見上げる。
「あのぉ……そのぉ……」
 こいつが言いたいことは解ったので、俺は苦笑する。
「今のか? 出来るわけないだろう? 御主人様のキスは『毒入り危険!』だからな」
「毒……!?」
「猛毒だ。神経を麻痺させ体の動きも封じ、最後にはデジコア自体が行う生命活動も停止させる。――デジコアが石ころ同然になるんだ。どうだ? 恐ろしい女だろう?」
「う……恐いっ!」
 ファントモンは絶句した。
「以前に寝込みを襲われた時があってなぁ……」
 さらにそう言うと、
「あの時は……!」
 御主人様は顔を真っ赤にして何も言えなくなっている。
「寝込みって……そんな……! 御主人様ってば、そんなことメタルファントモンにするのっ?」
「安心しろ。そのうち御主人様の毒に慣れてしまえば問題無い」
 ファントモンは大好きな御主人様がかなり危険な存在だと知り、心配そうに俺を見つめる。
「本当に? 大丈夫?」
「ああ、心配するな」
「うん……」
 ファントモンはふわりと俺の頭上に来て、そのまま俺の頭の上に乗る。
「メタルファントモン……どうしたの? 具合、悪かったの? 『指きり』って……?」
「大丈夫だ。お前が気にしなくてもいい。――それより、どうした? 昼飯は食べたか?」
 俺は頭上のファントモンに話しかける。重いとは感じないが、温かさは感じる。
「うん、おそば食べたっ!」
 ファントモンは機嫌良く答える。
「そうか、良かったな。どれぐらい食べた?」
「たくさん食べた! メタルファントモンは?」
「さっき、温泉玉子と酒饅頭を食べた」
「そうなの? 美味しかったでしょう?」
「ああ。美味しかった」
「そうでしょ! 美味しいよねー!」
 ファントモンはまるで、自分が奢ったように得意げだ。
「メタルファントモンもおそば食べたい?」
「ああ、そうだな……。ところで、ここには一人で散歩に来たのか? 何か用があって、御主人様を探していたんだろう?」
 そう問いかけると、ファントモンは
「あ……!」
 と、声を上げた。
「うん! 忘れるところだった……」
 ファントモンは急に焦り出した。
「あのね、ファンロンモンが来てくれたの! メタルファントモンを探しているよっ」
 意外なことを言われ、俺は御主人様と顔を見合わせた。
「おい、ファントモン。それはいつの話だ?」



 俺達は急いで旅館に戻った。旅館では女将が、今か今かと俺達の帰りを待っていた。
「ファンロンモン様が突然いらして……」
 この世の終わりが来た!とでもいうような絶望の面持ちの女将に、
「何でも無い。俺に野暮用があるのだろう。安心してくれ」
 と告げ、俺達が泊まっている部屋へ急いだ。
 この旅館内に入るためにファンロンモンは人間の姿をしていた。ずいぶん前に到着していたようで、しかも一緒にそばを食べたらしい。皆の湯飲みは何杯も茶を飲んでいたのが解る状態だった。
「遅ぇぞ、ファントモン! オマエ、どこをどう道草食ってたんだ?」
 食休みにごろりと横になっていたベルゼブモンが起き上がり、欠伸をする。
「遅過ぎる!」
 兄上も渋い顔をしている。
「何かあったのかと思ったわ。無事で良かった……。お使い、ご苦労さま」
 ロゼモンも、ほっとした顔をしている。
「遅くなってごめんなさい……」
 俺の頭の上からふわりと降りると、ファントモンは小さい声で謝る。
 俺はファンロンモンに訊ねる。
「何か急用だろう?」
 ファンロンモンは苦々しい顔をした。
「どうして黙っていた? 連絡ぐらいよこせないのか? 危ないところだっただろうに……!」
 ベルゼブモンが苦笑する。
「ああ? ルーチェモンのことか?」
 ファンロンモンは、
「……いや、その件では無い」
 と言い、俺に抗議の視線を向ける。どうやら、俺が今さっき『消滅』しかけていたことに驚いて駆けつけたらしい。ファンロンモンほどの力があるデジモンならそれは容易だろう。
「む? 他にも何かあったのか?」
 ベルゼブモンは眉をしかめる。不満そうだ。兄上達も何か言いたそうな顔になる。
 俺はファンロンモンに問いかけた。
「その件なら、俺だけで話を聞こう」
 ファンロンモンは渋面で頷く。
「そうだな。――すまないが、わしとメタルファントモンだけで話したいことがある」
 そう、ファンロンモンは皆に声をかける。しぶしぶとベルゼブモン達は立ち上がり、隣の部屋へ。
 けれど御主人様は
「私もその件、ぜひお聞きしたいわ」
 と言い出した。
「メタルファントモンが関わることなら、オレも聞く!」
 と、ファントモンも言い出す。
 俺はファントモンに、
「まず、俺はファンロンモンと二人で話をしたい。もしもお前の力が必要なら後で頼もう。ファンロンモンは忙しいから、ここでのんびりとしている時間も無いのだ。――さ、御主人様と一緒に隣の部屋で待っていろ」
 と、俺はファントモンを促した。御主人様はそれを聞き、むっとしている。
「私にも後でちゃんと話してくれるのでしょうね?」
 そう念を押しながら、御主人様はファントモンを伴って部屋を出て行った。
 そしてファントモンは御主人様の肩越しに俺達へ、未練がましい視線をずっと向けていた。
 皆が出て行ってから、俺はファンロンモンと座卓を挟んで向き合うように座った。
「すまないな。いらぬ心配をかけたようで……」
 ファンロンモンは、頭痛がする、といったように額を押さえる仕草をした。
「間に合わぬかと思ったぞ……」
「本当にすまなかったな」
「今は大丈夫か? 『消滅』の危険は無いのだな?」
「ああ。安心して欲しい」
 ファンロンモンはようやく、緊張していたその顔を緩めた。
「それならいい。何やらリリスモンと二人で外に出ていたようだが――逢引の邪魔をしたようだな?」
 ファンロンモンは俺をからかうようにそう言った。
 俺は溜息をついた。
「全部筒抜けだったのだろう?」
 俺がそう訊ねると、ファンロンモンは苦笑する。
「すまぬな。これがわしの能力だ。――それより、『指きり』の約束までするとは……」
 ファンロンモンは興味津々な面持ちで、テーブルに身を乗り出す。
「それで? これからどうするつもりだ?」
「成り行きにまかせる」
「楽しみだのぅ……!」
 その時、


「わしの知らぬところで何をやっているんじゃ――――!」


 と。御主人様達の祖父である、あの御老体が駆け込んできた。乳母やもいた。
 ――リアルワールドから駆けつけてきたのか? 二人とも、どれだけ強大な力を持っているんだ?
 俺は呆気に取られた。
 ファンロンモンはキッと御老体を睨み付け、
「今、大事な話をしているところだぞっ!」
 と、怒鳴った。
 御老体はわなわなと体を震わせ、
「その大事な話をわしにも話さぬか!」
 と怒鳴る。
「断るっ!」
 と、ファンロンモンは声を上げた。
「貴様、よくもっ! わしの孫だぞ!」
「リリスモンはいつも敬老の日には『ファンロンモンおじいちゃまの絵!』って、描いてくれたのだぞ! 孫同然だ! どうだ、羨ましいだろうっ」
「ふんっ! わしなぞ、一緒に百貨店の食堂でお子様ランチを食べたぞ! プリンパフェもな!」
「このぉ!」
「どうだ、悔しかろう!」
 老人同士の口げんかの火蓋が切って落とされた。
 御老体とファンロンモンが怒鳴り合うのを無視し、
「メタルファントモン様っ」
 乳母やが俺に急ぎ近付いてきた。
「すまない。リアルワールドから来てくれたのか?」
「ええ、若君から御連絡いただきました。そりゃもう驚きましたよ! それで、弟君と別々の存在になられたと聞きましたが……」
「ああ。――ところで、話しておきたいのだが……」
「はい?」
「御主人様はどうやら、俺でもいいそうだぞ?」
「まあ……!」
 と、乳母やは満面の笑みで涙ぐむ。
「俺の過去を知っても、それでも俺と『指きり』をしてくれるそうだ」
「それは良うございました! ああ、良かった!」
 乳母やはそっと、嬉し涙を拭った。
 たいそうな勢いで怒鳴りあっていた御老体が、
「何だと!」
 と、急に口げんかを止めて俺に詰め寄る。
「『指きり』を? それは本当か? もうしたのか!?」
 俺は御老体の意見を伺っておくことにした。内緒にしていて後々面倒なことになっても困るだろう。
「いや、まだだ。一つ、伝えなければならないと思って、な……。それを聞いて御老体が反対するのならこの話は白紙に戻そうと思うのだが……」
 御老体は仰天して俺に詰め寄る。
「何だ?」
「俺は色々と汚い手段を使って生きてきた。――それを一応、言っておくべきだろうと思ったのだ……」
 相応の覚悟をして言った。
 御老体は、
「そ、それは……そうか……」
 俺が予想しない顔をした。怒りもせずに、困惑している。
「どうかしたか? 疎まれても仕方ないと思っているのだが……?」
 俺はそう訊ねた。
「いや……わしらはそんなことは気にせんぞ! お主を全面的に信頼するからな!」
 強くそう言うが、御老体は額に大量の汗を浮かべている。
 ――何だ?
 ファンロンモンも俺と同様に、
「何のことだ?」
 と、不思議そうな顔をする。
「何でもない! うちの孫だって相当の……ああ、いや……その……」
 ――相当?
 その時、
「やめてっ! 私はそのようなこと気にしないの! だから、もういいでしょう? おじい様、余計なこと言わないでっ!」
 御主人様が部屋に駆け込んできた。
「聞いていたのか?」
 御主人様の手にはグラスが握られていた。隣の部屋から壁越しに聞き耳を立てていたようだ。
「――え!? あの、それは! その……」
 狼狽しながらそのグラスを背後に隠そうとする御主人様の背後で、


「歌舞伎町でしたよね? 店の名前は何と言いましたっけ?」


 と、声がした。
「メタルマメモンッ!」
 御主人様の顔がみるみる青ざめる。
 兄上は器用に指先でくるくるとグラスを回している。手品師のようだ。
「義姉上が連夜、ドンペリ豪遊をやっていると知って、俺は中学の時に相当グレましたけれど?」
 兄上がじっとりと冷ややかに御主人様を見上げる。
「あ……アンタはっ!」
「ええ? 黙っていた方がいいんですか? メタルファントモンが隠さず言っているのに? 義姉上は? ずるいとは思いませんか?」
「ううっ、アンタはぁ……!」
「必死ですね? そうですよね……このチャンスを逃したら、義姉上のような方に嫁の貰い手なんか来ませんよね?」
「ね? お願い……もうっ!」
「俺がどんなにやめてくれって言っても聞き入れてくれませんでしたよね……ピンドン……」
「やめて――――!」
 御主人様は悲痛な叫びを上げた。
 ――なんだ? 兄上は御主人様に何か恨みでもあるのか? ピンドン……って、何だ?
 兄上よりさらに背後から部屋の中を覗いていたベルゼブモンが
「……身内がそんなとこ通ってりゃ……そりゃあ、離れの家に引きこもるだろーなぁ……」
 と、苦々しい顔をして呟く。
「それって、ホストクラブ……?」
 ロゼモンが顔を赤らめる。
「ええ。それはもう、たいそう羽振りが良かったようですよ。笊(ざる)でね、一度に両手の指じゃ数え切れないぐらい頼むそうで……」
「そんなに……!?」
 兄上の話にロゼモンは絶句している。
 御主人様は
「昔の話じゃない! 時効にしてちょうだいっ! ね? もう、やめてっ!」
 と必死に訴えている。
「若君! どうかそのことは御内密に……!」
 乳母やは事情を知っていたようで青ざめている。
 ファンロンモンはそれらの単語が何を意味するのか解ったようで、
「リリスモン! お前は何ということを……リアルワールドで何をやっておったんじゃ……!」
 と、泡を吹いて倒れそうな顔をしている。
 ――何だ? 何の話をしているんだ?
 俺は首を傾げる。同じく首を傾げるファントモンと目が合った。
(何だろうな?)
(わかんない……)
 御主人様達は大いにもめている。
 俺もファントモンも、彼らの話はさっぱり解らない。それを気にされるような雰囲気でもない。蚊帳の外だ。
(おい、ファントモン。俺は腹が減っているんだが……)
(そうなの? 外、行く?)
 こっそりとその場を離れようとすると、ベルゼブモンが気付いて
(お? オレもそっちに混ぜてくれ)
 と、にやにやしながらついてきた。
 俺達が廊下に出ると、兄上が後ろ手にひらひらと手を振る。どうやら、後のことはまかせていいようだ。
「それにしてもひでーな……」
 にやにやしながらベルゼブモンは笑う。
「あれは何の話だったんだ?」
「さあ? リリスモンに後で直接、訊いてみたらどうだ?」
 と言われた。
「オレも訊いてもいいことなのかな……」
 ファントモンはふわりと浮かび、俺の頭の上に乗った。
「お前、そこが気に入っているのか?」
「ん? だって、メタルファントモンは頭、スースーしないの?」
 ――そういえば。デジモンの時はフード付きのローブを被っているので、人間の姿になると風通しが良すぎるな……。
「ああ……それもそうだな。ちょうどいいかもしれないな」
「でしょ? オレもラクラク〜♪だもん!」
「こら。調子が良いな?」
「えへへー!」
 ファントモンは嬉しそうだ。
 一階に下りると、女将が駆け寄ってきた。
「ファンロンモン様の御用事とは、何だったのでしょう?」
「ああ、気にしないでくれ。それより腹が減ったんだが、今、ファンロンモン達が何やら話し込んでいて、居辛くて出て来たんだが……」
「それなら、奥の宴会場が空いています!」
「そうなのか?」
「ファンロンモン様がいらっしゃると聞き、もしもこちらでお食事をされるならと急いで用意させていただいた次第で……」
「それはずいぶんと準備が早いな。そうだな……話が終わればファンロンモン達も腹が空くだろうから、ちょうど良いだろう。何から何まで迷惑をかけているようですまないな……」
 女将は恐縮する。
「この辺りは近年不況で観光客の足も遠のいて……。この度はリリスモン様がお忍びでいらっしゃることでずいぶん宣伝をさせていただいて……」
 女将は「すぐにご用意しますので……」と足早に行ってしまった。
「宣伝?」
 俺は驚いてベルゼブモンに訊ねた。
「ああ。どこから情報漏れたのか、スクープされていたなぁ。『セレブ御用達』って。どうせ誰かの嫌がらせだろうが……。そんなことでもここでは大歓迎のようだから、気にしないでいいんじゃねえか?」
 ――ドンペリ、ピンドンの次はセレブ? どういう意味だ? 略語か?
「わけがわからんが……とりあえず、俺はしばらくここでデータが安定するまで過ごしたいのだが。どうせならデジコアの欠片の再生もここでやらせてもらえると助かる。温泉もあることだし……」
 そう言うと、ベルゼブモンは呆気に取られた顔をする。
「おい? まさか、ファンロンモンが来たのは……!」
「ああ。心配をかけたようだ」
 俺は肩を竦める。
「とんだ馬鹿野郎だな! お前が今『消滅』したら、リリスモンが大暴走するだろーが!」
 ベルゼブモンは声を上げた。
「そうだったの? オレ、気付かなかった……。ねえ、たくさんご飯食べて! ……たくさん、温泉入らなきゃ……!」
 ファントモンは俺の頭の上で、グスッと鼻を鳴らすと泣き出した。
「やだよ……いなくなっちゃ、やだ……ご飯食べなくちゃ……」
「そんなに気にするな。今はもう安定しているから、大丈夫だろう」
「本当?」
「ああ」
 とりあえず、宴会場で先に夕食を食べることにした。
 宴会場へ行く途中、廊下の窓から夕焼けが見える。鮮やかなものだ。
「ねえ、メタルファントモン。明日の朝もちゃんといるよね? ねー?」
 ファントモンはそう、何度も俺に訊ねる。
「ああ。いるだろうな」
 俺も、何度も苦笑しながらそう答えた。



 その後。
 宴会場で先に手打ちそばを食べていた俺達のところへ、御主人様が駆け込んできた。
「メタルファントモン!」
 御主人様は俺の目の前に座るなり、泣き腫らした顔をして、
「私はっ! 多少お酒を飲むけれどっ! 貴方はそんなこと、気にしないわよねっ?」
 と訊ねた。俺の隣で丼飯を掻き込んでいたベルゼブモンが咳き込み、反対隣にいたファントモンは食べかけのプリンをそのままに、呆然とご主人様を見上げる。
「酒?」
「ええ、そうよ!」
「酒か……」
「どうなの?」
「俺も酒は飲むから気にはならないが……?」
「ほら、ごらんなさい!」
 御主人様は振り返り、追いかけてきた兄上に勝ち誇った笑みを浮かべる。
「……証拠写真、ありますけれど?」
 兄上がぼそりと呟いた言葉に、御主人様はその場で固まった。
「嘘……」
「とっても楽しそうな写真、ありますけれど?」
「や……やめて……」
「多少? へえ……多少? ふーん……多少、ねぇ……」
「うっ……勘弁してちょうだい……」
 御主人様はがっくりとその場に打ち崩れた。
「……ごめんなさい、反省しますっ、ごめんなさい……!」
 何だかよく解らないが、兄上に軍配が上がったようだ。
 ――何だ、酒の話だったのか? そうか? ふーん?
 俺は首を傾げ、残りのそばをすすった。


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《ちょっと一言》
 温泉話の続編です。
 メタルファントモンは登場させた当初、『女主人のところに雇われた子連れ用心棒』のイメージだったのですが、だんだん『金持ちマダム相手の高級ホスト』みたいなイメージになっていってしまいました。子供育てるためにパパはホストしていました・・・って感じで(どこの昼ドラ・・・笑)
 いやはや、恥ずかしい話ですみません! そして力不足で毎度申し訳ない! 毎度、好き放題なこと書いていますが、今回もとても楽しく書きました^^
 いつも読んで下さってありがとうございます! 次回もどうぞ、ご贔屓にv

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