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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編11
 土曜日の朝。
 『皐月堂』にいつもより早く出勤した私達を見て、マスターは驚いた。
「華やかだね」
 マスターにそう言われて、樹莉は真っ赤になって俯いた。
 私達は二階でわいわい言いながら浴衣から制服に着替える。
 レナやドーベルモンさん達に会っても、
「おはようございます」
 と、いつも通りに振舞う。
 そんな私達の事情を知っているものだから、マスターは笑いを堪えるのに必死だったみたい。背中を向け、肩が震えている。樹莉は寄っていって
「肩が痙攣してますよ〜?」
 とか言っちゃって。私とアリスは我慢出来ずに小さい笑い声を漏らした。レナとドーベルモンさんは不思議そうな顔をしていた。



 花火大会があるのでお店は五時で終了。先にバイトが終わった私とアリスは、制服を来たまま樹莉を待っていた。樹莉が二階に上がって来たので「急げ!」と私達は女子更衣室へ小走りに駆け込んだ。
 小声で話しながら、浴衣に着替えた。
 先に私と樹莉が浴衣を着てから、アリスを手伝う。
(帯、苦しくない?)
(大丈夫)
(こうやるの。ほら、アリスにも結べるでしょ?)
(あ…なるほどね!)
 ばたばたと用意を済ませ、私達は女子更衣室を出た。
 すでに私服に着替えて椅子に座って雑談をしていたレナとドーベルモンさんは、私達を見るなり目を点にした。
 私と樹莉はまず、アリスの背中を押した。
「「はい、行ってらっしゃい」」
 アリスが恥ずかしそうにドーベルモンさんを見上げる。
 紺地に白と薄いピンクの撫子の花があしらわれた浴衣に、くすんだ赤色の帯。帯は文庫結び。お婆様が昔使っていたもので、今はアリスが使っているという。
 ドーベルモンさんは、まさかアリスが浴衣を着るとは思ってもいなかったので相当面食らっていた。言葉少なく、
「お疲れ様……」
 と私達に言うと、アリスを促した。
 樹莉が着たのは、白地に青い朝顔の花と団扇柄の着物で、帯は赤地に矢羽、花文庫で結ぶ。
 二人を見送り、樹莉も
「じゃ、私も。お疲れ様でした〜♪」
 と、部屋を出て行く。
 私は紺地に赤い金魚が描かれた浴衣を着ていた。ママが「かわいく見えるから絶対にこれがオススメ!」と言ってくれたものだ。帯も結局、ママが縞のを選んでくれた。結び方はアリスと同じ文庫結びにした。
 私は、驚き過ぎて言葉を失ったままのレナを見上げる。ちょっとだけ、微笑んでみせた。
「どう?」
「……」
「似合う?」
「…あ、ああ……」
 レナは戸惑いながらも頷いた。
 驚かせたかったので、私はとても満足だった。レナに手を差し出した。
 レナは戸惑った表情のまま頷き、私の手を取った。
 『皐月堂』を出て夕暮れの道を、レナは私の手を引きながら歩く。
 レナの手がぎこちない。いつもと違い、レナがとても強く戸惑っているので……浴衣を着るのはちょっと失敗したかなと不安になってくる。
 レナは駅の方でもなく、駅と反対側でもない方へ歩く。
 やがて、
「ここ」
 レナが立ち止まり、私に告げた。
 ――ここ……?
 それは、一棟のマンションだった。
 ――ここって、もしかして、レナが住んでいるところ……?
 レナはセキュリティを解除して、エントランスホールへのドアを開けてくれた。
「――いいの?」
 思わず訊ねた私に、レナは頷いた。
「ベランダから花火が見える」
「あ、そう……」
 ――花火が見えるから、か……。
 私は中に入ると、エントランスホールを見回した。広くはないけれど落ち着いた造りになっている。
 エレベーターに乗った。レナは十階のボタンを押した。私はレナを見上げたけれど、レナは私を見ようとはしない。何か考え事をしているみたい。
 ――やがて、着いた。
 ドアを開けてレナが電気を点けた。
 私は下駄を脱いでそれを手に持った。
 案内されたのは、こざっぱりとした部屋だった。
 ……っていうか、その……物が少ない。男の人の部屋って、こういうものなのかしら?
 ベランダのサッシを開けてもらい、外に出た。
「わ……あ……」
 私は呟く。夜風が気持ちいい。私の家は平屋の一戸建てだから、とても新鮮に感じる。下駄を履いてベランダに出た。
 部屋の明かりが邪魔にならないようにと、レナが明かりを消してこちらに来る。
 ベランダの手摺りに寄りかかり、始まった花火を二人で眺めた。夜空一杯に広がる光の鮮やかさと眩しさに、私は目を細めた。
「きれ〜い!」
 手を伸ばしても花火に手が届くわけでもないのに、私は手を伸ばした。
「危ないから」
 と、その手をレナが取る。
「だって、すごく綺麗……!」
 レナの手を拒み、私はまた花火に手を伸ばした。威勢のいい音を上げて、夜空に浮かんでは散っていく。
「そんなに花火が好きだとは思わなかった」
 レナが微笑む。
 ――違うよ。レナと一緒に見ることが出来たから、余計に綺麗に見えるし、楽しいの! バカ!
「まるで、花火を欲しがっているように見える……」
「無理ね。花火はすぐに消えてしまうもの」
「留姫は……何が欲しいの?」
 レナがそんなことを訊いた。
「何がって?」
「何か欲しいものがあるから、バイトをしているんじゃないの?」
「べつにそういうわけじゃないの。樹莉とアリスに誘われたから、始めただけよ」
「そう……。何か欲しいものがあるのなら、知りたいなと思ったんだけれど……」
 私はレナの方に頭を傾けた。ちょっとだけ、くっついてみる。
「欲しいものなんかない……」
 ――私が今欲しいものは、お金じゃ手に入らないもの。
 私は目を閉じた。
 今……レナの傍にいられて、最高に幸せ……。
 レナがそっと、私の髪を撫でる。されるがままになっていたら、髪にキスをされた。それはなんとなく感触で判ったんだけれど、私の心臓はまた少し大きな音を立てる。
 ――ど、どうしてこんなことしてくれるの?
 レナは私から少し離れる。
 ――やだ、どこに行くの?
「レナ?」
 不安になったのは一瞬だけで、レナはどこにも行かなかった。
 レナが私の後ろに立ったのは気配で解った。私が振り向くより早く、私の両肩に手が添えられる。びくりと体が硬直した。
「怖い? ……逃げてもいいよ」
「?」
 ――何? どういうこと?
 背中から抱き締められた。
 ――レナ? え? どうなっているの?
 私は花火を見たまま、呟く。
「……どうして?」
 レナが耳元で囁く。
「……留姫が逃げないから」
 ――?
 私の頬をレナの指がなぞる。くすぐったくて、ぴくんと体が震えると、レナの声がほんの少し冗談交じりに問いかける。
「くすぐったい?」
「う、ん……」
 指先が顎の下を撫でる。首を撫でて襟元で手の動きが止まる。
「――いや?」
「首を触られること? いやじゃないけれど……」
「…………」
「レナ?」
 レナは
「――ごめん。やめるから……」
 と言い、ぎゅっと私を抱き締めて肩に顔を埋める。
 ――あ、やだ! 苦しい……っ!
「レナ……くるしっ」
「――」
 レナの腕が緩んだ。私はレナの胸に倒れ込みようになって、慌てて手摺りにしがみ付いた。
 こんなことするなんて、まるで本当の恋人みたいじゃない? 『恋愛ごっこ』じゃないの?
「もう! 花火……見ないの?」
「見ているよ……」
「そう?」
「うん。綺麗だよね」
「それなら……いいけれど……」
 レナが小さい声で笑う。手摺りに預けている私の手首を、レナの手が優しく掴む。
「――脈が速い。苦しかった?」
「やだっ」
 私が身を捩ると、また「ごめん」と言われた。
「恥ずかしい?」
「恥ずかしいわよ」
 素直に言うと、もう一度「ごめん」と言われた。
 花火は何度も上がる。
 レナの指が、私の指先を撫でたり絡めたりする。私の後ろから離れようとしない。
「綺麗な手だね」
「くすぐったいったら……」
「触らせて。手を触られるのは嫌い?」
「――いいよ、別に」
 ――これは『恋愛ごっこ』だから。
 たぶん、レナは私が『恋人と一緒に花火を見る』ことに憧れているんだと思って……こんなことをしてくれるんだ……。
 喉の奥がきゅっと痛くなる。泣きたくなる。
 ――こんなに仲良くしてくれるのに、『恋愛ごっこ』?
 ――かわいいって言ってくれるのに、彼女にはどうしてなれないの?
 やがて、花火が終わっていく――。
「終わっちゃう……」
「つまらないね」
「でも仕方ないわよね」
「……」
「いつまでも続く花火なんてないもの。楽しいことには終わりがあって、思い出になって……」
 この、『恋愛ごっこ』も、きっとそうなんだ……。
「……」
 レナの返事は無かった。
「どうしたの?」
 背中に感じていた温もりが消える。レナは私から離れた。


「私と『恋愛ごっこ』をしていて、楽しい?」


 私はゆっくり振り返った。
 夜の街並みから届くわずかな光しかない場所で、レナの目が私を見つめている。時折、夜風がレナの髪を撫でる。
 ――花火に手を伸ばした時のように、貴方に手を伸ばしても――いいの?
 私は黙ってレナを見つめる。
「――答えられない?」
 レナは私に訊ねた。
 どう答えていいのか解らない。レナがどういう答えを望んでいるのかも解らない。楽しいって言えばいいのかしら。貴方の傍にいられるだけでいいと、そう言うことも今なら拒まない?
 でも私は――楽しいけれど、苦しい。時々、死にそうなぐらい、苦しい――。
 私は俯いた。
 まるで、この浴衣に描かれた金魚みたい。貴方と一緒じゃなければ……水から出された時のようにきっと死んでしまう……。


「レナは――私のこと……嫌い?」


 ――ダメ! そんなこと、訊いたらヤバイ!
 心の中で、もう一人の自分が叫んでいるのに、それでも私は声に出してしまっていた。



 レナは――答えてはくれなかった。
 私達はそれ以上、どちらからともなくあまり話をしないまま、花火見物を終わりにした。
 レナはいつものように駅まで送ってくれたけれど、帰り道もお互いに話はしなかった。
 レナと別れて、ホームに滑り込んで来た電車に乗った。夜遅いから、乗客もまばらだった。
 ――答えをくれないことが……それが貴方の答えなの? さっきは、まるで恋人のように接してくれたじゃない……?
 私のことは恋人にしたいほどは好きじゃなくて……。ただ、女の子と二人きりだったから……ちょっと頬や手に触れてみたくなっただけなの?
 ――あんなこと訊くんじゃなかった。レナはもう、『恋愛ごっこ』はしてくれないのかもしれない……。
 私の目から涙が一粒、零れた。座席に座る私の手の上に、それは落ちた。
 でもいつかは終わりが来ると覚悟しているから、それ以上の涙は出なかった。
 ――せめて、最後にデートぐらいはしたいな……。
 火曜日までは『恋愛ごっこ』が続くようにと、私は願った。

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